スウィートカース(Ⅸ):ファイア・ホーリーナイト

湯上 日澄(ゆがみ ひずみ)

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第四話「雪半」

「雪半」(17)

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 ホーリーの一件以来、特殊情報捜査執行局の仕事はちょっぴり楽になった。

 その最たる要因は、アーモンドアイの勢力がまっぷたつに分派……これまでどおりの過激派と、ホーリーを支持する穏健派に別れたことに端を発する。また、人類の裏切り者である諸悪の根源……スコーピオンが逮捕された影響も大きい。身を挺して有言実行を果たした少女の存在を、世間はあまり知らなかった。

 つまりホーリーは、立派に約束を守ったのだ。

 西暦二〇七一年、六月十二日。

 午前九時二十一分……

 中華街。

 その真新しい中華料理店の屋号は〝双龍居そうりゅうい〟という。すこし前にマフィアの抗争に巻き込まれて潰れた店に代わり、場所を移して新装開店したのだ。

 ただ、肝心のコックにはいまいち元気がない。開店時間も近いというのに、ひとり店内の席に腰掛け、ハンは力なくテーブルに突っ伏している。

 差し込む朝日から、ハンは逃げているようだった。そこだけ動いた手が、卓上の拳銃をなでる。そして、おもむろに撃鉄をあげるや、ああ。自分のこめかみへ、ハンは銃口を押し当てたではないか。

 ここ数日、ハンのこの衝動はひどくなるばかりだった。ホーリーという重要な保護対象をみすみす取り逃がした失態で、死ぬほど組織の審問に突かれたせいもある。

 うつろな眼差しで、ハンは独りごちた。

「なにが〝約束〟だ。なにが〝守る〟だ。あたしなんてただ、適当に暴れて大口を叩いてるだけじゃないか……ごめんね、本当に。ごめんね、ホーリー」

 ハンのうわごとには、嗚咽さえ混じっていた。

「あたしには、なにひとつ守れない。ただ壊して引き裂くだけだ」

 銃爪にかかったハンの指に、音をたてて力はこもった。

 今日こそうまくいきそうだ。

 レストランの扉が、強く叩かれたのはそのときだった。

 乱暴なノックからは、品性のかけらも感じられない。プレートに書いた〝準備中〟の文字も読めないとは、どこの森の猿だろう。とうぜん居留守を決め込む気だったが、いつまで経っても乱打がやまないものだから、ハンはついに席を蹴った。

「馬鹿が……いい夢を見れそうだったのに」

 腰に拳銃を差して隠すと、ハンは思いきり険悪な顔で入口を開け放った。降り注いだ陽光のまぶしさに、反射的に瞳を細める。

 予想どおり、外に立っていたのは変質者だった。

 とんでもない寝癖頭を押さえつける中折れ帽にあわせ、男がまとうのは喪服のようなスーツだ。特に、顔を隠す怪しげなサングラスと、真紅のネクタイに重なって揺れる十字架のネックレスは、社会に対して後ろめたいことがある証拠に他ならない。

 気の抜けた顔で、ハンはつぶやいた。

「あら」

「よう」

 片手をあげて挨拶した男は、組織ファイア特別捜査官エージェントだった。

 ため息とともに、彼の名を呼んだのはハンだ。

「ロック・フォーリング……あたしを狙撃するなら、もっと遠くからにしたら?」

「いや、な。意外と乙なもんだぜ。ぴったり体と体をくっつけて、安い銃をぶっぱなすってのも?」

 ずかずか入店するなり、ロックは遠慮なくファミリー席を陣取った。くわえたタバコに火をつけ、えらそうに注文する。

「ツバメの巣をひとつだ。あとキムチな。ビールは先に持ってこい」

「あんたねぇ……」

 額を押さえ、ハンは首を振った。

「ここは禁煙だ。それに仕事はどうした、仕事は。ちょっとばかしUFOの数が減ったからって、スナイパーが朝っぱらから飲んだくれてんじゃないよ」

「これは礼拝だぜ」

 無精髭をさすりつつ、ロックは紫煙混じりに語った。

「澄んだ心で主と対話するためにゃ、朝、昼、晩、明け方、ずっと脳をアルコールで消毒し続けなきゃなんねえ。視界がぼやけるぐらい酔っ払ったら、はい一丁上がり。祈りを捧げるべき十字架が、ありがたいことに何重にも増えて見える」

「イカれてるんだね、完璧に……」

 冷たいアラーム音が、店内に響き渡るのは唐突だった。

 ハンの腕時計からそれが鳴るということは、抑制剤の投与の時間だ。顔をしかめ、ロックは蝿でも払うように手を振った。

「うるせえ。二日酔いの頭が割れる。止めろ」

「なんだい、フォーリング。あんたも青虫ケルタプラを届けに来たんじゃ?」

「俺が? なんでそんな、めんどくさいこと。ま、代金によっちゃ用立てしてやってもいいけどな。アッパーからダウナー、避妊薬から不妊治療薬まで」

 銀時計のアラームを止めると、ハンはロックを上目遣いにした。

「知ってて言ってるのかい? 血清を打たないと、あたしがどうなるか?」

「人間の部分が食われちまうんだろ? ねえちゃんの半分のダリオンに?」

 無造作に、ロックは懐へ手を入れた。

 やはりテーブルの上に転がされたのは、拳銃型の注射器だ。中にはたっぷりと液状の青虫ケルタプラが満たされている。

 ハンは皮肉な笑みを浮かべた。

「だろうと思ったよ。ちなみに聞くが〝打ちたくない〟ってあたしが言ったとしよう。あんたならどうする?」

「どうもしねえよ。そいつの引き金を引くのはねえちゃん自身だ。俺はただ、黙ってビールを待つだけさ。いつだったっけ……あのポンコツタクシーの客席で言ってた〝ほんとは打ちたくない〟ってのは本音だったんだな」

 外した中折れ帽とサングラスをテーブルへ置くと、ロックは髪を掻き回した。イスにふんぞり返りながら、続ける。

「俺がねえちゃんの立場だったら、迷わず打つね」

「ほう。そりゃまた、どうして?」

「世の中にゃ、薬そのものが足りなかったり、薬で治そうとしたって死んでく人間も大勢いる。じゃあどうするよ。打って生きれるんなら、とっとと打つべきだ」

 沈黙するハンをよそに、ロックはジト目で注射器を眺めていた。

「悪いけど、ねえちゃんの細かい事情までは知らねえ。だが少なくとも、自分の半分ごときに負けてる場合じゃねえだろ。俺たち捜査官エージェントにはまだ、失くしちまった大事なものを探す仕事が山ほど残ってるはずだ。な?」

「大事な、もの……」

 まるで初耳にする単語のように、ハンはそれを反芻した。

「そうか……そうだったね」

 不意にハンの横顔をかすめたのは、あきらめに似た笑みだった。そこにはなぜか、さっきまでの絶望の色はない。それとなく腰の拳銃に安全装置をかけ、ハンはささやいた。

「ほんと、あんたの行くとこ全部が懺悔室だ」

「あん? なんか言ったか?」

「なにも。神父様」

 放りっぱなしだったエプロンを腰に巻くと、ハンは厨房へ向かった。血清は手もとを狂わせるので、打つのはちょっと後でもいいだろう。

 腕まくりして手を洗いながら、ハンはロックにたずねた。

「ツバメの巣、でいいね?」

「やっぱ、ビールは駄目?」

 西暦二〇七一年、六月十二日。

 午前九時三十四分……

 シェルター都市は、いつもどおりの喧騒に包まれていた。

【スウィートカース・シリーズ続編はこちら】
https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/174069043
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