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10 ガーデンパーティー

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 カサンドラ夫人の誕生日パーティーは、通常の夜会よりも数時間早く、陽の明るいうちのガーデンパーティーから始まった。
 ヒューゲル侯爵家のタウンハウスは王都の郊外にあり、庭師たちが丹精込めた広い庭園はカサンドラ夫人のお気に入りだ。

 ヒューゲル邸の車寄せに着くと、先に馬車を降りたレオンハルトがスマートな仕草でアンネリーゼに手を差し伸べる。

「足元にお気をつけください、王女殿下」
「あ、ありがとう、フォン・ケルナー」

 彼女の美しい体のラインを活かしたネイビーのイブニングドレス。肌の露出を控えたスクエアネックの胸元と裾に施された金糸の刺繍が華やかで、アンネリーゼの肌の白さを引き立てている。
 そしてその首元で輝きを放つのは、大粒のイエローダイヤモンドのネックレス。
 柘榴宮まで彼女を迎えにきたレオンハルトは、その姿に目を細めると彼女の耳元でそっと囁いてきた。

「そのネックレス、よく似合ってるよ、アン。でも次は、俺に贈らせてくれ」

 出発前に身体中がとろけそうなバリトンを流し込まれたアンネリーゼは、馬車の中で彼と目も合わせられず、ドキドキと流れる窓の外の景色を見つめるばかりだった。
 そんな彼女を一旦落ち着かせようと、レオンハルトはわざと恭しく馬車から降りる彼女の手をとる。

(こんな、レオンに振りまわされてばかりじゃダメね……。ちゃんと気を引き締めなきゃ。今日は王妃の代理なんだから)

「参りましょう、殿下」
「ええ」
  
 アンネリーゼとレオンハルトが庭園へ案内されると、彼女たちに気づいた招待客たちが次々とカーテシーをした。

「ごきげんよう、皆様。本日の主役はカサンドラ夫人です。どうか挨拶はそれくらいで」

 アンネリーゼがニッコリとそう告げると、また緩やかにパーティーの時間が動き出す。
 彼女へ注がれるのは憧れを秘めた敬意だけではない。僅かに、だが確かに感じる好奇の視線。
 二度も婚姻のために国外に出ながら、毎回二年と経たずに出戻っているのだ。

(わかってはいたけれど、相変わらず貴族社会はお暇なゴシップ好きが多いわね……)

 よくも悪くも子供の頃から王族として注目され続けてきた彼女には、そんな視線も今更なことながら、やはり気持ちのいいものではない。
 そんな視線を遮るようにスッとアンネリーゼの前にやって来たのは、このパーティーのホストだった。

「王女殿下。この度はお運びいただきまして、誠にありがとうございます」
「ご招待感謝しますわ、フォン・ヒューゲル。素敵なお庭ですね」
「そう仰っていただけると、母も喜びます」
「カサンドラ夫人はどちらに?」
「ご案内致します。どうぞこちらへ」

 現当主であるヒューゲル侯爵は、五十路を過ぎていながら騎士であるレオンハルトと並んでも見劣りしないほどの体躯で、貫禄と気品を兼ね備えた紳士だった。
 当主自らに案内されたのは庭園の南、一番美しく花々が見渡せる場所にある白い石造りの四阿ガゼボ
 カサンドラ夫人はダマスク柄の刺繍レースを全面にあしらったブルーグレーのドレス姿で、客人たちと談笑しているところだった。

「母上。お待ちかねのお客様が見えましたよ」
「まあ! まあまあまあ、アンネリーゼ王女殿下!」
「本日はおめでとうございます、カサンドラ夫人。お元気そうでなによりですわ」
「ええ、ええ。元気ですよ。カサンドラ夫人などと……いつもどおりお呼びくださいな」
「ふふ、おばあ様は相変わらずですね。それではおばあ様もリーゼと呼んでください」

 彼女は早くに母を亡くしたアンネリーゼを何かと気にかけ、本当の孫娘のように可愛がって社交を教えてくれた。
 ヴィヴィアンヌだけでなく、アンネリーゼにとっても大切な恩人だったのだ。

「レオンハルト卿もお久しぶりですね。今では立派な騎士団長になられて……」
「いえ。まだまだ未熟者でございますよ」

 レオンハルトが椅子に腰掛けたカサンドラ夫人の前に跪き、左手の甲に唇を近づける。

「あら、騎士様にこんな素敵なご挨拶をされたら、乙女心が蘇るわね」
「まあ、おばあ様ったら」

 何とも可愛らしく見えるカサンドラ夫人の笑みに、和やかな空気が広がっていく。
 アンネリーゼとレオンハルトはしばらく四阿で会話を楽しんだあと、ゆっくりと茜に染まり始めた空の下、飲み物を受け取って庭園をまわり社交をこなし始めた。

「少し休むか? アン」
「そうね」

 ひととおりの挨拶を受けたあと、レオンハルトはテラスへとアンネリーゼをいざない彼女をベンチに座らせた。

「何か飲むか?」
「うん。お水がいいわ」
「わかった。ちょっと待ってろ」

 こんな何気ない会話の時でさえ、レオンハルトは二人きりになると甘さを隠すことをしなくなり、恥ずかしくなるほどに優しく見つめて指の背で彼女の頬をふわりと撫でていった。
 そんな意地悪なほどにアンネリーゼの胸をトクンと跳ねさせ踵を返すレオンハルトの背中が、今日は何だかやけに大きく見える。

(ズルいな、あんなに格好いいとか……。本当、ズルい……)

 今夜、彼は公爵家令息ではなく騎士団長として招かれているため、騎士の礼服姿だった。
 帯剣もしているせいか、アンネリーゼには彼の姿がいっそう凛々しく見えてくる。

(軍服姿なんて、見慣れてるはずなのに……)

 三男であるレオンハルトは特に結婚して跡継ぎをもうける義務はない。
 だが二十五歳の若さにして騎士団長の地位にあり眉目秀麗な彼の妻の座は、レオンハルトが結婚適齢期から外れだしてなお、令嬢たちには欲しくてたまらない場所だった。
 現に、今夜アンネリーゼをエスコートしているにもかかわらず、明らかにレオンハルト目当てで何人もの令嬢が近寄ってきていた。

 そして、今も……。
 アンネリーゼの目には、随分と気安く彼に話しかける女性の姿が映っている。
 赤い髪を編み込み結い上げ、ライラックのドレスを優美に着こなし、レオンハルトを見つめるターコイズの双眸。

(赤毛でターコイズの瞳といえば、確か……)

「まぁ、ご覧になって」
「フォン・ケルナーのお隣にいるのは、マイヤース侯爵令嬢では?」
「本当だわ。あんなふうにケルナー騎士団長と話されているなんて……」
「やっぱりあの噂は本当ですのね。……ほら、お二人が婚約されるっていう……」

(………え?)

 今までなら耳に入れることもなかった、婦人たちの小さな会話。
 それを聞いてしまったアンネリーゼは、動揺を抑えきれず、震える手で口元を隠した。

「レオンが……婚約……? ……そんな、私……」

 彼女の呟きに重なるように、ヒューゲル家の使用人が晩餐の仕度が整ったことを告げ、招待客たちは次々にダイニングへと入っていく。

 だがアンネリーゼは、自分の所へと戻ってくるレオンハルトを見つめながら、なかなかその場に立ち上がることができずにいたのだった……。







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