妄想恋愛しちゃダメですか?

橘柚葉

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第六話

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「えっと……まさか本気なんてことは。あは、あははは!」
「いえ、本気でしたけど」
 笑って誤魔化しているのだから、そちらも「冗談でした」と答えるところでしょう、ここは。
 しかし、目の前の尚先生は相変わらずの男前で、そのキレイな顔はとても真剣で笑み一つ浮かべていない。
 冗談ではない、と表情で示され、私としてはどうしていいものかと考えあぐむ。
 総おどりは無事終了し、商工会の面々は浴衣から着替え、祭りの人混みに消えていく。
 そう。商工会の行事としては無事終了した。そこに間違いはない。
 しかし、誰しもが無事だとは限らない。そう何事にも例外というものはつきものだ。
 そしてその例外は、この私。木佐珠美のことだろう。
 浴衣を着付けてもらい、「さぁ、総おどりだ」と意気揚々としていた私に、突然声をかけてきたのは尚先生だ。
 声をかけてきただけならいい。まぁ、そこはいいことにする。
 しかし、内容がいただけない。この男前で素敵男子である尚先生は、あろうことか私なんかに興味があるなどとのたまったのだ。
 たぶんこの暑さのせいか、はたまた仕事が多忙だったのか。理由はいずれにせよ、尚先生が血迷ったのだと処理したかった。
 だが、所謂恋人繋ぎをされ、総おどり会場である大通りに出た私は、ずっと尚先生の隣。
 あちこちから冷たい視線やら、興味津々な視線を一身に浴びながらの総おどりは、そりゃもう肩身が狭かった。
 毎年総おどりには参加しているが、こんなに冷や汗が出て心臓に悪い総おどりは初めてだ。
 総おどりをつつがなく終了することができた私たちは、再び商工会のビルに戻り、普段着に着替える。
 そしてそのまま解散。それがいつもの流れだ。
 それに私も乗っかろうとしたのだが……それは尚先生に阻まれてしまった。
「どこに行くのですか? 珠美さん」
 どこのモデルさんですか、とお伺いしたくなるほどに私服姿も完璧に着こなしている尚先生は、にこやかに私にほほ笑みかけてきた。
 だが、目が笑っていない。逃げようとしていたことがバレているのだろう。ここでもまた冷や汗が背中を伝う。
「えっと、その……帰ろうかと」
「急いで帰る用事があるのですか?」
「えっと、そういうわけではないのですけど」
 明日は日曜日で仕事はお休み。このあと何か用事があるかと聞かれれば、ないと答える。
 当初の予定では、フジコと一緒に屋台見物にしようと決めていた。しかし、肝心のフジコは怪我をしてしまいここにはいない。
「帰りは私が責任を持ってご自宅までお送りしますから、これから屋台見物にでも行きませんか?」
 一見、行きませんか、と誘っているようにも見えるが、もちろん行きますよねと威圧的にも感じる。
 眼鏡の向こうにある目が、なんだか色々物語っているように思うのは私だけだろうか。
 いつもの私なら、脳内妄想恋愛機が発動して頭の中でキャアキャア騒いでいるところだが、そんな余裕は一ミリもない。
 脳内妄想恋愛機は他人事だから楽しく、黄色い声を上げていられるのだ。
 いざ、自分の身に起こってしまえば、いくら何度も同じようなシュミレーションをしていたとしてもパニックに陥ってしまう。全く使えない。
「珠美さん、チョコバナナお好きなんですよね。総おどりが終わったら屋台見物に行く気満々だったでしょう?」
「うっ……」
 そのとおりである。
 私の脳内妄想恋愛機は、知らぬ間に音声機能まで搭載されたのかと感激していたが、実はご本人とお話していたというオチつきだった。
「さぁ、行きましょう。お腹もすいているでしょう?」
「な、尚先生!?」
 先ほどと同じように恋人繋ぎをされた私は、尚先生に引っ張られるがまま着いて行くことになってしまった。
 最初は戸惑った私だったが、大通りに降りて来るとその熱気に感嘆を上げる。
「うわぁ……」
 総おどりのときはキョロキョロと辺りを見回す余裕もなかったが、すごい賑わいだ。
 お祭りの熱気。毎年思うことだが、嫌いじゃない。むしろ好き。大好き。
 尚先生のお父さんである澤田先生は祭りをこよなく愛しているが、私も同じだ。
「珠美さんはお祭り好きですか? うちの父と同じですね」
「ええ。澤田先生と毎年総おどりのときはお祭り談義に花を咲かせています」
 今年はそれができなくて残念だと言えば、尚先生は急に私の顔を覗き込んできた。
 近い、近すぎますよ、尚先生。
 仰け反って距離を離そうとする私に、尚先生は至極真剣な面持ちで呟いた。
「妬けますね」
「え?」
 一体なんのことだろう。小首を傾げる私に、尚先生はバツが悪そうに笑みを浮かべる。
「まさか自分の父親に妬く日が来るとは……マズイな」
 ポケッと口を広げ、目をパシャパシャと瞬かせる私に尚先生は「なんでもないです」と困ったような表情を浮かべる。
 はて、と首を傾げながら考えていると、やっと尚先生が言いたかった意味がわかり、顔がカッーと熱く火照っていく。
 要するに、尚先生は私と澤田先生が祭り談義で花を咲かせているということに嫉妬してしまったと言っているのだ。
 片手で隠れるはずがないのに真っ赤になってしまった頬を隠していると、頭上からクスクスと楽しげに笑う声がする。尚先生だ。
「これから私と珠美さんの共通の話を探していけば良い。そうすれば、父さんに嫉妬しなくて済みますからね」
「えっと……あの」
 どうして尚先生はここまで私に執着してくるのだろう。
 私に興味があるイコール、私のことが好きだと捉えてよいものだろうか。
 聞いてみたいところだが、もし違っていたら……恥ずかしくてどうにかなってしまうだろう。
 そんな危険な賭け、私には到底無理である。
「ほら、珠美さん。あちらにチョコバナナありますよ」
「えっと、はい」
 聞くに聞けず、私は尚先生にエスコートされるばかりだ。
 色んな色のチョコレートがコーディングされているバナナの数々。その横には苺やパインなんてものもある。
「ほら、珠美さん。どうぞ」
「えっと、お金!」
 慌ててカバンからサイフを取りだそうとしたのだが、尚先生にそれを止められた。
「落としてしまいそうだ。ほら早く持って」
「あ、はい!」
 尚先生は片手でチョコバナナとチョコパインの棒を持ち、もう片手にはサイフを持っている。
 確かにチョコバナナをとチョコパインを片手で持つのは辛いだろう。
 慌てて手を差し伸べると、尚先生は私にチョコバナナとチョコパインを差し出してきた。
「お好きな方をどうぞ」
「ありがとうございます。じゃあ、チョコバナナの方を。あ、お金支払います」
「今日は私の我が儘でお付き合いいただいたのですから、これぐらい払わせてください」
 これだけ強引な尚先生だ。ここで私が払うと強気に出ても、聞いてくれるような人ではないだろう。
 それなら、あとで纏めてお支払いしよう。今、サイフを取り出しても尚先生は頑として受け取ってはくれないだろう。
「いただきます」
 やっと言うことを聞いた私に対し、尚先生はとびきりの笑顔を向けてきた。
「どうぞ、召し上がれ」
 尚先生の笑顔に促され、私はチョコバナナを頬張った。甘いチョコレートとバナナ。口の中でほどよくマッチする。
 チョコとバナナ、最強の組み合わせだと思う。
「美味しい!」
「私にも一口ください」
 え、と目を丸くしている間に、尚先生は私がかじったチョコバナナを頬張っていた。
 ちょっと待ってください、尚先生。それは今、私が食べたチョコバナナ。
 所謂、間接キスというやつではないでしょうか。
 ああ、こういうシチュエーションは何度も脳内妄想恋愛機で繰り返している私でも、現実には初めての出来事。
 以前、彼氏と呼ぶ人はいたのだが、こんなふうに恋人らしいことをしたことはなかった。
 だからこそ、間接キスは初めてだ。
 あ然としている私に尚先生は爽やかな笑みを浮かべた。
「ごちそうさま。どうです? チョコパインはいかがですか?」
「い、い、いえ! 滅相もない」
 そうですか、と私の心中を察しておきながらサラリと躱す尚先生が憎たらしい。
 尚先生が食べたチョコバナナ。これを私に食べろというのですか。
 ジッとチョコバナナを見つめていると、尚先生がクスクスとどこか楽しげに耳元で囁いた。
「私が……食べちゃいますよ」
「!」
 深い意味はない。チョコバナナを食べることに躊躇していたら、私が貴女のチョコバナナも食べちゃいますよ。尚先生はそういう意味で言ったのだろう。
 だけど、私の優秀なのかポンコツなのか分からない脳内妄想恋愛機はとんでもなく卑猥な意味で捉えてしまったようだ。
 尚先生が食べるつもりなのは“チョコバナナ”。しかし、私の脳内妄想恋愛機は”私“と変換してしまうのだから困りものだ。
 一人真っ赤になっている自分が恥ずかしい。慌ててチョコバナナを食べる私を見て、尚先生は未だ笑い続けている。
 ああ、もう。どうしてこんなことになってしまったのか。
 ここにはいないフジコに思わず恨み節を言ってしまいたくなる。だがしかし、今回のことについては不可抗力。フジコに非はない。
 次は何を食べますか、と尚先生に声をかけられたときだった。
 大きな声で尚先生の名前を呼ぶ男性が目の前に現れた。
「あれ? 尚じゃないか」
「本村? 久しぶりだな」
「なんだよ、地元に帰ってきていたのか。ついに親父さんの跡を継ぐのか?」
「まあね」
 尚先生の知り合いだろうか。威勢の良い声に言葉。格好も地下足袋に法被姿と格好良く決まっている。
 二人の様子を見る限り、昔からの知り合いなのだろうか。
 尚先生の傍でやりとりを見ていると、本村さんという男性が私を見てニヤリと笑う。
「お? 尚の女か?」
「口説き中だよ。頼むから本村ちょっかいを出すなよ?」
 何を言い出した尚先生。口説き中ってもしかして、もしかしなくても私のことをでしょうか。
 慌てふためく私を見て、本村さんはプッと勢いよく噴き出した。
「尚、これはかなり手こずりそうだな」
 ふふ、と意味深に笑うのやめてください、尚先生。ますます慌ててしまうじゃないか。
 すると本村さんは、私に升を差し出してきた。その中には並々と注がれている日本酒。きっと御神酒だろう。
「お近づきの印。一杯飲めよ」
 はっきり言って私はお酒に弱い。それなのに、どうしてこうなったのか。
 本村さんから升を受け取り、一気に飲んでしまったのだ。
 ちょっと待って、という尚先生の制止の声が聞こえた気がしたが、私の記憶がしっかりと残っているのはそこまで。
 フワフワと気持ちいいほどに酔っぱらった私が次に正気に戻るのは……次の日の朝。
 まさかまさかの展開がこのあと待っているとは、このときの私は知るよしもなかった。
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