結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚 ~平凡な高校生だったのに、人外たちに囲まれて世界を救うことになりました~

御崎菟翔

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妖界編

最初の仕事①

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 俺は、汐と言う名の妖の少女とともにポツリと取り残されて途方に暮れる。

「……それで……俺は結局、何をすればいいわけ?」

 すると、汐は俺の顔を見て、ニコリと笑った。

「結界の綻びがそこかしこにあります。私がご案内するので、結界に力を注いで補強なさってください」
「ええっと、そもそも、結界ってどういうやつなの?」
「結界は、普段は目に見えません。けれど綻びの場所は、行けばすぐに分かりますのでご安心を」

 説明が不足しすぎていて全くよくわからない。

 眉根を寄せて首を傾げていると、汐は困ったように眉尻を下げた。

「何かご不明なことが?」
「いや、ご不明な事だらけなんだけど……」

 俺達は二人で首を傾げ合う。

「うーん……その結界の綻びを修復するのが俺と柊ちゃんの役目だとして、結界に力を注いで補強するのは、どうやればいいの?」
「それは、私には経験が無いことなので何とも……」

 ……え、それが分かんなきゃ意味ないじゃん。

「結局、柊ちゃんに聞かなきゃわからないってこと?」

 怪訝な顔で汐を見ると、汐は小さく首を横に振る。

「いえ。こちらの書に目を通し力を通わせていると、結界を閉じる方法を賜るそうです。私には分かりませんが、結様はそれで結界を補強する方法を知ったと仰っていました」

 汐はそう言うと、先程柊士が落としていった紙束を指し示した。
 
 力を通すというのがよくわからないが、俺はひとまずそれを拾い上げる。

 表紙には毛筆で書かれた蚯蚓みみず文字。少なくとも現代の字ではない。

 普通であれば解読できないはずのそれ。
 しかし、そこに書かれているのが何なのか、何故か俺には分かる気がした。
 
「……陽の子に相応しき力を……?」

 そう声に出して読み上げた瞬間だった。
 
 手に持った書が突然、まるで風に吹かれたかのように勝手にパラパラと捲れていく。それとともに、中身にびっしりと書かれていた蚯蚓文字が白っぽい光を帯びて浮かび上がった。

「はぁ!?」

 思わず、素っ頓狂な声が出た。

 その光の文字は、紙束の上を滑るようにして俺の手の方に集まってきたかと思えば、スウッと俺の中に流れ込んで消えていく。

「ちょ、ちょっと待った! 何だこれ!」

 思わず紙束を落としそうになる。

「放してはダメ!」
「えぇっ!?」

 汐の鋭い声が響いて、咄嗟とっさに紙束を掴む手に再び力を入れた。
 
 別に、何かが自分の中に無理に入ってくるような不快感はない。ただ、光が入って消えていくだけだ。
 
 何がなんだかわからないままそれをじっと見つめているとパラパラパラっと最後の1枚まで紙が捲れていき、最後にパタリと背表紙が閉じる。

 あまりの事に唖然としているうちに、紙束は気づけば先程までの状態に戻っていった。
 
 目の前の不思議現象が収まり、俺はほっと息を吐く。

「書に力を通わせた後、結界の綻びの前で掌に力を込めて願うと、結界の穴を閉じる為の祝詞が頭に思い浮かぶのだそうです。これで、奏太そうた様も結界を補強することができるようになったはずです」

 そうは言われても、全く何かが変わった感じがしない。本当に大丈夫なのだろうか。

「ひとまず綻びを塞ぎに行ってみましょう。ちょうど先程、一箇所発見したと報告があったばかりなのです。本当は柊士様と栞《しおり》も共に行くはずだったのですが、あのご様子では難しいでしょうから」
「え、今から行くの? 明日じゃ駄目なの?」

 もう夜だし、これから出掛けるのは面倒だ。さっさと家に帰って風呂に入って寛ぎたい。
 しかし、汐は首を横に振った。

「残念ながら、我ら妖は日の出る時間帯に外を出歩くことができません。ようの気に焼かれてしまうのです」
「……陽の気?」
「人界では、日の下に陽の気が満ち、日が沈むといんの気に包まれます。我ら妖は、陰の気の中でしか生きられぬのです。我らが案内役を務める以上、夜間に動いていただかねばなりません」

 ……なるほど、それは柊ちゃんも嫌な顔をするわけだ。

 かくいう俺も、翌日学校があり親の目もある中、頻繁に夜に外に出たり出来ない。本家の用だと言って詳細は伯父さんに聞いてくれと言えばいいのだろうが……

「それで、どこに行くって?」
「ここから二時間ほど飛んだ先にある廃校です」
「……飛ぶ? 飛行機に乗るってこと? 今から?」

 そんなに大掛かりな移動が必要とは聞いていない。
 そう思ったが、汐は首を横に振る。

「いえ。空を飛べる者が居ますので、その者に乗っていきます。そろそろ迎えが来るはずです。外に出ましょう」

 汐に案内されて廊下に出ると、ちょうどよく伯父さんに鉢合わせた。

「行くのか?」
「うん、よくわかんないけど一応……」
「お前の父親はこちらの事情を知っている。連絡はこちらでいれておくからな」

 ここは父の実家だ。この状況を詳しく知っていてもおかしくはない。けど、母はどうなのだろうか。
 
「ええと、母さんは?」
「知っているのは、お前の父親とお前だけだ。それ以外の者に余計な事を言う必要はない。お前の父親もそれは承知しているはずだ」

 つまり母は知らないし、言うなということなのだろう。

「……わかった」

 少なくとも、両親のどちらかが理解しているならそれでいい。
 俺が頷くと、伯父さんは俺の肩をぽんと一度叩いた。

「気をつけて行けよ」
 

 伯父さんに送り出されて内庭に出ると、そこにはタクシーの運転手のような格好をした、にこやかな笑顔の男性が立っていた。
 手には一際明るい硝子がらすの手提げのランタンを持っている。

「どうも、大鷲おおわしタクシーです。今日はどちらまで?」

 タクシーの運転手にしては、なんか、ものすごく軽い話し方だ。
 それに、タクシーと言ったが、空を飛ぶのではなかったのだろうか……
 
 汐に目を向けると、呆れたような表情で男を見ていた。

「なあに、その格好」
「良いだろ。新しい守り手様にお会いするならわかりやすい方が良いかと思って。それで、守り手様は?」

 男は周囲を見回す。
 汐はそれに溜息をつくと、俺の方に目線を向けた。

「新しく守り手様になられた奏太様よ」

 男はこちらへ目を向けると、あからさまに、がっかりしたような表情を浮かべた。

「……わたりです。はじめまして……奏太様……」

 何だかよくわからないが、凄く失礼なんだけど……

「なんでそんなに残念そうなんですか?」
「いえ、てっきり女子の守り手様かと思っていたので……」

 なるほど。理由はわかったが、ここまであからさまに態度を変えられると言葉も出ない。

「あまりお気になさらず、奏太様。さあ、亘、準備を」

 汐に声をかけられると、男は渋々といった様子でコクリと頷く。

「これを」

とランタンを俺に押し付けるように渡してから、先程の汐や粟路あわじ達のように姿を変えた。
 
 しかし、変わったのは小さなすずめや蝶でなく、人が乗れるほどの大きな鷲。

 ……だから大鷲タクシーか……

 ただ、それ程大きな鷲が目の前に現れるとさすがに怖い。ギョロッとした目に鋭いくちばしは捕食者そのものだ。
 
 それに、

「さあ、背にお乗りください。」

と言われても、どう乗るのが正解かわからない。

 躊躇いながら近づくと、亘はこちらが乗りやすいように羽を広げて足場を作ってくれた。
 
 俺が背に乗ると、亘は至極残念そうな声を出す。

「次の守り手様は男子とは……」
「どの方であろうと、誇りに思うことよ」

 亘はハアー、と深く息を吐いた。

「……あのさ、そんなに嫌なら乗せてくれなくてもいいんだけど」

 失礼きわまりない大鷲に、この調子で溜息をつかれながら二時間も運ばれるなんて、こっちから願い下げだ。
 
 そう思っていると、大鷲はブンブンと首を横に振る。
 併せて体が大きく揺れて振り落とされそうになり、慌てて体を伏せ、ランタンを持っていない方の手で首元の羽を鷲掴みにしてしがみついた。

「ああ、失礼。それから、別にお乗せすることが嫌なわけではありません。残念なだけで」

 ……いや、だから、それがさ……

「奏太様、お気になさらないでください。それよりも早く参りましょう。夜が明けてしまいますから」

 汐は蝶の姿になり、俺の目の前まで飛んできてそう言った。
 
 正直釈然しゃくぜんとしないが、このまま夜が明けるのは困る。寝る時間は絶対に確保したい。

「ハア……わかった。行こう」

 俺がそう言うと

「じゃあ、しっかり捕まってて下さいよ!」

と言いながら、亘は翼を羽ばたかせた。


 わたりに乗って、周囲に守る壁のないき出しの状態で空へ勢い良く飛び出すと、突風がもろに吹き付けてくる。安全ベルトなしで急上昇するジェットコースターに乗ってる気分だ。怖いなんてものじゃない。
 
 しかも、片手がランタンで塞がっているせいで、もう片手と体全体でしがみつくしかない。
 
 涙目になりながら、なけなしのプライドで歯を食いしばって亘にしがみついていると、亘はハハっと笑いをこぼした。

「悲鳴も上げぬとは、さすが男子ですね。ゆい様を最初にお乗せした時には一際大きな悲鳴を上げられたものです。大丈夫、たとえ落ちても、地面に叩きつけられる前に助けますから」

 ……なんて怖いことを言うのだろう。
 パラシュートなしのスカイダイビングなど、絶対に経験したくない。

「も……もしかして、結ちゃんを落としたことが……?」

 恐る恐る尋ねると、再び亘はハハっと笑った。

「まさか。結様を落とすなんて真似、するわけがありません。丁重にお運びしていましたよ。ただ、その前のり手様で何度か」

 実際に落としたことがあるらしい。
 俺は一気に青ざめる。

「い……今も丁重に運んでくれてるんだよね? 結ちゃんの時みたいに」
「えっ。……ええ、まあ」

 えぇ、何その反応!

「頼むから絶対に落とさないで! ゆっくりでいいから、とにかく慎重に、安全第一で飛んでよ!」

 叫ぶようにそう言ってみたが、亘からは、カラカラ笑う以外の声が返ってこなかった。
  
 実際その後、俺は何度か落下の危機に陥ることとなる。子どものように泣き叫ばなかった自分を褒めてやりたいくらいだ。

「はははっ! 振り落としても良いくらいの気持ちで飛んだのですが、これでも堪えるとは、なかなか根性がおありのようで」

 亘は悪気もなさそうに笑う。
 なんともスリリングな空の旅のせいで、着く前から心がすり減ってヘトヘトだ。

わたり、そろそろ奏太そうた様を試すのもいい加減になさい」

 汐がたしなめるように言ったが、もう少し強く言ってくれてもいいくらいだ。『そろそろ』ではなく『最初から』止めて欲しかった。

 恨めしい思いでその姿を見ていると、汐はハアと溜息をついたあと、フワリと亘の顔のあたりまで飛んでいく。

 何故わざわざ、と思っていると、不意に重たく囁く汐の声が風に乗って耳に届いた。

「……そんな事をしたって、あの方は戻ってこないわ。もう、何をしても」

 あの方、というのは結のことだろうか。 
 亘はそれに、フンと鼻を鳴らした。


 しばらくすると、街灯まばらな小さな町の暗い学校に亘は降りた。昔ながらの木造校舎で真っ暗闇に包まれている。
 
「……ここなの?」
「ええ。校舎裏にあるようですね。参りましょう」
 
 ヒラヒラ俺の周りを舞ううしおから、そう返事が戻ってきた。

 校舎の中に入れと言われなくて少しだけホッとしたが、それでも真っ暗な古い学校はそれだけで恐怖心が湧き上がってくる。
 
 しかも、光源となりそうなのは、亘に渡されたランタンだけだ。なんとも頼りない。
 
 そう思いながら、手に持ったランタンを持ち上げる。
 すると、ランタンの真ん中で二つの丸い光がふわりと揺れた。

 ……あれ、これ、電球とか蝋燭ろうそくとかの光じゃないな……

 じっと見つめてみると、ふわっふわっと硝子がらすの中で光が自由に動き回っている。
 硝子面にぶつかっては跳ね返り、また反対側にぶつかって跳ね返る。時々光同士がぶつかり合うこともある。

「……ねえ、これ何?」
「ランタンですが?」

 人の姿に戻った亘が同じ様にランタンを覗き込みながら首をかしげる。

「そうじゃなくて、中の光。なんか凄く動いてるんだけど……」
「ああ、鬼火おにびですからね。人界では珍しいものですし、新しい守り手様はお気に召すかもと思って持ってきたのですが、如何です?」
「……鬼火?」
「ええ。人魂とも言いますね」

 俺は亘の言葉にギョッと目を見開いた。

「人魂!?」
「ええ。どうです、随分明るいでしょう?」

 いやいや、人魂って、人の魂だよね。死んだ人の魂だよね。

「だ、ダメでしょ! 捕まえちゃ!」

 罰が当たるか呪われるか。とにかく、良くないことが起こるに違いない。

「大丈夫ですよ。鬼火に意思はないと言われていますし、人魂だなんて言われていますが、本当のところは何なのか分かっていないのです」
「そ……そうは言っても……」

 俺はもう一度、まじまじと硝子の中を見つめる。すると、鬼火はふわりとこちらに寄ってくる。
 そこを亘がコツンと弾くと、驚いたように逆側に逃げていく。

「意思がないなんて嘘じゃん! やめなよ!」

 ……さっきから硝子の壁にしきりにぶつかってたのだって、もしかしたら逃げようとしてたのかもしれない。

 汐が呆れ顔で亘を見る。

「結様もその前の守り手様も、お気に召さなかったじゃない。人に鬼火は駄目なのよ」
「では、せっかく捕まえましたが、逃しますか? しかし、灯りがありませんよ」

 亘は校舎の方を見やる。

 ……うっ。確かに、灯りが無いのは非常に困る。

「……懐中電灯とかないの? 最悪コンビニに買いに行くとか」
「金がありませんし、この辺にこの時間にあいている店はないと思いますが。それとも、一度戻りますか?」

 俺も財布は置いてきてしまっている。
 死にそうになりながら二時間かけてここまで来たのに、同じ時間をかけて戻って懐中電灯を持ち、また二時間かけてここに来る?
 そんなことしたら、帰る頃には朝だし、あんなに怖い思いを一晩であと三回も味わうのは遠慮したい。
 
 俺は目線の高さにランタンを持ち上げる。

「……ごめんなさい。用が終わったらすぐに解放するので、少しだけ力を貸してください……」

 眉を下げて鬼火に謝罪すると、鬼火は落ち着いたように、動きが少しだけ緩やかになった気がした。
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