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五章 混迷する弟子達
7-過去編(4) 守るための嘘
しおりを挟むダイクが目覚めた時、そこが何処なのかはっきりしなかった。
見知らぬ場所であれ、眼前に見える天井を天井と分からない。
寝ているのに寝ているという行動そのものが理解出来ない。
思考がまるで働かない。
目を開けると何かが映っている。
身体が何かに触れている。
温かいか冷たいか、その体感の刺激が伝わるなど、ごく当たり前のことを呆然とした状態で体感する。それぐらいである。
「こいつは酷い。すぐ回復に移ろう」
隣で誰かが何かを言っている。
声の人物がダイクの両手を開き、右手に細長い温い何かを置いた。次いで左手にゴツゴツとした、ほぼ丸い冷たいものを置いた。
それ等二つが置かれると、ダイクは自らの意志に反し、深呼吸を行った。
息を吐ききった時、事態は起きた。
「――ぐっ!! ――うう、ううあああああ――!!!!」
両手に激痛が走る。
それが腕を通って肩に、胸に、そこから首へ腹部、そして足、頭へと広がった。
「あああああああああ――――!!!!!!」
「辛抱しろ! ダイク=ファーシェル!!」
名を呼ばれ、激痛の最中、ダイクは自分の名前を思い出した。
呼吸を荒げ、身を捩りながらも、声をかけてくる男性はダイクの両手に乗せた物越しに手を握って離さない。
別の人物もいるのだろうと感じる。両足を抑え、肩を抑える者達が。
「ダイク=ファーシェル。ここが何処か、どういう経緯でこうなったか覚えているか!」
両手を抑えている男性の質問が、ダイクの記憶を刺激した。
――よくそのような策で……。
――お前は、俺が……。
――そいつを返してもらおうか……。
次々に断片的な場面と、それを言った人物達が思い出される。
そして、最後にシャイナが奇文に呑まれるような光景が映った。
「――シャイナさん!!」
まるで目の前で見た光景に反応し、ダイクは叫んだ。
「しっかりするんだ!!」
視界に映ったのは、口髭と髪色が灰色の男性。
服は、管理官の制服をしているが、ダイクはその人物を誰か知っている。
「……管理……官長?」
自分でも意識せず、涙がとめどなく流れた。流れる感覚も、こめかみを伝う体感もあるが、なぜ流れているのか、なぜ泣き止まないのかが分からない。
落ち着くと、他の管理官達がダイクの身体を押さえていた手を離した。
「ようやく大まかに戻ったか。どれ、痛みはどうだ? 何を言っているか分かるか?」
質問の意味も、言葉そのものの意味も分かる。よって、素直に頷けた。
「では、どこまで覚えている?」
その質問に答えようにも、記憶が断片的すぎて纏まらない。さらに悪い事に、断片的な記憶が消えていく。
「いえ、……はっきりとは」
「では、私と君がデビッド=ホークスの家で会った事は覚えているか?」
それははっきり覚えている。その部分を思い出しても、記憶が消えることはなかった。
「……先生が、俺を管理官に推薦したんですよね」
「よーし、だいぶ戻って来たな。では次の質問だ。デビッドの家に、ギドという男性が来たのを覚えているか?」
それも覚えている。その人物の容姿も、声も覚えているが、どんな話をしたかをあまり覚えていない。なのに、深紅の墨壺の事だけは印象深く覚えている。
「来たのは分かります。話もしたけど、どんな話かは……」
何故か、墨壺の事を話す事が出来なかった。”話してはならない”そんな気がした。
「なぜ、ギドさんの事を?」この状態で初めて質問出来た。
「デビッドに聞いてな。そういう人物が来ていたと。……では、それ以降、何が起きたかは覚えておらんのだな」
どれだけ思い出しても、ギドと話して以降の事はあまり思い出せない。唯一覚えているのは、病室の窓から垂れたように伸びた奇文を通し、環具を使ってどこかへ入った事ぐらいである。
ダイクはその事だけは伝えた。
ようやく起き上がると、ベッドに座ったまま管理官長と向かい合った。
「……あの、俺、何か悪い事を……」
「さあ、悪いと言えば悪いだろうが、結果としてそれが最悪の事態か、被害を最低限に抑えた最良の選択か……結論付けの難しい事態にはなっている」
管理官長は自らの知る経緯を説明した。
デビッドと異常事態が起きたエメリアをどのように対処しようか考えていた最中、部屋で留まっていた奇文が急に活性化し、空間浸食のように病院全てに奇文を蔓延らせた。
急いでデビッドはエメリアの部屋へ向かうと、奇文塗れのエメリアだけを残し、誰もいない事態となっていた。
デビッドは急遽、考えうる策を講じ、腹を括って環具を使用し、エメリアの世界へ入った。
そこからはどれだけデビッドに問いただしても答えてくれず、結果として寝たきりのエメリアは奇文に塗れ、シャイナもダイクと同じ状態で発見された。
ダイクの治療を管理官長が、シャイナの治療をデビッドが行っている。
先に治療が済んだシャイナの容体は、想像以上に悪くなっている。
辛うじて覚えている事は、日常生活に支障をきたさない、物の使い方や意味などは無事である。ただ、両親の記憶、過去の記憶の殆どは忘れてしまっている。
はっきりと覚えている事は、デビッドが奇文修復師をしており、ダイクが弟子。という事ぐらいで、それぞれがどういった人物で、今までどういった生活をしていたかなどは、ほぼ忘れていた。
◇◇◇◇◇
「……あの……私と、貴方はどのような関係でしょうか……」
デビッドはシャイナの治療を終え、記憶の整理を行ったが、どうしても親子としての記憶も、母エメリアの記憶も思い出せない。
シャイナに無理やり真実を伝えても混乱するだけだと思われる。確証はないが、デビッドはそう判断した。
下手をすれば頭が壊れてしまう。
本件が終息した後、街で起きた変化を含め、デビッドはシャイナの記憶も心にも負担の罹らない選択を取った。
どうも落ち着かず、窓際で煙管の火皿に干し草を詰め、マッチで火を点け、一服した。
深く吸い、ゆっくり煙を吐くと、言葉が纏まった。
「お前は俺の家の使用人だ。奇文修復は覚えているか?」
「えっと……。はい。作品の中に入って、…………ごめんなさい。何をするかまでは」
「そこまで覚えていれば上等だ。奇文を消す作業だが、詳細は追々思い出させるさ。その作業中、俺の過ちでお前を巻き込んでしまい、それで色んな記憶を失う結果となってしまった」
シャイナは、呆然と聞き、戸惑ったいた。
「……あの……私、使用人として……どうなるのでしょうか」
シャイナの記憶の中では、家事をこなし、デビッドの世話をしていた部分が色濃く残っている。その為、素直に使用人である自分を受け入れることが出来た。
「安心しろ。お前に落ち度はない。これは全面的に俺が悪い」
「――では!」必死の眼差しが向けられた。「私はまだ使用人として雇って頂けるのですね」
それを聞くだけで、デビッドは胸が苦しかった。
なぜ、娘にこの様な事を言わせなければならないのか。
なぜ、こうなってしまったのか。
何が悪かったのだ。
また煙管を一息吸って、吐いた。
「心配性だな。俺がお前を易々と捨てると思ってるのか?」
「あ、いえ」申し訳なさそうに視線を落とした。「私、元々記憶が無いから、家族もいるかどうか分からないのです」
その告白が、デビッドへさらに負担となった。
「このまま捨てられたら、天涯孤独となってしまいます」
デビッドは決心した。この負担も娘を守り抜く事も、いずれ必ずこの事態を解決する事も、全てを背負って生きる覚悟を。
部屋に吹き込む潮風が、デビッドの決心に呼応し、後押ししたかに思えた。
「明日までは入院だ。明日の昼、迎えに来るからそのつもりでいろ」
「あ、はい」
デビッドは病室を出た。
◇◇◇◇◇
ダイクは涙が止まらなかった。
その事態は明らかに自分が招いたものだと分かったからだ。
まるで記憶は思い出せないが、どうしても自分が許せなかった。
何度も自分を責め、謝った。
苦るしい、つぶやくような謝罪を聞いた管理官長は胸が痛く、込み上げてくる感情を、深く息を吸って抑えた。
「あまり自分を責めるなダイク君」
「だって、だって……俺が、俺が先生の……家族を」
「違う。それは断じて違う。この事態を招いた原因はハーネックだ。けして君ではない」
真剣に諭す管理官長の胸に、頭を預け、ダイクは訊いた。
「管理官長……どうすれば――」
その意志を汲み取り、重荷を背負わせるか、繕った言葉で諭すほうが良いか。管理官長は選択を迫られた。
そして、選んだ。
「ダイク=ファーシェル。管理官になれ」
部屋に潮風が吹き込んだ。
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