織田信長の妹姫お市は、異世界でも姫になる

猫パンダ

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第二章 愛を乞う王子

第三十二話

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 「そこで、何をしている?」

 久実とレイムホップは、ギクリと肩をこわばらせた。飛び降りたザァブリオを見送った矢先、さっそくシュッタイト兵に見つかってしまったのだ。

 「エイサフ王子!怪しい奴らが、おりまする!いかが致しましょう?」

 シュッタイト兵の声に、エイサフがゆっくりと近付いて来た。その腕には、ぐったりとした市が抱えられている。彼は、市の顔を愛おしげに眺めながら、汗で額に張り付いた黒髪をよけてやった。しかし、市はピクリともせず、顔面蒼白で気を失っていた。愛おしげな彼の眼差しに、市の瞳は固く閉じられており、答えを返せるような状態ではない。それなのに何故か、彼は満たされた顔でいる。そんな異様な姿に、久実はゾッとしたものを感じた。

 「姫よ……すまぬ。すぐに休ませてやりたかったが、どうやらネズミが紛れ込んでいたようだ……もう少し、待っていてくれぬか」

 エイサフの言葉に市は答えない。だが、彼は唇に笑みをのせると、久実にちらりと視線を流した。

 「卑しいネズミが二匹か。どうしてくれよう」

 ネズミ呼ばわりに、久実は憤りを感じて拳を握ったが、エイサフの冷たい目を見たら、何も言えなくなってしまう。

 ーーこの人……なんて、冷たい目。冷たい顔。そして、なんて……寂しそうな眼差しで、お市ちゃんを見るの。

 そんな目で見ても、エイサフがしている事は許されない。晧月が斬られてしまうところは、久実もしっかりと見たのだ。市はきっと、晧月を好いていただろうに……。

 「お市ちゃんを返しなさいよ!!」

 「ならぬ。このまま姫は、私の妃となるのだ」

 「何を、勝手な事を……」

 市の気持ちは、まるで無視をしている。エイサフの愛は、自分の想いを、自分勝手に相手に押し付けているだけだ。

 「お市ちゃんは、晧月の事が好きなのよ!!」

 久実は思わず、そんな事を叫んでいた。エイサフの顔が青白くなる。彼は唇を震わせて、腕に抱く市の体を抱き締めた。それはまるで、幼い子供が、宝物を取られないように守るかのような……。

 「黙れ……!そなたに、何がわかる!!私のこの張り裂けそうな想いなど、わかるまい!!」

 「わかるわけないでしょ!知った事じゃないわよ、アンタのことなんて!私が大事なのは、お市ちゃんなんだから!早くお市ちゃんを返しなさいよ!!」

 「何……!!生意気な女め……!!」

 エイサフの顔が、カッと赤く染まる。その怒りの表情に、レイムホップが久実を守るようにして、前に出た。

 「落ち着いて下さいませ。エイサフ王子」

 「……レイムホップ」

 エイサフの瞳が、冷たくレイムホップを見据えた。

 「そなたも、私から姫を奪いに来たのであろう。私の行動を、咎めに来たのであろう……」

 「わかっていらっしゃるのであれば、話は早いですな。あなた様のなさっている事は、大罪です。宮殿での争い……それに加え、他国の王子の暗殺。挙げ句の果てに、姫君を無理矢理攫うなど、あってはならないことですぞ……!」

 レイムホップの厳しい声が、静かにエイサフを責め立てた。だが、彼は市の体を抱いたまま、クッと笑いを零す。

 「レイムホップよ……罪を恐れては、姫は奪えぬ。それに、罪を犯しても……罪人は作るものだ」

 エイサフは、隣に立っていたシュッタイト兵を、顎でしゃくった。するとシュッタイト兵は、声を張り上げて宣言する。

 「渼帝国の晧月を、殺したのは私でございます!この騒動も、私含め、晧月に恨みを持つ者達で単独に行ったこと!エイサフ王子は何の関係もございませぬ!!」
 
 シュッタイト兵がそう言えば、その他のシュッタイト兵も次々に声を上げる。

 「そうだ、そうだ!」

 「俺達が勝手にしたことだ!!」

 エイサフは、そんな兵達を見下げて、冷徹な笑みを浮かべた。レイムホップと久実は、唖然とする。

 「あなた様は……自国の兵士達を、切り捨てるおつもりですか……」

 「はて、何の事だ?私は、日課である散歩をしていただけだ。そうしたら、たまたま倒れていた姫を見つけたのだ。どうやら、我が国の兵達が、勝手に晧月皇子を殺してしまったようだが、彼も運が悪い……」

 心底残念そうに言うと、エイサフは大事そうに市を抱え直した。その頭を優しく撫でながら、額にキスを落とす。

 「姫よ、もう少し待っていてくれ」

 市のまろい頬を手でなぞり、レイムホップと久実に冷たく言った。

 「見られたからには、そなた達は帰せぬな……」

 エイサフは、面倒臭そうにため息を零す。シュッタイト兵達には、自分の為に罪人として死んでもらうつもりだったのだ。宮殿に姫君が滞在している間は、争いや殺しは厳禁。そんな事くらいエイサフもわかっている。だからこそ、エイサフが関与していないところで、数人のシュッタイト兵達が暴走し、晧月を殺してしまったという筋書きだったのに。見られてしまっては意味が無い。しかし、相手は、宮殿の監督者に、異界からの姫君だ。それこそ、殺してしまうのは簡単だが、後がややこしい。

 「そなた達にも、来てもらうしかないか……」

 ボソリと呟くと、エイサフはムスタファに命じた。

 「ムスタファ、このネズミ達を丁寧にお連れしろ」

 「はっ」

 ぬっとムスタファが現れ、久実はヒッと声を漏らす。あまりにも大きいその男。久実の二倍はありそうな体は、筋肉の鎧で覆われている。丸太のような腕が、レイムホップと久実を捕らえた。

 「ちょ、ちょっと!離してよ!」

 ムスタファは、二人の体を米俵のようにして担ぐ。その力の強さに、体が軋む。久実は、黙り込んだ。……というより、話したくても話せないのだ。体を捕らえる腕の力が強すぎて、腹が圧迫されて苦しい。

 「やれやれ、少しは静かになったな」

 エイサフは久実を見てそう零すと、周りに控えるシュッタイト兵に冷めた目を向けた。

 「みな、ご苦労であった。私の為に、罪人としてここで自害しろ。見届けてやる」

 「はっ!」

 嘘でしょう、と久実は目を見開く。シュッタイト兵達は、あまりにエイサフの言葉に従順であった。彼等は、そろって短剣を持つと、その場で自身の首に突き刺したのだ。

 「……ひっ!?」

 久実の頬に、血飛沫が飛ぶ。生暖かく、ぬるりとしたそれは、鉄臭い匂いがあまりにリアルだった。

 ーー狂ってる!この人達、みんな変よ!こんなの、おかしいわ!

 久実の心の叫びは、飛び出すことなく、彼女の頭の中で木霊していた。レイムホップは、静かに目を閉じる。憐れなシュッタイト兵達は、エイサフの役に立てて光栄だったのか、不本意だったのか……。今となっては、わからない。屍と化した彼等の真ん中で、エイサフだけが満足そうに笑っていた。真っ赤な血が、彼の足元をじわじわと染めていく。それはまるで、赤い絨毯の上に立っているかのようだった。
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