木蓮荘

立夏 よう

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東京3

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いとが連れてこられた日のことを思い出す。先生は伝手を頼って幾つもの工場など私と同世代の娘が集まりそうな場所を一年近く探し回ってくれた。背丈、顔立ち、そして家の状況。こんな話を裕福だったり人脈の濃い家の娘には頼めなかった。万一本人がいいといっても家のものが探し回ると厄介だからだ。ある日、先生が珍しく興奮したように戻ってきて言った。いい子がいたと。背格好や雰囲気も似ていなくもない上に、片親で、しかも貧しい家庭なのだと。母親との仲もうまくいっていないようだから、あの母親なら娘を探し回るより見舞金で口をつぐむだろうと。そしてその数日後、いとがうちへやってきた。

 わたしは襖の隙間から勝手で立ち尽くしているいとを眺めていた。頼りなさげな不安な表情のいとをずっと観察していた。この子が、わたしの代わりに野崎家から嫁にいってくれるのだろうかと、半信半疑で不思議な気持ちでいとを見ていた。その頃はでもまだ本気だったとは言えない。あれは先生と私のお遊び、息抜きのようなものだった。私が生きていくための現実逃避のようなもの。でも、お稽古をはじめてから、いとは想像していたより飲み込みがよく、わたしのすることをうまく真似られるようになっていった。訛をなおさせ、言葉遣い、所作を教え、私の部屋に招いて私の着物を着せ、私のすることなすことをすべてその通りに真似をさせた。訛はいつの間にか消え、手品のように、いとから綾に変わるのだ。不思議な気持ちになった。そして少しずつ、私が知っている全てのことをいとに教えた。親族のこと、野崎家のこと。父のこと兄のこと。暴力や母のことは言わなかった。怯えさせたくなかったからだし、昔のように手を上げられることはなくなっていたからでもあるし、口に出すのがこわかったからでもある。いとの前では涙を見せたくなかった。

 私はいとの前では幸せな綾でいたかった。自分自身は傷だらけなことを知っているが、いとが眩しそうに私を見てくれることがどれだけ私の心を癒やしたか。いとには何不自由なく育って幸せな娘に見えるということが私の一つの拠り所だった。初めて幸せを感じられた。誰かに眩しそうに見られたことなどけしてなかった。なんともいえない優しい眼差しで微笑みかけられたことなんて一度もなかった。手負いの母にはそんな余裕はなかったからだ。いととの時間が私の初めて持った幸せな時間だった。彼女が私をなんて幸せな娘だろうと思って見つめてくれることが、私を幸せにしたのだ。いとと親しくなり、私にとっていとが大事な存在になればなるほど、私は自分がしようとしている事が怖くなっていた。大事ないとを、野崎家に置き去りにし綾として嫁にやるなど、そんな道を選べば私は二度といとに会うことができなくなる。それを思えば、私自身が野崎綾として嫁に行けばすむことじゃないかと何度も考えはした。父に望めばわたしのお付の者として婚家にいとを連れて行くことだって叶わないわけではない。そうすればいつまでもいとと一緒にいることができるじゃないか。私はその選択肢も何度も考えたしそれを選びたかった。それが一番、いとを傷つけない道でいとと離れないでいられる道だったから。でも、私はそれを選ぶことがどうしてもできなかった。父や兄の前での私を見せることや婚家に嫁ぐ私の姿を見せることは、いとに幸せな娘ではない私を見せることになる。私の化けの皮を自ら剥いで哀れで卑屈な綾をいとに晒すことになってしまう。それはどうしてもできなかったのだ。

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