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第三話「雪花」
「雪花」(16)
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「はい、ダリオンは排除しました。ですのでどうか、そうお怒りにならず」
不気味な光景だった。
顔半分の内部骨格を剥き出しにしつつ、ヘリオは笑っている。まさしく破顔だ。
手首の腕時計に内蔵された通信機は、まだネイ・メドーヤ課長の声で何事かを怒鳴り散らしている。耳に指を突っ込んで封じ、ヘリオは返事した。
「そんな、フォーリングさんを悪者扱いするのはおやめください。神父様の仕事は完璧です。いえいえ、いますぐ自爆せよと言われましても。もったいなくありませんか? 無傷の乾眠サンプルと、エージェント・シヨの絶対領域? でしょ、でしょ?」
揺れはまだ酷いものの、無人操縦の手順にそって、アイホートはゆるやかに着陸へ移り始めていた。機体のダメージは大きいが、首都サーコアの空港はもはや目と鼻の先だ。
組織を説得するヘリオのかたわら、借りた文庫本を静かに朗読するのはモニカだった。
「……俺の目は間違っていなかった。煙で黒く煤けた子どもの頬を叩くと、苦しげだが確かに咳が返ってくる。俺は安堵の溜息をついた。この火事から無事に抜け出せたら、気楽なレジ係にでも転職しよう」
物語を読み終えた本を、モニカはぱたんと閉じた。上司の小言を一式受け流した持ち主のヘリオへ、それを返却する。
「政府の操り人形も大変ね?」
「はいまったく、心が傷つき放題です。ところで……」
「あたしの顔色が悪いって? きみに言われたくないわ。これだけ修羅場をくぐり抜ければ、疲れの一つや二つも出る。近寄らないで」
「そうですか、くくく……」
「……ふふ」
客室の壁にもたれかかったまま、モニカもとうとう釣られ笑いした。
笑う笑う。こんな風に笑わなくなって、もうずいぶん長い。滲んだ涙がこぼれないように、さりげなく天井に視線を上げる。
「いずれ用済みになったら消されるのね、この記憶も?」
モニカの問いに、ヘリオは顔色をなくした。その反応こそが、モニカの推測の正しさを肯定している。
「それは……」
「いいのよ、隠さなくても。真実を知りすぎた者は消さなきゃならない。それが組織の鉄則なのは、他人の記憶消去も担当してたあたしが一番よく知ってる。どの道、なにもかも忘れたいからちょうどいいわ」
「……はい」
AIの機能不全だろうか。静止画のように固まったヘリオの顔は、泣き笑いに似た表情は、悲しげにモニカを見つめている。
瞳を隠す前髪の隙間から、モニカはつぶやいた。
「ヘリオくん」
「〝男女くん〟でいいですよ。いつもみたいに」
「ひとつお願いしていい?」
「はい?」
「〝臨時講師の変死体見つかる〟という記事、明日のニュースに載せるかどうかは組織に任せるわ。でも仮に、生かしたまま、あたしにニセの記憶を植え付けるなら、まったく違う人生を設定するなら……」
抜き放った〝精神~〟のビンに、モニカの眼差しは落ちた。すこしの間だけ掌でもて遊んだそれを、やはりふたたびポケットにしまう。
「取り柄なんかいらない。お金もいらない。だからせめて、もう化学者の職業だけはやめて」
そう。人並みに恋愛して結婚して、冷陰極電子源のないマイホームに住んで、子どもでも産んで……
「でもたぶん忘れないわ、ヘリオくんのことだけは。夜寝てるとき、たまに夢に見て、うなされる程度には覚えとく」
「くくく……」
笑ってヘリオは提案した。
「その恐るべき皮肉の才能と化学技術の代わりに、家事全般を記憶に刷り込むなどはいかがです?」
「なんで知ってんの、あたしが料理に掃除ぜんぶダメなこと。ま、天才だから大丈夫。あんなのはマニュアルよ、マニュアル」
モニカの背中を、鋭い触手が貫いた。
よろめいた細身の内側から、何本も、何本も。
だれひとり気づかぬうちに、彼女も寄生されていたのだ。
青虫の血清が完成したときには、もうすでに手遅れだった。効率的に変異したダリオンの反応は、アイホートやマタドールの精巧な検知器を例に漏れず通過している。
立ち尽くすヘリオへ、モニカは血の伝う唇で微笑んだ。
「ずっと、そうしてる、つもり?」
銃声……
ひとしきり暴れた寄生体の根っこは、じきに萎えて動かなくなった。文字どおり死んだのだ。博士のメガネが、床を跳ねて砕け散る。
全身に穿たれた機関銃の弾痕から硝煙を引き、モニカは前のめりに崩れ落ちた。銃剣を展開した両腕は、強燃性の血液に灼かれるのも構わず彼女を受け止める。人型自律兵器の作り物でしかない笑った横顔を飾るのは、真っ赤な返り血の薔薇だ。
物言わぬモニカを抱いたまま、ヘリオは答えた。
「ええ、あなたが眠るまで」
不気味な光景だった。
顔半分の内部骨格を剥き出しにしつつ、ヘリオは笑っている。まさしく破顔だ。
手首の腕時計に内蔵された通信機は、まだネイ・メドーヤ課長の声で何事かを怒鳴り散らしている。耳に指を突っ込んで封じ、ヘリオは返事した。
「そんな、フォーリングさんを悪者扱いするのはおやめください。神父様の仕事は完璧です。いえいえ、いますぐ自爆せよと言われましても。もったいなくありませんか? 無傷の乾眠サンプルと、エージェント・シヨの絶対領域? でしょ、でしょ?」
揺れはまだ酷いものの、無人操縦の手順にそって、アイホートはゆるやかに着陸へ移り始めていた。機体のダメージは大きいが、首都サーコアの空港はもはや目と鼻の先だ。
組織を説得するヘリオのかたわら、借りた文庫本を静かに朗読するのはモニカだった。
「……俺の目は間違っていなかった。煙で黒く煤けた子どもの頬を叩くと、苦しげだが確かに咳が返ってくる。俺は安堵の溜息をついた。この火事から無事に抜け出せたら、気楽なレジ係にでも転職しよう」
物語を読み終えた本を、モニカはぱたんと閉じた。上司の小言を一式受け流した持ち主のヘリオへ、それを返却する。
「政府の操り人形も大変ね?」
「はいまったく、心が傷つき放題です。ところで……」
「あたしの顔色が悪いって? きみに言われたくないわ。これだけ修羅場をくぐり抜ければ、疲れの一つや二つも出る。近寄らないで」
「そうですか、くくく……」
「……ふふ」
客室の壁にもたれかかったまま、モニカもとうとう釣られ笑いした。
笑う笑う。こんな風に笑わなくなって、もうずいぶん長い。滲んだ涙がこぼれないように、さりげなく天井に視線を上げる。
「いずれ用済みになったら消されるのね、この記憶も?」
モニカの問いに、ヘリオは顔色をなくした。その反応こそが、モニカの推測の正しさを肯定している。
「それは……」
「いいのよ、隠さなくても。真実を知りすぎた者は消さなきゃならない。それが組織の鉄則なのは、他人の記憶消去も担当してたあたしが一番よく知ってる。どの道、なにもかも忘れたいからちょうどいいわ」
「……はい」
AIの機能不全だろうか。静止画のように固まったヘリオの顔は、泣き笑いに似た表情は、悲しげにモニカを見つめている。
瞳を隠す前髪の隙間から、モニカはつぶやいた。
「ヘリオくん」
「〝男女くん〟でいいですよ。いつもみたいに」
「ひとつお願いしていい?」
「はい?」
「〝臨時講師の変死体見つかる〟という記事、明日のニュースに載せるかどうかは組織に任せるわ。でも仮に、生かしたまま、あたしにニセの記憶を植え付けるなら、まったく違う人生を設定するなら……」
抜き放った〝精神~〟のビンに、モニカの眼差しは落ちた。すこしの間だけ掌でもて遊んだそれを、やはりふたたびポケットにしまう。
「取り柄なんかいらない。お金もいらない。だからせめて、もう化学者の職業だけはやめて」
そう。人並みに恋愛して結婚して、冷陰極電子源のないマイホームに住んで、子どもでも産んで……
「でもたぶん忘れないわ、ヘリオくんのことだけは。夜寝てるとき、たまに夢に見て、うなされる程度には覚えとく」
「くくく……」
笑ってヘリオは提案した。
「その恐るべき皮肉の才能と化学技術の代わりに、家事全般を記憶に刷り込むなどはいかがです?」
「なんで知ってんの、あたしが料理に掃除ぜんぶダメなこと。ま、天才だから大丈夫。あんなのはマニュアルよ、マニュアル」
モニカの背中を、鋭い触手が貫いた。
よろめいた細身の内側から、何本も、何本も。
だれひとり気づかぬうちに、彼女も寄生されていたのだ。
青虫の血清が完成したときには、もうすでに手遅れだった。効率的に変異したダリオンの反応は、アイホートやマタドールの精巧な検知器を例に漏れず通過している。
立ち尽くすヘリオへ、モニカは血の伝う唇で微笑んだ。
「ずっと、そうしてる、つもり?」
銃声……
ひとしきり暴れた寄生体の根っこは、じきに萎えて動かなくなった。文字どおり死んだのだ。博士のメガネが、床を跳ねて砕け散る。
全身に穿たれた機関銃の弾痕から硝煙を引き、モニカは前のめりに崩れ落ちた。銃剣を展開した両腕は、強燃性の血液に灼かれるのも構わず彼女を受け止める。人型自律兵器の作り物でしかない笑った横顔を飾るのは、真っ赤な返り血の薔薇だ。
物言わぬモニカを抱いたまま、ヘリオは答えた。
「ええ、あなたが眠るまで」
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