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堕ちた女神を世話するメイドの話

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私はこの国では有名なブラックバーク公爵家に仕えるメイドです。
今まではある侯爵家に勤めていたのですが、訳あってこの公爵家へと転勤することとなりました。
私を雇われたのは公爵家の現当主様ではなく跡取り息子のアラン・ブラックバーク様でした。
彼は10人中15人が認めるであろう程の美しい容姿をされていました。初めて彼の姿を見た時は天界の住人が羽休めに下界へと降りてきているのではないかと疑った程です。
さらさらな白銀色の髪に、全てを見透かしたかのような落ち着いた紫色の瞳。細身ではありながら引き締まった体躯と真っ白に透き通った肌。
私は仕事に私情を持ち込まない人間ですが、他のメイド達ならば間違いなく彼の妻や愛人の座を狙っていたことでしょう。
きっと彼が直々に面接を行ったのも、そういった面を見るためだったのです。そして私が雇われたのも、仕事に完璧を求める意識が認められたからでしょう。
仕事に私情は挟みません。絶対に。

私の他にも雇われた使用人はいたようでした。
皆私のように無愛想で、体格も良い。けれど何故か全員女性でした。
まさかご主人様にはそういった趣味があったのでしょうか、なんて失礼な感想は抱きません。
人様の好みは多様なのですから。

私達に与えられた仕事は、公爵家の別邸の管理及び住人のお世話係でした。ただ使用人達が女性のみで人数が少ないことを除けば、至って普通の仕事内容です。
けれどご主人様は不思議な命令も付け加えました。
それは、別邸の住人を決して外へ出さず、呼び出された時以外は極力住人に姿を晒さないこと。住人の望みは可能な限り叶えること。住人に話しかけられても必要最低限のことのみを答え、無駄な会話はしないこと。そして住人のことは他言無用にすること。
別邸に住んでいるお方は、余程の異常者なのでしょうか。しかし公爵家の周りでそういう方がいるという話は聞きません。強いていえば、最近ご主人様は家同士で仲の良いアークライト公爵家のご令嬢と婚約したというお話を聞いた程度です。
しかしそのアークライト家のご令嬢は第二王子から理不尽な婚約破棄を突きつけられ、心を病んで今は自宅療養をしているという噂を耳にしました。まさかご主人様は彼女が心身衰弱しているのをいいことに、もう愛人を作られて別邸に匿っているのでしょうか。あれ程優れた容姿ならば女性は引く手あまたでしょう。
いいえ。ご主人様を疑うのは宜しくありません。
私はただ、言われた仕事をこなせば良いのです。




…別邸の住人が愛人だったなら、どれほど良かったことでしょう。
別邸での仕事が始まった初日は住人に会うことはありませんでした。彼女は部屋から1度も出てこず、また使用人を呼ぶこともなかったからです。
しかし部屋の中からは鈴の音のような女性の泣き声と、ご主人様の名を呼ぶ声が聞えてきました。
残念ながらご主人様は学園に行っていたため、帰ってきたのは夜の闇が辺りを包み込んできた頃です。
朝から止むことのない、あまりにも弱弱しく悲痛な声は私の心の中を激しく掻き乱しました。

──ご主人様は誰を閉じ込めていらっしゃるのでしょうか。

その答えは数日後にわかりました。
別邸には女神が住んでおられたのです。
彼女はご主人様がいない間ずっと泣いていたせいか、喉が嗄れてしまったようでした。
私は翌日ご主人様に命じられた通り、喉に優しい飲み物を持って彼女の部屋へと入りました。
ベッドの上に座っていたのは、アークライト公爵家のリリー様でした。どうやら彼女が自宅療養しているという噂は嘘で、ご主人様が彼女を匿っていたのです。
彼女はご主人様同様に端麗でな容姿をしており、その艶麗なお顔を見たときは息をするのも忘れてしまうほどでした。
確か以前彼女を見かけたときは、体が弱いからという理由でお顔をベールで隠されていました。しかし今はベールをつけていません。きっと体が弱いというのは嘘なのでしょう。
今なら私もそのベールの意味がよくわかります。女の私ですら彼女に魅了されてしまったのですから。

しかし彼女は神々しい美しさをもっていながらとても脆くか弱いお方でした。
彼女は部屋に入ってきた私に怯えた様子でシーツを握って体を隠していました。シーツから出た肌は透けてしまいそうなほど真っ白でしたが、首や腕の至る所に虫刺されのような跡がついていました。
きっと彼女がないていたのは日が昇っている間だけではなかったのでしょう。

しかしどうやら彼女が心を病んでしまったという噂は本当のようで、今の彼女には以前見かけたときのような高潔な淑女らしさは見受けられません。婚約破棄によって人を信じられなくなってしまったのでしょうか。
ただ怯えた様子で私のことを見る彼女は私の心を締め付け、酷く庇護欲をそそる姿でした。
私はベッドのサイドテーブルに飲み物を置くと、そそくさと部屋を出ようとしました。
これ以上彼女のそばにいれば、彼女を傷つけてしまうと思ったからです。
しかし私がベッドサイドから離れようとすると、彼女は私の袖を掴みました。

「ぁり、とござ、ます。」

掠れて満足に喋れない声で、彼女は私にお礼を言いました。
その笑顔は以前見た慈愛に満ちたものではなく、私を酷く恐れ、今にも泣きだしそうだけれど無理矢理笑っているかのような弱弱しい笑顔でした。
思わず抱きしめたくなる衝動に襲われました。けれどメイドとしての矜持がそれを諫め、私はお辞儀をすると急いで部屋を出ていきました。

──なんて優しい方なのでしょうか。

人間不信になっていながら、仕事として自分の世話を焼く見ず知らずの私に無理をしてまでお礼を言うなんて。
彼女のためにできることは何でもしようと私は心に誓いました。



日が経つにつれ、彼女の部屋から一日中泣き声が聞こえてくることは少なくなりました。
ご主人様は学園の卒業課題や公爵家当主の引継ぎ手続きや業務が忙しいようで、別邸にはあまり姿を現しません。けれどできる限りは彼女のそばにいたいようで、夜と朝は必ず別邸へと姿を現していました。

フィオラ…様は、ご主人様に届けて貰った卒業課題に熱中しているようです。集中できるものがあったお陰で、彼女の精神は以前よりも安定しているのでしょう。

更に嬉しいことに、彼女が私に向ける笑顔からは段々と恐怖の色が薄まっていました。
完全に無くなることはないのでしょうが、それでも彼女が心を開いてきてくれているのは嬉しいことです。
仕事である以上、私はご主人様からのご命令で言われたことのみしかこなせません。しかしそれでもフィオラ様は微笑んでお礼の言葉を口にして下さるのです。
私のような無愛想なメイドにも優しい彼女は、正に身も心も女神のような女性です。


どうかご主人様とフィオラ様の幸せが未来永劫続きますように。

私はただ、この幸せが続くことを祈るばかりです。


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