今宵、貴女の指にキスをする。

橘柚葉

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第三話

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 A出版のパーティーを無事――― と、言えるかは少々疑問ではあるが ―――終えた円香だったが、堂上の悪戯なのか本気なのかイマイチ掴めない言動や行動のせいで、心が乱れまくっていた。
 だが、と円香は思い直す。
 堂上は円香の担当編集者ではない。
 円香と常に連絡を取り合うのは七原であり、堂上とは話すこともないはずだ。
 現に、担当が堂上から七原に代わったあと、特に堂上と顔を合わす機会もなければ、電話で話しをするということもなかった。
 となれば、特に動揺することもないだろう。それが最終的に円香が導き出した答えだった。
 そうとなれば心を乱しているのもバカらしくなる。
 ここ数日モンモンとした気持ちを抱いていた円香だったが、次第に一人で悩んでいるのもバカらしくなり堂上とのことは時間と共に風化し始めていた。
 だが、風化する問題ではないとわかったのは、パーティーの一週間後の出来事だった。
 編集部に足を運び、担当の七原と今執筆中の作品について意見交換をしているときだった。
 小さな会議室に女二人であれこれ話していると、ドアをノックする音が聞こえる。
 七原と円香は一斉にドアの方に視線を向けたのだが、そこに立っている人物を見て声を上げた。
「堂上さん?」
「課長!?」
 二人同時に驚く顔を見ることができて満足したのだろう。
 堂上は楽しそうに笑いながら会議室に入っていた。
 そして、何事もなかったように円香の隣に座る。
 突然の出来事でビックリしていた円香だったが、至近距離に堂上が近づいて来たことに気づき驚いて身体を硬直させる。
 油断していた。それが円香の正直な気持ちだ。
 パーティーのあとからずっと円香の頭を悩ませてきたのは、堂上の真意が見えない行動や言動のせいだ。
 だけど、それはリップサービスもしくはからかっただけだと判断した円香は、忘れることに専念していた。
 なのに、どうして堂上がこうして自分の隣に座っているのだろう。
 円香は動揺している自分に叱咤し、なんとか気持ちを落ち着かることに集中する。
 すると、七原が怪訝な顔をして堂上を見つめた。
「課長がどうしてここに?」
 七原の声はどこか刺々しかった。
 いつも元気いっぱいで朗らかな七原とは打って変わり、厳しい表情をしていることに円香は目を丸くさせた。 
 どうしてか警戒心丸出しの七原に、円香は小首を傾げる。
 円香も堂上に対して警戒しなくてはならない出来事はあったが、もしかしたら七原に対しても堂上は同じようなことを言っているのかもしれない。
 となれば、堂上という人物は要注意人物となる。
 円香は七原同様、堂上に対して警戒心を高めながら二人のやりとりを見つめる。
 一方の堂上はと言うと、そんな二人をモノともせず、いつものようにゆったりと笑った。
「何をカリカリしているんだ? 七原。女二人で内緒の話か? どれ、俺も仲間に入れろよ」
 ニッと笑う堂上に悪気はなさそうに見える。
 だが、七原は上司の堂上に対し、冷たい態度をとり続ける。
「とにかく、です。今、連載企画について木佐先生に相談しようと思っていたところなんです。課長は出て行ってください」
「お!? 七原。お前も言うようになったな。よしよし、部下がしっかりと育ってくれて俺は上司として嬉しいぞ」
「はいはい」
 七原はとにかく冷たかった。いつもの七原の様子とは百八十度も違う態度に、円香は驚きが隠せない。
 ピリピリとしている七原を見て、堂上は大きくため息をついたあと、円香を振り返った。
「どう思う? 木佐ちゃん。俺、七原の上司なのにさ」
「は、はぁ……」
 円香自身も七原の豹変に驚いているのだ。そんなふうに聞かれても困ってしまう。
 曖昧に笑う円香に、堂上は椅子を動かしてより距離を縮める。
 かなり近くなった距離に驚いて身体を反らそうとしたのだが、一足先に堂上が行動してきた。
 グッとより近づいた距離に円香は驚きを隠せない。
 円香の視線の端では七原が声にならない叫び声を上げているが、それでも堂上はモノともしていない。
「今度、二人で食事でも」
 そう言いかけた堂上の声を七原が大声を出してかき消した。
「課長! そろそろ会議が始まるんじゃないんですか?」
 必死に円香から堂上を離そうとする七原に、堂上は苦笑して目尻を下げる。
「確かにタイムリミットだ。残念」
 そう言いつつも堂上は円香の傍を離れようとしない。
 円香は慌てて後ずさり、そそくさと七原の近くへと行く。
 そこでやっと堂上は諦めて肩を竦めた。
「あーあ、七原が邪魔をするから。木佐ちゃんを口説けなかったじゃないか」
「うるさいですよ! 木佐先生の担当は私、七原です。課長はすっこんでいてください! それにちゃん付けで呼ぶなんて失礼です。木佐先生とお呼びください!」
 スゴイ剣幕で怒鳴りつける七原に、堂上は深くため息をついた。
「なぁ、木佐ちゃん。七原が新入社員で入ってきたとき、素直で可愛かったのにねぇ。数年でこんなに強くなっちまうものかねぇ」
「うるさいですよ。諸先輩たちを真似ただけです。諸先輩たちに!」
 そう言ってあたかも悪いのは堂上だと言わんばかりの剣幕に、堂上は両手を軽く挙げた。
「はいはい、降参ですよ。そろそろ会議に行くわ」
「とっとと出て行ってください。木佐先生との打ち合わせの邪魔です!」
 七原は何かまだ言いたげな堂上の背中を無理矢理押し、ドアを開けて外に追い出した。
 そして問答無用といった様子で、バンッと音を立てて勢いよくドアを閉める。
 さすがにそこまでされたら堂上でも入ってくることはできないだろう。
 そのまま足音が遠ざかっていき、会議室は円香と七原二人だけになる。
 シンと静まりかえる会議室は、異様な雰囲気に包まれていた。
 黙り込んでいた二人だったが、七原が「木佐先生、すみませんでした」と深く頭を下げたことにより、円香はハッと我に返った。
「どうして七原さんが謝るの?」
「堂上課長は私の上司ですから。不快な思いをさせてしまいまして、本当に申し訳ありません」
「……」
「本人にはキツく注意しておきますので」
 真剣な面持ちで言う七原を見て、円香はクスッと声を出して笑った。
「木佐先生?」
「ごめんなさい。だって、七原さんが自分の上司をめった切りするものだから、つい」
 上下関係から言えば、どう見ても七原は堂上の下であり、本来ならばこんなふうに啖呵を切っていい相手ではないだろう。
 もしかして、と円香は一つの可能性に思い当たり、七原に小声で聞く。
「七原さんと堂上さんってお付き合いしているの?」
「な、な、何を言っているんですか! 木佐先生」
「あら? 大当たり?」
「違います!」
「じゃあ、七原さんの片思い……とか?」
 ワクワクして目を輝かせる円香に、七原は大袈裟に息を吐き出した。
「次回作の意欲に繋がるようでしたら、どれだけ妄想していただいても結構ですが、木佐先生のお考えはハズレです」
「えー? そうなの?」
 残念そうに声を上げる円香に、七原は神妙な顔で大きく頷く。
「私には付き合っている男性もいますから。木佐先生の予想は大外れなんですよ」
「へぇ……それは、今度詳しくお話を聞かせてほしいな」
「っ……け、検討しておきます」
 顔を真っ赤にしてそっぽを向く七原はとても可愛い。
 円香はフフッと笑い声を出しながら、目尻いっぱいに皺を寄せる。
 だが、それならどうしてあんなに堂上に対して七原は刺々しい態度を取っていたのだろうか。
 不思議がる円香に、七原は厳しい表情を浮かべる。
「木佐先生、堂上課長には充分気をつけてください」
「え……?」
 A出版主催のパーティーで再会したときも堂上は意味深なことを言っていたし、今日も突然会議室に現れて円香を混乱に陥れた。
 パーティーでの出来事はリップサービスやからかいの一種と片付けていた円香だったが、今日の様子を見る限りそうは言っていられないのかもしれない。
 真剣な面持ちになる円香に、七原は固い表情のままで言う。
「詳しいことはわからないのですが。パーティーの夜以降、堂上課長の行動が怪しいんです」
「怪しい?」
「ええ。木佐先生のことを探るようなことを聞いてきたり。どうしてかと本人に聞いてはみたのですが、あのようにのらりくらりとかわされて。堂上課長、あまり女のことでは良いことを聞かないものですから」
「……」
 無言のまま考えこむ円香に、七原は念を押した。
「とにかく堂上課長には気をつけてください。木佐先生に何かを仕掛けてくるかもしれない」
「まさか」
 顔の前で手を振る円香に、七原は未だに神妙な面持ちでいる。
「私は今後も堂上課長が妙な動きをしないよう気をつけますが、とにかく木佐先生も気をつけてください」
「は、はぁ」
 七原の真剣な声色に、円香はとにかく何度も頷いた。
 そんな円香に対し、七原は未だに戸惑っている様子だ。
「もしかして、堂上課長が木佐先生に本気とか? いやいや、まさか。いやでも……」
 七原の呟きに、円香は顔を引きつらせたのだった。
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