結界守護者の憂鬱なあやかし幻境譚 ~平凡な高校生だったのに、人外たちに囲まれて世界を救うことになりました~

御崎菟翔

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妖界編

廃病院の怪①

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 廃校を出て深夜に本家に到着すると、使用人の村田さんが風呂や着替、寝る場所の準備を整えてくれていて、俺は次の日の昼ごろまで泥のように眠った。

 目が覚めた時には、なんで自分は本家にいるんだっけ、と夢と現実の境が曖昧になっていたのだが、招待された昼食の席で伯父さんから根掘り葉掘り昨夜のことを聞かれて、やはり現実だったのか、とようやく実感することになった。

 ただ、そこからしばらくは何事も起こらず、再びうしおが現れたのは完全に日常が戻ってきた頃だった。

 夜。自室でのんびりゴロゴロし、そろそろ寝るかと思っていたところで、唐突に窓をコツコツ叩く音が聞こえた。
 この部屋は二階だ。しかもベランダはない。
 一瞬でざわっと背筋に寒気が走る。
 外を見るのが怖くて、カーテンを閉めたままじっと様子を窺う。もしかしたら気のせいだったかもしれない。

 しかし、もう一度、今度は先程よりもはっきり、コツンコツンと窓を叩く音が聞こえた。

 恐る恐るカーテンを開ける。
 するとそこには、青い蝶が一匹舞っていた。

 俺はそれにホッと息を吐く。
 窓を少し開けてやると、蝶は隙間から滑るように入ってきた。
 それが中に完全に入ると、ふっと人の形をとる。

「奏太様、お仕事です。本家までお越しください」
「……あのさ、今から寝ようと思ったんだけど」

 俺の言葉に、汐は眉尻を下げる。

「そう仰られても……結界のほころびを閉じていただかなくては困ります。早く閉じねば、綻びが大きくなって被害が大きくなるやも知れませんし」
「……鬼界との間の結界の綻びなの?」

 最初の御役目を思い出し、首筋がヒヤッとする。

 しかし、汐は首を横に振った。
 
「いえ、妖界との間に生じたものです。前回のこともあるので、周囲の確認も隈無く行っています」

 俺はそれにほっと息を吐き出す。
 あのあと、妖界との結界の綻びを塞ぎに行ったが、一日目と異なり、二日目は随分すんなりと事が運んだのだ。それに、あの時は一日寝かせても問題なかったはず。

「じゃあ、今じゃなくても、明日でも大丈夫なんじゃない?」 

 できたら、時間にも心にも、余裕を持っていきたい。特に、わたりに乗って行かなければならないのなら尚のこと。

 けれど、汐は否定的だ。
  
「妖とて悪さをすることはありますし、人にとって毒である濃いいんの気が漏れ続けることで、病の原因になったり精神を病むこともあります。最悪、死人も出るかもしれません。前回は事情が事情だったので翌日としましたが、本来は先延ばしになどすべきで無いのです」

 ……死人……

「一日でも早く閉じれば、それだけ被害の拡大を防げます。明日に伸ばして、今日明日で問題が起こる可能性だってあるのです」

 汐は困ったような顔で脅しにかかってくる。

「死人が出た後で、あのときに閉じておけば良かった思っても遅いのです。今この時にも人に被害がでているかもしれませんし、奏太様が動かれないことで誰かが死ーー」
「わ、わかった! 行くよ。行けばいいんだろ!」

 俺が慌てて声を上げると、汐はニコリと俺に笑いかけ、再び蝶の姿に戻った。

「では、お早く」


 前回の反省を踏まえて懐中電灯をしっかり持ち、階段を降りる。

「どこかに行くの?」

 寝室に向かう途中の母に出くわし、怪訝な表情で見られた。

「本家に呼び出されたから行ってくる」
「こんな時間に?」
「そう。詳しいことは伯父さんに聞いてよ。伯父さんに頼まれたことなんだから」

 俺が答えている間も、汐は母の視界に入らないところで、まるで急かすかのようにヒラヒラ舞っている。
 仕方ないだろ、と思いながら小さく溜息をついた。

「とにかく行ってくる。本家に泊まることになると思うから」

 母は未だに不満気な表情を浮かべているが、こんなところで問答している時間が惜しい。
 さっさと終わらせないと、いつまで経っても寝られない。

「行ってきます!」

 もの言いたげな母を放置したまま、余計なことを言われないうちに俺は家を飛び出した。


 本家に到着すると、前回同様、亘が庭に控えていた。やはり乗らねばならないらしい。
 ただ、今日はラフなシャツとスラックス姿だ。着物姿の汐と違って、言われなければ、その辺りにいる普通の人間に紛れ込めるだろう。

「それで、今回はどこに行くの?」
「ここより東に一時間ほど行った先にある廃病院です」
「廃病院!?」

 前回が廃校で、今回が廃病院。
 心霊スポットのようなところばかりじゃないか……

 それがそのまま顔に出ていたのだろう。
 汐は首を傾げる。

「人が使い捨てたような場所は陰の気が溜まりやすい分綻びが生じやすく、さらに、妖界ようかい鬼界きかいへの入口が開いているため、人の世で不可思議と呼ばれる現象が起こるのです。原因は結界の綻びによるものですから、閉じてしまえばどうということもありません」

 いや、そうはいっても、怖いものは怖い。
 しかも夜の廃病院なんて、完全に肝試しだ。廃校よりもまだ悪い。祟られる気しかしない。

「まあまあ、まだ子どもだ。そう言ってやるな、汐」

 俺が躊躇しているのを感じ取った亘は、そう言いながらもニヤニヤしながらこちらを見る。

 ……いちいちイラッとするなぁ。

「別に何も言ってないだろ。行くよ、ちゃんと」

 半ばやけクソにそう言うと、亘はハハっと声に出して笑った。

「では、さっさと参りましょう!」

 亘はふっと姿を変えると、前回のように翼を広げる。
 ……何だか、亘に乗せられたようで釈然としない。


 前回よりも時間が短いせいか、前回計四時間も亘に乗っていたせいか、だいぶ亘の背に乗るのもうまくなった気がする。
 少なくとも今回は、落ちそうになることもなく無事に大通りから少しだけ入ったところにある廃病院に辿り着くことができた。

「こんな街中に廃病院があって、しかも結界の綻びがあるなんて……」
「廃病院は分かりませんが、結界の綻びなどどこにでも開きます。妖界側から塞がれたようですが、先日は繁華街の上空に開いていました。むしろ山中にある方が気付き難いのです」
「妖界側から?」
「ええ。あちらも結界を塞がねば余計な混乱を招きますから。」

 あやかし側がそんな事をしてくれているとは思いもしなかった。

「本当は、こちらとあちら、両方から結界を補強すべきなのですが、ここまで綻びが進むと、きりがありません。今は、あちらからも塞ぎきれていないところを優先しているのです」

 汐とそんな話をしていると、亘がスッと病院の方を指差す。

「なあ、汐。ところで、中に誰か居るのではないか?今回、綻びは建物の中だろう」

 亘の言う方を見ると、窓にチラチラと白い光が映り移動している。

「あれ、鬼火おにびの灯りじゃないだろう?」

 確かに前回見た鬼火と比べると、時折窓に当たる光が強い。ぼんやりと周囲を照らす鬼火ではなく、懐中電灯のような感じだ。

「巡回の警備の人とか? 勝手に建物に入って怒られるの嫌なんだけど……」
「事前に見てきた者の話では、そのような者いなかったはずですが」
「まあ、見つからないよう注意して参りましょう。綻びは建物のどこだ、汐」
「二階の手術室よ」

 ……また、ベタな場所に……

「……誰か中にいるなら、今日は諦めた方がいいんじゃない?」
「先延ばしにする危険性はお伝えしたではありませんか。何れにしても、いつかは来なくてはなりません」

 汐は少しだけ厳しい声をだす。何とか避けようとする心内を悟られたようだ。

「まあまあ、ここで問答していても仕方ありません。ひとまず行きましょう。何、見つからねば良いことです」

 問答無用で病院内に向かわせようとする二人の圧力に、俺一人で逆らえるはずもない。
 亘に背を押されながら、周囲の雰囲気も相まって、何ともおどろおどろしく見える建物の入口をくぐりぬけた。


「おい」

 知らない男の声が背後から響いたのは、入口を抜けて直ぐのことだった。
 ビクっと肩を震わせて振り返ると、若くて背の高い男が訝しげな表情で立っていた。警備員の服装ではない。私服姿だ。
 不法侵入を咎められるかとドキドキしていたが、どうやらそういう雰囲気でもない。せいぜい、大学生といった年頃だ。
 ホッと息を吐き出すと、目の前の男は、不快感もあらわに顔を顰めた。

「こんな時間にこんな所で子どもが何やってんだよ。家で寝てる時間だろ」

 そう言いながら、汐をジロッと見下ろし、さらに、亘に目を向ける。

「子連れがくるような所じゃねーだろ。さっさと帰れよ。せっかくアイツらと肝試しに来たのに、雰囲気が台無しだ」

 汐と亘は顔を見合わせる。
 小学生の父親にしてはちょっと若いが、確かに親子に見えなくもない。

 それにしても、アイツら、というからには複数人で来ているのだろうが、この男は今、たった一人だ。背後に見える建物の外に、誰かがいるわけでもない。

「あ、あの。アイツらって、お友だちはもう中に居るんですか?」
「あ? そうだけど」

 そうであれば、さっき窓に映った灯りは、この男の友だちなのだろう。肝試し目的の大学生ならば、不法侵入はお互い様だ。
 しかも、他に複数人がいるというのは何だか安心感がある。
 心霊スポットに子連れがいて雰囲気が壊れるのは申し訳無いが、この大学生グループがいる間に、さっさとやることを済ませて帰るとしよう。汐と亘の三人だけでいるよりも、よっぽど心強い。
 そう思っていると、亘がスッと前に進み出る。

「昼間に一度この子らが友だちと来たようなんだが、大事なものを無くしたみたいでね。落とし物を見つけたら帰るよ」

 亘はサラッと作り話を並べて大人な笑みで応じる。汐はそれを無表情で眺めていた。

 男はチッと舌打ちしたあと、何も言わずに俺達の横をすり抜けて、さっさと廊下の向こうにある階段に向かっていった。

「不愉快な男ですね」

 汐がぼそりと零す。

「若者など、人も妖もあのようなものだろう」

 亘は苦笑する。先程もそうだったが、思っていた以上に大人な対応だ。

「あのような者達を気にしていても仕方がありません。さっさと綻びを閉じて帰りましょう」

 亘の言葉に頷くと、再び汐の先導で俺達も先程の男と同様に廊下を通り階段へ向かった。

 よく考えればそうなのだろうが、廊下にも待合室と思しき場所にも、大したものは残っていない。
 薄汚れた空のビルという感じだ。
 壁や床に備え付けられた家具類以外は、ほとんど何もない。
 廃病院という響きから、漠然と恐怖感を募らせていたものの、実際に入ってみればどうということもない場所だ。

 ただ、目的の手術室が見え、

「あそこです」

と汐が指さした所で、突然、近くでけたたましい悲鳴が複数響いた。

 先程の男の仲間だろう。
 慌てたように、前方にある手術室から数名の男女が飛び出し、次々と俺達とすれ違うように走り去っていく。その中には、先程の男も混じっていた。皆、必死の形相だ。
 亘はそれに見向きもせず、じっと手術室を見つめる。

「……何か居るな」
「……何かって何?」
「妖でしょうね。綻びのある場所ですから」
「では、ひとまず行ってみましょう」

 では行ってみましょう、ではない。
 何かが起こったらどうするつもりなのだろうか。

 大の大人が複数人、血相を変えて逃げ出した場所だ。碌なものが居るわけがない。
 しかし、足をピタッと止めて動かずにいると、亘が茶化すようにニヤリと笑った。

「足が竦んで動かないのですか? 幼子のようにお運びした方が?」

 ……なんて意地の悪い言い方をするのだろうか。

「困りましたね。妖とはいえ、幼い女子が平然と向かう場所に、奏太様は恐ろしくて先に進めないと仰る」
「う……煩いな! そんな事言ってないだろ!」

 亘はククっと笑いをこぼす。

「大丈夫ですよ。こう見えて腕は立つ方です。前回申し上げた通りです。貴方が御役目を果たすのならば、きちんと御守りします。参りましょう」
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