スウィートカース(Ⅸ):ファイア・ホーリーナイト

湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)

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第三話「雪花」

「雪花」(16)

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「はい、ダリオンは排除しました。ですのでどうか、そうお怒りにならず」

 不気味な光景だった。

 顔半分の内部骨格を剥き出しにしつつ、ヘリオは笑っている。まさしく破顔だ。

 手首の腕時計に内蔵された通信機は、まだネイ・メドーヤ課長の声で何事かを怒鳴り散らしている。耳に指を突っ込んで封じ、ヘリオは返事した。

「そんな、フォーリングさんを悪者扱いするのはおやめください。神父様の仕事は完璧です。いえいえ、いますぐ自爆せよと言われましても。もったいなくありませんか? 無傷の乾眠クリプトピオシスサンプルと、エージェント・シヨの絶対領域ブラックボックス? でしょ、でしょ?」

 揺れはまだ酷いものの、無人操縦オートパイロット手順プログラムにそって、アイホートはゆるやかに着陸へ移り始めていた。機体のダメージは大きいが、首都サーコアの空港はもはや目と鼻の先だ。

 組織ファイアを説得するヘリオのかたわら、借りた文庫本を静かに朗読するのはモニカだった。

「……俺の目は間違っていなかった。煙で黒く煤けた子どもの頬を叩くと、苦しげだが確かに咳が返ってくる。俺は安堵の溜息をついた。この火事から無事に抜け出せたら、気楽なレジ係にでも転職しよう」

 物語を読み終えた本を、モニカはぱたんと閉じた。上司の小言を一式受け流した持ち主のヘリオへ、それを返却する。

「政府の操り人形も大変ね?」

「はいまったく、心が傷つき放題です。ところで……」

「あたしの顔色が悪いって? きみに言われたくないわ。これだけ修羅場をくぐり抜ければ、疲れの一つや二つも出る。近寄らないで」

「そうですか、くくく……」

「……ふふ」

 客室の壁にもたれかかったまま、モニカもとうとう釣られ笑いした。

 笑う笑う。こんな風に笑わなくなって、もうずいぶん長い。滲んだ涙がこぼれないように、さりげなく天井に視線を上げる。

「いずれ用済みになったら消されるのね、この記憶も?」

 モニカの問いに、ヘリオは顔色をなくした。その反応こそが、モニカの推測の正しさを肯定している。

「それは……」

「いいのよ、隠さなくても。真実を知りすぎた者は消さなきゃならない。それが組織ファイアの鉄則なのは、他人の記憶消去も担当してたあたしが一番よく知ってる。どの道、なにもかも忘れたいからちょうどいいわ」

「……はい」

 AIの機能不全だろうか。静止画のように固まったヘリオの顔は、泣き笑いに似た表情は、悲しげにモニカを見つめている。

 瞳を隠す前髪の隙間から、モニカはつぶやいた。

「ヘリオくん」

「〝男女くん〟でいいですよ。いつもみたいに」

「ひとつお願いしていい?」

「はい?」

「〝臨時講師の変死体見つかる〟という記事、明日のニュースに載せるかどうかは組織に任せるわ。でも仮に、生かしたまま、あたしにニセの記憶を植え付けるなら、まったく違う人生を設定するなら……」

 抜き放った〝精神~〟のビンに、モニカの眼差しは落ちた。すこしの間だけ掌でもて遊んだそれを、やはりふたたびポケットにしまう。

「取り柄なんかいらない。お金もいらない。だからせめて、もう化学者の職業だけはやめて」

 そう。人並みに恋愛して結婚して、冷陰極電子源のないマイホームに住んで、子どもでも産んで……

「でもたぶん忘れないわ、ヘリオくんのことだけは。夜寝てるとき、たまに夢に見て、うなされる程度には覚えとく」

「くくく……」

 笑ってヘリオは提案した。

「その恐るべき皮肉の才能と化学技術の代わりに、家事全般を記憶に刷り込むなどはいかがです?」

「なんで知ってんの、あたしが料理に掃除ぜんぶダメなこと。ま、天才だから大丈夫。あんなのはマニュアルよ、マニュアル」

 モニカの背中を、鋭い触手が貫いた。

 よろめいた細身の内側から、何本も、何本も。

 だれひとり気づかぬうちに、彼女も寄生されていたのだ。

 青虫ケルタプラの血清が完成したときには、もうすでに手遅れだった。効率的に変異したダリオンの反応は、アイホートやマタドールの精巧な検知器センサーを例に漏れず通過している。

 立ち尽くすヘリオへ、モニカは血の伝う唇で微笑んだ。

「ずっと、そうしてる、つもり?」

 銃声……

 ひとしきり暴れた寄生体の根っこは、じきに萎えて動かなくなった。文字どおり死んだのだ。博士のメガネが、床を跳ねて砕け散る。

 全身に穿たれた機関銃の弾痕から硝煙を引き、モニカは前のめりに崩れ落ちた。銃剣を展開した両腕は、強燃性の血液に灼かれるのも構わず彼女を受け止める。人型自律兵器アンドロイドの作り物でしかない笑った横顔を飾るのは、真っ赤な返り血の薔薇だ。

 物言わぬモニカを抱いたまま、ヘリオは答えた。

「ええ、あなたが眠るまで」
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