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第四章 消えた侍女
第五十二話
しおりを挟む晧月達が無事に城を脱出すれば、久実が涙ぐみながら市へと駆け寄った。抱きつかんとばかりに喜ぶ彼女の姿を、親指を咥えながら眺めるザァブリオ。ああ。自分も久実にああして、迫られたい。そんな彼の思いを読んだメイリンが、呆れた顔で息を吐く。出番のなかった渼帝国の兵士達の不満を受け流しながら、晧月は少しだけ寂れた小さな城を見上げた。
「仕方ないなぁ……そんなに活躍したいなら、この城を焼き払って見せてよ」
さらっと躊躇なく言った晧月の言葉に、市が慌てて声を上げる。
「ダメでございます!あの城にはまだ……らびがおりまする!」
「裏切り者の侍女なんて、君が庇う必要はないんだよ?」
「それでも、どうか……あの者の命だけは、お助け下さいませ……」
市にとって、こちらに来て親身に世話を焼いてくれた侍女。しかし彼女の忠誠は、市ではなくエイサフにあった。それでも、こちらの世界の事を知らない市に、色々な事を教えてくれたのは彼女だ。儚げな菫色を持つ見た目と反して、したたかな彼女は、なかなか市にとって気に入らない面もあったが、殺してしまうのは心苦しい。ラビアの笑顔や、優しさに安堵した事もあったのだから。
「お願いします……晧月様」
市のお願いに、晧月は唇をへの字に曲げた。
「君って本当に、優しいんだね。その甘さが心配になるよ」
「私は優しいのではありませぬ。ワガママなのです。らびを見殺しに出来ぬのも、ただの自己満足……夢見の悪い思いをしたくないだけなのです」
そうだ。別に、ラビアなど市にとっては、取るに足らない侍女。その命がどうなろうと知った事ではない。だが、平成を生きる久実と友人になり、晧月に恋をし、ザァブリオやレイムホップ……色んな人間と関わり、色んな考え方を知った。戦国の世にいた頃の、城の中でじっとしいてた日々は、どれだけ退屈だったのか。今となって、わかる。小さな箱庭から世界に飛び出した市は、色んな人と関わり、戦国らしい血生臭い思考が和らいだのかもしれない。
「しょうがないなぁ……」
不満げだが、晧月は市の考えを否定しようとは思わない。本来なら、敵の城など焼き払って、消し炭となればいいと考えるのだが……。ムズムズしながら、晧月はへの字に曲げていた唇を一文字に引き結んだ。
白薔薇宮殿に戻り、市とレイムホップはすぐさま医師の元へと運ばれた。晧月に抱かれていたから良かったものの、市は自分で歩こうとすれば骨折していただろうと思われるほどに弱っていた。しかし、ここまで弱っていても意識は正常であり、重度の疾患も患っていない。そのアンバランスさは、エイサフによってかけられた不死の呪いによるものなのだろう。
レイムホップは、命に別状は無かったが、酷い貧血と傷により、しばらくはベッドと友達だそうだ。あまりに酷い状態の市とレイムホップに、里奈とキティーリオは目を白黒させていた。完全に忘れ去られていた存在の彼等は、この大事件に気付かず、宮殿内の騒がしさにも気付かず、今の今まで、のんびりと暮らしいてたらしい。事件の内容を知り、里奈は悲しみに嘆いたのだが……その内容は、イケメンであるエイサフが死んだなんて!という、市の事は微塵も気遣う様子のないものであった。もちろん、久実が激怒したのは言うまでもない。
「晧月皇子」
久実の侍女である、渼帝国出身の女……凛々が、晧月の前で頭を下げた。晧月は赤い椅子に腰掛けて、長い足を組む。真っ赤なチャイナ服に、美しい花の刺繍がされた服は、彼の美麗さを際立たせていた。銀色の癖のある髪の毛を撫で付けて、彼はふっくらとした桜色の唇を開く。
「なに」
頬杖をついて、彼はマイペースに月餅を齧った。もぐもぐと咀嚼しながら、凛々を横目でチラリと見下げる。
「は……皇帝から書状を預かっております」
「父上から?」
薄い紙をくるくると巻いた巻物を受け取り、バッと広げて見る。するとそこには、父とシュッタイト帝国の王との会合について書かれていた。
「ふーん、父上……もうシュッタイト王と会ったんだ」
エイサフの行いに激怒した皇帝は、シュッタイト帝国に使者を送り、対談を申し込んだらしい。もしも、晧月が死んでいたなら、対談ではなく戦争の始まりだっただろうが……。
書状の内容は、晧月にとっていい気分のものでは無かった。シュッタイト王は、此度の息子のしでかした件について、終始飄々とした態度だったという。悪びれもなく「エイサフという息子など、儂にはおらぬ」と言い放ったらしい。皇帝が怒るも、シュッタイト王は聞く耳持たず。「エイサフという男など知らぬ。そなた等で好きに料理すればよいのではないか?儂の知った事ではない」等と……シュッタイト王は、エイサフを切り捨てたのだ。
第一王子であるエイサフの存在は、近隣諸国の者達誰もが知っている。言い逃れなど無駄だというのに、シュッタイト王はエイサフの犯した罪の責任を負うつもりはなく、最後まで息子は居ないと貫き通した。皇帝はシュッタイト帝国を、このまま野放しにするつもりはない。異界からの姫君が、各国へ嫁いだあかつきには、再び開戦することになるだろう。そのような事が、書状には記されていた。
「凛々、筆と紙を」
「はい、こちらに……」
まっさらな和紙に、晧月はサラサラと字を書いた。
好敵手であったエイサフは、父王に愛されていなかったのだろう。でなければ、いくら息子が道を間違えたとはいえ、切り捨てたりなどしないはず。晧月は、父に愛され、母に愛されていた。孤独を感じた事などない。愛されて育った晧月は、愛する人を慈しみ、大切にするという愛し方を知っている。エイサフが、晧月のように父や母から愛されていたのなら、彼は暴走しなかったかもしれない。
同情するつもりなどない。晧月は、エイサフの幻影を振り払った。あの男は、市を泣かせた。自分から彼女を奪おうとした、愚かな男なのだ。
「凛々、これを父上に届けて」
「はい」
書き上げた書状を丸めて、凛々に渡す。彼女は頭を下げると、素早く部屋を後にした。その背中を見届けて、晧月は天井に向かって声をかける。
「影、おりてきて」
黒い霧を発しながら現れたのは、全身黒ずくめの男だった。口元までも黒い布で覆われており、目元しか見えない。影と呼ばれた男は、茶色い瞳をしており、象牙色の肌には皺がある。彼の年齢は、晧月にもわからない。だが、見たところ四十代くらいだと思っている。
彼……影は、名前を持たない男であった。晧月を影のように守れと、皇帝に命じられた男のため、そのまま影と呼んでいる。白薔薇宮殿には、自国の臣下を連れてきてはならないという決まりがあるのだが、晧月は彼を呼び寄せていた。
「……どうだった」
「は。エイサフ王子の死体が、忽然と姿を消しておりました」
「……焼いたのに?」
晧月は、無表情で唇を噛む。市には、城に火を放つなと言われたものの、彼は部下に命じて城を焼き落とした。市が気にしていたのは、ラビアのことだ。晧月は、一定の猶予を与えた上で、少しだけ待ってから火を放った。それなのに、ラビアが命を落としていたのだとすれば、それは運が悪かっただけのこと。逃げ遅れた、あの侍女が悪い。そう結論付けて、城を火の城へと変えたのだが……。まさか、エイサフの死体が消えるとは。
「消し炭となるほど、火を放ったわけではありません……他のシュッタイト兵士達の死体はありました」
「まさか、この世に未練がありすぎて息を吹き返したとでも?」
フッと鼻で笑う。きっと、何者かがエイサフの死体を持ち出したのだ。そいつは、一体何の目的で……。脳裏を過ったのは、あの侍女の姿だった。
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