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第二章 藍と学校

149. 23分間の奇跡 The Children's Story... (but not just for children)

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「――ということで、母親……しくは……えーと……人間体アニマの父親の胎内にいる間にヘルツを注がれた赤子は、一生その人間に執着することになるよ……。

 恐怖を注がれたら一生怯えることになるし、愛情を注がれたら……一生その人を愛することになる。

 ……まぁ大体の親は愛情のヘルツを注ぐね。親子関係が上手くいくようにね。これは心学用語で“すり込み”と呼ばれるよ……。
 これテストに出るからね……。」

 ――は?

「――親に受けた感情をそのまま返すようになる……?」

 静寂の教室にわたくしの言葉が溢れる。
 無意識だった。皆がこちらを見ている。

「……どうしたのかな?
 アイた……ミルヒシュトラーセ様?」

 チェルせんせーから問いが飛んでくる。

「親に胎内で与えられた感情と、同じ感情を返すようになる……。」

「……そうだね。」

 口から世界ははおやに対する疑問が溢れてやまない。

「……一生……?」

「あぁ……そうだよ。」

 だからわたくしはおかあさまを嫌えないのか?
 何をされても?
 どんなに非道ひどいことをされてもこんなに愛しているのか?
 
 でもじゃあそれは――

「――それは、……?」

 ◇◆◇

 授業を唐突に中断させられたのに、チェルせんせーが心底愉快そうに笑う。
 おそらくわたくしにしか分からないほどの微笑だが。

「……なるほど、実に面白い。
 ……“親の愛情”と“洗脳”は何が違うのか、か……。
 “親の教育”と“洗脳”の相違……とも発展できそうな議題だねぇ……。

 確かに“親の愛情”も“洗脳”もある意味で無垢なる相手を自分の都合のいいように変化させるために……まだものを知らない相手の思考と思想を塗り替えることだ……。」

 教室が少しピリついた雰囲気になる。
 
 “親の教育”は“洗脳”だという言葉に大きな共感を覚える者……そして、大きな反発を覚える、親に恵まれた者。

「……して、チェルせんせーはどう思いますか?」

「……それは、“親の愛”と“洗脳”が同じものかどうかかい?……それとも同じだったとしたら、何が問題が、かかい……?」

「……わたくしにはどうしても憎めない人がいます。何をされても、どんなに痛めつけられても……わたくしがその方に抱いている愛情が愛から……洗脳から生み出されたものなら、わたくしは、わたくしは……その方を――」

「――おっと……。講義終了の時間だね……時計が進みすぎたようだ。……アイた、ミルヒシュトラーセさまは後で僕の研究室に来てくれるかい?
 すこし“この学校”の教育課程からは外れるから、“”個人的に”お話をしようか……。」

「は……い。貴重な御時間を頂きありがとうございます。」

 ◇◆◇

 コポコポと珈琲を入れる甘やかな音が流れる。
 ナウチチェルカはもうアイの好みは熟知していた。アイはよく研究室に入り浸っていたし、それはナウチチェルカにとってもとても喜ばしいことだったからだ。

 ミルクをたっぷりと角砂糖も三つを入れて甘い甘い珈琲をアイのために作る。いつもは先生にそんなことをさせるのは申し訳ないからと、アイが率先してナウチチェルカのためのブラックコーヒーと一緒に作ってくれるのだが、今回ばかりはそうさせなかった。

 おずおずと部屋に来たアイをベットに座らせて、ゆっくりとリラックスしてもらうようにしていた。この今から話し合う議題はアイの自己同一性アイデンティティに深く関わる問題だったからだ。

「ほら……アイたん、珈琲できたよ。」

「あ……ありがとう、ございます。」

 アイは暖かいカップを受け取ったあとしばらく自分のこころのふちをなぞるように、白いカップの縁を親指でなぞっていた。

「……その……もう元気かい?」

「え?……あぁ、はい。
 あ……あの、ありがとうございます。あの夜にチェルせんせーに命を救われました。わたくしたち皆。もしチェルせんせーがあの場に居なかったらと思うと……今でもそら恐ろしくなります……。」

 アイの右側のベットが少し沈み込む。

「……それはアイたんもでしょ?皆の命を護った。護りきった。自分独りで危険を背負い込んで。
 ……せんせーなら
 『あんなに危険な事は二度とするな』
 って叱るべきなんだろうけど……。
 ボクはわるいせんせーだからね。
 ……“ありがとう”。
 アイたんのあの頑張りがなかったら確実に多くの生徒が散華するか……死んでいただろう。

 でもボク個人としては、“ナウチチェルカ教官”じゃなくて……“チェルせんせー”として言うなら、やっぱりあんなに危ない事はもうして欲しくないかなぁ……。
 キミが居なくなるとボクの世界は暗闇に逆戻りさ……。

 ……それにありがとうと言えばこっちのほうさ。ファンタジア王女殿下がボクを裏切り者だと勘違いして……“人間たち”の敵意を向けた視線を浴びていたとき……キミだけがボクを信じてくれた。
 たった一人世界でたった一人だけ――。」

 アイは背中にぬくもりを感じた。

「……チェルせんせーは、わたくしが死んだら……悲しんでか?」

「……それは愚問だね。まったくの愚問だ。
 悲しむに決まってる。いや悲しみよりも深い絶望に襲われるだろう。散華してしまうかもしれない。
 きっとこころをうしなったように胸にポッカリと孔が空くだろう。だから……だから死なないでね。」

 アイの視界の端に緑色の髪が映る。
 肩を引いて抱き寄せられたみたいだ。
 それをどこか遠いことのように眺めていた。

「は……い。」

「分かってる。誰かに……
 『貴方に死んでほしくない。』
 なんて伝えるのはただのエゴだ。アガペーでもなんでもない。
 だって生きる価値が死ぬかなんて本人の自由なんだから。その人が産まれたときから持ってる原初の権利を踏み犯すなんてよくないことさ……。
 
 ――だって“死にたいぐらいつらい人”に『生きろ。』なんて言うのは、“生きたい人”に『死ね。』って言うのと同じくらい残酷だからね。
 
 だけども……だから、これは“先生としての指導”じゃなくて……ただの、キミが慕ってくれる“チェルせんせーとしてのお願い”さ。
 聞くも聞かないもキミの自由さ……だってだからね。」

「……ありがとう……ございます。最近思うんです、友達が先生が知り合う人々がわたくしに……“生きていてほしいと思ってくれている”と確信させてくれるほどに、わたくしの死を願っているおかあさまのことが思い出されるのです。
 もしかしてわたくしはもう――」

「――母親の愛なんて必要としていない?」

「――!
 ……。……そう、かもしれません。
 先刻さっきの講義を聴いていて思ってしまったんです。
 もしかして、ゲアーターおにいさまシュベスターおねえさまエレクトラおかあさまの事を崇拝していらっしゃるのは……敬愛していらっしゃるのは……。」

「――胎内にいるときに愛情のヘルツを注がれていたから?」

「はい……だから、お二人はあんなにも――。
 ただ実の母だから敬愛しているというだけだと思いたいのですが、しかしそう考えると合点がてんがいくことがとても多いのです。」

 ナウチチェルカの瞳が妖しく光るが俯いているアイはそのことに気が付かない。

「ほぅ?……例えば?」
 
「おねえさまは小さい頃からよく仰るのです。
 『お母様は世界で一番正しい。』
 『お母様が間違えることは決してない。』
 『お母様が何をしても私は必ずお母様の味方だ。』
 と……。」

「……興味深い。ミルヒシュトラーセ家の中身が洗脳教育の賜物かもしれないと……。」

「そこまでは!
 ……わたくしは……ただ……“教育”や“愛”と……“洗脳”分かつものは何なのでしょうか……?」

「……う~ん。それは非常に難しい質問だ。だが同時に……とてもいい人生に対する問いだ。
 思想の濁流を流し込むことだと考えれば、
 『すべての教育は洗脳だ。』
 なんて大言壮語たいげんそうごも言えるだろう。
 
 しかしボクが思うに……“愛”と“教育”、そして“洗脳”を分かつものは……それが反駁はんばく可能な形式で記述されているかどうかだと思う。」

「つまり……?」

「教える側が正しいかどうかものが“愛と教育”で、与える側が自分を正しいと、これはそれは“洗脳教育”となる。」

「……そして、“疑い方を教えるか”どうかも?
 ……むかしファントム先生が……恩師がそう教えてくれました。
 『教師とは“真理を教える者”ではなく、“真理の探究の仕方を教える者たち”だ。』……と。」

 アイは聖別の儀セパレーションの前、最後に受けた授業を思い出す。

 目隠しをしながら聴いた、
 あの時のファントムの言葉を――

 ◆◆◆

「では、我々はどうだ。私たち人間は?我々の人生はながいとお前は考えるのだな?」
 
「……どうでしょう、確かに死産や夭折ようせつする者もいますし、人間の生は、もし永らえたとしても……いや……。答えは何なのでしょうか?」
 
「教えない。軽々しく真理を求めようとするな。真理を求めるなら、“彷徨さまよえる跛行者はこうしゃ”となる覚悟を持て。この世の問で正解があるものなど、数えるほどしかない。重要なことは、、もしくはだ。

 教師の仕事は答えを教えることではない、“答えの求め方を教える”のだ。そして、真理を探し続けるという道を指し示すのみだ。自分の足で歩く方法を教える。手を引いて連れて行ったりはしない。」 
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