織田信長の妹姫お市は、異世界でも姫になる

猫パンダ

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第一章 異界からの姫君

第二十話

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 市は自室に戻って、ある物を手にしていた。そして、決心したように部屋を出る彼女の表情は、固い。通りかかったメイドに道を聞き、宮殿の隅っこにある部屋まで来ると、彼女は静かにノックした。すると「どうぞ」というしわがれた声が返ってくる。

 「入るぞ」

 ドアを開けて部屋に入れば、レイムホップが驚いたように市を見た。彼は、部屋の大きな机の前にある椅子に腰掛けており、ゆっくりと立ち上がると頭を下げた。

 「誰かと思えば……イチ様でしたか。この老いぼれに何用で?」

 「そなたは、姫君の相談役であろう?」

 「左様でございますが……もしやイチ様、この私めに相談があると……?のびのびとしたあなた様が、一体どんな相談をしに参ったのでしょう?」

 珍しいと言いたげなレイムホップの様子に、市が苛立ったように眉を寄せた。

 「御託はよい。そなたなら、知っているだろうと思い、参ったのだ。私は元の世界に帰れるのか?」

 レイムホップは、ほんのりと浮かべていた笑みを引っ込めた。そして、厳しい眼差しを市に向ける。真っ白な眉毛の下にある瞳は、ほの暗く、闇のように深い。彼は、静かに言った。

 「異界からの姫君は、一度こちらへ召喚されますと、帰ることは出来ません」

 図書館で調べた結果と同じ言葉を、彼は容赦なく市にぶつけた。小さな白い手を握り締めて、市はレイムホップを睨み付ける。

 「たわけ!そなたが、私達を召喚した張本人であろう!?連れてきたものの、帰せないなど、そんな話があるものか!そなたは、そのすべを知っている筈じゃ!」

 唸るように言葉を紡ぐ市に、レイムホップはとぼけるように上を向いた。

 「はて?存じ上げませんなぁ。何しろ、神々が遣わした姫君ゆえ、帰すすべも神のみぞ知ること」

 「ならば、その神々とやらに告げよ!確か、そなたはその神と話せるというではないか……今すぐここで話してみよ、どうじゃ?出来ぬのか?」

 鋭い鬼のような瞳が、レイムホップを突き刺さした。整った顔に浮かべる怒りの表情は、まるで、美しい女の修羅のよう。レイムホップは、その眼差しに、一筋の汗を流した。

 ーーこの姫、何という迫力か。この私が、一筋とはいえ、汗を垂らしてしまうとは……。

 だが、彼とて譲れない。市を元の世界へ帰すわけにはいかないのだ。

 「神々に対して、無礼ですぞ。罰を下されてしまうやも知れませぬ……それが嫌なら、大人しく部屋に戻られよ」

 どうにかして、市を部屋に帰そうとしたレイムホップだが、彼女は普通の女ではなかった。

 「神も仏も、怖くなどない。私は織田家の姫、織田信長の妹ぞ!」

 市の頭に兄の顔が浮かぶ。彼は、神も仏も恐れてなどいなかった。自分は、そんな兄の妹なのだと、市は己を奮い立たせた。そして、胸元から取り出したのはーー織田家の家紋の入った懐刀。先程部屋から取ってきたものだった。

 「イチ様!?何を……!?」

 刃物を手にした市の姿に、レイムホップが目を見開く。まさか、自分を殺すつもりか。それとも、刃物で脅すつもりか。そう考えを巡らせて、構えた時……レイムホップの予想とは裏腹に、市は懐刀の鋭い切っ先を己の首にあてた。

 「ここで私が首を斬っては、そなたも困ろう?」

 「な……」

 「しかと聞け、れいよ!元の世界へ帰さぬというのであれば、私はここで首を斬って死ぬ!!そなたは、私の血潮を浴びて、私の死に様を目に焼き付けておれ!」

 「な、なりません!イチ様!」

 市の首に刃が食い込み、じんわりと血が滲む。その赤は、彼女の白い肌によくはえた。刃が数本の髪の毛を斬ったようで、パラパラと地面に舞っていく。長い前髪を乱し、市は挑戦的に唇を吊り上げた。ここでレイムホップが、帰すと言ってくれたらいい。だが、無理なら死んでもよいと考えていた。家の為に嫁ぐ筈が、忽然と姿を消してしまった市を、信長はどう思っただろう。なんて自分は兄不幸なのだろう。市は、ここで死んだら、魂だけは信長の元へ帰れるのではと思っていた。目を閉じれば、ふと、晧月の顔が浮かんだが、闇の奥深くへと沈めて、蓋をする。

 ーー銀色の、若君……。

 晧月の顔を無理矢理、頭から追い出して、彼女は更に刃を引いた。ブシッと赤い鮮血が、飛び散る。このまま、勢い良く手を引けば、市の首から真っ赤な噴水が噴き出すだろう。そして、目の前にいる憎たらしい老人の姿を、赤に染め上げるのだ。

 「それもまた、一興いっきょう……」

 市は信長とよく似た、不敵な笑みを浮かべて、レイムホップを見据えた。彼は少しばかり青ざめて、市の姿を凝視している。その唇からは、何も言葉が発せられないことから、どうやっても市を帰すつもりはないのだろう。

 「残念じゃ。そなたのせいで、私は死ぬ。だが、魂となり、必ずや私の国へと帰ってやる……必ずや、兄上様の元へ……!」

 「な、なりませぬ!イチ様!」

 冷や汗でびしょびしょに頬を濡らしたレイムホップが、必死の形相で市に向かって来た。自決するのを止めるつもりなのだろう。しかし、市の方が早かった。そのまま、勢い良く腕を引こうとした時ーー扉が開き、何者かが市の腕を捻りあげた。カランと音を立てて懐刀が落ち、市は激痛に小さく声を漏らす。 

 「いた……っ」

 「痛いと……?腕よりも、首の方がよっぽど痛そうだがな」

 皮肉めいた口調が、上から降ってくる。その聞き覚えのある声音に、市はそっと顔を上げた。目に飛び込んで来たのは、冴え渡るような青い髪。白い肌。海のような瞳を、氷のように冷たくさせた男……エイサフが、唇に笑みをのせて立っていた。
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