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第三話「雪花」
「雪花」(1)
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「ありとあらゆる職業に擬態した政府の殺し屋が、あちこちから街を見張ってるって噂は警察署内でも有名だわ、ジェイス?」
「……副業だ」
政府の偵察戦闘機の編隊は、爆音を残して海上を通過した。
午後四時二十八分……
マーベット中部の湾岸道路では、知性豊かなオーケストラが開催されていた。罵声や怒号、猿のようなクラクションの連打という内訳だ。ニュースによれば、トンネルの前方で深刻な車の転落事故があったという。渋滞が緩和される目処はまだ立たない。
「うォらッ!?」
いっこうに微動だにしない車列に、我慢の限界を迎えたらしい。とうとう運転手のひとりは、窓から上半身を噴出させた。載せただけの中折れ帽から広がるのは、掻き毟られて乱れた前衛的な寝癖頭だ。その目はひどく血走り、タバコを噛みちぎった歯の間からは低い唸りを漏らしている。狂犬だった。
「畜生! 祈られたいやつから前に出ろ!」
「ぬう! 落ち着かんか、フォーリング!」
車に箱乗りして喚き散らす神父?を、同乗する上司らしき女は必死になだめた。
てんやわんやする二名に対し、何台か前の車窓から、ぴょこっと覗いた顔がある。まだ十代に達するかも不明なその少女の顔立ちは、この阿鼻叫喚の地獄に舞い降りた天使そのものに可憐だ。自車の扉をばんばん両手で叩きながら、少女はやはり愛くるしい声で怒鳴り返した。
「しね!」
「こら、ホーリー……」
助手席の少女をあやしたのは、父親と思われるサングラスの運転手だった。
「どこで覚えたんだ、そんな汚い言葉を。せっかく命からがら、やつらに襲撃されたサービスエリアを脱出してきたというのに」
「いっしょに歌お、ダニエルも! し~ね! マリモ頭!」
「こらこらこら……」
シェルター都市の大動脈を詰まらせるのは、前方、子どものミニカー遊びより乱雑に停まった特殊車両の群れだった。
テロでもあったのだろうか。上空から絶え間なく監視をきかせる偵察部隊といい、ただの交通事故にしては落ち着きがない。そのうえ、現場を封鎖する車体の側面にはどれもこれも〝政府〟の鮮やかな刻印が染め抜かれている。
その一角に横付けされた救急車両もまた、特殊情報捜査執行局〝ファイア〟の所有物だった。展開した側壁を間仕切り代わりにして、即席の応急処置スペースを設けている。
その中のベンチに腰掛けたまま、患者に手当の完了を告げたのは白衣の医者だった。
「お大事に」
医者の中性的なソプラノの声色に背を押され、傷の治療を終えた女は救急車両を後にした。警察支給のホルスターをワイシャツに巻き直す姿は、まだ若い。黄色のタクシーで身だしなみを整える仏頂面の男と、何事か会話をかわしている。
両手のゴム手袋をゴミ箱に落とすと、医者は語りかけた。
「こちらエージェント・ヘリオ」
救急車両の周辺には、もう負傷者の姿はない。では独り言か?
違う。医者は、じぶんの手首に喋ったのだ。もっと正確には、手首に巻かれた銀色の腕時計へ。腕時計は最新式の小型通信機であり、組織の極秘回線へのアクセスを可能にしていた。
「こちらヘリオ。怪我人の応急処置は完了しました」
時計のスピーカーから返ってきた回答は、やや辟易した女の声だった。
〈こちらメドーヤ。ごくろう〉
「すごい渋滞ですね。コーヒーの差し入れはいかがです、課長?」
〈コーヒーより鎮静剤だ、ヘリオくん。またフォーリングのやつのタガが外れた〉
「くく、強力なのがありますよ。クジラ用のですが」
〈頼む。おっとフォーリング、銃なぞ抜いてなにを……〉
〈ガキを殺せッ!〉
組織の課長、ネイ・メドーヤの声は慌てた様子だった。獣じみた荒々しい息遣いと、なにかの揉み合う音を最後に通信は途絶える。黙祷するしかない。
「くくく……」
不吉な忍び笑いに肩を揺らすと、医者……ヘリオは抗菌マスクを外した。
小鳥のさえずるような口調にふさわしく、その容貌は男女の判別も難しい。ただ、常に笑っているようなガラス球の瞳の奥を見よ。
おびただしい数値が入り乱れるヘリオの視界モニターは、マスクの素材を自動で解析していた。約五マイクロメートルの固着樹脂に、二層構造の抗ウィルス繊維等々でマスクは構成されている。
それとは別に、ふと独りでにヘリオの感知器は反応した。
分析が捉えた先は、見慣れたエージェント・ジェイス専用のタクシーだ。いや本当を言えば、焦点はそこにもたれかかるS・K・P・D所属と思われる女性に向いている。
さっき治療の際にエマ・ブリッジス警部補と名乗った彼女からは、おそるべき要素が検出されていた。
呪力?
ありえない。約三十年前に生じた人類と異星人の全面戦争で、世界から呪力は絶滅したはずだ。衰退した現代の技術では到底、過去にあったような呪力は再現できない。より真相に迫るなら、呪力の取り扱いは水面下で固く禁止されている。呪力の気配を嗅ぎつけた途端、なぜかアーモンドアイが発生場所に集中的な総攻撃を開始するためだ。呪力は戦火のきっかけであり、アーモンドアイが地球を敵視する根拠だった。シェルター都市内の残りわずかな生存圏が脅かされる危険を犯してまで、得体の知れない呪力に手を染める理由はどこにもない。
そんな代物を、ただの女刑事がなぜ?
たとえば強い呪力……〝ジュズ〟の群れに彼女が深く接触したとか?
「いや、まさか。それならとっくにここは、複数体のジュズやUFOに占拠されているはずです。機体の誤作動ですね。私自身も、組織の研究所で診てもらうとしましょう」
人間でいう気を取り直して、ヘリオは視線を転じた。
とあるテロリストが切り裂いた事故防止壁の向こうには、白くきらめく海が望める。気象庁の思いつきに任せたホログラムの青空の下、人工動力が動かす波風もいまや昔と違って課税制だ。思わず平和と勘違いするのも仕方ない。引いては寄せる潮騒に合わせ、ヘリオのモニターの波形ものんびりと上下を繰り返している。
その波形が跳ね上がるのは、突然だった。
「!?」
驚きに、ヘリオは白衣をひるがえした。
どこからともなく響いたのは、かん高い笑い声だ。邪悪を具現化した舌使いは、ヘリオのOSへ克明に焼きつけられた指名手配犯の声紋とも一致している。
〈あちゃー!? 死んだ! ぎゃはははは!〉
轟音……
文字どおり、道路はへし折れた。
最初に爆発したのは渋滞の張本人……政府の鑑識係が海底から引き揚げた事故車両のワゴンだ。それに続き、高速道路の橋脚は次々と破壊された。爆光、爆光、爆光。およそ一キロに渡って口を開けた道路の亀裂へ、テーブルでも傾けたように一般車たちも滑り落ちていく。
「な、なにが起こったんです?」
独白したヘリオ本人も、大きな地震に手をついた。
「それに今の声は、コードネーム〝スコーピオン〟の……!」
着信のメロディーは、ヘリオの腕時計から流れた。
ねっとりと通話に乗ったのは、それはハスキーな女の声だ。
〈やれやれ、マスカラを塗り直さなきゃね。無事かい、お人形ちゃん?〉
「いますこし、心がズキっとしたぐらいです。そちらはお怪我はありませんか、エージェント・リンフォン?」
炎と煙の強烈さにも関わらず、ヘリオは口ひとつかばわない。まるで平凡な呼吸が不要とでも言うかのように、にこやかなままだ。
一方、通信機の向こう側からは、かすかな水しぶきの音が聞こえる。リンフォンと呼ばれた極秘捜査官は、飄然と返事した。
〈夏でもないのに、優雅に海水浴さ。包帯のお化けなんか放っといて、ヘリオ。いっしょに泳がないかい、お姉さんと?〉
「水着を忘れたのは失敗です。次からは、塩害や沈没対策の点検も欠かさないでしてきましょう」
渋滞のストレスはどこへやら、人々は愛車を捨てて逃げ惑った。白衣を揺らして爆心地を見据えるヘリオのかたわらを、右へ左へすれ違っていく。
ヘリオの腕時計で、はすっぱな女の声は唐突に真剣味を増した。
〈橋に爆弾を仕掛けてたジュズの連中は、死ぬほど相手をしてやった。尻尾を巻いて逃げた何匹かが、そっちに行くよ〉
「なんですって?」
ヘリオは眉をひそめた。
刹那、防護壁を飛び越えて現れたのは球形の巨躯だ。
ヘリオの視界モニターに追加される索敵マーカーの数は、八機、九機、十機……まだいる。ガラスの破片を散らしたのは、外骨格の足底に踏み潰された一般車だ。
玉状の強化装甲に太陽を照り返し、異星の巨人どもが掲げるのは鋭く尖った超大型機関銃だった。射撃強化型ジュズ〝スペルヴィア〟に他ならない。
おびただしい襲来者を見渡し、ヘリオはつぶやいた。
「ほう。彼女にイジメられましたね?」
せわしなく移ろうジュズの眼球は、銃火を反射した。
医者にあるまじき素早さで後転したヘリオを追い、弾丸の雨が道路を削り取る。肉色の花火と化して吹き飛んだのは、逃げ足の遅い太った会社員だ。
地面に深い亀裂を穿って、ヘリオは火線の射程外へ降り立った。
着地した途端、ヘリオの周囲に続々と舞い降りたのはジュズの巨体だ。風にゆらめく白衣のすぐ後ろでは、ああ。絶海が、車の後尾を無数に浮かべている。
踵の下から落ちた瓦礫が海面で飛沫をあげるのを、ヘリオは耳だけで聞いた。あいかわらずの笑顔で、ジュズたちに両腕を広げてみせる。無抵抗の証だ。
「話し合いません?」
ジュズの銃口が跳ね上がると同時に、倒れる白衣の裾が見えた。道路の縁から海へ、獲物のヘリオがみずから身投げしたではないか。
波音は穏やかだった。
「…………」
重火器の銃身を肩にかつぐと、ジュズの一体は道路の崖へ歩み寄った。強い潮風が駆け抜ける海面を、さ迷う狂気の瞳が念のため確認する。
「マタドールシステム・タイプH、基準演算機構を擬人形式から旋人形式へ変更します……滞空開始」
機械じみたヘリオの呪文とともに、鋭い回転音が青空へ駆け昇った。
「!?」
仰け反るように頭上を狙ったジュズたちの銃口は、でたらめなファンファーレを演奏した。はるか大空、十字型の突風を高速回転させる機影を歓迎するように。
鳥か? 人間か? いや、あれは……ヘリコプターだった。
ヘリオの落ちていった場所から、入れ替わりに奇妙な飛行物体が現れたのだ。
その凶暴な肉食魚の形をした戦闘ヘリは、猛スピードで斜めに滑り落ちた。ジュズどもの銃撃の嵐をかわす、かわす、かわす。まさに紙一重だった。人間の搭乗を考えず、極限まで小型化された機体ならではの曲芸飛行だ。
衝撃波を残して、戦闘ヘリは道路の真下を通過した。巻き起こされた波しぶきが、思いきりジュズどもを叩く。
異形のヘリを逃さず、ジュズたちは方向転換した。機関銃に代わって、いっせいに担ぎ上げられたのは多連装ミサイル砲の輝きだ。その発射口は大人の三、四人なら楽に潜り込めるほど深くて暗い。
かたや、戦闘ヘリはささやいた。そう、ヘリオの声を口にしたのだ。
「おや、ロックオン警告ですか。それもこんなに沢山……久々に聞くい~い音色です」
激しい発射の噴煙が、道路を覆い隠した。
天地逆に青空へ流れた戦闘ヘリを、数えきれぬジュズのミサイルが追う。鮮やかな蝶に挑む少女の指のようにだ。複雑な弾道を描いて絡まりあった必殺の軌跡は、次の瞬間、きりもみ回転する戦闘ヘリを赤外線の牙に捉えた。
「ではごきげんよう、お嬢さん方」
キザっぽく言い残した戦闘ヘリの腹下から、流星めいた輝きが拡散した。
同時に、標的を逸れたあちこちで派手な爆発が連続する。広範囲へ美しい閃きの領域を形成したマグネシウム・テフロン等の添加金属粉の燃焼につられ、ミサイルの群れは見当違いの方向へ外れたのだ。まさか赤外線妨害装置か?
「!」
声なき声で、ジュズたちは確かに驚愕した。
爆発の業火をかき混ぜて突破した戦闘ヘリから、お返しとばかりに、多くの光の筋が花を咲かせたではないか。二百発を超える超小型ミサイルだ。急上昇した戦闘ヘリ自身とは別れ、ミサイルの山は亜音速でジュズどもの頭頂を通り過ぎていく……遠距離攻撃管理システムの誤作動か?
直後、道路を襲った炎の驟雨は、怒れる天使が振るう断罪の剣を思わせた。瞬時に数百発の弾頭に分裂したミサイルは、ジュズたちの体を容赦なく貫いている。最新鋭の対地制圧ミサイルだ。
とどめを刺された形で、道路の廃墟は海の大渦へ傾き始めた。頭部や手足を欠き、巨大な火だるまと化した異星人のシルエットは、吹き荒れる濃い煙の先、力なく地面に溶解していく。
ひときわ回転翼の咆哮を加速させた戦闘ヘリの機影は、しだいに点となり、人工の太陽へ消えた。同じ場所から宙返りしつつ降りてきたのは、人型に戻ったヘリオの白衣のはためきだ。
着地したヘリオの足もとは、やはり鉄塊が落ちてきたような落下音を鳴らしてひしゃげた。高速道路の電波塔だ。透き通ったヘリオの前髪を、地上二十メートルの風が静かに揺らす。
それも束の間、黒煙を切り裂き、ヘリオの眼前には黒焦げのジュズが跳躍していた。まだ生き残りがいたらしい。獰猛なジュズの瞳は、すべてを焼き切るレーザーの眼光を出力最大に集束している。
「マタドールシステム・タイプH、基準演算機構を擬人形式から狩人形式へ変更します……舞踏開始」
ヘリオの立つ電波塔は、勢いよく破裂した。
襲いかかるジュズめがけて、ヘリオが足場を蹴って跳んだのだ。ジュズは眼球を煌めかせて下から、ヘリオは両腕に鋭い光を宿して上から。
ヘリオの唇は、弦月を描いて笑った。
「くくく……お大事に」
激突したふたつの中央で、凄まじい火花が散った。
「……副業だ」
政府の偵察戦闘機の編隊は、爆音を残して海上を通過した。
午後四時二十八分……
マーベット中部の湾岸道路では、知性豊かなオーケストラが開催されていた。罵声や怒号、猿のようなクラクションの連打という内訳だ。ニュースによれば、トンネルの前方で深刻な車の転落事故があったという。渋滞が緩和される目処はまだ立たない。
「うォらッ!?」
いっこうに微動だにしない車列に、我慢の限界を迎えたらしい。とうとう運転手のひとりは、窓から上半身を噴出させた。載せただけの中折れ帽から広がるのは、掻き毟られて乱れた前衛的な寝癖頭だ。その目はひどく血走り、タバコを噛みちぎった歯の間からは低い唸りを漏らしている。狂犬だった。
「畜生! 祈られたいやつから前に出ろ!」
「ぬう! 落ち着かんか、フォーリング!」
車に箱乗りして喚き散らす神父?を、同乗する上司らしき女は必死になだめた。
てんやわんやする二名に対し、何台か前の車窓から、ぴょこっと覗いた顔がある。まだ十代に達するかも不明なその少女の顔立ちは、この阿鼻叫喚の地獄に舞い降りた天使そのものに可憐だ。自車の扉をばんばん両手で叩きながら、少女はやはり愛くるしい声で怒鳴り返した。
「しね!」
「こら、ホーリー……」
助手席の少女をあやしたのは、父親と思われるサングラスの運転手だった。
「どこで覚えたんだ、そんな汚い言葉を。せっかく命からがら、やつらに襲撃されたサービスエリアを脱出してきたというのに」
「いっしょに歌お、ダニエルも! し~ね! マリモ頭!」
「こらこらこら……」
シェルター都市の大動脈を詰まらせるのは、前方、子どものミニカー遊びより乱雑に停まった特殊車両の群れだった。
テロでもあったのだろうか。上空から絶え間なく監視をきかせる偵察部隊といい、ただの交通事故にしては落ち着きがない。そのうえ、現場を封鎖する車体の側面にはどれもこれも〝政府〟の鮮やかな刻印が染め抜かれている。
その一角に横付けされた救急車両もまた、特殊情報捜査執行局〝ファイア〟の所有物だった。展開した側壁を間仕切り代わりにして、即席の応急処置スペースを設けている。
その中のベンチに腰掛けたまま、患者に手当の完了を告げたのは白衣の医者だった。
「お大事に」
医者の中性的なソプラノの声色に背を押され、傷の治療を終えた女は救急車両を後にした。警察支給のホルスターをワイシャツに巻き直す姿は、まだ若い。黄色のタクシーで身だしなみを整える仏頂面の男と、何事か会話をかわしている。
両手のゴム手袋をゴミ箱に落とすと、医者は語りかけた。
「こちらエージェント・ヘリオ」
救急車両の周辺には、もう負傷者の姿はない。では独り言か?
違う。医者は、じぶんの手首に喋ったのだ。もっと正確には、手首に巻かれた銀色の腕時計へ。腕時計は最新式の小型通信機であり、組織の極秘回線へのアクセスを可能にしていた。
「こちらヘリオ。怪我人の応急処置は完了しました」
時計のスピーカーから返ってきた回答は、やや辟易した女の声だった。
〈こちらメドーヤ。ごくろう〉
「すごい渋滞ですね。コーヒーの差し入れはいかがです、課長?」
〈コーヒーより鎮静剤だ、ヘリオくん。またフォーリングのやつのタガが外れた〉
「くく、強力なのがありますよ。クジラ用のですが」
〈頼む。おっとフォーリング、銃なぞ抜いてなにを……〉
〈ガキを殺せッ!〉
組織の課長、ネイ・メドーヤの声は慌てた様子だった。獣じみた荒々しい息遣いと、なにかの揉み合う音を最後に通信は途絶える。黙祷するしかない。
「くくく……」
不吉な忍び笑いに肩を揺らすと、医者……ヘリオは抗菌マスクを外した。
小鳥のさえずるような口調にふさわしく、その容貌は男女の判別も難しい。ただ、常に笑っているようなガラス球の瞳の奥を見よ。
おびただしい数値が入り乱れるヘリオの視界モニターは、マスクの素材を自動で解析していた。約五マイクロメートルの固着樹脂に、二層構造の抗ウィルス繊維等々でマスクは構成されている。
それとは別に、ふと独りでにヘリオの感知器は反応した。
分析が捉えた先は、見慣れたエージェント・ジェイス専用のタクシーだ。いや本当を言えば、焦点はそこにもたれかかるS・K・P・D所属と思われる女性に向いている。
さっき治療の際にエマ・ブリッジス警部補と名乗った彼女からは、おそるべき要素が検出されていた。
呪力?
ありえない。約三十年前に生じた人類と異星人の全面戦争で、世界から呪力は絶滅したはずだ。衰退した現代の技術では到底、過去にあったような呪力は再現できない。より真相に迫るなら、呪力の取り扱いは水面下で固く禁止されている。呪力の気配を嗅ぎつけた途端、なぜかアーモンドアイが発生場所に集中的な総攻撃を開始するためだ。呪力は戦火のきっかけであり、アーモンドアイが地球を敵視する根拠だった。シェルター都市内の残りわずかな生存圏が脅かされる危険を犯してまで、得体の知れない呪力に手を染める理由はどこにもない。
そんな代物を、ただの女刑事がなぜ?
たとえば強い呪力……〝ジュズ〟の群れに彼女が深く接触したとか?
「いや、まさか。それならとっくにここは、複数体のジュズやUFOに占拠されているはずです。機体の誤作動ですね。私自身も、組織の研究所で診てもらうとしましょう」
人間でいう気を取り直して、ヘリオは視線を転じた。
とあるテロリストが切り裂いた事故防止壁の向こうには、白くきらめく海が望める。気象庁の思いつきに任せたホログラムの青空の下、人工動力が動かす波風もいまや昔と違って課税制だ。思わず平和と勘違いするのも仕方ない。引いては寄せる潮騒に合わせ、ヘリオのモニターの波形ものんびりと上下を繰り返している。
その波形が跳ね上がるのは、突然だった。
「!?」
驚きに、ヘリオは白衣をひるがえした。
どこからともなく響いたのは、かん高い笑い声だ。邪悪を具現化した舌使いは、ヘリオのOSへ克明に焼きつけられた指名手配犯の声紋とも一致している。
〈あちゃー!? 死んだ! ぎゃはははは!〉
轟音……
文字どおり、道路はへし折れた。
最初に爆発したのは渋滞の張本人……政府の鑑識係が海底から引き揚げた事故車両のワゴンだ。それに続き、高速道路の橋脚は次々と破壊された。爆光、爆光、爆光。およそ一キロに渡って口を開けた道路の亀裂へ、テーブルでも傾けたように一般車たちも滑り落ちていく。
「な、なにが起こったんです?」
独白したヘリオ本人も、大きな地震に手をついた。
「それに今の声は、コードネーム〝スコーピオン〟の……!」
着信のメロディーは、ヘリオの腕時計から流れた。
ねっとりと通話に乗ったのは、それはハスキーな女の声だ。
〈やれやれ、マスカラを塗り直さなきゃね。無事かい、お人形ちゃん?〉
「いますこし、心がズキっとしたぐらいです。そちらはお怪我はありませんか、エージェント・リンフォン?」
炎と煙の強烈さにも関わらず、ヘリオは口ひとつかばわない。まるで平凡な呼吸が不要とでも言うかのように、にこやかなままだ。
一方、通信機の向こう側からは、かすかな水しぶきの音が聞こえる。リンフォンと呼ばれた極秘捜査官は、飄然と返事した。
〈夏でもないのに、優雅に海水浴さ。包帯のお化けなんか放っといて、ヘリオ。いっしょに泳がないかい、お姉さんと?〉
「水着を忘れたのは失敗です。次からは、塩害や沈没対策の点検も欠かさないでしてきましょう」
渋滞のストレスはどこへやら、人々は愛車を捨てて逃げ惑った。白衣を揺らして爆心地を見据えるヘリオのかたわらを、右へ左へすれ違っていく。
ヘリオの腕時計で、はすっぱな女の声は唐突に真剣味を増した。
〈橋に爆弾を仕掛けてたジュズの連中は、死ぬほど相手をしてやった。尻尾を巻いて逃げた何匹かが、そっちに行くよ〉
「なんですって?」
ヘリオは眉をひそめた。
刹那、防護壁を飛び越えて現れたのは球形の巨躯だ。
ヘリオの視界モニターに追加される索敵マーカーの数は、八機、九機、十機……まだいる。ガラスの破片を散らしたのは、外骨格の足底に踏み潰された一般車だ。
玉状の強化装甲に太陽を照り返し、異星の巨人どもが掲げるのは鋭く尖った超大型機関銃だった。射撃強化型ジュズ〝スペルヴィア〟に他ならない。
おびただしい襲来者を見渡し、ヘリオはつぶやいた。
「ほう。彼女にイジメられましたね?」
せわしなく移ろうジュズの眼球は、銃火を反射した。
医者にあるまじき素早さで後転したヘリオを追い、弾丸の雨が道路を削り取る。肉色の花火と化して吹き飛んだのは、逃げ足の遅い太った会社員だ。
地面に深い亀裂を穿って、ヘリオは火線の射程外へ降り立った。
着地した途端、ヘリオの周囲に続々と舞い降りたのはジュズの巨体だ。風にゆらめく白衣のすぐ後ろでは、ああ。絶海が、車の後尾を無数に浮かべている。
踵の下から落ちた瓦礫が海面で飛沫をあげるのを、ヘリオは耳だけで聞いた。あいかわらずの笑顔で、ジュズたちに両腕を広げてみせる。無抵抗の証だ。
「話し合いません?」
ジュズの銃口が跳ね上がると同時に、倒れる白衣の裾が見えた。道路の縁から海へ、獲物のヘリオがみずから身投げしたではないか。
波音は穏やかだった。
「…………」
重火器の銃身を肩にかつぐと、ジュズの一体は道路の崖へ歩み寄った。強い潮風が駆け抜ける海面を、さ迷う狂気の瞳が念のため確認する。
「マタドールシステム・タイプH、基準演算機構を擬人形式から旋人形式へ変更します……滞空開始」
機械じみたヘリオの呪文とともに、鋭い回転音が青空へ駆け昇った。
「!?」
仰け反るように頭上を狙ったジュズたちの銃口は、でたらめなファンファーレを演奏した。はるか大空、十字型の突風を高速回転させる機影を歓迎するように。
鳥か? 人間か? いや、あれは……ヘリコプターだった。
ヘリオの落ちていった場所から、入れ替わりに奇妙な飛行物体が現れたのだ。
その凶暴な肉食魚の形をした戦闘ヘリは、猛スピードで斜めに滑り落ちた。ジュズどもの銃撃の嵐をかわす、かわす、かわす。まさに紙一重だった。人間の搭乗を考えず、極限まで小型化された機体ならではの曲芸飛行だ。
衝撃波を残して、戦闘ヘリは道路の真下を通過した。巻き起こされた波しぶきが、思いきりジュズどもを叩く。
異形のヘリを逃さず、ジュズたちは方向転換した。機関銃に代わって、いっせいに担ぎ上げられたのは多連装ミサイル砲の輝きだ。その発射口は大人の三、四人なら楽に潜り込めるほど深くて暗い。
かたや、戦闘ヘリはささやいた。そう、ヘリオの声を口にしたのだ。
「おや、ロックオン警告ですか。それもこんなに沢山……久々に聞くい~い音色です」
激しい発射の噴煙が、道路を覆い隠した。
天地逆に青空へ流れた戦闘ヘリを、数えきれぬジュズのミサイルが追う。鮮やかな蝶に挑む少女の指のようにだ。複雑な弾道を描いて絡まりあった必殺の軌跡は、次の瞬間、きりもみ回転する戦闘ヘリを赤外線の牙に捉えた。
「ではごきげんよう、お嬢さん方」
キザっぽく言い残した戦闘ヘリの腹下から、流星めいた輝きが拡散した。
同時に、標的を逸れたあちこちで派手な爆発が連続する。広範囲へ美しい閃きの領域を形成したマグネシウム・テフロン等の添加金属粉の燃焼につられ、ミサイルの群れは見当違いの方向へ外れたのだ。まさか赤外線妨害装置か?
「!」
声なき声で、ジュズたちは確かに驚愕した。
爆発の業火をかき混ぜて突破した戦闘ヘリから、お返しとばかりに、多くの光の筋が花を咲かせたではないか。二百発を超える超小型ミサイルだ。急上昇した戦闘ヘリ自身とは別れ、ミサイルの山は亜音速でジュズどもの頭頂を通り過ぎていく……遠距離攻撃管理システムの誤作動か?
直後、道路を襲った炎の驟雨は、怒れる天使が振るう断罪の剣を思わせた。瞬時に数百発の弾頭に分裂したミサイルは、ジュズたちの体を容赦なく貫いている。最新鋭の対地制圧ミサイルだ。
とどめを刺された形で、道路の廃墟は海の大渦へ傾き始めた。頭部や手足を欠き、巨大な火だるまと化した異星人のシルエットは、吹き荒れる濃い煙の先、力なく地面に溶解していく。
ひときわ回転翼の咆哮を加速させた戦闘ヘリの機影は、しだいに点となり、人工の太陽へ消えた。同じ場所から宙返りしつつ降りてきたのは、人型に戻ったヘリオの白衣のはためきだ。
着地したヘリオの足もとは、やはり鉄塊が落ちてきたような落下音を鳴らしてひしゃげた。高速道路の電波塔だ。透き通ったヘリオの前髪を、地上二十メートルの風が静かに揺らす。
それも束の間、黒煙を切り裂き、ヘリオの眼前には黒焦げのジュズが跳躍していた。まだ生き残りがいたらしい。獰猛なジュズの瞳は、すべてを焼き切るレーザーの眼光を出力最大に集束している。
「マタドールシステム・タイプH、基準演算機構を擬人形式から狩人形式へ変更します……舞踏開始」
ヘリオの立つ電波塔は、勢いよく破裂した。
襲いかかるジュズめがけて、ヘリオが足場を蹴って跳んだのだ。ジュズは眼球を煌めかせて下から、ヘリオは両腕に鋭い光を宿して上から。
ヘリオの唇は、弦月を描いて笑った。
「くくく……お大事に」
激突したふたつの中央で、凄まじい火花が散った。
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