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【最終章:ベルナデットの記憶】
男同士の勝負
しおりを挟む「やったれ族長!」
「簡単に伸びんじゃねぇぞ、人間さんよぉ!」
「さぁさぁ、どっちへ懸ける! 族長か、はたまた大穴で人間かぁ!?」
喧々囂々と、様々な勇ましい声が弾けては消えてゆく。
ビムガン族長【フルバ=リバモワ】邸の脇にある、岩ばかりの広場には、既に多数の獣耳の戦闘民族――ビムガンが集っていた。
ゼフィとその母親で第一夫人のフォン、そしてゼラの母親である第二夫人のブラウンも、幕開けを今か今かと待ちわびている様子だった。
改めてとんでもないことになってしまったとクルスは強く肌で感じていた。
それはおそらく、輪の中に混じって、見物するしかない仲間たちも同じ気持ちであると信じたいのだが――
セシリーとベラは眉を潜めて、鋭い視線を送っていた。
フェアはセシリーたちが暴れださないよう、そちらにばかりに注意を向けている
(フェアは相変わらず大変そうだな……しかしセシリーとベラは何故、俺を睨むんだ? 一応、俺も巻き込まれた立場なのだが……)
対するようにビギナとゼラは心配げな表情で、クルスを見つめている。
(ビギナを泣かせないためにも怪我には気をつけんとな。後でゼラのフォローもせねば。この状況は君のせいではないと)
そしてロナは視線を寄せると、なぜか“にっこり”笑顔を浮かべた。
なんとなく恐ろしく感じるのは気のせいか。
(あれは怒っているのか……? ロナのことだが真意が良くわからん……)
「待たせたのぉ」
野太い声が辺りへ響き、喧騒は一瞬で止む。人の輪が、まるで魔法のように綺麗に割れて、フルバ=リバモワが胸を張りながら堂々と現れる。
彼は手にしていた“きのこ”のように拳の箇所が膨らんだ赤い手袋をクルスへ投げ渡す。
「こいつを手に嵌めぇ。手の怪我を防ぐためのグローブじゃけん」
「ご配慮ありがとうございます。拝受いたします」
クルスは赤いグローブを手にはめる。確かにこれで殴っても手に怪我を負うことは無さそうではあった。
「さぁ、始めるでぇ!」
グローブをはめたフルバは拳を構え、巨体に似合わない軽やかなステップをその場でして見せる。
力を試すとはやはり、ビムガンの間で最も人気のある格闘技――拳闘(ボクシング)のことらしい。
クルスは一応インファイトもこなせるものの、それはあくまで暗殺者(アサシン)としての経験で、一撃必殺を基本としていた。
故に拳での殴り合いには多大な不安を覚えていた。だからといって尻尾をまいて逃げるのは、もはやできそうもない。
(やるだけやってみるか!)
フルバは純粋にクルスを見定めたいために、このような場を用意した。嫌がらせではない。ならばその気持ちへ真摯に答えるべきである。
グローブをはめたクルスは、フルバに倣って拳を構えた。
すると、ずっと静観していたゼラの母親で第二夫人の“ブラウン”が立ち上がり、クルスとフルバの間に立った。
「一本勝負、時間は無制限。ダウンした方の負け。単純なルールだ。お互い準備は良いな?」
クルスとフルバは互いににらみ合ったまま、小さくうなずいた。
「では……始めっ!」
「おおっ!」
ブラウンの開始の合図と同時にクルスは地を蹴った。
弓使いとしての軽やかで素早い足捌きで、距離をすぐさま詰める。
そして遮二無二、右の拳を突き出した。
フルバは構えた拳を僅かにずらし、クルスのストレートを受け止める。
このガードを崩さねば、次の展開は望めない。
今度は左右のワンツー。先ほどよりもフルバのガードが緩む。そこへ渾身の右フック。
「ええパンチじゃ! ええでぇ!」
フルバはガードの向こうで、嬉々とした声をあげた。明らかに余裕。クルスの拳が効いているとは、とうてい思えない。
それでもクルスは絶え間なく拳を放ち続けた。
並行して体の体温が急上昇をし、汗が滴り始める。呼吸が乱れ始め、視界が僅かに揺らぐ。しかし拳筋だけは鈍らせてはならない。
パンチへすべてを集中させ、ただひたすらに打ち続ける。
「なんじゃ? もうへばり始めよるのか?」
「っ!?」
その時、拳が行く先を失って空ぶった。
フルバが素早い足捌きで、身体を僅かに脇へずらしたからだった。
「だいたいお主のこたぁ分かった。しかし、そがいにひ弱なら、ワシの可愛いゼラとゼフィはくれちゃれんのぉ!」
獣のような声と共に、フルバはストレートパンチを放つ。
丸太のように太い腕が、鋭く空気を引き裂きながら迫る。
これをまともに顔へ貰ってしまえば、ノックアウトどころか、鼻の骨辺りが粉々に砕けかねない。
クルスは咄嗟に拳掲げた。刹那、激しい衝撃がクルスへ襲い掛かる。
靴底が激しく砂塵を巻き上げながら、大きく後ろへ下がって行く。
ガードで使った腕に強い痛みを感じる。しかし、意外なことに“ただそれだけ”のことだった。
(な、なんだ、これは……?)
当のクルスも何が起こったのか分からず戸惑っている。そんな中、フルバの嬉しそうな高笑いをあげた
「なんじゃ! やるじゃなか! まるで“氷”のように固うて、殴り甲斐があったけん! よぉ、鍛えとるわ!」
フルバの言葉を聞いて、クルスはようやく思い出す。
ゼフィを助けるために、自らに施した“凍結状態異常”のことを。
体は自由に動くが、しかし身体は凍結していて固いのだろう。それが鎧の代わりとなって、フルバの拳を防いのだ。
(これさえあれば!)
リスクの一つはこれで問題ないことになった。フルバの剛腕を恐れる必要はない。
クルスは再びフルバへ挑んでゆく。
相手はビムガンで、その中でも最も強い者が選ばれるという“族長”である。
たとえ身体が凍結状態で、氷のように固かったとしても、相応の衝撃が身体を駆け抜けてゆく。
しかし一撃貰えば、それでお終いの状態とは、圧倒的に差があるのは確か。
リスクが軽減した分だけ、攻撃に集中ができるというもの。
「頂きじゃ!」
「おおっ!」
クルスとフルバの左右の拳が交差した。互いの拳が、互いの顔面へ激しく打ち付けられ、辺りがシンと静まり返る。
しかしクルスとフルバはすぐさまバックステップを踏んで距離を置き、互いに口にたまった血を吐き出た。
「や、やるのぉ!」
「ぞ、族長こそさすがだ!」
二人の男は頬には笑みを浮かべつつ、しかし視線は相手を鋭く交差させながら、再び拳闘に興じ始める。
まさに馬鹿である。闘争本能に支配された男たちの愚かな姿である。しかし純粋でもあり、これが自然の姿なのかもしれない。
血肉の踊る男同士の戦いは続いてゆく。クルスもフルバも呼吸を乱し、目を血走らせながらも、それでも拳闘を止めようとはしなかった。
「クルスしっかり! 負けんじゃないわよ!」
「頑張るのだぁ! ファイオなのだー!」
「クルス殿! そこです! 良い拳です!」
セシリーやベラは元より、フェアも熱い声援を送っていた。
「やだぁ……先輩が血だらけに……!」
ビギナは顔を真っ青に染めて、今にも泣きだしそうな視線を送っていて、
「や、やべぇっす……こんなの見せて、クルス先輩はどうしようもない男っす……!」
ゼラは何故か顔を真っ赤に染めて、本人は知ってか知らずか内股をせわしなく震わせていた。
「ふふ……」
ロナは変わらず微笑みを浮かべながら、クルスの戦いを静観している。
その時、“バシィン!”と大きな音が、辺りを席巻した。
互いに血みどろとなったクルスとフルバは互いの顔面へ激しく拳を叩き込んでいた。
獣と化した男を二人は同時に背中から倒れこむ。
「そこまで! この勝負、引き分けとする!」
ブラウン第二夫人がジャッジを声高らかに叫んだ。するとフルバはのっそりと起き上がり、大の字に倒れこんだクルスへよろよろと歩み寄って行く。
「ええ、拳じゃった、クルス!」
「それはこちらのセリフだ。さすがはビムガンの族長、フルバ=リバモワ!」
男二人は互いに手を取り合って起き上がり、肩を抱き合う。
顔はぼこぼこで、血みどろなのだが、どこか晴れ晴れとした様子である。
「皆のモンよぉ聞けぇ! この男、クルスは誠の漢じゃ! 今宵はクルスの漢を祝う宴じゃ! じゃんじゃん食いモン、酒、もってこい!!」
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