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(第13話)空を泳ぐ日
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プールの縁は、どこまでも青く、冷たい。
スタート台のないそのコースの端に、彼女は車椅子のまま静かに近づいていった。
「千咲(ちさき)、いくよ」
そう声をかけると、スタッフの女性がさっと横につき、彼女の身体をゆっくりと支えながら、プールサイドへと移す。
両腕はない。両脚も、太腿の途中までしかない。けれど、千咲の視線は、誰よりも前を向いていた。
ピンクと青の日本代表スーツが、まるで夕暮れの空を閉じ込めたように鮮やかだ。
千咲は息を吸い込むと、静かに水へと身を沈めた。
パシャリという音が立った。
観客の誰もが息を飲む。泳げるのか、本当に?
──泳げる。
彼女がそう言ったのは、ちょうど昨年の今頃。
「泳ぐって、身体じゃなくて、水との関係だから」
それは誰にもまねできない、独特のリズムだった。
水中で、千咲の身体はしなやかに揺れる。腕がなくても、脚がなくても、水は彼女を拒まなかった。
むしろ、優しく、そっと包んだ。
100メートル自由形。
折り返しでわずかに遅れたが、ラスト25メートルで奇跡の追い上げを見せる。
肩で、胸で、腰で、水をたたき、千咲はゴールへとにじり寄る。
──タッチ。
静寂を破ったのは、得点掲示板の数字だった。
「2位……!」
歓声とともに、彼女は水から引き上げられた。
スタッフの手を借りながら、いつもの車椅子へと戻る。
濡れた髪をかき上げる術もない。それでも、彼女は満面の笑みでこう言った。
「海まで、あと少し」
プールの先に、空が見えた。
きっといつか──その空を、本当に泳ぐ日が来る。
スタート台のないそのコースの端に、彼女は車椅子のまま静かに近づいていった。
「千咲(ちさき)、いくよ」
そう声をかけると、スタッフの女性がさっと横につき、彼女の身体をゆっくりと支えながら、プールサイドへと移す。
両腕はない。両脚も、太腿の途中までしかない。けれど、千咲の視線は、誰よりも前を向いていた。
ピンクと青の日本代表スーツが、まるで夕暮れの空を閉じ込めたように鮮やかだ。
千咲は息を吸い込むと、静かに水へと身を沈めた。
パシャリという音が立った。
観客の誰もが息を飲む。泳げるのか、本当に?
──泳げる。
彼女がそう言ったのは、ちょうど昨年の今頃。
「泳ぐって、身体じゃなくて、水との関係だから」
それは誰にもまねできない、独特のリズムだった。
水中で、千咲の身体はしなやかに揺れる。腕がなくても、脚がなくても、水は彼女を拒まなかった。
むしろ、優しく、そっと包んだ。
100メートル自由形。
折り返しでわずかに遅れたが、ラスト25メートルで奇跡の追い上げを見せる。
肩で、胸で、腰で、水をたたき、千咲はゴールへとにじり寄る。
──タッチ。
静寂を破ったのは、得点掲示板の数字だった。
「2位……!」
歓声とともに、彼女は水から引き上げられた。
スタッフの手を借りながら、いつもの車椅子へと戻る。
濡れた髪をかき上げる術もない。それでも、彼女は満面の笑みでこう言った。
「海まで、あと少し」
プールの先に、空が見えた。
きっといつか──その空を、本当に泳ぐ日が来る。
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