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第三章 iと姉
170. ずっと続くと思ってた。 Never-Ending Fairy Tale
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「ど……どうかなされましたか?おねえさま。」
「四人で寝るという事はここでか!?この中庭か!?エゴペー!?それとも談話室か!?」
「え?……えぇ~と、ここで日向ぼっこしながら、とか……?」
「そうか!つまり四人で川の字になったということだな!?」
どんどん声が大きくなるなぁ。
「ハァ……また、始まった……。」
おにいさまは何かに気がついたらしい。
「えぇ……そうね?」
おねえさまはとても深刻な、世界のすべてがかかっているという声音で言った――。
「――誰にアイの隣で寝転がる権利が発生する……?」
◇◆◇
中庭の芝生は、まだ昼のぬくもりを孕んだまま、淡い金色に光っていた。
「――誰にアイの隣で寝転がる権利が発生する……?」
シュベスターの声が、まるで国境線を引く宣告のように響いた途端、空気がぴんと張り詰めた。エゴペーはくすくす笑い、ゲアーターは腕を組んでため息をつき、アイはただ、胸の奥で小さな波が立つような予感に身を委ねていた。
「くじで決めよう! 公平に!」
シュベスターが枝を拾い、四本を長短に折って握りしめる。最初に引いたのはエゴペー。短い枝を見て、にっこり。
「わーい、私がアイちゃんの右隣よ」
次にゲアーター。一番短い枝を引き当てた彼は、ふっと鼻で笑った。
「……俺が左隣か。悪くない。」
シュベスターは残った二本から一本を引く。長い。外れ。彼女の肩が、ほんの一瞬だけ落ちた。栗色の瞳が、わずかに揺れる。アイはそれを見逃さなかった。いつも冷静沈着な姉が、こんなに小さく息を呑むなんて。
最後に残った枝をシュベスターが握りしめたとき、ゲアーターが静かに動いた。彼は無言で立ち上がり、シュベスターの前に屈み込む。大きな手が、彼女の細い指から長い枝をそっと抜き取り、自分の引いた短い枝を代わりに置いた。まるで武器を渡すような、儀式めいた仕草だった。
「……おい、シュベスター。」
雷鳴を思わせる低い声が、優しく降る。
「お前がアイの左隣だ。」
シュベスターは瞬きを忘れた。頬が、桜の花びらよりも鮮やかに染まる。
「だ、だが……くじで……。」
「俺は端でいい。」
ゲアーターは照れ臭そうに頭を掻き、さっさと一番左端に腰を下ろした。背中を向けながら、耳朶だけが赤い。エゴペーが、ぽん、と手を叩いて笑った。
「まあ、おにいちゃんったら。かっこつけちゃって。でも……ありがとう。」
「うるせえ。」
短く吐き捨てた言葉の裏に、確かに優しさが滲んでいた。シュベスターは、まだ呆然としながら、ゆっくりとアイの左側に膝をついた。長い髪が芝生に広がり、アイの腕に触れる。彼の身体からはかすかな桜の香り。
「わたくしの隣でも……いいのでしょうか?おねえさま。」
アイが小声で訊ねると、シュベスターは恥ずかしそうに笑って、アイの頭をそっと自分の肩に引き寄せた。
「当たり前だろう。……アイは、私たちの宝物なんだから」
その声は震えていた。嬉しさで。それを必死に堪える姉らしい震え。最終的な並びは、こう決まった。
ゲアーター、シュベスター、アイ、エゴペー……完璧な川の字。
風が吹いた。桜の花びらが一枚、アイの頬に落ちる。シュベスターがそれを指先で払いながら、アイの髪を梳いた。震える指が、優しく絡まる。
エゴペーがアイの右手をそっと握り、シュベスターが左手を包み込む。ゲアーターは背を向けたまま、長い腕を伸ばし、シュベスターの肩に軽く触れた。それだけで、四人の輪は完全に閉じた。
「……ありがとう、ゲアーターお兄様。」
シュベスターの小さな呟きに、ゲアーターは答えなかった。ただ、背中がほんの少しだけ優しく動いた。それが彼なりの「当たり前だ」だった。
陽光が傾き始める。四人の影がゆっくりと一つに溶けていく。誰も何も言わない。ただ、静かに、温もりを分かち合う。アイは目を閉じた。左に姉の震える指、右に姉の柔らかな息、少し離れた端に、大きな背中を見せる兄。
これが、家族。
今また見つけた、昔から知っている家族たち。
譲り合う優しさと、照れ臭い愛情と、ただ一緒にいるだけで胸が熱くなる幸福。
やがてエゴペーが、ぽつりと呟いた。
「……ねえ、みんな。今日は特別なこと、何もしなくていいよね?」
シュベスターが、くすりと笑う。
「そうだな。特別なことなんて、もういらない。」
ゲアーターが、初めて振り返った。雷の瞳が、珍しく穏やかだった。
「……ああ。こんな日が、ずっと続けばいい」
アイは小さく頷いた。
「はい……ずっと、こうしていたいです。」
四人の呼吸が、重なり始める。風が葉を揺らし、桜の花びらが降りそそぐ。しばらくして、シュベスターが真剣に囁いた。
「……でも、やっぱり誰がアイの頭を膝枕する権利があるかは、後で決めた方がいいかもしれんな。」
「却下~。」
「却下だ。」
二つの声が重なり、笑いが弾けた。中庭に、春の陽射しと笑い声だけが満ちる。その後、彼らは本当に昼寝をした。
ゲアーターは腕を枕に空を見上げ、シュベスターはアイの髪を撫で続け、エゴペーはアイの手を握ったまま眠りに落ちた。
――彼女はアイの手を握ることが安らかに眠るときの習慣になっているからだ。
アイは、左右から伝わる二つの体温と、少し離れた兄の気配を感じながら、初めて“帰る場所”というものを確かに知った。夢うつつの中、誰かが呟いた。
「……今日も、普通の日でよかった。誰も欠けずに、こうして。」
誰も答えなかった。でも、皆が同じことを思っていた。夕暮れが近づくまで、四人は芝生の上で繋がったまま、ただ穏やかに時を過ごした。
風が通り抜けるたび、桜の花びらが降り注ぐ。それはまるで祝福のようで、まるで約束のようで、まるで永遠を願う祈りのようだった。愛のきょうだいたちの、かけがえのない、普通の日々が、ここにあった。
やがて陽が沈み、星が瞬き始める頃。四人はゆっくりと起き上がり、談話室へと戻っていく。手をつなぎ、肩を寄せ合い、笑いながら。
――誰も急がない。誰も離れない。
夜の帳が降りるまで、彼らの笑い声は中庭に残った。そして、明日もきっと、同じように笑っていられる。そんな確信だけが、胸の奥に灯り続ける。
――これが、きょうだいたちの、特別な普通の日々。
◇◆◇
談話室のランプの灯りは、夕暮れの残光を優しく溶かし込んでいた。窓の外では桜がまだ散り続け、硝子に小さな影を落とす。室内は、昼の熱を残した空気と、四人の体温とで、どこか甘く温かく、まるで母の胎内のようだった。
――同じ母の子宮から産まれた、本当のきょうだいのようだった……。
エゴペーはソファの中央に腰を据え、膝の上にアイをのせていた。まるで壊れやすい硝子細工を抱くように、両腕でそっと包み込み、長いチョコレートブラウンの髪をアイの頬に垂らして、時折鼻先で髪を梳く。アイは小さく縮こまりながらも、背中をエゴペーの胸に預け、まるで母の胎内に戻った幼児のように、深い吐息を繰り返していた。
「……エゴおねえさま、あったかいです」
「うん。ずっとこうしていたいくらい、あったかいわよね」
エゴペーの声は、病床に長くあった頃とは比べものにならないほど澄んでいて、どこまでも柔らかかった。指先でアイの髪を梳きながら、ふっと笑うっとりと目を細める。その横顔は、まるでやっと手に入れた宝物を味わうように、満ち足りていた。
その様子を、シュベスターは少し離れた肘掛け椅子から、じっと見つめていた。アンバーの瞳が、揺れている。彼女は両手を膝の上で固く組み、指を絡め、ほどき、また絡めた。唇を噛み、息を呑み、何度も何度も、立ち上がりかけては腰を浮かせ、また座り直す。
アイを抱きしめたい。膝の上に載せて、ぎゅうっと抱きしめて、髪に顔を埋めて、頬ずりして、ずっと離したくない。そんな衝動が、胸の奥から波のように押し寄せては、しかし今日という日の主役はエゴペーだという理性が、それを押し戻す。
だから、譲る。今日だけは、譲る。
「……シュヴァちゃん、どうしたの? 顔が怖いわよ。」
エゴペーが笑いを含んだ声で訊ねた。
シュベスターははっと我に返り、慌てて微笑みを作る。
「べ、別に……。ちょっと、膝が疼いただけだ。」
「ふぅん?」
エゴペーは悪戯っぽく目を細め、それから、まるで読心術を使ったかのように、ぽん、と自分の隣のクッションを叩いた。
「いい?今日は私の特権だけど……少しだけなら、分けてあげてもいいわよ?」
その言葉に、シュベスターの肩がびくりと跳ねた。
「……だ、だめだ!今日はエゴペーの日なんだから! 私が我慢すればいいだけで……。」
声は強がっているのに、瞳はもう正直だった。潤んで、揺れて、欲しがっている。アイが、エゴペーの腕の中で小さく身じろぎした。
「……おねえさまも、いいですよ?わたくし……おねえさま達に、抱かれたいです。」
その一言で、シュベスターの理性は音を立てて崩れた。彼女は立ち上がり、ほとんど駆け寄るようにしてソファの前に跪くと、アイの小さな体を両腕で包み込むようにして抱きしめた。エゴペーの腕の上から、さらに重ねるように。鼻をアイの頭頂に押し当て、ぎゅうっと、ぎゅうっと、まるで離したら消えてしまうかのように強く。
「……アイ……アイ……。」
掠れた声が、震えていた。桜の香りが、部屋中にふわりと広がる。エゴペーは微笑みながら、シュベスターの背に手を回し、三人をゆるやかに繋いだ。
「ほら、こうすればいいじゃない。私とシュヴァちゃんで、アイちゃんを挟んで。」
シュベスターは顔を上げない。アイの髪に顔を埋めたまま、小さく頷く。
「……うん……こうすれば、いい……。」
ゲアーターは、壁際の椅子に深く凭れ、腕を組んでその光景を見ていた。雷のような瞳が、珍しく柔らかく細められている。彼は小さく鼻を鳴らし、しかし口元には確かに緩んでいた。
「……まったく、甘ったるい妹達だ。」
呟きは低く、けれどどこまでも優しかった。
ランプの灯りが、三人の重なった影を壁に大きく描く。桜の花びらが一枚、窓から舞い込み、アイの髪に落ちた。シュベスターはそれをそっと摘み取り、アイの耳の後ろに挿した。
「……今日だけ、じゃないからね。」
掠れた声で、囁くように。
「明日も、明後日も、ずっと……アイちゃんは私たちのものだから。」
エゴペーがくすりと笑い、アイの額に軽く唇を寄せた。
「そうだ。今日だけじゃない。ずっと、ずっと。
――私たち四人はずっと一緒だ。」
アイは目を閉じたまま、小さく微笑んだ。
二人の姉の腕の中で、兄の静かな視線に守られながら。これが、愛の帰る場所。
――これが、アイが見つけて、アイを見つけたきょうだいたち。
ランプの芯が小さく音を立て、灯りがゆらりと揺れる。その揺らめきの中で、三人の影はいつまでも一つに溶け合い、離れることはなかった。
――夜が更けても、誰も愛を解こうとはしなかった。
「四人で寝るという事はここでか!?この中庭か!?エゴペー!?それとも談話室か!?」
「え?……えぇ~と、ここで日向ぼっこしながら、とか……?」
「そうか!つまり四人で川の字になったということだな!?」
どんどん声が大きくなるなぁ。
「ハァ……また、始まった……。」
おにいさまは何かに気がついたらしい。
「えぇ……そうね?」
おねえさまはとても深刻な、世界のすべてがかかっているという声音で言った――。
「――誰にアイの隣で寝転がる権利が発生する……?」
◇◆◇
中庭の芝生は、まだ昼のぬくもりを孕んだまま、淡い金色に光っていた。
「――誰にアイの隣で寝転がる権利が発生する……?」
シュベスターの声が、まるで国境線を引く宣告のように響いた途端、空気がぴんと張り詰めた。エゴペーはくすくす笑い、ゲアーターは腕を組んでため息をつき、アイはただ、胸の奥で小さな波が立つような予感に身を委ねていた。
「くじで決めよう! 公平に!」
シュベスターが枝を拾い、四本を長短に折って握りしめる。最初に引いたのはエゴペー。短い枝を見て、にっこり。
「わーい、私がアイちゃんの右隣よ」
次にゲアーター。一番短い枝を引き当てた彼は、ふっと鼻で笑った。
「……俺が左隣か。悪くない。」
シュベスターは残った二本から一本を引く。長い。外れ。彼女の肩が、ほんの一瞬だけ落ちた。栗色の瞳が、わずかに揺れる。アイはそれを見逃さなかった。いつも冷静沈着な姉が、こんなに小さく息を呑むなんて。
最後に残った枝をシュベスターが握りしめたとき、ゲアーターが静かに動いた。彼は無言で立ち上がり、シュベスターの前に屈み込む。大きな手が、彼女の細い指から長い枝をそっと抜き取り、自分の引いた短い枝を代わりに置いた。まるで武器を渡すような、儀式めいた仕草だった。
「……おい、シュベスター。」
雷鳴を思わせる低い声が、優しく降る。
「お前がアイの左隣だ。」
シュベスターは瞬きを忘れた。頬が、桜の花びらよりも鮮やかに染まる。
「だ、だが……くじで……。」
「俺は端でいい。」
ゲアーターは照れ臭そうに頭を掻き、さっさと一番左端に腰を下ろした。背中を向けながら、耳朶だけが赤い。エゴペーが、ぽん、と手を叩いて笑った。
「まあ、おにいちゃんったら。かっこつけちゃって。でも……ありがとう。」
「うるせえ。」
短く吐き捨てた言葉の裏に、確かに優しさが滲んでいた。シュベスターは、まだ呆然としながら、ゆっくりとアイの左側に膝をついた。長い髪が芝生に広がり、アイの腕に触れる。彼の身体からはかすかな桜の香り。
「わたくしの隣でも……いいのでしょうか?おねえさま。」
アイが小声で訊ねると、シュベスターは恥ずかしそうに笑って、アイの頭をそっと自分の肩に引き寄せた。
「当たり前だろう。……アイは、私たちの宝物なんだから」
その声は震えていた。嬉しさで。それを必死に堪える姉らしい震え。最終的な並びは、こう決まった。
ゲアーター、シュベスター、アイ、エゴペー……完璧な川の字。
風が吹いた。桜の花びらが一枚、アイの頬に落ちる。シュベスターがそれを指先で払いながら、アイの髪を梳いた。震える指が、優しく絡まる。
エゴペーがアイの右手をそっと握り、シュベスターが左手を包み込む。ゲアーターは背を向けたまま、長い腕を伸ばし、シュベスターの肩に軽く触れた。それだけで、四人の輪は完全に閉じた。
「……ありがとう、ゲアーターお兄様。」
シュベスターの小さな呟きに、ゲアーターは答えなかった。ただ、背中がほんの少しだけ優しく動いた。それが彼なりの「当たり前だ」だった。
陽光が傾き始める。四人の影がゆっくりと一つに溶けていく。誰も何も言わない。ただ、静かに、温もりを分かち合う。アイは目を閉じた。左に姉の震える指、右に姉の柔らかな息、少し離れた端に、大きな背中を見せる兄。
これが、家族。
今また見つけた、昔から知っている家族たち。
譲り合う優しさと、照れ臭い愛情と、ただ一緒にいるだけで胸が熱くなる幸福。
やがてエゴペーが、ぽつりと呟いた。
「……ねえ、みんな。今日は特別なこと、何もしなくていいよね?」
シュベスターが、くすりと笑う。
「そうだな。特別なことなんて、もういらない。」
ゲアーターが、初めて振り返った。雷の瞳が、珍しく穏やかだった。
「……ああ。こんな日が、ずっと続けばいい」
アイは小さく頷いた。
「はい……ずっと、こうしていたいです。」
四人の呼吸が、重なり始める。風が葉を揺らし、桜の花びらが降りそそぐ。しばらくして、シュベスターが真剣に囁いた。
「……でも、やっぱり誰がアイの頭を膝枕する権利があるかは、後で決めた方がいいかもしれんな。」
「却下~。」
「却下だ。」
二つの声が重なり、笑いが弾けた。中庭に、春の陽射しと笑い声だけが満ちる。その後、彼らは本当に昼寝をした。
ゲアーターは腕を枕に空を見上げ、シュベスターはアイの髪を撫で続け、エゴペーはアイの手を握ったまま眠りに落ちた。
――彼女はアイの手を握ることが安らかに眠るときの習慣になっているからだ。
アイは、左右から伝わる二つの体温と、少し離れた兄の気配を感じながら、初めて“帰る場所”というものを確かに知った。夢うつつの中、誰かが呟いた。
「……今日も、普通の日でよかった。誰も欠けずに、こうして。」
誰も答えなかった。でも、皆が同じことを思っていた。夕暮れが近づくまで、四人は芝生の上で繋がったまま、ただ穏やかに時を過ごした。
風が通り抜けるたび、桜の花びらが降り注ぐ。それはまるで祝福のようで、まるで約束のようで、まるで永遠を願う祈りのようだった。愛のきょうだいたちの、かけがえのない、普通の日々が、ここにあった。
やがて陽が沈み、星が瞬き始める頃。四人はゆっくりと起き上がり、談話室へと戻っていく。手をつなぎ、肩を寄せ合い、笑いながら。
――誰も急がない。誰も離れない。
夜の帳が降りるまで、彼らの笑い声は中庭に残った。そして、明日もきっと、同じように笑っていられる。そんな確信だけが、胸の奥に灯り続ける。
――これが、きょうだいたちの、特別な普通の日々。
◇◆◇
談話室のランプの灯りは、夕暮れの残光を優しく溶かし込んでいた。窓の外では桜がまだ散り続け、硝子に小さな影を落とす。室内は、昼の熱を残した空気と、四人の体温とで、どこか甘く温かく、まるで母の胎内のようだった。
――同じ母の子宮から産まれた、本当のきょうだいのようだった……。
エゴペーはソファの中央に腰を据え、膝の上にアイをのせていた。まるで壊れやすい硝子細工を抱くように、両腕でそっと包み込み、長いチョコレートブラウンの髪をアイの頬に垂らして、時折鼻先で髪を梳く。アイは小さく縮こまりながらも、背中をエゴペーの胸に預け、まるで母の胎内に戻った幼児のように、深い吐息を繰り返していた。
「……エゴおねえさま、あったかいです」
「うん。ずっとこうしていたいくらい、あったかいわよね」
エゴペーの声は、病床に長くあった頃とは比べものにならないほど澄んでいて、どこまでも柔らかかった。指先でアイの髪を梳きながら、ふっと笑うっとりと目を細める。その横顔は、まるでやっと手に入れた宝物を味わうように、満ち足りていた。
その様子を、シュベスターは少し離れた肘掛け椅子から、じっと見つめていた。アンバーの瞳が、揺れている。彼女は両手を膝の上で固く組み、指を絡め、ほどき、また絡めた。唇を噛み、息を呑み、何度も何度も、立ち上がりかけては腰を浮かせ、また座り直す。
アイを抱きしめたい。膝の上に載せて、ぎゅうっと抱きしめて、髪に顔を埋めて、頬ずりして、ずっと離したくない。そんな衝動が、胸の奥から波のように押し寄せては、しかし今日という日の主役はエゴペーだという理性が、それを押し戻す。
だから、譲る。今日だけは、譲る。
「……シュヴァちゃん、どうしたの? 顔が怖いわよ。」
エゴペーが笑いを含んだ声で訊ねた。
シュベスターははっと我に返り、慌てて微笑みを作る。
「べ、別に……。ちょっと、膝が疼いただけだ。」
「ふぅん?」
エゴペーは悪戯っぽく目を細め、それから、まるで読心術を使ったかのように、ぽん、と自分の隣のクッションを叩いた。
「いい?今日は私の特権だけど……少しだけなら、分けてあげてもいいわよ?」
その言葉に、シュベスターの肩がびくりと跳ねた。
「……だ、だめだ!今日はエゴペーの日なんだから! 私が我慢すればいいだけで……。」
声は強がっているのに、瞳はもう正直だった。潤んで、揺れて、欲しがっている。アイが、エゴペーの腕の中で小さく身じろぎした。
「……おねえさまも、いいですよ?わたくし……おねえさま達に、抱かれたいです。」
その一言で、シュベスターの理性は音を立てて崩れた。彼女は立ち上がり、ほとんど駆け寄るようにしてソファの前に跪くと、アイの小さな体を両腕で包み込むようにして抱きしめた。エゴペーの腕の上から、さらに重ねるように。鼻をアイの頭頂に押し当て、ぎゅうっと、ぎゅうっと、まるで離したら消えてしまうかのように強く。
「……アイ……アイ……。」
掠れた声が、震えていた。桜の香りが、部屋中にふわりと広がる。エゴペーは微笑みながら、シュベスターの背に手を回し、三人をゆるやかに繋いだ。
「ほら、こうすればいいじゃない。私とシュヴァちゃんで、アイちゃんを挟んで。」
シュベスターは顔を上げない。アイの髪に顔を埋めたまま、小さく頷く。
「……うん……こうすれば、いい……。」
ゲアーターは、壁際の椅子に深く凭れ、腕を組んでその光景を見ていた。雷のような瞳が、珍しく柔らかく細められている。彼は小さく鼻を鳴らし、しかし口元には確かに緩んでいた。
「……まったく、甘ったるい妹達だ。」
呟きは低く、けれどどこまでも優しかった。
ランプの灯りが、三人の重なった影を壁に大きく描く。桜の花びらが一枚、窓から舞い込み、アイの髪に落ちた。シュベスターはそれをそっと摘み取り、アイの耳の後ろに挿した。
「……今日だけ、じゃないからね。」
掠れた声で、囁くように。
「明日も、明後日も、ずっと……アイちゃんは私たちのものだから。」
エゴペーがくすりと笑い、アイの額に軽く唇を寄せた。
「そうだ。今日だけじゃない。ずっと、ずっと。
――私たち四人はずっと一緒だ。」
アイは目を閉じたまま、小さく微笑んだ。
二人の姉の腕の中で、兄の静かな視線に守られながら。これが、愛の帰る場所。
――これが、アイが見つけて、アイを見つけたきょうだいたち。
ランプの芯が小さく音を立て、灯りがゆらりと揺れる。その揺らめきの中で、三人の影はいつまでも一つに溶け合い、離れることはなかった。
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