スウィートカース(Ⅸ):ファイア・ホーリーナイト

湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)

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第三話「雪花」

「雪花」(5)

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 一千万人の死者が奏でる口笛……

 この吹雪のことだった。

 雪と闇、白と黒のみに塗り分けられた病院前の広場も、以前は子どもたちのはしゃぐ声や、暇な老人たちのチェスの娯楽に潤っていたに違いない。

 広場の中央、十字架でも見たように片膝をつくのは調査隊隊長のドルフだ。眼前の不自然な白い隆起から、静かに雪粒を払いのける。

〝西暦二〇六四年、十二月二十一日。ここに未来と戦う。バナン総合病院開院記念〟

 大理石の記念碑から、ドルフは冷徹な眼差しをそらした。横の廃病院を見上げ、耳の無線機につぶやく。

「おあつらえむきな墓石だな……そっちはどうだ、ホフマン?」

 ドルフの呼び声に応じ、わずかに輝いたのは長距離狙撃銃のスコープだった。

 ガラスの抜け落ちた窓を、骸骨の眼孔のようにさらす別の建物の屋上に狙撃手は配備されている。海軍時代からの信頼のおける同僚であり、ホフマンもまたドルフと同じ帰還者だ。防寒着姿のホフマンも、耳のインカムに手袋の指をそえて答えた。

〈こちらホフマン。よ~く見えてるぜ。モヤシみてえな医者のお嬢ちゃん、それに跳ねっ返りでイイカラダの女博士。その他、調査隊の兄弟多数〉

「やはり、人の姿はそれだけか?」

〈それだけさ。博士のほうは、いっぺん寝たら死ぬまで追っかけてくる性分と見た〉

「〝鷹の眼〟ホフマンの忠告、心しておく」

 珍しく冗談笑いを拵えると、ドルフはのっそり立ち上がった。

 天然のプロテクターとも言える筋肉質の肩には、彼の身長すらしのぐ超大型の重機関銃スマートガンが背負われている。これが特注製だとすれば、作った職人はなんらかの処罰を受けねばならない。無線を介して、ドルフはふたたびホフマンへうながした。

「ところで、飲んだその十年物の酒瓶はちゃんと持って帰ってくることだ。無闇にポイ捨てして、これいじょう自然環境を破壊しても仕方あるまい?」

〈おお怖え。お互い〝女〟を見抜く目は冴えてるらしい……問題は、その先にある乾眠サンプルとやらだな。見えてるか?〉

「ああ」

 広場のある一点に穿たれるのは、深い掘削痕だった。

 大穴の周囲には作業に用いられた重機が置き去りにされ、その中央にたたずむのは頑丈な保護ケースだ。耐衝撃ガラスでできた缶ビールサイズのケースの内部には、奇妙なものが封じられている。

 その〝花〟みたいな植物はからからに干乾び、色を失って萎れた状態だ。どう見ても生きているとは思えない。

 コンパクトな探知機で、ガラス越しに植物をスキャンするのはモニカだ。慎重に手を動かしながら、モニカは陶酔と戦慄の入り混じった吐息とともにささやいた。

「とうとう見つけた……仮死状態のダリオンよ」

「任務完了だな。これで大手を振ってサーコアへ帰れる……と言いたいところだが」

 ある難題で水を差し、ドルフはあたりを見渡した。

 闇を煌々と切り裂くのは、まばゆい照明の投光だ。広場を囲む軍用の雪上車は、十台を数えた。機械の逆光を背にこちらへ向かってくる二十余名のうち、ひとりは大きな荷物を提げている。救命道具の一式が詰まったヘリオの医療バッグに他ならない。だが……

 雪野を指差し、ドルフはヘリオへ嘆願した。

「さあ腕によりをかけてくれ、先生?」

「よりもなにも、肝心の患者が……」

 無人の銀世界を前に、ヘリオの返事も困惑していた。

 本隊が病院跡地に到着し、すでに二時間近くが経過しつつある。

 なのに、なぜか会えないのだ。無線で助けを求めた人物ばかりか、別動隊の一団のだれひとりとして現場にいない。文字どおり神隠しにでも遭ったかのように、サンプルの発見者たちは忽然と姿を消してしまっている。あらゆる通信手段でなんども呼びかけるが、いまだ応答のかけらもない。

 なにか急用があって、別動隊は他の場所へ移動した?

 いや、それはない。モニカの肉薄するあの花の回収こそが、この調査隊に課せられた唯一無二で絶対の使命だからだ。そもそも、隊長であるドルフに一報も入れず勝手に持ち場を離れるメンバーではなかった。この極寒の氷河の中、それほど命知らずで不可解な行為もない。無断で動くにしても、いなくなった数が多すぎる。

 恐るべきことに、別動隊のいた痕跡はあった。乗り捨てられた雪上車のエンジンと、地面を溶かして沈んだ排薬莢はまだ温かい。

 死体と呼べる死体が、まだひとつも見つかっていないのは幸いだ。ただし、雪道の至る所で湯気を漂わせる鮮血の量は、隊の無事をわかりやすく否定している。素早く引きずられたように病院前を走った赤い塗料が、あちこちの廃墟や道の角に消えているのはなぜだろうか。

 ヘリオは推理した。

「別動隊の前に、なにかが現れた……」

 ひざまずいて眺めたゼリー状の破片の正体を悟り、ヘリオは顔を青くした。

 それが人の臓器の一部であることは、医者でなくとも判別はたやすい。他の隊員の何名かが、たまらず空嘔するのを尻目にヘリオは続けた。

「そして襲われ、戦った。我々以外にも、バナンに他の人間がいたんですか? YNKニュースの失踪者? いや、まさかそんな」

「人間だと?」

 鼻で笑い飛ばしたのはドルフだった。こちらは、地面を錯綜する足跡に手を置いている。

 足跡?

 滑り止めの刃形がくっきり刻まれた無数の靴型は、おそらく蒸発した別動隊のものだろう。その中に、ときおり混じる未知の陥没はなんだ。それはまるで、長い鉤爪を生やした大型動物の足跡を思わせる。

 ドルフはヘリオへ告げた。

「その先客とやらが、寒さに強い食人族や、じぶんを神の下僕と買いかぶったテロリストあたりだといいんだがな。それであれば少なくとも、連れ去られた仲間たちはすぐに殺してもらえる」

 放置された自動小銃サブマシンガンに触れ、戻した手袋にドルフは視線を落とした。恐怖とも納得ともつかぬ面持ちだ。

 その粘性の液体は、腐った大豆のごとく指先に糸をひいている。油? いや……唾液?

 ヘリオはたしなめた。

「殺しって……穏やかじゃないですね、ロドリゲスさん?」

「そう、荒唐無稽よ」

 乾眠サンプルが入った防護カプセルから顔を上げ、モニカは否定した。

「花があらゆる環境に耐えうる強靭さを誇ることは認めるわ。でもその寿命は、放っておけばせいぜい数週間ていどよ。ちょうど、この兵器を送り込まれた敵国が完全に死滅するだけの期間ね」

「なにィ?」

 ヘリオはもとより、ドルフまで狐につままれた表情とは珍しい。丸坊主の頭に音をたてて青筋を広げ、ドルフは聞き直した。

「モニカ・スチュワート。輸送機で見たときから、なにかおかしな雰囲気を感じてはいたが……やつらのことを、いったいどこまで知ってる?」

「隅から隅まで、かしら。花には残らず時限装置を仕掛けてあるわ。時が来れば、あるいは専用の薬品〝青虫ケルタプラ〟の投与ひとつで自己崩壊を誘発する爆弾を、遺伝子そのものの奥深くに、ね」

「おいおい、聞いてないぞ。やつらの生みの親が、調査隊に紛れ込んでいたとは。やはりあんたには留守番を任せておくべきだった。俺はとんでもないVIPを危険にさらしてるらしい」

「いっぺん寝てみる?」

 したり顔で、モニカは耳のインカムを小突いた。

 ドルフと〝鷹の眼〟ホフマンの会話は、すべて筒抜けだったらしい。ホレた。明晰な頭脳にドルフが畏怖したと勘違いし、モニカは自信満々にたずねた。

「あなたも帰還者でしょ。ならおかしいと思わない? あたしたちという新鮮な獲物を前にして、花に、到着から二週間も襲撃を我慢するほどの知性と統率があるかしら?」

「言われてみれば確かに……くわしい話はあとだ。可及的速やかにサンプルを回収し、本部へ戻るぞ。やれるか、博士?」

「もちろんよ」

 見た目どおり手軽な花のカプセルを、モニカは苦もなく雪溜まりから引き抜いた。

 それこそが引き金だったようだ。

 インカムに指示を入れかけ、ドルフはホフマンのいる建物屋上を見た。つられてそちらを仰いだモニカの手から、あろうことか枯れた花のサンプルが転げ落ちる。

 あれはなんだ?

 亀裂の目立つ廃墟の外壁を、神秘的な人影がするするとよじ登っていく。ひどい吹雪で不鮮明だが、一匹、二匹、三匹、四匹……まるで蜘蛛か爬虫類だった。それも桁違いに巨大で歪な外見だ。

 異様な雰囲気を察し、あたりの隊員たちの視線も、ひとり、ふたりと同じ方角に集まりつつあった。血を吐くような声を発したのはドルフだ。

「ホフマン……」

 生命体たちの進行方向、ああ。

 狙撃銃で近辺の警戒を怠らない〝鷹の眼〟は、ドルフの警告にまだ気づいていない。ホフマンが手を伸ばせば届く屋上の縁、謎の生物は、跳躍寸前の獅子のごとく全身のバネを引き絞っている。

〝ダリオン〟

〈おお、引き上げの時間だな、ドル……〉

「逃げろオオッッ!!」

 ドルフが絶叫したときには、ホフマンの姿は怪物に押し倒されて消えている。最初に飛びかかった一匹を皮切りに、残りの怪物たちも続々と同じ場所へ群がった。

 回転しながらヘリオの足もとに突き刺さったのは、血まみれの狙撃銃だ。肘からもげたホフマンの腕は、かすかに痙攣しつつもまだその銃把を手放さない。

 静寂に、雪風だけが歌っていた。

 沈黙を切り裂いたのは、雷鳴を思わせる魔獣の息遣いだ。近い。

 よく訓練された動きで、隊員のひとりはアサルトライフルごと振り向いた。横殴りの大雪に凝らされるのは、暗視ゴーグルに覆われた瞳だ。まがまがしい大蛇のようにのたうつ尻尾が、雪上車の陰に消える。

 固唾を飲み、ドルフは小さく首肯した。

「わかってる……陣形を崩すなよ」

 太い腕でモニカとヘリオをかばいつつ、ドルフは一歩ずつ後退した。絶え間なく四方の闇をさ迷うのは、血走ったその瞳だ。極力音を殺して、スマートガンの撃鉄を引く。

 とつぜんアサルトライフルが雪面へ落ちた響きに、ヘリオの時は止まった。

 必死に宙を蹴る迷彩防寒着の足が、真横のビルの窓に引き込まれたのが見える。続いて背後、いきなり建物の裏側へさらわれた隊員の悲鳴は小さい。ヘリオが振り返った先、信号機の突起で揺れるのはベルトのちぎれた暗視ゴーグルだけだ。

 かたかたと音が聞こえた。

 寒さ以外のなにかに、あのモニカが歯の根を鳴らしているのだ。流れる涙は滲む端から凍っていく。いままで隣を守っていた若い隊員がいない。代わりに、すぐそばの雪に生じた大穴からは、間欠泉のごとく血肉の飛沫が溢れ出している。

 ドルフの頬を伝った汗の一筋は、雪原を跳ねて蒸気と化した。

「退却ァッ!!」

 そこかしこの地面を突き破り、ダリオンの大群は天に吠えた。
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