スウィートカース(Ⅸ):ファイア・ホーリーナイト

湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)

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第二話「雪明」

「雪明」(6)

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「止まれええええッッ!!」

 銃声は、みるみるジェイスのタクシーに近づいてきていた。女性のものらしき怒鳴り声と、車が街灯をへし折る音がそれに続く。

「止ま、きゃ!?」

 中身の詰まった麻袋のようなものが、車のバンパーに撥ね飛ばされる音が響いた。

 眠るジェイスへ、衝撃とともに降り注いだのは破裂したガラスだ。ジェイスは身じろぎひとつしない。車に撥ねられた人間の体が、タクシーのフロントガラスに突っ込んできたと言うのにだ。

「痛たた……」

 タクシーに激突した女……エマ・ブリッジス警部補は腰をさすって呻いた。

 銃撃されたテールライトを振り、ゴミ箱を内容物ごと高々と打ち上げ、壁をこすって火花をあげながら、エマの追う車はどんどん裏路地を遠ざかっていく。

 へこんだボンネットから、エマは力なく道路にずり落ちた。痛む脇腹を押さえつつ、タクシー伝いに身を起こす。

 タクシーの運転席を見れば、倒された座席にはアイマスクをした運転手がじっと眠っていた。人や銃弾が飛び交うこの戦場で、いったいどういう度胸をしているのだ。

 いやそれとも、運悪く流れ弾が直撃して瀕死になっている?

 赤い手形を滲ませ、エマは何度もタクシーの窓を叩いた。

「ちょっと! 運転手さん! 大丈夫!?」

「…………」

 運転手のスティーブ・ジェイスが、たったいま休憩に入ったというのは残念なお知らせだった。たとえ産気づいた妊婦や犯人を追跡中の刑事が請うても、そのドアと瞼が開いた試しはない。

 何事もなくジェイスが寝返りを打ったのを確認し、エマは胸を撫で下ろした。

「寝てるのね。安心した」

 大抵の客はここで失せる。

 エマがひとこと叫ぶのが聞こえた。

「ヘイ! タクシー!」

 タクシーのガラスは粉々になった。

 拳銃の銃把で、エマが窓を叩き割ったのだ。

 ただその程度では、ジェイスが飛び起きる理由にはならない。

「…………」

「いい加減に起きなさい!」

 ついにエマは、ジェイスのネクタイを絞めて揺さぶった。

 アイマスク越しに、そっけなく返事したのはジェイスだ。

「乗車拒否だ」

「緊急事態よ」

「…………」

 アイマスクも外さぬまま、ジェイスは助手席側のドアを開けた。彼のこめかみに、エマが四十五口径の拳銃を突きつけたのだ。一応、誠意を見せるしかない。

 座席に転がり込むが早いか、エマは放射状にひび割れたフロントガラスを指差した。

「あの車を追って!」

「……どの車だ」

「目のそれを外しなさい」

「…………」

 額までずらされたアイマスクの下から、ジェイスのジト目の瞳は現れた。

 ずいぶん先を疾走するのは、車体のそこかしこに弾痕を穿った大型のワゴンだ。ルームミラーを見れば、若い女が金色の警察のバッジをひらひらさせている。

 逆の手の拳銃をこれ見よがしにしながら、エマは言い放った。

「殺人課よ。急いで。いまなら大統領だって撃ち殺せる気分だわ」

「…………」

 ジェイスは小さくあくびした。

 同時に、前置きなしにいきなりタクシーは発進している。悲鳴とともに、座席を七転八倒したのはエマだ。

 買い出しの最中だった中華料理屋のハンさん、清掃車両、そして電柱。避ける避ける避ける。ラリーカーの名手も裸足で逃げるような障害物だらけの路地を、ジェイスのタクシーは誘導ミサイルの正確さで猛進した。

「す、すごい反射神経ね……」

 エマの称賛を、破裂音がさえぎった。

 追われる側のワゴンから、銃火がほとばしったのだ。弾丸のかすめたサイドミラーは千切れ飛んでいる。

 突如、ジェイスがブレーキを踏みつけたではないか。急停止の反動で思いきりつんのめり、エマは目を剥いた。

「なんで止めるの!?」

「撃たれた。降りろ」

 拳銃の撃鉄のあがる響きが、車内にこだました。

 ジェイスの頭に銃口が触れるのも、きょう何度目になるだろう。アドレナリンで震えるエマの吐息は、ジェイスの耳に甘く囁いた。

「怪我は、ないわね? できるでしょ、運転?」

「…………」

 ふたたびジェイスは、タクシーを急発進させた。

 飛び跳ねながら一般道に入ったタクシーの背後で、車数台がきりきり回転する。市民バスと大型トラックの隙間を、すいすいすり抜ける光景は爽快だ。

 今度こそ恥をかかぬよう、きっちりシートベルトを締めながらエマは質問した。

「並外れた運転技術だわ。過去になにかやってたとか?」

「喋るな。舌を噛む」

「おかまいなく。あたしは……エマ!」

 窓から身をのぞかせたエマの髪は、激しい風になびいた。標的のワゴンへ慎重に狙いをつける。

 エマから轟いた銃声は一発だったが、ワゴンから返ってきた弾丸は百発を超えた。相手はマシンガンを持っている。

 すぐに車内へ身を縮め、エマは無念な面持ちでたずねた。

「あなたは?」

「運転手だ」

「名前よ、名前」

 躍るようにハンドルを切り回しつつ、声は冷静に答えた。

「ジェイス」

「いい名前ね」

 予備の弾倉を、エマは拳銃に叩き込んだ。銃口で正面のガラスを小突きつつ、聞く。

「これ割ってもいいかしら、ジェイス。邪魔で撃てないんだけど?」

「断る」

「じゃあさっさと奴らの横につけて」

 エマの注文どおり、ジェイスのハンドルさばきに余念はなかった。高速道路の自動料金所を突破し、たちまちワゴンの真横に詰めた腕前には文句の付け所もない。

「オーケイ。今度は勝手に止めないで……よ!?」

 肩の抜けるような衝撃に、エマは悲鳴をあげた。

 並走するワゴンが、だしぬけにタクシーへ幅寄せしてきたではないか。その動きには明確な殺意がこもり、警察に執拗に追われるのも納得だ。ガードレールをまともに擦ったタクシーの側面は、黄色い塗料の燃えカスを散らしている。

 ぽつりとジェイスはこぼした。

「請求書を探す」

「う、うるさいわね。もう、頭きた!」

 ずきずきする頭を押さえながら、エマはいざ横のワゴンへ照準を定めた。

 平板な声でつぶやいたのはジェイスだ。

「伏せろ」

「え?」

 ワゴンのドアが開くなり、座席から突き出したのは巨大な重機関銃だ。可動式の銃座とセットになった凶悪なそれは本来、戦闘ヘリ等に搭載されるものと思われる。

 銃座に腰掛けた人影は、包帯とネクタイを突風に揺らして叫んだ。

「ワオ!」

 怪人……スコーピオンは大笑いした。

「色紙の準備はできたかな!?」

 閃光とともに、タクシーのヘッドライトは粉砕された。

 続いて、流れ弾に前輪を撃ち抜かれたのは不運な一般車両だ。耳障りなスリップ音を残し、ガラスの破片をきらめかせて横転。それに巻き込まれた後続車たちも、木の葉のように宙を舞う。衝突しては次から次へと吹き飛んでいく金属の断末魔が、耳に痛い。

 道路の惨状に驚き、エマは目を白黒させた。

「え。え? えェ!? 嘘ぉ!?」

 旋回しつつ急停車したタクシーの正面、煙をひいて降ってきたのは一台の選挙カーだ。

 選挙カーの看板にはこう書かれていた。

〝魂までは殺せない〟
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