悪役令嬢は婚約破棄され嘘の恋に沈み、廃嫡された元皇太子の詐欺師は復讐を果たす

駆威命(元・駆逐ライフ)

文字の大きさ
29 / 59

第29話 ぎこちなく

しおりを挟む
「ダンテさま、こちらはどういうことなのでしょう」

 正面には大きな黒板が設置され、それを中心にして弧を描くように長机が階段状に設置されている。

 勉学にのみ集中できる静謐な空間の中で、アンジェリカが羊皮紙をの一か所を指差し、隣に座るダンテへと問いかけた。

「ああ、それはだね……」

 授業で教えられているのは算術で、アンジェリカならばさほど引っかかるような問題ではない。

 分かっていて、その上でダンテに甘えるための理由しているのだろう。

「この公式を使って……」

「……はい……」

 その証拠に、アンジェリカは数式が書き記されている石板ではなく、説明しているダンテの横顔を見つめていた。

「アンジェ、私じゃなくてこちらを見て」

「は、はい、ごめんなさい」

 ダンテはアンジェリカに体を寄せると、小さなおとがいを人差し指で持ち上げ、優しく石板の方へと向ける。

「私も、見つめてもらって嬉しいんだけどね」

「えっ」

 せっかく石板へと目を向けたというのに、ダンテの一言でアンジェリカは再びダンテへと視線を戻してしまう。

「ほ~ら、勉強しなきゃダメだろう?」

 もちろんその言葉はわざと言ったもので、ダンテは注意しながらも、クスクスと声を抑えて笑った。

「も~……ダンテさまったら」

 アンジェリカは口をとがらせて不満をあらわにするが、彼女の瞳は笑いに満ちている。

 傍から見れば、仲睦まじい恋人同士の戯れに見えるだろう。

「んんっ」

 教壇に立つ、紺のローブをまとった禿頭の男性講師が咳ばらいをする。

 さすがに授業中まではやりすぎであったかと、ダンテは軽く会釈をしてから問題の説明に戻った。

 しばらく小声で問題をかみ砕いて解説していると、アンジェリカは満足したのか礼を言ってダンテを解放する。

 ダンテも「どういたしまして」と笑顔で返した後、自分の課題をこなしていった。

「そこまで。それでは解答へと移るので各自確認を」

 ダンテは石筆を置いて解答を記した石板を眺める。

 講師が朗々とした口調で解答と解説文を読み上げていく。

 アンジェリカに教えられるほどの頭脳を持っているダンテは、当然のように正解しか無かった。

「…………」

 講師の解説はまだ途中であったが、それ以上話を聞いている必要性を感じなかったダンテは何気なく視線をさまよわせる。

 いや、さまよわせたのではなく、ずっと意識し続けていた相手へ視線を向けたのだ。

 ダンテとアンジェリカは、前から三列目の中央当たりの席に座って授業を受けているのだが、そんなダンテから少し離れた席、最前列いちばん左端にベアトリーチェは座っていた。

 ベアトリーチェは背後から見ていても分かるほど、食い入るように石板を見つめている。

 彼女の成績は決して悪くはないのだが、ダンテの様にとても優秀というほどでもない。

 いくつか問題を間違えてしまったのだろう。

「……ふぅ」

 ダンテは自分のしている行動の意味に気づき、大きく息を吐いて視線をベアトリーチェから引きはがす。

 気づいたらいつもベアトリーチェの事を目で追いかけてしまっていた。

 終わりだと宣言してから既に2週間以上の時間が流れたというのに、まだ未練が残っているのかと軽い自己嫌悪に陥ってしまう。

 ベアトリーチェとダンテは、もう赤の他人なのだ。

 少なくともダンテはそのつもりで行動していた。

 ふと、教室のドアノブが小さな音とともに回り、音を立てずに三人もの人が入ってくる。

 そのうちの一人はダンテも見覚えのある事務員の男性だったが、残りの二人は全く見覚えがなかった。

 貴族にしては質素で控えめの服装の男女で、年齢はふたりともに三十台後半から四十代前半に見える。

 男性の方は薄い金髪に青色の瞳で、いかにも優しそうなおじさんといった風貌をしている。

 女性の方も、似たような色の髪にとび色の瞳を持っていて、少し勝気そうな顔つきにわんぱくな少女を思わせる雰囲気をまとっていた

 教室に入ってきた三人の大人たちは、静かに教室の一番後ろにまで移動すると、そのまま見学を始めてしまう。

 知らない人たちから見られていることを意識した生徒たちは、奇妙な緊張を覚えて各々居住まいを正す。

 それから授業が終わるまで、生徒全員が居心地の悪さを感じていたのだった。





「それでは、本日はこれで終了。教科書はいつも通りまとめて返却しておくように」

 講師はそう告げると、見学に来ていた二人のことなど気にも留めず、自分の荷をまとめてさっさと教室を出て行ってしまう。

 あとに残された生徒たちの間には多少弛緩した空気が漂うが、背後の異物が気にかかり、未だ解放された気分を味わえないでいた。

「と、とりあえずみんな、教科書を持ってきてくれ。今日の当番は誰だったかな」

 ダンテの掛け声で、教室の生徒たちが動き出す。

 後方から順に教科書が手渡されていき、20冊近くの古めかしい本の山がダンテの前に築かれた。

「おとといはランディだったから……」

 当番とはいえ、本人が持っていくわけではない。

 大概、侍従が図書館へ返却しに行く。

 ちなみにダンテがこの当番制を提案するまでは、いつもベアトリーチェが持っていくことになっていた。

「今日は、私です」

 冷たい敬語がダンテの心臓に突き刺さる。

 ややぎこちなく顔を横に向けると、ベアトリーチェが教科書を胸元に抱き、寂しそうな表情を浮かべて立っているのが視界に入った。

「……そうか」

 ダンテは浅く呼吸をしてから、ベアトリーチェのために教科書の山を整えて、彼女の目の前に置く。

「ひとりで持っていけるかな?」

 本は羊皮紙を使っているため、数まとまれば結構な重さになる。

 以前のベアトリーチェならば、二回に分けて教室と図書館を往復していたため、かなりの労力だったのだ。

 ダンテはそれを案じたのだが……。

「持っていけないって言ったら、ダンテさんはどうしますか?」

 ベアトリーチェはすがるような目つきで問いかける。

 ダンテの脳裏には、ベアトリーチェが以前口にした「他人になりたくない」という言葉が再び浮かび上がる。

 それはダンテ自身認めたくないことであったが、確かにそれを望んでいる心は存在していた。

「……アルに手伝わせよう」

「……アルフレッドさんに?」

 授業が終われば従者が迎えに来る場合もあるが、アルは大抵下調べに動いていることが多いため、これはダンテの言い訳に近かった。

「ダンテさんは一緒に――」

「ちょっと」

 ダンテとベアトリーチェのやり取りに、アンジェリカが割って入る。

 アンジェリカは腕を組み、不機嫌であることを隠そうともしなかった。

「ダンテさまが困ってらっしゃいますの、分かりません?」

 アンジェリカの語調は強く、ベアトリーチェの意見など聞く必要もないと言外に語る。

「あなたは早くご自分の仕事をなさい」

「でも……」

「私に逆らうつもりですの?」

 アンジェリカの高圧的な態度を前に、ベアトリーチェが黙り込む。

 長年いじめられてきたからか、ベアトリーチェの体は恐怖で小さく震えだしている。

 目線は机よりも更に下まで下がり、細い腕はきゅっと教科書を抱きしめた

 ベアトリーチェは過去の経験によって本能にまで恐怖が刷り込まれてしまい、アンジェリカに一切逆らうことが出来なくなってしまっている様だった。

「は、はい……わかり、ました」

「返事など要りませんわ。行動で示してくださる?」

 アンジェリカは軽く顎でしゃくる。

 ベアトリーチェは泣きそうになりながら、教科書をかき集め始めた。

 さすがに見かねたダンテが、アンジェリカを注意しようと口を開き――。

「ちょっとよろしいかしら?」
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

つまらない妃と呼ばれた日

柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。 舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。 さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。 リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。 ――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。

婚約破棄された翌日、兄が王太子を廃嫡させました

由香
ファンタジー
婚約破棄の場で「悪役令嬢」と断罪された伯爵令嬢エミリア。 彼女は何も言わずにその場を去った。 ――それが、王太子の終わりだった。 翌日、王国を揺るがす不正が次々と暴かれる。 裏で糸を引いていたのは、エミリアの兄。 王国最強の権力者であり、妹至上主義の男だった。 「妹を泣かせた代償は、すべて払ってもらう」 ざまぁは、静かに、そして確実に進んでいく。

悪役令嬢の身代わりで追放された侍女、北の地で才能を開花させ「氷の公爵」を溶かす

黒崎隼人
ファンタジー
「お前の罪は、万死に値する!」 公爵令嬢アリアンヌの罪をすべて被せられ、侍女リリアは婚約破棄の茶番劇のスケープゴートにされた。 忠誠を尽くした主人に裏切られ、誰にも信じてもらえず王都を追放される彼女に手を差し伸べたのは、彼女を最も蔑んでいたはずの「氷の公爵」クロードだった。 「君が犯人でないことは、最初から分かっていた」 冷徹な仮面の裏に隠された真実と、予想外の庇護。 彼の領地で、リリアは内に秘めた驚くべき才能を開花させていく。 一方、有能な「影」を失った王太子と悪役令嬢は、自滅の道を転がり落ちていく。 これは、地味な侍女が全てを覆し、世界一の愛を手に入れる、痛快な逆転シンデレラストーリー。

悪役令嬢に転生しましたが、行いを変えるつもりはありません

れぐまき
恋愛
公爵令嬢セシリアは皇太子との婚約発表舞踏会で、とある男爵令嬢を見かけたことをきっかけに、自分が『宝石の絆』という乙女ゲームのライバルキャラであることを知る。 「…私、間違ってませんわね」 曲がったことが大嫌いなオーバースペック公爵令嬢が自分の信念を貫き通す話 …だったはずが最近はどこか天然の主人公と勘違い王子のすれ違い(勘違い)恋愛話になってきている… 5/13 ちょっとお話が長くなってきたので一旦全話非公開にして纏めたり加筆したりと大幅に修正していきます 5/22 修正完了しました。明日から通常更新に戻ります 9/21 完結しました また気が向いたら番外編として二人のその後をアップしていきたいと思います

婚約破棄すると言われたので、これ幸いとダッシュで逃げました。殿下、すみませんが追いかけてこないでください。

桜乃
恋愛
ハイネシック王国王太子、セルビオ・エドイン・ハイネシックが舞踏会で高らかに言い放つ。 「ミュリア・メリッジ、お前とは婚約を破棄する!」 「はい、喜んで!」  ……えっ? 喜んじゃうの? ※約8000文字程度の短編です。6/17に完結いたします。 ※1ページの文字数は少な目です。 ☆番外編「出会って10秒でひっぱたかれた王太子のお話」  セルビオとミュリアの出会いの物語。 ※10/1から連載し、10/7に完結します。 ※1日おきの更新です。 ※1ページの文字数は少な目です。 ❇❇❇❇❇❇❇❇❇ 2024年12月追記 お読みいただき、ありがとうございます。 こちらの作品は完結しておりますが、番外編を追加投稿する際に、一旦、表記が連載中になります。ご了承ください。 ※番外編投稿後は完結表記に致します。再び、番外編等を投稿する際には連載表記となりますこと、ご容赦いただけますと幸いです。

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

処理中です...