織田信長の妹姫お市は、異世界でも姫になる

猫パンダ

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第一章 異界からの姫君

第二十五話

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 「とても、痛そうです……大丈夫ですか?」

 市の不安そうな瞳に、晧月は安心させるように微笑んだ。

 「このぐらい、何ともないよ。天使ティエンシーは、優しいね」

 晧月は、暖かい気持ちになりながら、市に身を任せた。彼女の手付きは、覚束無いものの、晧月を気遣う気持ちで溢れている。慣れない様子で、包帯を巻いてくれる彼女の、なんと愛しいことだろう。

 「はい、出来ました。あまり上手く巻けませんでしたが、何も処置しないよりはマシなはずです……。あとで薬師に見てもらって下さいませ」

 「……ありがとう」

 確かに包帯の巻き方は完璧とはいえないが、なかなか手先は器用らしい。きちんと巻けている。晧月は、ボロボロになったチャイナ服を羽織ると、ボタンをとめていく。するとようやく市は、安心したように顔を上げるものだから、笑ってしまう。初心なものだと、微笑ましい気持ちになりながら、彼女を見つめれば、その細い首に巻き付く包帯に気が付いた。

 「それ……どうしたの?」

 市の首に巻き付くそれは、真新しいもので、よく見れば薄らと血が滲んでいる。

 「……可哀想に。誰にやられたんだい?」

 八の字に眉を下げた晧月は、心配そうに銀の瞳を細めた。その心中では、返答次第によって、市を傷付けたであろう人物を、どうしてやろうかと目論んでいるのだが……。

 「もしかして、エイサフが君を傷付けたのかな」

 「こ、これは……私が自分でやったのです!」
 
慌てたように言葉を紡ぐ彼女に、晧月は目をお皿のように丸くした。

 「君が?それは、どうして?」

 市は、晧月に嘘をつくつもりは無かった。少しずつ、そうなってしまった経緯を、ポツリポツリと話していった。晧月は、茶々を入れることなく、静かに彼女の話に耳を傾ける。やがて、全てを話終えると、彼は市の細い肩を抱き締めた。

 「……若君?」

 それは、エイサフの情熱的な抱擁とは違う、まるで壊れ物を扱うかのような、羽根が触れるように優しい抱擁であった。隙間のなくなるほど、ギュッと抱き締める訳ではなく、少しだけ肌と肌の間に隙間がある……そんな距離感。市は、彼の1歩引いた姿勢に、何故だか胸がキュッと苦しくなった。どうしてだか、わからない。そのまま、潰れるほど強く……抱き締めてくれたならと願ってしまった。

 「聞いて、天使ティエンシー

 安心させるような、優しい口調。まるで、子守唄を歌うかのような声音が、市の鼓膜を刺激する。

 「君は、元の世界へ帰りたいだろうけど……俺は、君に帰って欲しくない。何故だか、わかるかい?」

 「わかりませぬ。何故ですか?」

 「それは、君に傍にいて欲しいからさ」

 晧月の手が、市の背中を撫でた。下心など感じさせない手付きは、まるで兄のようなぬくもりを感じる。

 「俺は君の幸せを願うよ。でも……その幸せは元の世界ではなくて、俺の隣であってほしいんだ。言っている意味、わかる?」

 撫でるように、真正面から市を見守りながら、晧月は桜色のふっくらとした唇を緩めた。月光のような銀の色彩。それを縁取る銀の睫毛が、彼のシャープな頬に影を落とす。

 市は不思議と、胸の高鳴りを抑えきれずにいた。心臓は先程から、晧月に聞こえてしまうのではないかと、危惧してしまうほど五月蝿いし、頬は燃えるように熱い。手に汗をかいてしまうし、まばたきを忘れてしまい、目が痛い。そんな体の変化を感じながら、彼女は唇を開いた。紡いだ言葉は、自分でも驚くほど、女らしく甘やかな音だった。

 「わかりませぬ……教えて下さい、ませ……」

 黒曜石のようにキラキラと輝く瞳が、その輝きを増長させるかのように潤んでいく。頬だけでなく、目元まで薔薇色に染まっていた。花弁のような唇は、薄らと開いており、真珠のような歯が覗いている。市の顔は、どこから見ても、晧月に恋焦がれる娘そのものだった。

 「たまらなく、君が好きだよ……天使ティエンシー

 晧月は我慢出来ずに、市の後頭部に手を寄せた。そのまま胸元まで引き寄せて、抱き締めれば、彼女の首元から甘い果実のような香りが、誘惑するかのように香ってくる。

 「誰よりも、君が可愛い。そして、愛おしいよ。俺は、君が皇妃こうひになってくれたならと、思っている」

 「そ、そんな……」

 戸惑った言葉を発するも、市の左の胸は、ときめきに早鐘を打っていた。不思議な……色に表すと桜色や、薄黄色だろうか。そんな暖かい気持ちが、市の全身を流れた。喉につっかえるような、その感情は、初めてのものだが嫌ではない。

 「今すぐに、返事をとは言わない。でも、どうか俺の事を拒まないで。後悔なんてさせないくらい、君を……この世界の誰よりも、幸せにするから!」

 晧月は、目元をほんのりと淡く染めて、照れ臭さを隠すかのように、窓から去って行った。彼の去った窓から風が吹き、カーテンがゆらゆらと揺れる。

 市は、ぼうっと立ち尽くすと、左胸に手を添えた。胸の高鳴りを、抑えられない。熱があるかのように、体が熱い。晧月の顔ばかり、頭に浮かぶ。

 「兄上様、私……どうしてしまったのでしょう……?」

 市の呟きに、答える者は誰も居なかった。

 
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