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第四話「雪半」
「雪半」(12)
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灰色にかげった世界を、水滴の筋が刻んでいた。
中華街の外れ、人工の海に面した倉庫街……
さみしい潮の香りで満たされた港に、人影はない。いや、作業場に積まれた建材のかたわら、少女の口を押さえ、みずからも息を押し殺すのはだれだろう。
ハンとホーリーが身を潜める理由は、あちらの物陰にあった。
おお。暗がりに浮かび上がるのは、ジュズの不吉な炯眼だ。闇と同化して艶光る球体装甲の腕先では、レーザーの爪が雨を蒸気に変えている。
単式戦闘型ジュズ〝アヴェリティア〟……
どうやらそのジュズは、異物の反応はないと判断したようだ。ゆるやかに倉庫の奥へ引き下がったあと、そこには巨大な姿は微塵も残っていない。
長く短く波音を聞き、ハンはホーリーの顔から手を放した。
「敵に先回りされてるじゃないか、どこもかしこも……そうとう本気だね、相手は」
「……おばさん?」
ホーリーは目を丸くした。
倉庫の壁をずり落ち、ハンが足もとの芝生へ頽れたのだ。ついさっき高所のモノレールから飛び降り、コンクリートの地面に激突したのだから仕方ない。常人なら即座に病院送りの状態で、ここまで逃げ延びてこられたこと自体が奇跡といえる。
「血が出てるよ……」
つぶやいてホーリーが伸ばした掌を、ハンはそっと掴み止めた。
鮮血を滲ませる肩の裂傷は、あのモノレールで、仮面の女が発射した外宇宙の刃に触れたそれだ。破ったシャツの袖できつく傷口をしばり、ハンは言い返した。
「いらないって言ってんだろ。ほっときゃ治る」
疲弊のあまり蒼白なハンの顔は、さらに強張った。
痛みではない。むしろその痛みそのものと、おびただしい出血が、嘘のように消え失せたことに危機感を覚えている。ちょっと油断したらこれだ。
治癒の根源……ほのかに輝くホーリーの手首を握ると、ハンはその目線の高さまで腰を落とした。宝石のような少女の瞳を、厳しい眼差しで覗き込む。
「アーモンドアイへの変異はまだみたいだね……いいかい? 繰り返すが、その力は気軽に使っちゃだめだ」
「やっぱり怒るの、おばさんも?」
「ああ、素直にゃ喜べない。便利だからって、いたずらに自分の才能をひけらかしてばかりだと、あとで後悔するはめになるよ」
「才能?」
首をかしげるホーリーをよそに、ハンはあることに気づいた。
やはり来たか。
指先を伝って、ハンの残り血が落ちた芝生だ。見よ。その血液を浴びた雑草は、奇妙にも焼け焦げて煙さえ漂わせている。組織の血清〝青虫〟によって抑え込んでいたある危険な因子は、たび重なるダメージをきっかけに目覚めつつあるらしい。
やがて草地は、かすかに燃えて炎まで吹き始めた。それを慌てて靴裏で踏み消し、溜息をこぼしたのはハンだ。
「知り合いにあんたと同じ、半分半分のやつがいてね。そいつの力は、あんたほど優しいもんじゃない。正反対さ。愛する者、憎むべき者、あらゆるものを八つ裂きにしかねない獣の力だ」
「その人、お友達?」
「いいや。情けないやつさ。力を使うたび、まるで自分自身が、自分のもう半分を支える怪物に食われるような感覚に陥ってる……けっこう降ってきたね。場所を変えようか、ホーリー」
ホーリーの腕を引き、ハンは離れた別の倉庫へ忍び込んだ。
雨宿りの邪魔をしてしまったらしい。ささやかな羽ばたきを残して飛び立ったのは、数羽の白いハトだ。薄暗がりの中、キャットウォークにそって並ぶ窓はセピア色に浮かんでいる。
あちこちに蟠る闇へ、ハンは用心深く目を凝らした。ホーリーを連れ、足音を殺して物陰から物陰に走る。
「なにもかもを壊したあと、そいつはふと、自分がしたことの恐ろしさに気づくんだ。もう手遅れだってことには、最後の最後に気づく。そのたびに、遠い昔に壊しちまった大事なものの記憶まで甦って、ひどく心がつらい。よくひとり、そいつが部屋の片隅で泣いてるのを見るよ」
「かわいそう」
小走りにハンへ追随しながら、ホーリーは感嘆した。
「きっとその人には、守りたい大切なものがあるんだね。壊したのと同じぶんだけ、その人は別のなにかを救ってる。優しくしてあげなよ」
「慰めてやる資格なんて、そいつにはない。自業自得さ」
貨物コンテナの脇から、ハンはそっと周囲を見渡した。
ヘリオに指定された合流地点はこのあたりのはずだが、まだ誰も来ていない。
ホーリーと手をつないだまま、ハンはうつむいた。
「そいつはいっつも死にたいと思ってる。死に場所を探してる。だからホーリー、あんたも安易にその力を……」
「いいの」
ホーリーは微笑みを返した。
「ダニエルが言ってるんだ。ダニエルにあげる予定だった〝時間〟は、他の人たちに分け与えろって。だからおばさんを治す力も、ぜんぶダニエルのぶん……痛い」
ホーリーは顔をしかめた。
ハンとつないだ手に、不意に強い力がこもったためだ。なにが起こったのだろう?
答えはすぐに出た。
ハンが黙って睨む先、闇に無数の光点がともっている。ただの自然現象ではない。そのすべてが、狂気でできたジュズの眼球だ。多い。おびただしい視線に発見され、ハンは慄然とうめいた。
「待ち伏せかい……いったい何匹、この港に隠れてる?」
じっとふたりを監視していた眼光どもは、いきなり散った。
駆け出したハンたちの逃げ道を、巨大なパワードスーツが塞ぐのは素早い。ホーリーを突き飛ばすのと、ハンの背中から血がしぶくのはほぼ同時だった。床に叩きつけられたハンめがけ、なお輝く粒子を集束させるのはジュズの丸い手刀だ。
倒れたまま、ホーリーは悲鳴をあげた。
「おばさん!」
「なにしてんだ! さっさと逃げ……」
かばうようにハンへ飛びついたホーリーの頭上、殺人光線は無慈悲にほとばしった。
ちなまぐさい灼熱音……
中華街の外れ、人工の海に面した倉庫街……
さみしい潮の香りで満たされた港に、人影はない。いや、作業場に積まれた建材のかたわら、少女の口を押さえ、みずからも息を押し殺すのはだれだろう。
ハンとホーリーが身を潜める理由は、あちらの物陰にあった。
おお。暗がりに浮かび上がるのは、ジュズの不吉な炯眼だ。闇と同化して艶光る球体装甲の腕先では、レーザーの爪が雨を蒸気に変えている。
単式戦闘型ジュズ〝アヴェリティア〟……
どうやらそのジュズは、異物の反応はないと判断したようだ。ゆるやかに倉庫の奥へ引き下がったあと、そこには巨大な姿は微塵も残っていない。
長く短く波音を聞き、ハンはホーリーの顔から手を放した。
「敵に先回りされてるじゃないか、どこもかしこも……そうとう本気だね、相手は」
「……おばさん?」
ホーリーは目を丸くした。
倉庫の壁をずり落ち、ハンが足もとの芝生へ頽れたのだ。ついさっき高所のモノレールから飛び降り、コンクリートの地面に激突したのだから仕方ない。常人なら即座に病院送りの状態で、ここまで逃げ延びてこられたこと自体が奇跡といえる。
「血が出てるよ……」
つぶやいてホーリーが伸ばした掌を、ハンはそっと掴み止めた。
鮮血を滲ませる肩の裂傷は、あのモノレールで、仮面の女が発射した外宇宙の刃に触れたそれだ。破ったシャツの袖できつく傷口をしばり、ハンは言い返した。
「いらないって言ってんだろ。ほっときゃ治る」
疲弊のあまり蒼白なハンの顔は、さらに強張った。
痛みではない。むしろその痛みそのものと、おびただしい出血が、嘘のように消え失せたことに危機感を覚えている。ちょっと油断したらこれだ。
治癒の根源……ほのかに輝くホーリーの手首を握ると、ハンはその目線の高さまで腰を落とした。宝石のような少女の瞳を、厳しい眼差しで覗き込む。
「アーモンドアイへの変異はまだみたいだね……いいかい? 繰り返すが、その力は気軽に使っちゃだめだ」
「やっぱり怒るの、おばさんも?」
「ああ、素直にゃ喜べない。便利だからって、いたずらに自分の才能をひけらかしてばかりだと、あとで後悔するはめになるよ」
「才能?」
首をかしげるホーリーをよそに、ハンはあることに気づいた。
やはり来たか。
指先を伝って、ハンの残り血が落ちた芝生だ。見よ。その血液を浴びた雑草は、奇妙にも焼け焦げて煙さえ漂わせている。組織の血清〝青虫〟によって抑え込んでいたある危険な因子は、たび重なるダメージをきっかけに目覚めつつあるらしい。
やがて草地は、かすかに燃えて炎まで吹き始めた。それを慌てて靴裏で踏み消し、溜息をこぼしたのはハンだ。
「知り合いにあんたと同じ、半分半分のやつがいてね。そいつの力は、あんたほど優しいもんじゃない。正反対さ。愛する者、憎むべき者、あらゆるものを八つ裂きにしかねない獣の力だ」
「その人、お友達?」
「いいや。情けないやつさ。力を使うたび、まるで自分自身が、自分のもう半分を支える怪物に食われるような感覚に陥ってる……けっこう降ってきたね。場所を変えようか、ホーリー」
ホーリーの腕を引き、ハンは離れた別の倉庫へ忍び込んだ。
雨宿りの邪魔をしてしまったらしい。ささやかな羽ばたきを残して飛び立ったのは、数羽の白いハトだ。薄暗がりの中、キャットウォークにそって並ぶ窓はセピア色に浮かんでいる。
あちこちに蟠る闇へ、ハンは用心深く目を凝らした。ホーリーを連れ、足音を殺して物陰から物陰に走る。
「なにもかもを壊したあと、そいつはふと、自分がしたことの恐ろしさに気づくんだ。もう手遅れだってことには、最後の最後に気づく。そのたびに、遠い昔に壊しちまった大事なものの記憶まで甦って、ひどく心がつらい。よくひとり、そいつが部屋の片隅で泣いてるのを見るよ」
「かわいそう」
小走りにハンへ追随しながら、ホーリーは感嘆した。
「きっとその人には、守りたい大切なものがあるんだね。壊したのと同じぶんだけ、その人は別のなにかを救ってる。優しくしてあげなよ」
「慰めてやる資格なんて、そいつにはない。自業自得さ」
貨物コンテナの脇から、ハンはそっと周囲を見渡した。
ヘリオに指定された合流地点はこのあたりのはずだが、まだ誰も来ていない。
ホーリーと手をつないだまま、ハンはうつむいた。
「そいつはいっつも死にたいと思ってる。死に場所を探してる。だからホーリー、あんたも安易にその力を……」
「いいの」
ホーリーは微笑みを返した。
「ダニエルが言ってるんだ。ダニエルにあげる予定だった〝時間〟は、他の人たちに分け与えろって。だからおばさんを治す力も、ぜんぶダニエルのぶん……痛い」
ホーリーは顔をしかめた。
ハンとつないだ手に、不意に強い力がこもったためだ。なにが起こったのだろう?
答えはすぐに出た。
ハンが黙って睨む先、闇に無数の光点がともっている。ただの自然現象ではない。そのすべてが、狂気でできたジュズの眼球だ。多い。おびただしい視線に発見され、ハンは慄然とうめいた。
「待ち伏せかい……いったい何匹、この港に隠れてる?」
じっとふたりを監視していた眼光どもは、いきなり散った。
駆け出したハンたちの逃げ道を、巨大なパワードスーツが塞ぐのは素早い。ホーリーを突き飛ばすのと、ハンの背中から血がしぶくのはほぼ同時だった。床に叩きつけられたハンめがけ、なお輝く粒子を集束させるのはジュズの丸い手刀だ。
倒れたまま、ホーリーは悲鳴をあげた。
「おばさん!」
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