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第6話 居場所

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 別々に移動したって、どうせ名簿順の座席は隣同士のままなのだ。あたしは音を立てて背もたれのない美術室のスツールを引いた。

 腰を下ろすと、継児は表情こそ大きく変えなかったが、わざとらしく片足を反対の膝に載せ、上履きの靴底をこちらに向けてきた。スカートが汚れそうになって、むっとする。あたしも同じように足を組んでやろうか。少なくともリーチの長さでは圧勝だ。

 反対側に並んで腰掛けている正也と瑠璃華はそんな状況を知る由もなく、楽しそうに自由画題の構成について議論している。

「任意の場所を描く、というテーマなら、やはり姶良の発想がよさそうだ。宇宙ユニバースこそ人類共通ユニバーサル、絵画芸術で以て物理科学を伝える……まさに文理の融合というやつだな」

「流石まさやん、冴えてるぅ! それなら、うち的には宇宙多元論をモチーフにしたいな。『ユニ』バースに対して、あえてマルチ・バースを取り上げれば、時空間の無限を示すことができると思うんだ」

「それなら姶良、良いことを考えた。デザインを二人ともお揃いにして、一箇所だけ互いに変えるんだ。大部分を共有しながらも僅かに異なる可能性の空間、それを各々のキャンバスに描き出すんだよ」

「なるほど、重なり合う世界を生きながら、決して完全には理解し合うことの叶わない人間のコミュニケーションのあり方にも通じるところがある……ペア画ってやつだね!」

「違うだろ」

 義務教育課程の美術の授業で、よくもまあそんな壮大な題材に思い至ったものである。そしておそらくそれはペア画ではない。思わず口を挟んだあたしに気づき、二人は机に身を乗り出した。

「間の意見も聞かせてくれ。色々な視点を取り入れるのはユニバーサルデザインの基本だからな。それにお前は絵も上手い」

「サッチもやってトリオ画にしようよ。宇宙は広がるものなんだし!」

「また新しい概念を作り出しやがった……面白そうだけど、どうすっかな。別に描こうと思ってるもんがあってさ」

 前衛芸術に加担するよう誘ってくる友人たち。それは有り難いが、あたしは素直にそう口に出した。正也と瑠璃華は揃って首を傾げる。

「大したことじゃない。ここんとこ立て続けに見る夢を再現できないかってだけ。今朝もそうだった、白い塔の夢なんだ。些細なことだけど気になって……昔に見た観光名所の写真か何か、脳味噌がごちゃまぜにして出力してるんじゃねえかと思う。お前ら、心当たりあるか? 世界遺産とか」

 説明しながら、配られた画用紙に鉛筆を走らせる。建物の天井、壁面、装飾、頂点の光の投げかける明暗。頼りにするのは想像力ではなくて記憶だ。大まかな素描を見せると、二人が感心の声を上げた。

「俺には綺麗な夢だと言うことしかできないが、なんの影響かは興味深い。ファンタジー映画や本で想像を喚起されたというのは?」

「いや、最近はノンフィクションしか読んでねえ」

「うーむ、寡聞にして知らないですなあ……こんな映えスポットがあれば、うちらで行ってみたいね。あっ、けーくんはこういう場所ご存じ~?」

 隣を向くと、黙々と自分の作業をしていたはずの継児が、あたしの絵をじっと覗き込んでいた。瑠璃華に話しかけられた彼は、虚を突かれたようにばっと顔を上げ、決まり悪そうに言った。

「……知りませんね、他人の見た夢なんて」

 ごもっとも。むしろ正也と瑠璃華はよく話に付き合ってくれたものだ。一応、改めて継児と相互理解を図るチャンスかもしれないので、話題を転換して会話を続けようとする。

「まあ、そりゃそうだよな……継児は何を描くつもりなんだ?」

「何でもいいでしょう? あなたは僕の絵なんか見てもどうせつまらないと思いますよ」

 あからさまに拒絶されてしまう。何がいけなかったのだろうか。距離感を測り間違えた? 相手が初対面から名前で呼び合うのを提案してきたというのに。今更名字に戻すことも不自然だし――――。

 ……もういいや、人には相性というものがある。相手が求めていないなら、ちょっかいを掛ける方が迷惑だ。クラス委員として必要なときにだけ手助けする、今後の方針はこれでいこう。

 あたしが人間関係について一つ結論づけたところで、正也が力強く拳を握りしめた。

「けーくん、そんなことないぞ。芸術も宇宙も科学も、本質は爆発だ。自分の思いの丈をぶつければ、それが立派な自己表現になるんだ、多分な」

「おっ、しみじみ名言! それに、うちらとしてはけーくんの絵、見てみたいな」

 少なくとも科学の本質は爆発ではないだろう、と突っ込みたくなったが、あたしは黙ったまま頷いた。会話に水を差してしまうのは本意ではない。まさか、継児はこいつらにまで強く当たるのだろうか。

「えー……ちょっとだけなら♡」

 しかし予想に反し、継児は猫撫で声を出し、照れたようにくすりと笑った。やはり態度が冷淡なのは相手があたしだからのようだ。まあいい、正也と瑠璃華と楽しく話せているなら邪魔はするまい。

 彼が見せようとしている画用紙も、じろじろ眺めるのは止めておく。ちらっと目に入った限り、日本家屋のような建物を正面から描いているのが辛うじて分かった。お世辞にも上手い絵ではないが、重々しい門構え、池があり、植木が生えていることくらいは何となく伝わる。寺でも描くのかと考えたとき、しゃなりと品を作った継児が言い放った。

「自宅です。敷地が無駄に広いせいで、掃除も家人だけでは立ち行かないんですよね」

 なんと。

 継児は学生服の胸に片手を当て、謙遜しているようで露骨なひけらかしだ。真面目に聞く気が失せるような言い方だが、邪心のない正也と瑠璃華は素直に反応する。

「へえ、立派な家なんだな! 錦鯉飼ってるのか?」

「お屋敷だ! 錦鯉飼ってるよね?」

「五十尾程度ですが」

「「すごーい!」」

 指標は謎だが盛り上がる雑談。なるほど、確かにすごい。あたしはまた頷いてみせた。継児はかなりのお坊っちゃんらしく、端々に表れる所作や言葉遣い、いかにも毛並みのいい容姿から、それには何となく納得できる。彼は話題の中心になれて、実に満足そうにしていた。

「いいえ、それほどでも……」

「そんな豪邸ならきっと描きごたえあるねえ。本当はけーくんさえよければ、うちらと一緒に宇宙を創造してほしかったんだけど」

「姶良、そればかりは仕方ない。後で他の班にも話を持ちかけてみるとしよう」

 実現したら完成作の展示のときに異様な光景が広がりそうな計画である。継児が画用紙の表面を白い指でそっと撫でながら、殆ど独り言のように言った。

「ええ……ここが僕の、一番大切な場所ですから」

 何かを確かめるような台詞に、彼の言葉を実家マウンティングと決めつけていた己が申し訳なくなった。自分と反りが合わないだけの相手を色眼鏡で見るのはよろしくない。反省しよう。

 そう思って憂うような少年の横顔を見ていると、継児は丸い瞳に似つかわしくないほど剣呑な視線で、鋭くこちらを睨みつけてきた。

 もうわけが分からない。
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