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第一部 3章 束の間の休息と、忍び寄る悪意 ―妖界滞在・拉致編―
第34話 傷ついた蜻蛉と、神の怒り
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そこは、以前枢機卿との話し合いに使われた応接室。部屋の前には、以前、枢機卿との面会時に同席していた護衛がついていた。
護衛は奏太を見た途端、慌てたような顔をした。
「恐れ入ります、今、猊下は取り込み中でして……」
「退け」
「し、しかし……」
「いいから、退けよ」
奏太が睨むと、護衛はサアっと顔を青ざめさせて息を呑み、じりっと奏太の目から逃れるように退く。遮るものがいなくなると、奏太は勢いよくドアを開け放った。
そこにいたのは、枢機卿セキと、その従者、護衛。さらに、光耀教会の大司教ハガネと護衛二名と従者。
「な、なんと無礼な!」
誰かがそう叫んだ声が聞こえた気がしたが、そんなことに意識を取られている場合ではなかった。
両者の間のテーブルの上。
真っ黒の翅に鮮やかに輝く青緑の体を持った小さな蜻蛉が、まるで死んで落ちたように横たわっていたからだ。
「…………巽?」
声が震えた。
汐が青い蝶に変わるように、巽は蜻蛉の姿に変わる妖だ。蜻蛉商会の名は、巽を商会長に据えた時に決めたものだった。
『……僕を商会長の座から逃さないおつもりですね……?』
そう、呆れた顔で見られながら。
「おや、呼び出す手間が省けたな。君に聖遺物の件を頼んだはずだったが、その代わりに、君に成りすました侵入者があったから捕らえたのだ。何か関係があるのか、確認したくてね。この侵入者は、何をしても口を割らぬのだよ」
ハガネはそう言うと、テーブルの上の蜻蛉の体を、指でグッと押す。
奏太は、ザアっと血の気が一気に引いた思いがした。
咄嗟に飛び出し、ハガネの手をパンと思い切り払う。奏太が動くとともにハガネの護衛が奏太を止めようとしたが、それを亘と椿が押さえ込んだ。
「巽? しっかりしろ、巽」
蜻蛉の体を両手で掬い上げ、奏太はハガネを無視して手の中の巽に呼びかける。しかし、反応は返ってこない。巽の中の力が完全に消えた訳では無い。意識を失っているだけで、まだ、助けられる。奏太の力を分け与えれば、まだ……
「頑張れ、すぐに、力を分けてやるから」
奏太は両手に自分の中の力を集めて巽に注ごうとした。しかし、そうする前に、グイッとハガネに腕を取られた。
「無礼にも程がある。それに、その様子では、侵入者と面識があるようだ。送り込んだのが君であれば、調べをせねばならないな」
「……放せよ」
奏太は声低く言うが、ハガネはお構いなしだ。
「侵入者を送り込んだ嫌疑がある以上、無理やりにでも、こちらに来てもらうぞ」
「放せって言ってんだよ。聞こえなかったのか?」
「何故、君の言い分を聞いてやる必要がある?」
プツッと、自分の中の何かが切れたのが、奏太自身にもわかった。
奏太は無言のまま、自分を掴む手を振り払い、そっとテーブルに巽を置く。上から低く覆うように手をかざして、白い陽の気にほんわずかに金色を混ぜ込んだ力を与えた。
巽の中の力が少し安定したのを確認すると、奏太はギロッと、ハガネを睨み上げる。いつもの優しい黒色ではなく冷たい力を放つ金色の瞳で。
瞬間、ハガネの表情が一気に苦悶に歪んだ。
奏太はその様子を見据えながら、静かにハガネに語りかける。
「あのな、俺は、よく知らない奴に意味もなく馬鹿にされて笑われても、権力や武力をチラつかせる奴らに理不尽に圧力をかけられても、大抵のことは笑って流してるつもりだよ。度を越して危害を加えられたって、俺自身が手を下すようなことがないようにしてるつもりなんだ」
ハガネは、苦しげに自分の胸を押さえ込み、後ろに下がろうと足を引く。しかし、奏太は胸ぐらをつかんで、ハガネをグイッと自分の方に引き寄せた。このまま、逃がすつもりはない。
奏太がその目をじっと見据えると、ハガネは苦しそうにハッハッと浅く息をしながら、ガクンとその場に膝をついた。
「ハガネ様!」
護衛や従者が声を上げる。護衛は亘、椿が押さえているが、それをすり抜けて従者がこちらに駆け寄ってこようとした。
奏太がそちらに目を向けると、従者は突然、顔を真っ青にしてハガネと同じく胸を押さえて呻く。奏太はさらに、ハガネの護衛たちにも目を向けた。
「大人しくしてろ。そいつらに怪我でもさせてみろ、容赦しないからな」
金の目に睨まれた護衛達は、たったそれだけで、戦意を完全に削がれて怯えたような顔になった。ガシャンと武器を落とし、ガタガタと震えながら、抵抗をやめてその場に膝をつく。
それを確認すると、奏太はハガネに視線を戻した。
「俺は、人も妖も鬼も、安易に殺せないんだ。そこに生きる者の営みを壊せないし、その者達の間にある理を崩せない。制約に触れたら、俺がさらに上位の存在から咎められるから。だから、大抵のことは赦すし、その地の法に従って裁かれるなら、口出しだってしないようにしてるんだ」
静かに、しかし、はっきりと、奏太はハガネの目を見て言う。
見据えられたハガネは、荒い息遣いをしながら、自分の胸ぐらにある奏太の手を掴んだ。ゼーゼーと喘ぐようにしながら、必死に奏太に手を放させようとする。しかし、力が入らないのだろう。大した抵抗にもなっていない。
「……は……放し…………」
「なんで? お前は、俺を捕まえに来たんだろ?」
「……た……のむ…………から…………」
その赤い目に涙が溜まり、ボロボロとこぼれ落ちる。
「苦しいか? 苦しいよな? けど、お前らは、それだけのことを巽にしただろ?」
奏太がパッと胸ぐらの手を放すと、ハガネの体はフラリと揺れ、胸を抱え込み床にうずくまる姿勢になった。
奏太はそれを、冷たく見下ろす。
ハガネの顎に手を伸ばし上げさせれば、苦痛に耐えかねたような呻き声が響いた。
「ウッウウゥウ……ッ!」
「俺の眷属に、手を出すなよ」
その手に陽の気を込めると、ハガネの白い顔が真っ赤に焼けてただれていく。
「ウッ、アァアアアァ……!」
「俺から、あいつらを奪い取ろうとするな」
陽の気をさらに強めようとしたところで、亘の手がパシッと奏太の手首を掴んだ。
「奏太様、そこまでにしましょう。貴方が咎めを受ける必要はありません。巽もそれは望んでいませんよ」
亘はそう言いながら、テーブルの上で横たわったままの巽に目を向ける。奏太もその視線を追った。未だ、巽は動かない。
「…………なあ、亘。お前の言うとおり、光耀教会なんて、さっさと根絶やしにしておけば良かったな」
「制約に触れます。貴方が仰ったことですよ」
「別にいいよ。お前らが無事なら、それでも」
奏太の言葉に、亘は眉を顰める。
「奏太様」
「お前らを奪われるくらいなら、咎めを受けた方がマシだ」
「そのようなこと、誰一人として望んでいません」
亘はそう言うと、もう片方の手で、トンと指で奏太の胸の辺りを突いた。
「以前、ここに掛けていた御守りの意味を、もう、お忘れで? この期に及んで柊士様になど頼りたくはありませんが、貴方にとっては大事なものだったでしょう」
昔、肌身離さず持っていた御守り。壊れるのが怖くてしまい込んだそれは、随分前に従兄から託された、従姉が作った御守りという名の戒めだった。
人界で、『守り手』という役割を担っていた頃、自分を護ろうとして死んだ者がいた。自分を護った誰かを失うことがどうしようもなく怖くなった。その時に従兄から、不格好な御守りを託されたのだ。奏太と同じように自分が苦しんだ時に、従姉から渡された手作りの御守りだったと。
何を失っても、自分に課された役目から逃げるな。それが、自分を支える者達の存在意義と尊厳を護ることに繋がるから。
『奴らの覚悟と生き方に応えてやれるのは、結局俺達だけなんだ。だから、失うことを恐れて立ち止まるな』
あの時の従兄の言葉が耳に蘇る。
じっと自分を見据える亘の目を見返すと、奏太は、ハアと息を吐き出し、ハガネからようやく手を放した。
その瞳の色は、いつの間にか、金から黒に戻っていた。
護衛は奏太を見た途端、慌てたような顔をした。
「恐れ入ります、今、猊下は取り込み中でして……」
「退け」
「し、しかし……」
「いいから、退けよ」
奏太が睨むと、護衛はサアっと顔を青ざめさせて息を呑み、じりっと奏太の目から逃れるように退く。遮るものがいなくなると、奏太は勢いよくドアを開け放った。
そこにいたのは、枢機卿セキと、その従者、護衛。さらに、光耀教会の大司教ハガネと護衛二名と従者。
「な、なんと無礼な!」
誰かがそう叫んだ声が聞こえた気がしたが、そんなことに意識を取られている場合ではなかった。
両者の間のテーブルの上。
真っ黒の翅に鮮やかに輝く青緑の体を持った小さな蜻蛉が、まるで死んで落ちたように横たわっていたからだ。
「…………巽?」
声が震えた。
汐が青い蝶に変わるように、巽は蜻蛉の姿に変わる妖だ。蜻蛉商会の名は、巽を商会長に据えた時に決めたものだった。
『……僕を商会長の座から逃さないおつもりですね……?』
そう、呆れた顔で見られながら。
「おや、呼び出す手間が省けたな。君に聖遺物の件を頼んだはずだったが、その代わりに、君に成りすました侵入者があったから捕らえたのだ。何か関係があるのか、確認したくてね。この侵入者は、何をしても口を割らぬのだよ」
ハガネはそう言うと、テーブルの上の蜻蛉の体を、指でグッと押す。
奏太は、ザアっと血の気が一気に引いた思いがした。
咄嗟に飛び出し、ハガネの手をパンと思い切り払う。奏太が動くとともにハガネの護衛が奏太を止めようとしたが、それを亘と椿が押さえ込んだ。
「巽? しっかりしろ、巽」
蜻蛉の体を両手で掬い上げ、奏太はハガネを無視して手の中の巽に呼びかける。しかし、反応は返ってこない。巽の中の力が完全に消えた訳では無い。意識を失っているだけで、まだ、助けられる。奏太の力を分け与えれば、まだ……
「頑張れ、すぐに、力を分けてやるから」
奏太は両手に自分の中の力を集めて巽に注ごうとした。しかし、そうする前に、グイッとハガネに腕を取られた。
「無礼にも程がある。それに、その様子では、侵入者と面識があるようだ。送り込んだのが君であれば、調べをせねばならないな」
「……放せよ」
奏太は声低く言うが、ハガネはお構いなしだ。
「侵入者を送り込んだ嫌疑がある以上、無理やりにでも、こちらに来てもらうぞ」
「放せって言ってんだよ。聞こえなかったのか?」
「何故、君の言い分を聞いてやる必要がある?」
プツッと、自分の中の何かが切れたのが、奏太自身にもわかった。
奏太は無言のまま、自分を掴む手を振り払い、そっとテーブルに巽を置く。上から低く覆うように手をかざして、白い陽の気にほんわずかに金色を混ぜ込んだ力を与えた。
巽の中の力が少し安定したのを確認すると、奏太はギロッと、ハガネを睨み上げる。いつもの優しい黒色ではなく冷たい力を放つ金色の瞳で。
瞬間、ハガネの表情が一気に苦悶に歪んだ。
奏太はその様子を見据えながら、静かにハガネに語りかける。
「あのな、俺は、よく知らない奴に意味もなく馬鹿にされて笑われても、権力や武力をチラつかせる奴らに理不尽に圧力をかけられても、大抵のことは笑って流してるつもりだよ。度を越して危害を加えられたって、俺自身が手を下すようなことがないようにしてるつもりなんだ」
ハガネは、苦しげに自分の胸を押さえ込み、後ろに下がろうと足を引く。しかし、奏太は胸ぐらをつかんで、ハガネをグイッと自分の方に引き寄せた。このまま、逃がすつもりはない。
奏太がその目をじっと見据えると、ハガネは苦しそうにハッハッと浅く息をしながら、ガクンとその場に膝をついた。
「ハガネ様!」
護衛や従者が声を上げる。護衛は亘、椿が押さえているが、それをすり抜けて従者がこちらに駆け寄ってこようとした。
奏太がそちらに目を向けると、従者は突然、顔を真っ青にしてハガネと同じく胸を押さえて呻く。奏太はさらに、ハガネの護衛たちにも目を向けた。
「大人しくしてろ。そいつらに怪我でもさせてみろ、容赦しないからな」
金の目に睨まれた護衛達は、たったそれだけで、戦意を完全に削がれて怯えたような顔になった。ガシャンと武器を落とし、ガタガタと震えながら、抵抗をやめてその場に膝をつく。
それを確認すると、奏太はハガネに視線を戻した。
「俺は、人も妖も鬼も、安易に殺せないんだ。そこに生きる者の営みを壊せないし、その者達の間にある理を崩せない。制約に触れたら、俺がさらに上位の存在から咎められるから。だから、大抵のことは赦すし、その地の法に従って裁かれるなら、口出しだってしないようにしてるんだ」
静かに、しかし、はっきりと、奏太はハガネの目を見て言う。
見据えられたハガネは、荒い息遣いをしながら、自分の胸ぐらにある奏太の手を掴んだ。ゼーゼーと喘ぐようにしながら、必死に奏太に手を放させようとする。しかし、力が入らないのだろう。大した抵抗にもなっていない。
「……は……放し…………」
「なんで? お前は、俺を捕まえに来たんだろ?」
「……た……のむ…………から…………」
その赤い目に涙が溜まり、ボロボロとこぼれ落ちる。
「苦しいか? 苦しいよな? けど、お前らは、それだけのことを巽にしただろ?」
奏太がパッと胸ぐらの手を放すと、ハガネの体はフラリと揺れ、胸を抱え込み床にうずくまる姿勢になった。
奏太はそれを、冷たく見下ろす。
ハガネの顎に手を伸ばし上げさせれば、苦痛に耐えかねたような呻き声が響いた。
「ウッウウゥウ……ッ!」
「俺の眷属に、手を出すなよ」
その手に陽の気を込めると、ハガネの白い顔が真っ赤に焼けてただれていく。
「ウッ、アァアアアァ……!」
「俺から、あいつらを奪い取ろうとするな」
陽の気をさらに強めようとしたところで、亘の手がパシッと奏太の手首を掴んだ。
「奏太様、そこまでにしましょう。貴方が咎めを受ける必要はありません。巽もそれは望んでいませんよ」
亘はそう言いながら、テーブルの上で横たわったままの巽に目を向ける。奏太もその視線を追った。未だ、巽は動かない。
「…………なあ、亘。お前の言うとおり、光耀教会なんて、さっさと根絶やしにしておけば良かったな」
「制約に触れます。貴方が仰ったことですよ」
「別にいいよ。お前らが無事なら、それでも」
奏太の言葉に、亘は眉を顰める。
「奏太様」
「お前らを奪われるくらいなら、咎めを受けた方がマシだ」
「そのようなこと、誰一人として望んでいません」
亘はそう言うと、もう片方の手で、トンと指で奏太の胸の辺りを突いた。
「以前、ここに掛けていた御守りの意味を、もう、お忘れで? この期に及んで柊士様になど頼りたくはありませんが、貴方にとっては大事なものだったでしょう」
昔、肌身離さず持っていた御守り。壊れるのが怖くてしまい込んだそれは、随分前に従兄から託された、従姉が作った御守りという名の戒めだった。
人界で、『守り手』という役割を担っていた頃、自分を護ろうとして死んだ者がいた。自分を護った誰かを失うことがどうしようもなく怖くなった。その時に従兄から、不格好な御守りを託されたのだ。奏太と同じように自分が苦しんだ時に、従姉から渡された手作りの御守りだったと。
何を失っても、自分に課された役目から逃げるな。それが、自分を支える者達の存在意義と尊厳を護ることに繋がるから。
『奴らの覚悟と生き方に応えてやれるのは、結局俺達だけなんだ。だから、失うことを恐れて立ち止まるな』
あの時の従兄の言葉が耳に蘇る。
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