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第一章 愛と家族

4.小春日和と陽炎月夜 Der Altweibersommer et Brum de chaleur

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 運命――だと、おもった。その姿を見た瞬間に、その声を聴いたときに。その、花のように笑う声を――。

 ◇◆◇
 
 かげろうがアイのどこにそんなに執着しているかと問われれば、間髪をいれずに全てと答えるだろう。

 だが本人にも分かっていないのだ。かげろうの心に触れたのは、アイの笑顔だった。初めて見たはにかみをたたえた笑顔。まだぎこちない笑顔。すこし慣れてきて柔らかくなった笑顔。ことほか得意気にパンドラの文学について語る笑顔。

 かげろうはアイの笑顔に、――皮肉なことに、アイを最も脅かしている――を見いだしたのだ。だからこそかげろうにとってアイは唯一無二でありでもあった。

 そのやわらかな微笑をみるたびに、愛くるしい笑顔に照らされるたびに、もっと笑わせてみたいと思い。アイの表情に物憂げな夕暮れを感じると、その顔に太陽を昇らせたいと。その陽炎のような儚さを。その寂しげな顔を笑顔に変えたいと、願わずにはいられないのであった。



 ◇◆◇

 アイが折檻せっかんされてから目を覚ますと、いつもひとりでに傷が治っていた。完全にではなくズキズキと内側は痛み傷も残っていたがが……最低限立ち上がれる程には。たぶん外聞がいぶんを気にしたお母様が医者の心者ヘルツァーを呼んで治させていたのだろう、とアイは思っていた。

 アイは独りでミルシュトラーセ家の庭にある小さな湖に来ていた。昨日のことを考えたかったからだ。いや、考えたくなかったからかもしれない。

 ◇◆◇
 
 春日家の娘、春日《かすが》春日はるひはミルヒシュトラーセ家に呼びだされていた。父の近年の働きによって不知火陽炎しらぬいかげろう連合の末端まったんも末端であった地位から、名字を拝領はいりょうするまでになった春日の家。今日はその春日という家名を正式に名乗る手続きと式のために一家一同呼び出されたのであった。



 父は立身出世を志し、とてもそういったことに意欲的な人だったが、まだ4歳のはるひにはどうでもよかった。退屈な式を抜け出して花でも摘もうと考えて、庭に抜け出していた。そこで見た。あるちいさな子どもが泣いているのを――。

 ◇◆◇

 きれい――。

 はるひが最初に思ったのは、大丈夫かな、でもなんで泣いてるんだろう、でもなかった。ただきれいだと思った。みたことないくらいきれいで――気が付けばはるひもその美の暴力を前に涙を流していた――。

 薄く白い布を身にまとい、うるしのような黒髪を水面みなもに流し、新雪のごとく輝き白いけれども、おざきずに覆われた肌を濡らし、かなしいほどにうつくしい花のかんばせ、そして、美しく蒼空色だがそれでも確かに黒い絶望に眼をかれ光の差さぬ、かなしみをたたえたそのまなこ。そのすべてが美しかった。



 はるひは他の女の子たちのようにかわいらしいもの、うつくしいものが好きだった。だけどこんなにうつくしいものがこの世に在るとは思いいたらなかった。普段のはるひなら駆け寄って、『だいじょうぶ?』とか『どうしたの?』と声をかけていただろう。

 しかし、その子が泣いているのに声をかけなかった。ただ見ていた。ただ、見ていたかった。を。その子のを――。

 ただ立ちすくんでいるとその子がこちらに気が付いてしまった。その子は少し驚いたあとに、慌てて涙をぬぐって笑顔を作った。ぎこちない涙のあとの残る氷の微笑を。

 ◇◆◇

 「どうして泣いているの……?」
 
 透き通る清流のような声。何か言わないとと思っているが、その声が頭に染み入って言葉がでてこない。
 
 「どうしたの?……だいじょうぶ……だいじょうぶだからね……。」
 
 その子は自分も泣いていたくせに、ひざまずいてはるひの手を握り上目遣いで、安心させようとそんなことをいう。やさしい声音で。かなしくて泣いていると勘違いされたらしい。
 
 「わたくしの名はアイ。お名前は?言えるかな……?」
 
 「は……はるひ……春日《かすが》春日はるひ……。」
 
 なんとか口を動かす。
 
 「はるひさん……どうなされたのですか?こんなところで独りで。」
 
 はるひがこの子にかけるべきだった言葉だ。
 
 「えっとアイ……こそ、どうしたの?なんで泣いていたの?」
 
 いやこんなことを聞きたいのではなくて、知りたいのではなくて。
 
 「っ……お目汚しをしてしまい申し訳ありません。大したことではないのです。というだけで……。」
 
 まるでそれを直視すると眼がけてしまうとでもいうように、なにかを見ないように、その子はとても婉曲えんきょく的な物言いをした。
 
 「それよりもあなたのような小さな子供がなぜここに……?」
 
 「こ、こどもって!あなたも子供じゃない!それに背だってわたしよりちょっと大きいくらいで……。何さいなの?」
 
 ちいさくはかなげな子に子供扱いされたことに納得がいかず、あわてて言い返した。
 
 「これは失礼をば……わたくしは4歳です。」
 
 「わたしとおんなじじゃない!そんなしゃべり方じゃなくていいよ!もうともだちでしょ!」
 
 とにかくこの子と仲良くなりたかった。そしてもう一度――。
 
 「と……ともだち?でもったばかりですし……。」
 
 その子は恥ずかしそうに、でもすこし泣きそうに、そういった。
 
 「そのしゃべり方やめてって!あなたはアイ!わたしははるひ!もう名前だってしってるの!じゃあもう友達じゃない!……わたしたち友だち……でしょ?」
 
 無理に道理を通せば、その子はこの馬鹿馬鹿しい論理が気持ちいいという風に破顔はがんした。
 
 「あははっ!そうだね!お互いの名前もしってるんだから友達だよね!ふふっ!」
 
 笑った顔もかわいいな。さっきよりもずっと子供っぽくて……。でもさっきみたいな感じはしないなぁ。なんだったんだろう?笑顔よりもむしろもっと見たい。さっきの――。
 
 「そう!そうでしょ!よろしく!アイちゃんて呼んでいい?呼ぶね!今日はお父さんのはいりょーしき?で来てるの!えらい人から名字がもらえるんだって。すごいでしょ!名字もってるんだよ!わたし!春日かすがっていうの。」
 
 まぶしものをみるように目を細めたアイちゃんが答える。
 
 「……それはすごいね。あいも誇りもって言える家名がほしい……な。」
 
 「アイちゃん名字ないの?じゃあ春日かすがあげるよ!!どう?」
 
 「うふふっ……いいね。でも家名はえらい人に認めてもらわないと!それにけっこんするなら。はるひちゃんのお父さんとお母さんにお願いしないとね。」
 
 「けっこん……?女の子同士でけっこんできるの?」
 
 「えっ……ああ、そうか。アイはこんな見た目だけど、男の子だよ?もちろん、だけど……まだ4歳だからねぇ。
 はるひちゃんも?」
 
 「えっ……え!男の子だったの!?……??……!……すっごくかわいいからわたしてっきり……。じゃあ“アイくん”だねぇ……ごめんね?」
 
 「いいのいいの、よくあるんだ、こういうこと。でも女の子のお友達ははじめてだからうれしいな。」
 
 「そうなの?わたしは一人いるよ?幼馴染なんだけどね、最近あんまり遊んでくれなくって、その子のおねーちゃんが言ってたんだけど、誰かに逢ってから性格変わっちゃったんだって。だからアイくんが今はいちばんなかよしかも!」
 
 「えへへ、そうなの?だったらうれしいな……。」
 
 アイくんが笑うたびにどきどきするぐらいかわいいけど、最初みたときみたいにはなんないなぁ……。なんだったんだろ……?
 
 「そういえば、“女の子の友達”って地獄パンドラの言葉で“ガールフレンド”っていうらしいよ!お母さんが言ってた!お母さん最近地獄パンドラ小説読んでるんだ~。ガールが女の子で、フレンドが友達って意味なんだって!男の子だとボーイフレンドなんだって!よく知ってるでしょ!」
 
 「へぇー。はるひちゃんは物知りなんだねぇ。すごいなぁ……!」
 
 「だからたぶん、アイくんはわたしのボーイフレンドで、わたしはアイくんのガールフレンド!」
 
 「あい、ガールフレンドってはじめてだよ。」
 
 「わたしも!なんだかうれしいねぇ?」
 
 「うん!」 

 アイのとびきりの笑顔をみても、やっぱり最初泣いてるアイをみたときみたいな気持ちにはならなかった。アイと別れるまで結局はるひにはそれがなんなのか分からなかった。
 
 ◇◆◇ 
  
 「アイ様!お久しぶりです!このような天津水あまつみずの降る中でも、相も変わらず御麗しい!」
 
 「……!かげろうさっ、かげろう!お久しぶりです……だね!」
 
 「ふふっ、無理に敬語を崩さなくていいのですよ。おれだって……ほら、敬語ですし。」
 
 「でもでもっ……あいとかげろう……は、お…………だし……!」
 
 「あ、あぁ……アイ様……!なんと勿体なき御言葉……!そうですね!アイ様とおれはアンドロギュノスの混交――」
 
 「はーい、そこまでー。かげろうくんストップー。」
 
 感極まってヒートアップしかけたかげろうを後ろから抱きすくめて、しらぬいが待ったをかける。
 
 「お姉さま!お放し下さい!」
 
 かげろうがぶんぶんと腕を振る。
 
 「相変わらずだな……会うたびにこうだよな?」
 
 なぜか対抗してシュベスターがアイを後ろから抱き上げる。
 
 「わわっおねえさま。」
 
 「んんーそうなんだよねー。ていうか、かげろうくん、100年ぶりに逢ったみたいな感じだしてるけど……二日前にも連れてきてあげたよね?アイちゃんに会ったよねぇ?」
 
 「何を仰います!アイ様に会えないのなら、その日は一日千秋!永遠にも思われるのです!」
 
「……それをお姉ちゃんにも感じてほしかったなぁ……。ちょっと前までお姉ちゃん子だったよね?かげろうくん。」
 
 それにしても、とアイが疑問を口にする。
 
「一昨日も会いに来て下さったのに。どうされたのですか?わたくしはうれしいのですが……。」
 
「がーん!用がなきゃ会いにきちゃいけないのー?しらぬいさんは悲しいなぁ!」
 
「いえ!わたくしはうれいしいのですが!」
 
 分かりやすく大袈裟おおげさな泣き真似だが、アイは信じてしまう。母への信念を裏切られてもまだ人を信じていたいらしい。いや、むしろ他人を妄信もうしんすることで自分を守ろうとしている。
 
 「おいしらぬい……人の弟にだる絡みするな。」
 
 「そうそう!用件だよね!あるよー?すごく大事なのが!そのためにこんな女梅雨おんなづゆが降る中を、ミルヒシュトラーセ家本邸くんだりまで来たんだから!ってゆーか、?しらぬいさんだけかなぁ。」
 
 「いや、確かに私も感じたぞ。朝起きてもまだ夜来やらいの雨が降っていたのでな。何とはなしに触れたくなってで触ってみたんだ。そしたら――」
 
 「――だ!よ!ねぇ~!」
 
 しらぬいがシュベスターの話をさえぎる、このことについて問いただしたい人間が他にいるかのように。
 
 「お姉さま方は感じられたのですか?オレはまったく……のでしょう!」
 
 「アイちゃんは~?」
 
 なんだか追求するようなしらぬいの眼もあってか、アイは審判しんぱんを下される前の罪人のようなこころもちになって答えた。
 
 「……いえ、わたくしも全くなにも感じませんでした。」
 
 そんな気持ちのせいか、つい嘘を吐いてしまった。ほんとうは誰よりもあの桜雨さくらあめに感じるところがあった。ただ、それを白日はくじつの下にさらすのははばかられた。
 
 「雨とは往々おうおうにして人々にかなしいこころもちを運んでくるものだろう?そんなに気にすることか?それより、今日の用件はなんだ?」
 
 アイのちいさなおそれにただ一人、気が付いたシュベスターはすぐに助け舟を出す。

 ◇◆◇
 
 「そう!そうそうそう!用件だよ!シュベスターが雨の話なんかするから~やめてよね、もう!」
 
 「その話を始めたのはお前だ!」
 
 「まぁまぁ、そんな小さいこと気にすんなよ、モテねぇぜ~?シュベてゃんよ~」
 
 「コイツ……!てゃん言うな!私はモテたくなどないし、大体私にはアイが――」
 
 「――ヘルツ……アイちゃんにも教えたんでしょ?」
 
 ピクリ……とシュベスターが反応する。その反応がすべてを物語っていた。アイちゃん
 
 「……どこで聞いた?教えたのは昨日で、そのことを知っているのはお母様と私……そしてアイだけのはずだが?……。」
 
 「……。」
 
 姉2人の間の空気が張り詰める。シュベスターは相手をめつけ、しらぬいは飄々ひょうひょうとした笑顔で応じるが……目が笑っていない。
 
「ミルシュトラーセはパンドラ一番の家だし、公国の要衝ようしょうと言ってもいい。そりゃ不知火陽炎しらぬいかげろう連合からしたら放っておけないよね~?」
 
「だからって情報が筒抜けすぎる。一応ミルシュトラーセ家うち不知火陽炎連合そちらとは協力関係であるし、その実連合はウチの臣下しんかといってもいい。その主君の家を覗き見、盗み聞きをして、公表されていない情報を得るというのは、褒められたものではない。連合と辺境伯爵お母様との軋轢あつれきを生みかねないぞ。分かっているのか?連合の次期当主殿?」
 
「……。ほら!シュヴェスターが怒るからアイちゃんが怯えてるじゃん!こっちおいで~」
 
 いたく真剣な問に、お道化どけでもって答える。
 
「誤魔化すな!これは重要な国家の――」

 ◇◆◇
 
「お……おねえさま……?」
 
 アイの声で、姉は今までの全てを忘れて、弟を安心させようとする。まるでそれが、パンドラ公国の重大な政治問題さえ優越ゆうえつするというように。
 
「アイ、すまない。こわがらせてしまったな」
 
 しらぬいに後ろから抱きしめられてるアイと、膝をついて目線を合わせる。そして、できるだけやさしい声色を作る。“白い嘘”を吐くときのように――。
 
「アイ、大丈夫だ。少しお姉様たちは難しい話をしていただけだ。パンドラ公国には何の問題もないし、アイのお家とかげろうくんのお家はとっても仲良しなんだ。」
 
「大丈夫……なのですか……?」
 
「あぁ、お前が気にすることは何もない。それに、だろう?さ。だから……安心しろ。」
 
アイはシュベスターのこのやさしく声音を知っていたが、おもねることにした。母に憎しみでかれてから……もうあまり何も考えたくのかったのだ。
 
「分かりました!おねえさまがそう言うなら、アイも信じます。」
 
 それはシュベスターが恐怖を感じた、弟の母への盲信もうしんと同じものだったが、姉は自分もまた弟にそうさせているとは気が付かなかった。
 
「いい子だ……それでいい……。」
 
 愛おしそうにアイの髪を撫でていた右手をあげて、おもむろろに、ゆっくりと立ち上がる。名残惜しいのだろうか。
 
「ダメだよ~。シュヴてゃ~ん。姉はどんな時でも弟を守るものなんだよ。こわがらせてどーすんのさ。」
 
久しぶりに聞くしらぬいの一番低い、一番真剣な時の声だ。シュベスターは反論しかけたが、しらぬいと同じ信念を持っているということ、そして、しらぬいが本気でその信念にほうじているとその声音から得心とくしんがいったので、甘んじて受け入れた。

 ◇◆◇
  
「ふぅ……それで、今度こそ用件を教えてくれるんだろうな」
 
「そうそれそれ~シュヴちゃんが話をそらすから~」
 
「そらしたのはお前だろう」
 
 シュベスターの掌底しょうていがしらぬいの額を打つ。
 
「あばっ……痛いな~。」
 
 今度はアイはこわがらなかった。なぜならそれがお互いに気のおけない友人同士のたわむれだと分かったからだ。その証左しょうさに、姉と姉はどちらも心なしか楽しそうだ。もしかしたらアイとかげろうのように、性別が決まる前からの竹馬ちくばの友情があるのかもしれない。
 
「よーけん!なんだけど!それは!つまり!」
 
「早く言え。」
 
「折角!2人とも同じ時期に心者ヘルツァーになったんだし――」
 
 シュベスターはとても嫌な予感がした――そしてそれはすぐに的中することとなる。
 
「アイちゃんとかげろうくんで、心戦ヘルツをやらせてみよ~!どんどんぱふぱふ~!」
 
「お前なぁ……アイは昨日ヘルツを知ったばかりだ。それに、。」
 
「えぇ~?誰かに怒ったことくらいあるでしょ。……え?ないの?」
 
「ないな。」
 
「おねえさま?わたくしだって怒ったことくらい……ありますよ……?たぶん……?」
 
 色いあたる節がなくはないらしい。
 
「あったとしてもおもてに出さないだろう?態度にも表情にも……というか、怒ったことあるか?見たことがない気もするが。」
 
「ありますよ?……たぶん……。」
 
 どんどん語気がよわまっていく。

 ◇◆◇
 
「まぁそんなことよりっ!」
 
 パンっと手を叩いてしらぬいが話を進めようとする。しかし、アイの身体がびくりと大袈裟に反応してしまう。
 
「おい……アイの前で突然大きな音を立てるな。ああ、それとアイの頭を撫でるときも、何も言わずに手を頭に近づけるなよ……アイは他人が目の前で手を挙げると酷く怯えるんだ。」
 
「?……変なクセだねぇ?……で、どう?アイちゃんやってみたい?ウチの弟とヘルツ。」
 
 早く本題に入らないといけない理由でもあるように、珍しくしらぬいが話を進めにかかる。
 
「そうですね。すこしこわいですけど……やってみたい……です。」
 
「アイ!……なぁ、アイ。私は本当はお母様に言われたのでなければ、お前に。そんなことをしなくても一生私が守ってやる……だから!」
 
「止めないでお姉ちゃ~ん。心配なのは分かるけど……これはエレクトラ様が望んだことなんだよ?」
 
最後の言葉は低くそして小さい、決して大きな声では言えない内容のようだ。
 
「「お母さまが?」」
 
「わたしたちが来たのもそのため、実戦が一番だからねぃ。それに連合うちの人達も知りたがってる。我らの次期当主候補がどんなものなのか。このパンドラ公国では心《ヘルツ》がすべてだからねぇ~。『はじめに心ありき――』ってね~!」
 
「お母様の命令とあらば、仕方がないな。」
「おかあさまの命令であれば、がんばります!」
 
 それまでとは打って変わって姉弟が言う。
 
「君らホントに……やっぱいいや。とにかく!」
 
 しらぬいが呆れたようにこぼすが、途中で言葉を止める。それを言えば何かを禁忌きんきを犯してしまうからか、もしくは相手にあることを気づかせないほうが好都合だからか。真意は分からない。

 ◇◆◇
 
 アイはまったく別のことを考えていた。つまり、ヘルツを使って役に立てば、おかあさまがアイを愛して下さるようになるかもしれない、ということだった。生まれたときから、どんなに罵倒されようとも、どんなに不遇な扱いをされようとも……どんなに暴力をふるわれても、黒い光に灼き尽くされたって、アイは母がいつか自分を愛してくれるかもしれないと母を愛することをやめられない、子供とはそういうものなのだ。
 
「てなわけでアイちゃんもやる気になったことだし、過保護な姉の許しも出たし!さぁかげろうくん!」
 
「いややりませんよ。」
 
 キッパリとかげろうが断る。
 
「えっ!なんでなんでなんで!」
 
 にべもなく断られた姉は弟を問い詰める。
 
「ハァ~。お姉様先ほどから勝手に1人で盛り上がっているところ大変心苦しいのですが。おれは決してアイ様を傷つけるようなことはしません。ましてやヘルツを使って攻撃するなどもってのほかです。
 
 おれの憎しみなんぞアイ様に触れた途端たちまち雲散霧消うんさんむしょうしてしまうこと請け合いです。おれにアイ様を傷つけることなどなのです。んです。いや仮にできたとしてもやりませんが。」
 
 姉が焦ったよう反論しようとする。
 
「いや……ヘルツはそういう仕組みじゃ……。ハァ~。でもかげろうくんにここまで言われちゃお姉ちゃん無理強いできないなぁ。でも――」
 
 やはりそれが一番の目的か、とシュベスターは思った。
 
「そうだ!あの子を連れてこよう!ちょうどこっちに来てるし!いい相手になるでしょ!」
 
 妙案を思いついたらしき目を輝かせる。
 
「あの子……ってまさか春日はるひですか?」
「そう!今すぐよんでくるよおおぉぉおぉぉおう」

 ◇◆◇
 
 脱兎のごとく駆けていく姉を呆れた目で見送って、かげろうは話す。
 
「お姉様が言ういい相手とは、春日はるひ……春日かすが春日はるひのことです。俺の幼馴染で、平たく言うとミルシュトラーセ家の実質的な部下である陽炎家や不知火家のさらに下部組織を構成する家の1つです。春日家は最近まで平民でして、新興しんこう貴族となり名字を名乗れるようになったのもつい最近のことです。」
 
 かげろうの説明にアイが返す。
 
「ん?……はるひですか……その子なら今朝……?……でも……家名と個人名が同じであるということは、つまり」
 
「ええ、春日家の次期当主です。ただ次期当主にしては少々……問題があるというか。いえ、おれの親友ですしいいやつなのは確かなのですが……。うーんでもアイ様に会わせるのは……うーん。」
 
「?でもそんな子じゃ……?いや……別人とか?でもでも……?な、なんだか空恐そらおそろしくなってきました。」
 
 2人してぶつぶつと考え込んでいる。どんなにこわい相手が現れるのかとアイは身震いしてしまう。
 
「大丈夫です!何があろうとアイ様はおれが守ります!」
 
「おい、守らないといけないような相手を会わせないぞ!それにアイは私が――」
 
 シュベスターが慌てて口を挟むが相変わらずアイ以外には無表情なので、少し威圧感がある。

 ◇◆◇
 
「おまたせえぇぇぇえぇええぃ!連れてきたよ~!これがっ春日かすが春日はるひちゃんでーす!」
 
 半ば引き摺られるような格好で現れたその人は、自他ともに認める小ささであるアイよりもさらに少し上背うわぜいが低く見えた。そして、とても女の子女の子した、フェミニンな見た目をしていた。
 
「うーん、いてて……あっ、ご紹介にあずかりました。わたしは……えっと……春日家が一人娘、春日《かすが》春日はるひと申します!御目にかかれて光栄です!
 
 シュベスター様と!……アイくん!?かげろうかげろう!どうなってんの?なんで一緒にいるの?」
 
 チョイチョイとかげろうを呼び寄せる。ずいぶんと気心のしれた仲のようだ。
 
 「おい!失礼だろ!様をつけろ!こちらはアイ・エレクトラーヴナ・フォン・ミルヒシュトラーセ様だ!」
 
 「え~!?アイくん名字あったの?てか……ミルヒシュトラーセ!?」
 
 「んんっ?ん?は!?はるひ!お前アイ様と知り合いだったのか!?いつのまにぃ!!」
 
 「おいおい、まぁ君たち落ち着き給え。諸君しょくんらは貴族だろう、そんなに人前で取り乱すものではないぞ。
 ……えぇとアイ?説明してくれるか?」
 
 年長者のシュベスターが(しらぬいは当てにならない)、場を治めようとする。
 
 「えぇっと、そうですね。はるひちゃんとは今朝初めて逢って、あいははるひちゃんの、!」
 
 ニコッとアイがうれしそうに言う。
 
 「……?……??……????……っ!!……!!!!、は!?ア、アイ……?冗談だよな!?な?なぁ!!??」
 
「アイさまぁ!?えっ嘘ですよね???おいぃ!はるひ!オマエェ!??アイ様手を出したのか!?許さねぇ……!!!おい、なんとか言えぇ!!」
 
 シュベスターが膝から崩れ落ち、いつもの無表情だが虚ろな目でアイにすがりつく。一方、かげろうは今にもはるひに殴りかからんばかりの剣幕で詰め寄る。
 
「アハハハ!シュベとかげろ……ゲホッアハハハ!!ゲホッゴホッうっ!息でぎなぃ……しぬぅあははは!」
 
 そこに笑いながら転げ回るしらぬいも加わって、阿鼻叫喚あびきょうかんの地獄絵図の様相ようそうていしてきた。
 
「おねえさま?!大丈夫ですか!?どこかで痛いのですか!?アイが治します!」
 
「アイ嘘だよな?違うよな?何かの間違いだよな?そうだそうに決まっている!!!なぁ!」
 
「かげろうちょっとタンマタンマ!!拳を降ろして!ね!ほら深呼吸深呼吸ぅ!!うわー!!ストーップ!!」
 
「はるひぃ……!貴様ぁ!!生かしちゃおけねぇ!!!」
 
 「噓ではありませんよ……?それにかげろうはあいのボーイフレンドです!」
 
 「「!!!!!!??????」」
 
「ギャハハハ!!おもしれぇ~!!」

 ◇◆◇ 
 
「つまり……今朝偶然会って二人は友人になったと……!……なったと。ただそれだけなんだな?アイ……。」
 
 アイの肩を掴んだ姉1の、ギラリと光る眼光がんこう
 
「は……はいぃ……。」
 
「まだ生きながらえられてよかったな……?はるひぃ。」
 
「いやいやいや!かげろうもお姉さんもおかしいって!」
 
「かげろうくんその台詞せりふ、陽炎家次期当主が春日家の次期当主にいうと洒落しゃれになんないよ~。ぷぷっ。」
 
 まだふるふると震え笑いを噛み殺している姉2。
 
「ふうー、つまり、言葉の意味を知らなかったと。言葉の意味を使ってしまっていたと。そういうわけだな?二人とも……?」
 
 間違えてを強調する姉1。
 
「「は……はいぃ。」」
 
「ならいい。かげろう君も落ち着いたな?」
 
「はい……。」
 
「一番取り乱してたのシュベてゃんだったけど……。」
 
「黙れ。」
 
「よ~し、とにかく!アイちゃんとはるひちゃんでヘルツ対決~!」
 
「「は、はい!」」
 
「……ハァ~心対決ここまで長かったな~」

 ◇◆◇
  
 お互いに距離をとって、アイは体の前で手を丸めて、はるひは胸に手を当ててそれぞれ構える。
 
 「いくよ!アイくん!」
 
 はるひが胸から手を離すと、胸からてのひらにかけてライラックの花の色と形をしたものが伸びている。手を振り上げてそれを引きずり出し、思い切り振り下ろしてアイのほうへ飛ばす。
 
 「これがわたしの心だよ!」
 
 ライラックの花がせまる中、アイは手をパンっと合わせて、ばっと広げる。そこにはラベンダーの花々が現れる。それはこれまでの人生で多分に感じてきた、切なさ、胸のくるしさ、やるせなさであった。それがふわりと舞い、ライラックを包み込み、溶かしていく。
 
 「貴女のくるしみはわたくしが溶かしてみせましょう。」
 
 今度はアイが体の左側に突き出した左腕を右側にゆっくりと回し弧を描く。腕が通ったところから透明なあいの色をしたかなしみの矢が次々現れる。右まで持ってきた左腕を勢いよく左にはじいて飛ばす。
 
 「わたくしのこころですっ!」


 
 迫りくるそれをはるひは避けなかった。
 否――避けられなかった――。
 アイのかなしみに見惚みとれていたのだ――。
 
 アイのかなしみがはるひの身体を貫く。
 
 ――おかあさまは私を●●していない――
 ――お兄さまたちを羨んでしまう自分が嫌だ――
 ――うまれて●●●●よかった。
 
 「こ……これがアイくんのかなしみ――もっと――」
 
 もっとアイくんのかなしんだ顔がみたい――。あのうつくしいかおを――。そうか私はアイくんの泣き顔に心底落とされてしまったのだ、魅了みりょうされてしまった。一番下まで落ちたんだ――。

 運命――だと、おもった。その泣き顔を見た瞬間に、その声を聴いたときに。その、雪のように音もなしに泣く声を――。――その無声慟哭むせいどうこくを――。
 
 「がはっ……もっともっと!もっとだよぉ!もっと貴方のかなしみをみせてよ!アイくん!!きかせてよ!!!」
 
 「……分かりました……みせてあげます。わたくしの……あいの!かなしみをぉ!」
 
 アイが手を天に伸ばし何かを掴んだように指に力をめる。そして力いっぱいその何かを地面に叩きつける。すると巨大な水柱が天から一条いちじょう降ってくる――。それが地面に激突し轟音ごうおんをあげながらあたりに散らばる。
 
 「はぁ……はぁ……」
 
 アイは息を切らして座り込む。はるひは身じろぎ一つせずに――ただ見惚れていた。いた――。

 すると快晴だった空からにわかに雨が降り出した。
 
「「アイ(様)!!」」
 
 シュベスターとかげろうが慌ててアイに駆け寄る。この場でしらぬいだけが冷静に、冷徹れいてつに何かを見極めようとしていた。

 ◇◆◇
 
「アイ大丈夫か!?」
 
「おねえさま……だいじょうぶです……すこしつかれてしまっただけです。人前で感情をあらわにしたことはなかったので……。」
 
「アイ様……!」
 
 シュベスターがアイを抱きしめ、かげろうが手を握る。
 
「……アイ……この雨はお前のものだな……。お前のかなしみだな?自分でも何となくわかっているだろう……?」
 
「ええ……何故か、雨がこの肌を打つたびに、ひしひしと感ぜられるのです。れはあいのこころだと……。」
 
「でも!シュベスター様!天候を変えられる程のヘルツなど!聞いたことがありません!」
 
 食って掛かったかげろうに、しらぬいが答える。
 
「いるんだよ。それが。天候を変え、地形を変えるほどの心を持った人間が。」
 
 どこか恍惚こうこつとしてしらぬいが続ける。
 
こころをもつものプシュケーと呼ばれるその人々は!世界を変える力をもつ……!!あぁ……だったんだね!……アイちゃん……!!」
 
 最後の言葉はもう神憑かみがかりりにでもなったような声音だった。
 
「おねえさま……?あいは……あいは……?何者なのですか……。」
 
 アイは不安になって姉にすがる。
 
「……確かに、心に深く突き刺さるような、心的外傷トラウマ的な出来事を経験した心者ヘルツァーの中には、強大な力に目覚めるものもいる。
 
 だが……アイ……それでもお前が私の弟であるという事実は何も変わらないだろう?お前が誰かということが変わるわけじゃない。だから……安心しろ。」
 
「おねえさま……はい!あいは……あいのままでいいのですね……!」
 
「あぁ、しらぬいもあまり弟を怖がらせるようなことを言うな。」
 
「……。……ごめんごめ~ん。ついテンションあがっちゃってさぁ。だってこころをもつものプシュケーだよ!滅多めったにいなくて、パンドラ公国この地には数十年……いや数百年現れてないんだよ!?まさか生きてる間に会えるなんて……!プシュケーに……!!」
 
 その眼はアイをとらえて離さない。
 
「おい、私の弟の名前はプシュケーじゃない……アイだ。アイをプシュケーと呼ぶのはやめろ。」
 
 シュベスターの鋭い眼光がしらぬいを貫く。だかしらぬいはあくまで飄々ひょうひょうとして受け流す。
 
「あはは~そうだね。ごめんね?ちょっと興奮してさ。アイちゃんは、どんなアイちゃんでもアイちゃん!わかってるよぉ~………………。」
 
「アイ様っ大丈夫なのですね?」
 
「はい!」
 
「とにかくお母様に報告だ……ほらアイ。」
 
「わわっ」
 
 アイをお姫様だっこして去っていくシュベスター。
 
「み、みなさんっさようなら」

 ◇◆◇
 
 アイが慌てて別れを告げ、陽炎不知火かげろうしらぬい姉弟が見送る。一連の話をずっとすこし遠くからはるひは聞いていた。といってもほとんど頭には入ってこなかった。ただあのかなしみの光景に心を震わせていたのだ。
 
 ――あぁ、アイくんわたしは君の泣き顔に心底惚れてしまったみたいだ。
 わたしの手で笑わせてみたい、いやもっと――

 ◇◆◇
 
 運命――だと、おもった。その姿を見た瞬間に、その声なき声を聴いたときに。その、音なき雪のように泣く声を――。

 ◇◆◇
 
  アイの涙をみた時にはまだ自身にも分からなかった感情――。その柔肌やわはだにつたう雨を見るたびに、その純白に光る肌に涙が跡をつけるたびに、そのあかい唇のふちにかなしみが伝うたびに、この世でいちばん美しい景色をみていたいと思うのだった。

 はるひはアイのうつくしさに月をみたのだ。その夜のとばりのような黒髪の隙間からのぞく、白く耀かがやく月のような肌を愛でたいと。その顔に暗雲が立ち込めるたびに、叢雲むらくものようなかげりが見えるたびに、もっともっと見ていたいと。

 その横顔に太陽が差すたびに、あの宵闇よいやみが恋しくなるのだ。その徒桜あだざくらのようなはかなさを。筒井筒つついづつの恋をしてしまったのだ。

 その顔が喜色きしょくに彩られるたびに、泣き顔に変えてしまいたいと思わずにはいられないのであった。

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