スウィートカース(Ⅸ):ファイア・ホーリーナイト

湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)

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第四話「雪半」

「雪半」(7)

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 厨房の窓に視線を飛ばし、ハンは鼻をひくつかせた。

「?」

 いま、なにか聞こえた気がした。小さな小さな、羽虫ほどの笑い声だ。また性懲りもなく、悪ガキどもが舞い戻ってきたのか?

 まあいい。

 軽く肩をすくめ、ハンはふたたび手を動かし始めた。上質なオイスターソースをまぶすと、中華鍋の底から食欲をそそる火柱が立ち昇る。

 店の外から、今度ははっきりとした騒ぎが流れてきた。

 叫ばれる内容は、低賃金の見直し、不当解雇の根絶、前途ある若者に未来を、その他……手作りの横断幕を先頭に、十人十色のプラカードを掲げるのは労働者のデモ隊だ。一糸乱れぬ訴えの大合唱とともに、彼らはいましも福山楼ふくざんろうの前を通過しつつある。

 店内の食卓に身を乗り出し、ホーリーの瞳は輝いていた。もうじき運ばれてくる初体験の食べ物が、楽しみで仕方ないらしい。

 おずおず行儀を正したのは、イスに半分立ちかかった足を、対面に座るダニエルに注意されたためだ。色白の頬は不満げにふくらむ。少女の鬱憤は、店の棚から無造作に選んできた絵本を、報告書のように読むダニエルの四角四面さにあった。

「倒されたヒーローに自分の上着をかけると、保険屋は怪獣のほうを向いた。保険屋は言う。〝こんなとき、入って安心、ハニー損保の怪獣保険〟……保険屋は、ぽきぽき指を鳴らして、屈伸運動を始めている。怪獣と喧嘩するつもりだ」

 肘をついた手で顎を支えつつ、ホーリーは横槍を入れた。

「ストーリーの引き伸ばし? のんびりするなら亀さんでもできるよね?」

「…………」

 唇をへの字に曲げ、ダニエルは絵本から顔を上げた。かすかにテーブルを叩いて催促してくるホーリーに従い、ページを大幅に飛ばして朗読を続ける。

「ヒーローは首を振った。〝すまないが、免許は持ってない。あれだろう。船で事故に遭ったときのあれ〟。保険屋は答える。〝海上保険ではございません。「怪獣」保険でございます〟。怪獣のほうへ駆け出しながら、保険屋は最後に言った。〝ぜひ、ご加入を〟……おしまい。なんだ。なにを涙目になってる、ホーリー?」

「プ。ククク……」

 こらえきれず、ホーリーは爆笑した。手を叩き、足をばたつかせて全身で喜びを表現する。こういうところは、やはり子どもだ。絵本とホーリーを交互に見比べ、ダニエルも得意顔になった。

「語り手が良かったようだな。子ども向けにしては、やけに社会的な物語だったが」

「キャハハ! わけわかんない! バトルばっかで中身がない! 読む人も最悪!」

「~~~ッ!」

 音をたてて絵本を閉じるや、ダニエルは手を伸ばした。

 いつものことだが、顔は怖い。げんこつを予想し、ホーリーも頭を守っている。父親代わりとして、たまにはこういうスキンシップも必要だ。

 防御の姿勢のまま、ホーリーは片目だけ瞳を開けた。

「……なにしてるの?」

「まったく、なにしてるんだか」

 ダニエルは憮然と溜息をついた。

 ホーリーのおさげをくくるゴムが、外れかかっていたのだ。それを手直しするダニエルと、ゴムについたウサギの飾りの視線がぶつかる。ダニエルはつぶやいた。

「動くな。せっかくの美人が台無し……」

 渇いた音とともに、ホーリーの頬に黒い斑点が散った。

 ふと鼻歌を止めたのは、おしゃれな皿に盛り付けをするハンだ。上目遣いにしたハンの眼差しの先には、なんと、ちぎれて宙を舞うダニエルの片腕がある。

 銃弾の雨を浴び、店の窓ガラスは木端微塵になった。一秒間に五万発。暖かい色使いの壁が、右から左へ破片の粉を噴き上げる。かんだかい悲鳴を残して弾け飛ぶのは、棚に整列した調味料の数々だ。

 通行人が消えた店の外、見よ。道路に落ちるのは待遇改善のビラや、さっきまで署名活動に一生懸命だったバインダー等々だ。ただ、例のデモ隊が逃げ出したのとはやや違う。

 どういうことだ。福山楼ふくざんろうを狙って重火器を乱射するのは、その労働者の一行ではないか。

 もとより彼らは、不景気の零細企業にこき使われていたわけではなかった。そもそも中華街はおろか、この惑星の住人ですらない。

 人食いザメに似たデザインの超大型機関銃。水銀を流し込んだかのように、一面銀色の労働者たちの眼球。

 射撃強化型ジュズ〝スペルヴィア〟の群れだった。

 暗い口調で独りごちたのは、ダニエルだ。

「旅の終わりが近いことは、なんとなく予想していたが……」

 蹴倒したテーブルを盾にし、ダニエルはホーリーを守った。肘から弾丸に切り落とされた腕も気にせず、残った片手で拳銃を抜く。

「……まさか、こんな形で別れを迎えることになるとは。残念だ」

 銃声がやむのは唐突だった。

 わずかなその風音を聞いた者は少ない。濃い硝煙のベールを裂いて、なにか煌めく物体が窓から店へ投げ込まれる。

 手榴弾だ。

 怒号したのはハンだった。

「馬鹿がッ!!!」

 カウンター席を飛び越えざま、ハンの爪先は一閃した。空中で鮮やかに蹴り返され、手榴弾は入ってきた窓に逆戻りする。高周波じみたスペルヴィアの絶叫とともに、店外の道路で生じたのはとんでもない大爆発だ。

 一斉掃射は再開した。派手に側転して逃げるハンを追い、蛇行しつつ床をえぐるのは無数の火線だ。足をかすった一発に顔をしかめながら、ハンはダニエルたちの横に舞い降りた。その身のこなしに、ダニエルも思わず驚きを口にしている。

「凄い動きだな。みなそうなのか、中華街のコックは?」

「なんだったら、コーヒーのおかわりだって取りにいけるよ。お客さんこそ、やけに落ち着いてるね?」

 ぜえぜえ荒い喘鳴を漏らして強がり、ハンは自分のエプロンを振りほどいた。銃撃で切断されたダニエルの片腕に、きつくそれを巻いて止血する。

 しようとして、ハンは顔色を失った。

 開いた彼女の指先、黒いタール状の液体が糸を引いている。こんな気味の悪い汁に手を染めることは、むしろ、エージェント・リンフォンにとっては日常茶飯事だ。

 それはすなわち、地球外生命体の血だった。

 アーモンドアイにしては端正な顔立ちのダニエルへ、鳩に豆鉄砲の表情でささやいたのはハンだ。 

「入りやすい店を目指した甲斐があった。まさか、はるばる宇宙からのお客様とは」

「五つ星級のもてなしだ。〝ファイア〟のハン・リンフォン」

「お見通しってわけだね。ならなんで逃げずに……」

 質問のさなか、ハンの手は足もとの光を引ったくった。同時に細い体は急旋回。腕に出刃包丁の突き刺さったスペルヴィアは、でたらめな発砲を断末魔に窓の向こうへ沈む。ジュズどもがまだ人間の姿に留まっているのは、ここが目撃者の多い中華街だからに他ならない。

 息つく暇もなく、店の周囲には敵の足音が散開している。

 逃げられない。

 ハンは聞いた。

「あんたのところも、仕事をサボってコーヒー飲んでるやつにはこっ酷いのかい? なんの前置きもなく撃ってくるなんてさ。ちょっと行って、始末書でも書いてきなよ?」

「悪いがペンを持つ手がない。エージェント・リンフォン。ホーリーの食事が済めば、きっちり代金も支払って、きみのことはやり過ごすつもりだったが」

 テーブルの脇から覗いたダニエルの拳銃は、逆しまに轟音を連続させた。

 着弾のダンスを踊り、あおむけに倒れたのはスペルヴィアの先兵だ。その手に握られる多連装ミサイルランチャーの砲門が、つられて天を向く。一直線に煙の軌跡を描いたミサイル弾は、誤爆した空を紅蓮の絨毯で埋め尽くした。

「わあ」

 光熱を照り返し、ホーリーは目と口を丸くした。綺麗な花火でも見た気でいるに違いない。あきれるほど肝が座っている。

 爆風を腕で防ぎ、ハンはうめいた。

「こっちのホーリーちゃんは……あんたとはちょっとニオイが違うね。ま、それはさておきだ。とりあえず裏口まで走って、食前の運動といこうか?」

「走るのは君たちだけだ」

 決然とダニエルは答えた。

「いい店だからな。もう少しゆっくりしたい。逃げろ、この子といっしょに。だれかがここで囮になって引き付けなければ、やつらは必ず逃げ道を塞ぎにくる」

「へえ。宇宙のどこかには、まだ男らしさってもんが生き残ってたんだね。すばらしい自己犠牲の精神だ。ただ、残される大事な娘の今後が頭から抜けてるよ?」

 ハンの指摘に、ダニエルは面持ちを強張らせた。

 じっとダニエルを見上げるホーリーの顔には、怒りも恐れもない。あるいは、その両方が入り混じった悲しい眼差しともとれた。不意に笑い返したのはダニエルだ。

「できることなら、この子の成長をすぐそばで見守りたかった。だからこそ俺は、この子をやつらの手から奪い取ったんだ。やっと自分の役目が見つかったと思った。演技でもいい。ずっと父親と娘のふりを続けていたかった」

「……よしな。それでも宇宙の侵略者かい?」

 若干潤んだ視線を、ハンはそっぽへ向けた。

 それをよそに、ダニエルの掌はホーリーの頬に触れている。触れかけて、その手前でやめた。

 血で手が汚れすぎだ。いまはこの原始的な武器、拳銃のほうを抱きしめることにする。

「口惜しいが、俺にはこの子の未来に関わる資格はない。ホーリーは、この雪の惑星に芽生えた最後の希望だ」

 ハンは復唱した。

「最後の、希望?」

 不思議な輝きが、店内を満たしたのはそのときだった。

 このときばかりは、スペルヴィアどもも静まり返っている。ただの木枠と化した中華料理店の窓から、蜂の巣になった扉から、ほのかに漏れる光を目撃したのだ。

 それは、遠い時代に失われた本当の春の香り。

 それは、生命の息吹を感じさせる儚い陽射し。

 なにが起こった?

 驚愕に、ハンは瞳をしばたいた。

 ダニエルはといえば、止血のエプロンがほどけた片腕を無表情に見つめている。そこに復活していたのは、銃傷どころか、袖のほつれひとつない新品の手だ。この一瞬で、いかなる奇跡が彼のダメージを癒やしたのだろう。

 前にかざした掌をそっと下ろし、ホーリーは詫びた。

「ごめんね、ダニエル。また勝手に使っちゃった、〝超時間の影シャドウ・オブ・タイム〟を」

「……謝る必要はない。たしかに受け取ったよ、きみの時間のかけら」

 目線の高さに跪いたまま、ダニエルは今度こそホーリーを抱きしめた。抱きしめることで、お互いの顔が見えなくなるのは皮肉だ。ダニエルの耳に届いたホーリーの言葉は、細くて小さい。

「さよなら」

「元気でな。この星の風邪はタチが悪い」

 店の床は、重い響きを放った。

 窓から侵入したスペルヴィアの銀色の眼光は、ゆっくり立ち上がろうとしている。それも一匹ではない。炎と煙の狭間をクリアリングしつつ入口から忍び込むのは、機関銃を携えたおびただしい敵影だ。

 テーブルの陰から跳ね起きると、ダニエルは拳銃を構えた。まっすぐ前進しながら、撃つ撃つ撃つ。

 もういい。武器を投げ捨てたダニエルの両手は、先端から光を爆発させた。出力全開で展開したのは、超高温のレーザーカッターだ。

 アーモンドアイの真骨頂の見せ所である。

 背後で隠れるふたりへ、ダニエルは叫んだ。

「行け!」

「ったく、なにが親子だ、淡白な……助けはすぐ呼ぶよ!」

 そう言い放つなり、ハンはホーリーの小振りな手を掴んだ。ダニエルが食い止める反対側へ、身を低くして走る。

 抑制薬の青虫ケルタプラがしっかり体に効いていて、いまはあの秘密兵器は使えない。胸糞は悪いが、事情が事情だ。

 手首の通信機、銀色の腕時計にハンは怒鳴った。

「ジェイス! まだ近くにいるね!?」

 流れ弾を食らったガス管は火を吹き、木の葉のごとくフライパンは舞い上がる。ホーリーをかばいながら、ハンは店裏の扉を蹴り開けた。

 おかしい。いつもならじきに返事するあの冷めた声音は、今回はなぜか無反応だ。

「答えな! ジェイス!」
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