20 / 70
第一章 異界からの姫君
第二十話
しおりを挟む市は自室に戻って、ある物を手にしていた。そして、決心したように部屋を出る彼女の表情は、固い。通りかかったメイドに道を聞き、宮殿の隅っこにある部屋まで来ると、彼女は静かにノックした。すると「どうぞ」というしわがれた声が返ってくる。
「入るぞ」
ドアを開けて部屋に入れば、レイムホップが驚いたように市を見た。彼は、部屋の大きな机の前にある椅子に腰掛けており、ゆっくりと立ち上がると頭を下げた。
「誰かと思えば……イチ様でしたか。この老いぼれに何用で?」
「そなたは、姫君の相談役であろう?」
「左様でございますが……もしやイチ様、この私めに相談があると……?のびのびとしたあなた様が、一体どんな相談をしに参ったのでしょう?」
珍しいと言いたげなレイムホップの様子に、市が苛立ったように眉を寄せた。
「御託はよい。そなたなら、知っているだろうと思い、参ったのだ。私は元の世界に帰れるのか?」
レイムホップは、ほんのりと浮かべていた笑みを引っ込めた。そして、厳しい眼差しを市に向ける。真っ白な眉毛の下にある瞳は、ほの暗く、闇のように深い。彼は、静かに言った。
「異界からの姫君は、一度こちらへ召喚されますと、帰ることは出来ません」
図書館で調べた結果と同じ言葉を、彼は容赦なく市にぶつけた。小さな白い手を握り締めて、市はレイムホップを睨み付ける。
「たわけ!そなたが、私達を召喚した張本人であろう!?連れてきたものの、帰せないなど、そんな話があるものか!そなたは、その術を知っている筈じゃ!」
唸るように言葉を紡ぐ市に、レイムホップはとぼけるように上を向いた。
「はて?存じ上げませんなぁ。何しろ、神々が遣わした姫君ゆえ、帰す術も神のみぞ知ること」
「ならば、その神々とやらに告げよ!確か、そなたはその神と話せるというではないか……今すぐここで話してみよ、どうじゃ?出来ぬのか?」
鋭い鬼のような瞳が、レイムホップを突き刺さした。整った顔に浮かべる怒りの表情は、まるで、美しい女の修羅のよう。レイムホップは、その眼差しに、一筋の汗を流した。
ーーこの姫、何という迫力か。この私が、一筋とはいえ、汗を垂らしてしまうとは……。
だが、彼とて譲れない。市を元の世界へ帰すわけにはいかないのだ。
「神々に対して、無礼ですぞ。罰を下されてしまうやも知れませぬ……それが嫌なら、大人しく部屋に戻られよ」
どうにかして、市を部屋に帰そうとしたレイムホップだが、彼女は普通の女ではなかった。
「神も仏も、怖くなどない。私は織田家の姫、織田信長の妹ぞ!」
市の頭に兄の顔が浮かぶ。彼は、神も仏も恐れてなどいなかった。自分は、そんな兄の妹なのだと、市は己を奮い立たせた。そして、胸元から取り出したのはーー織田家の家紋の入った懐刀。先程部屋から取ってきたものだった。
「イチ様!?何を……!?」
刃物を手にした市の姿に、レイムホップが目を見開く。まさか、自分を殺すつもりか。それとも、刃物で脅すつもりか。そう考えを巡らせて、構えた時……レイムホップの予想とは裏腹に、市は懐刀の鋭い切っ先を己の首にあてた。
「ここで私が首を斬っては、そなたも困ろう?」
「な……」
「しかと聞け、れいよ!元の世界へ帰さぬというのであれば、私はここで首を斬って死ぬ!!そなたは、私の血潮を浴びて、私の死に様を目に焼き付けておれ!」
「な、なりません!イチ様!」
市の首に刃が食い込み、じんわりと血が滲む。その赤は、彼女の白い肌によくはえた。刃が数本の髪の毛を斬ったようで、パラパラと地面に舞っていく。長い前髪を乱し、市は挑戦的に唇を吊り上げた。ここでレイムホップが、帰すと言ってくれたらいい。だが、無理なら死んでもよいと考えていた。家の為に嫁ぐ筈が、忽然と姿を消してしまった市を、信長はどう思っただろう。なんて自分は兄不幸なのだろう。市は、ここで死んだら、魂だけは信長の元へ帰れるのではと思っていた。目を閉じれば、ふと、晧月の顔が浮かんだが、闇の奥深くへと沈めて、蓋をする。
ーー銀色の、若君……。
晧月の顔を無理矢理、頭から追い出して、彼女は更に刃を引いた。ブシッと赤い鮮血が、飛び散る。このまま、勢い良く手を引けば、市の首から真っ赤な噴水が噴き出すだろう。そして、目の前にいる憎たらしい老人の姿を、赤に染め上げるのだ。
「それもまた、一興……」
市は信長とよく似た、不敵な笑みを浮かべて、レイムホップを見据えた。彼は少しばかり青ざめて、市の姿を凝視している。その唇からは、何も言葉が発せられないことから、どうやっても市を帰すつもりはないのだろう。
「残念じゃ。そなたのせいで、私は死ぬ。だが、魂となり、必ずや私の国へと帰ってやる……必ずや、兄上様の元へ……!」
「な、なりませぬ!イチ様!」
冷や汗でびしょびしょに頬を濡らしたレイムホップが、必死の形相で市に向かって来た。自決するのを止めるつもりなのだろう。しかし、市の方が早かった。そのまま、勢い良く腕を引こうとした時ーー扉が開き、何者かが市の腕を捻りあげた。カランと音を立てて懐刀が落ち、市は激痛に小さく声を漏らす。
「いた……っ」
「痛いと……?腕よりも、首の方がよっぽど痛そうだがな」
皮肉めいた口調が、上から降ってくる。その聞き覚えのある声音に、市はそっと顔を上げた。目に飛び込んで来たのは、冴え渡るような青い髪。白い肌。海のような瞳を、氷のように冷たくさせた男……エイサフが、唇に笑みをのせて立っていた。
0
あなたにおすすめの小説
魔法師団長の家政婦辞めたら溺愛されました
iru
恋愛
小説家になろうですでに完結済みの作品です。よければお気に入りブックマークなどお願いします。
両親と旅をしている途中、魔物に襲われているところを、魔法師団に助けられたティナ。
両親は亡くなってしまったが、両親が命をかけて守ってくれた自分の命を無駄にせず強く生きていこうと決めた。
しかし、肉親も家もないティナが途方に暮れていると、魔物から助けてくれ、怪我の入院まで面倒を見てくれた魔法師団の団長レオニスから彼の家政婦として住み込みで働かないと誘われた。
魔物から助けられた時から、ひどく憧れていたレオニスの誘いを、ティナはありがたく受ける事にした。
自分はただの家政婦だと強く言い聞かせて、日に日に膨らむ恋心を抑え込むティナだった。
一方、レオニスもティナにどんどん惹かれていっていた。
初めはなくなった妹のようで放っては置けないと家政婦として雇ったが、その健気な様子に強く惹かれていった。
恋人になりたいが、年上で雇い主。
もしティナも同じ気持ちでないなら仕事まで奪ってしまうのではないか。
そんな思いで一歩踏み出せないレオニスだった。
そんな中ある噂から、ティナはレオニスの家政婦を辞めて家を出る決意をする。
レオニスは思いを伝えてティナを引き止めることができるのか?
両片思いのすれ違いのお話です。
転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました
桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。
言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。
しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。
──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。
その一行が、彼の目に留まった。
「この文字を書いたのは、あなたですか?」
美しく、完璧で、どこか現実離れした男。
日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。
最初はただの好奇心だと思っていた。
けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。
彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。
毎日19時に更新予定です。
【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜
一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m
✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。
【あらすじ】
神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!
そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!
事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます!
仕事繁忙期の為、2月中旬まで更新を週一に致します。
カクヨム(吉野 ひな)様にも投稿しています。
転生皇女セラフィナ
秋月真鳥
恋愛
公爵家のメイド・クラリッサは、幼い主君アルベルトを庇って十五歳で命を落とした。
目覚めたとき、彼女は皇女セラフィナとして生まれ変わっていた——死の、わずか翌日に。
赤ん坊の身体に十五歳の記憶を持ったまま、セラフィナは新しい人生を歩み始める。
皇帝に溺愛され、優しい母に抱かれ、兄に慈しまれる日々。
前世で冷遇されていた彼女にとって、家族の愛は眩しすぎるほどだった。
しかし、セラフィナの心は前世の主・アルベルトへの想いに揺れ続ける。
一歳のお披露目で再会した彼は、痩せ細り、クラリッサの死を今も引きずっていた。
「わたしは生涯結婚もしなければ子どもを持つこともない。わたしにはそんな幸福は許されない」
そう語るアルベルトの姿に、セラフィナは決意する。
言葉も満足に話せない。自由に動くこともできない。前世の記憶を明かすこともできない。
それでも、彼を救いたい。彼に幸せになってほしい。
転生した皇女が、小さな身体で挑む、長い長い物語が始まる。
※ノベルアップ+、小説家になろうでも掲載しています。
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
《完結》「パパはいますか?」ある日、夫に似た子供が訪ねて来た。
ヴァンドール
恋愛
嫁いですぐに夫は戦地に赴いた。すると突然一人の男の子が訪ねて来た「パパはいますか?」
その子供の顔は戦地に行った夫にそっくりだった。
不能と噂される皇帝の後宮に放り込まれた姫は恩返しをする
矢野りと
恋愛
不能と噂される隣国の皇帝の後宮に、牛100頭と交換で送り込まれた貧乏小国の姫。
『なんでですか!せめて牛150頭と交換してほしかったですー』と叫んでいる。
『フンガァッ』と鼻息荒く女達の戦いの場に勢い込んで来てみれば、そこはまったりパラダイスだった…。
『なんか悪いですわね~♪』と三食昼寝付き生活を満喫する姫は自分の特技を活かして皇帝に恩返しすることに。
不能?な皇帝と勘違い姫の恋の行方はどうなるのか。
※設定はゆるいです。
※たくさん笑ってください♪
※お気に入り登録、感想有り難うございます♪執筆の励みにしております!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる