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8 主上

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 ──そろそろ起きなくちゃ。いつもは雀玲が起こしに来るのに。まだ早いのかな?


 瞼越しでもわかる明るい光。貼り付く瞼をなんとか持ち上げ幾度か瞬きをすると、やっと視界がハッキリしてくる。


「蓉妃様。お目覚めでございますか?」


 ずっと側に控えていたのか、すぐに雀玲が僕の体を起こしてくれた。
 何でだろう?体はひどく重だるいけど、昨日までの胸の苦しさと疼きはすっかりなくなっている。


「じゃ……れ……。」


 掠れて上手く声が出せない僕に、雀玲はすっと白湯を差し出してくれた。


「ありがとう、雀玲。僕、寝坊しちゃったかな?」
「大丈夫でございますよ。」


 雀玲はただニッコリとして、いつものように髪を梳き始める。
 柔らかな雀玲の手の感触に、段々と甘く絡みつく熱さが蘇ってきた。


 ──昨日の夜は……。随分とはしたなく淫らな夢を見たような……。


 やけに鮮明に思い出せる、堪らない快楽と幸せな想い。
 夢の中で僕を抱いてくれたのは、あの方だったのだと、そう思うだけで十分過ぎるほどに満たされて、僕はうっとりと首の後ろへ手を回した。
 と、その時──。
 ピリっとした痛みが走り抜け、僕は項を押さえて恐怖に固まってしまう。


「雀、玲?これ……なんでっ!?」


 ──噛み跡?どうして!?藤の君様は……孝龍様は、本当に!?……あれ?なんで名前なんて……。


「どうしよう……。僕、なんてことを……!」
「朱寧様、落ち着いて下さい。」
「だってっ!」


 僕が狼狽え雀玲に縋り付くと、にわかに扉の向こうが騒がしくなった。
 僕は震えが止まらずに唇を噛みしめる。


「主上、お待ち下さいっ。」
「……っ!」


 ──主上!?そんな、どうしたら!?……僕の…僕のせいで、一族に災いが及んでしまう!


 もう終わりだと、そう思った。
 だけど、緊張に耐えきれず思わず目をつぶってしまった僕の耳に届いたのは、愛しいあの方の声だったんだ……。


「蓉妃が、朱寧が目覚めたのかっ!」
「……え?……こ……うりゅう……さま?」


 勢いよく扉を開けたその方は、真っ直ぐに駆け寄ると僕をその胸に掻き抱いた。


「あぁ…良かった……!あれから二日も目覚めずにいて。生きた心地がしなかった!」

 
 ──あれから、二日?え?一体、僕……。


 混乱する頭の中で、輿入れのために雀玲から教えられた知識が、目の前の孝龍様と繋がりだす。

 瑠璃色の袍。青龍の刺繍。それを纏えるのはたった一人……。


「主上……であらせられるのですか?」
「ああ、そうだ。」
「………え………。」


 目を見開く僕を、主上は真摯に見つめてきた。


「己を偽ったままそなたを番にしてしまった。本当にすまない。」
「い、いけません!主上が謝罪など……!」
「何を言うのだ。朱寧、私はそなたが何より大事だ。そなたを傷付けたのなら、私は許されるまで償い続ける。」
「そんな、償いなどとっ。ぼ…私は、ただ……。」


 孝龍様の大きな手がゆっくりと僕の黒髪に手櫛を通し、項のしるしに触れる。


「涼華殿では無理せず『僕』でよい。その方が、朱寧らしくて好きだ。」


 僕を芯まで甘やかしてくれる声と温もり。
 甘やかされることに慣れていない僕には、くすぐったくて恥ずかしい感触だった。


「朱寧?もう一度、そなたをこの腕に抱いても怒らぬか?」
「お、主上の、お心のままに……。」


 上気する頬を隠すように、僕は俯きがちに小さく両手を前に差し出す。
 すると僕の体はふわっと持ち上がって、寝台に腰掛けた孝龍様の膝の上で横抱きにされてしまった。
 孝龍様の胸の鼓動が僕の体に直接伝わってくる。
 優しい温もりに包まれて、僕の絡まった想いはほろほろとほどけていった。


「朱寧。先程の言葉の続きを聞いても良いか?」
「はい。その……妃となった僕には、藤の君様をお慕いすることは罪だと……苦しかったのです……。孝龍様が主上だとは夢にも思わず……。その……御名を聞いたのが……あのような時で……気付かずに、いて……。」


 ──あ、あれ?待って……?夢じゃなかった……。僕、夜伽を本当に……!?それに、この噛み痕!


 そう気付いてしまえば、話すほどに僕は顔が火照ってくる。


「朱寧?」
「……本当に、僕で良かったのですか?主上の番などと、恐れ多いこと……。」
「蓉妃。」
「はい。」
「私の頼みを、聞いてくれるか?」
「もちろんでございます。」


 優しいけれど諭すような眼差しが、しっかりと僕を捉え、孝龍様は言った。


「これからは決して自分を蔑むでない。ここでは賤であることは忌むことなどではないのだ。」
「主上……。」
「私はずっとそなたと共にありたい。だが私は帝だ。私の周りには黒い思惑が付き纏う……。蓉妃は必ず守る。しかしそなたも、か弱いだけの妃ではないはずであろう?」
「っ、はい!」


 主上が、孝龍様が望んで下さるなら……。
 番として、妃として、後宮で生き残れと。


「なんと言っても、私の腕を捻り上げたくらいだからな。」
「あ、あれはっ。お忘れ下さい!」
「そうだな……。朱寧から口づけてくれたら、忘れても良いぞ。」


 イタズラな子供みたいなお顔でそう言われた孝龍様を見て、胸が幸せにキュンとする。
 だけど同時に、この顔を今までは別の誰かに見せていたのかと……頭の片隅でそう思ってしまい、僕は何とも言い難い気持ちになってしまった。


「では、忘れて頂かなくて結構です。」


 少しだけそのモヤモヤを吐き出すようにツンと言い返してみれば、孝龍様は吹き出し楽しそうに笑いだしたのだ。


「朱寧。私の負けだ。」


 そんな言葉の後で塞がれる唇。
 その口づけはあっという間に僕を深くとろけさせ、僕が孝龍様に敵うわけなどないのだと、改めて思い知らされたのだった……。












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