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第7話 活躍

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 次の時間は体育だった。一応、継児に声を掛けて諸々の説明をしようとしたが、彼は美術の時間で余計に機嫌を損ねたようで、知らんぷりをして去って行ってしまった。

 朝方の愛想の良さがまるっきり嘘みたいだが、日中気温と一緒で気分の乱高下が激しいのだろう。誰にだって気持ちの波はあるし、気にしないことにした。

 体育館には、バッシュの擦れる高い音、ボールのバウンドする重い音、そして黄色い歓声が響いていた。

「陽介ー! 頑張れー!」

「吉川くーん!」

「まさやーん! 死ぬ気で突っ切れ! 殺せー! いてこませー!」

「命のやり取りを推奨するな、バスケだぞ。あっ、正也、右、 右!」

 今日の種目はバスケットボールだ。ウォーミングアップの途中、野暮用で先生が持ち場を離れることになった。そのまま放置すると収拾のつかないことになるのは見え透いているので、非公式な試合の指示が出て、今は女子連中で男子の試合を観戦しているところだ。

 ぴょこぴょこ跳ねる瑠璃華の物騒な掛け声、というか野次を窘めたりなんだりしながら、あたしは全体の動きを俯瞰して眉を顰めた。場当たり的に組まれたチームの力量は均等ではなくて、点数差が露骨に出てしまっていたからだ。

 経験者の多い一方のチームに対して、そうではないチームはまだ得点できていない。見物人のはしゃぎ具合に対して、プレイヤーの雰囲気がだれてきている。このままだと完封試合になってしまいそうだ。

 大体のところ、ボールを回しているのは赤いビブスのチームのバスケ部の奴らだった。特に吉川は何回もシュートを決めていて、女子の注目を一身に集めている。動きの機敏さと判断の速さは抜群だが、パフォーマティブにすぎる仕草が一々癪に触った。シュートを決めるたび観客の観戦者の方を振り返ったり手を振ったり、余裕綽々といった様子だ。同じクラスになってまだ数日の少女たちは、すっかり彼にのぼせ上がっている。

 緑のビブスを割り当てられたチームでは、運動部の松本や根津が飛び交うパスに食いつこうとしているが、技術が追いついていないようだった。残る文化系の男子たちはそこまで走り回らず、近くにボールが来たときに対応するパターンが多い。

 慣れないなりに必死に相手に張り付こうとしている正也を応援しながら見守っていると、隅の方でぽつねんと佇んでいる継児が目に止まった。チームプレイに加わる気配は全くなく、スコアボードの側で突っ立っているだけだ。ゼッケン付きのビブスを着ているから、本当なら彼も試合に出場しているはずなのだが。

 アンバランスな組分けに加え、真面目に戦っている人数が一人少ないなら、道理で試合運びが一方的になるはずである。まあ今やっているのは遊びのようなものだし、参加を強制しなくてもいいだろう。その代わりにあたしは一つ案を思いついて、彼に近づいた。

「継児」

「……何です? 今、別に授業ってわけじゃないですよね。チームの人たちは、会田くんは休んでていいよって言ってくれましたけど?」

「休むのは別に構わねえけど」

 名前を呼ぶと、馴れ馴れしくするなとでも言いたげに、露骨に距離を置かれる。お前が呼べって言ったんだろうが。彼は鼻白み、刺々しく吐き捨てた。

 よく見ると、呼吸は荒く華奢な両肩は落ちている。どうやら先程行った、簡単な準備運動で既にへばってしまったらしい。上気した頬、大きな瞳は潤み、睨みつける仕草まで上目遣いのように見える。

「脱いでくれないか」

「は? ……はあっ!? えっ、ここで? 今更効果が現れたってことですか!?」

「え? ユニフォームを貸してほしいんだが」

 その姿に気を取られて、言葉が倒置した。継児は一瞬真っ赤になったが、乱暴にビブスを剥ぎ、むくれた顔で突きつけてきた。蛍光グリーンのそれは、正也の味方、それに吉川の敵の印。しめた! 受け取ったビブスを引っ被ってコートに躍り出る。

「選手交代だ! 松本!」

 ボールを手にしたはいいものの、手強いディフェンスに阻まれて進みあぐねていた松本に声を掛ける。三白眼をぱっと見開いたあと、彼は覚悟を決めたように眉間に皺を寄せた。

「うわ、なんか来た……っ、間、ちゃんと点決めろよな!」

「当然!」

 単純で反応が素早いのはこいつの長所だな。弾丸のように飛んできたパスを受け止め、あたしはゴールに向かって駆け出した。

 ドリブル、ドリブル、ドリブル! 重たいボールが手の下で弾んで、規則的に床を打つ。不意打ちで敵チームをまんまと抜き去ったと思ったが、ふと背後に影が差した。瞬間、ネオンレッドのユニフォームを着た吉川が、横からクロスステップで回り込んでくる。

「行かせないよ、委員長!」

 あたしはすんでのところでボールを奪おうとする彼の腕を躱した。どこか昂ぶったような、熱を帯びた声音。吉川の茶色いアーモンドアイに、真剣、かつ楽しげな光が宿っているのが分かる。

「オレの活躍、間近に体験しに来たわけ?」

「ははっ、お前の見せ場を潰しに来たんだ、よっ!」

 一端は切り抜けたが、吉川はぴったりと張り付いていて油断できない。味方も敵も追いついてきて、互いに競り合っている。ちょっとしたサプライズは効果覿面、試合がようやく白熱してきたみたいだ。

「っ、委員長、相変わらず速っ……!」

「森永! 頼む!」

「俺ですか!?」

「で根津に送る!」

「は、はい!」

 吉川の隙をついて、近くの味方にバウンドパスと指示をぶつける。森永は分かりやすく運動に縁がないタイプだが、きちんと状況に即して動き、人の少ない場所にいてくれたので、マークが手薄だったのだ。

 少し投球のコントロールがぶれたが、野球部の根津は危なげなくボールを受け止める。ゴールは目前だ。根津が弾みをつけてシュートを放った。よし、これが決まれば!

「甘いね!」

「わっ……!」

 ボールが放物線を描き始めた瞬間、赤いビブスが翻り、ジャンプした吉川の手がボールを捕まえていた。くそ、ブロックされた! 彼は根津が取り返そうと腕を延ばしたのを擦り抜けて、反対方向へとダッシュした。

 最早その顔に軽薄な笑みは浮かんでおらず、前髪は汗で額に貼り付いていた。まずい、バスケ部の部長に本気を出されたら、そうそう対応できなくなってしまう。

 あたしは咄嗟に吉川の進行方向に飛び入って、ドリブルボールをかっ攫った。低い姿勢で彼の背後に抜けて、ゴールに向かって跳ね上がる。もう時間もない。お行儀のいいことはやってらんねえ。

「行っ、けえ!!!」
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