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Ⅰ 天使の伝説が残る村
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「かつてフィルベスタンには、夏になると翼を持つ種族が舞い降りていた。彼らは渡り鳥のようにこの場所で羽を休め、人間たちと共存しながら半年ほど滞在していたんだ」
黒板に規則的に並ぶ文字の羅列が途切れると、授業とはまったく関係のない話がはじまる。アリーチェははぁと頬杖をつきながら、いつものように歴史教師の戯れ言に耳を傾ける。はるか昔、この世界にいたであろう有翼人種のことを。
「絶滅したとされる彼らについてははっきりしていないことも多い。学者の間でも実在せず想像の産物じゃないかと疑う者もいるからだ。だが、フィルベスタンで発掘された女性のミイラを調べたところ、背骨から翼が生えていたような痕跡が見つかっている。これが何を意味するか……っと、時間だな。今日はこれまで」
女学校全体に響くチャイムの音と時計の針を確認し、教師は満足げに頷き、終わりを告げる。静まり返っていた教室はあっという間に生徒たちの賑やかな声に塗りつぶされ、アリーチェもふぅと大きく息をつく。
「先生も物好きだよねー。翼あるミイラの話、何度目になるんだか」
「わからなくもないけどね、ロマンティックだし」
「で、でもあのミイラだって博物館で展示する予定だって言われているのにずっと国が管理しているじゃない。何か不都合があるんじゃない?」
「不都合って?」
「先生がさっき言っていたじゃない。学者の間でも意見が割れているって……」
少女たちのざわめきはまるでさざ波のようにアリーチェにまとわりつく。彼女は海のなかを泳ぐように息を止め、逃げるように教室を飛び出す。
翼あるミイラ。それはフィルベスタン、アリーチェが暮らす村で一昨年見つかった四百年以上昔の少女の遺体のことだ。げんざい王都の研究機関で精密検査を行っているというが、詳細は発表されていない。
ひとびとは謎めいた有翼人種のことをこう呼んでいる、天界の使い――“天使”と。
* * *
ぶるんぶるんぶるるん、と轟音とともにオレンジ色の丸っこい飛行艇が着陸する。自慢のキャラメル色の髪が強い風に煽られ、アリーチェは鳶色の瞳を眇めながら、飛行艇が止まった方角を見つめる。機体から飛び出してきたのは彼女と同い年くらいの、ひょろりとした黒髪青目の少年だ。
「おかえり、アリーチェ」
「シィバ! また飛行艇にいたの? ライセンス取ってないのによく乗せてもらえるわね」
「親方が同乗しているから平気さ。それに俺だって勉強してるんだぞ、お前が女学校行ってる間」
それは知っている。飛行艇乗りになるのを夢見ている幼なじみは初等学校を卒業後、村で唯一ライセンスを持つ親方に師事し、毎日のように訓練しているのだ。
隣町にある女学校からキコキコ自転車をこぐ帰り道、町と村の境目あたりに親方の飛行場があるため、彼と顔を合わせるのはいつものことである。
アリーチェは自転車をその場に止め、シィバが乗っていた飛行艇へおそるおそる近づく。
ころりとした機体は遠目に見ると丸い果実のようだが、全体の四分の一を占める座席の部分だけ、屋根を持たない。道路を走らせるとボール型のオープンカーになるのだと彼は言っていたが、公道を走らせている姿はめったに見られない。
操縦の際に透き通った緑色した蜻蛉の羽根のようなよっつの翼を拡げるため、この手の小型の機体は“空飛ぶ林檎”と呼ばれている。
とはいえ、親方が所持している機体はどれもオレンジ色に果実のヘタのような黄緑の翼なので林檎というよりはみかんだが。
「ちょっとは上達した?」
「まぁ、な」
まじまじと機体を見つめるアリーチェを前にシィバは得意げに胸を張るが、運転席からふたりを見ていた大柄の男性に声をかけられて身体をビクッと震わせる。
「シィバ、何言ってんでぃ。おめえ直進しかできねーくせに」
「親方さんこんにちわ」
「よぉアリーチェちゃん。先に言っておくがシィバの奴と飛行艇デートは危険だぞ?」
「デートなんかしませんって!」
「シィバはその気でいるみたいだが……こりゃ脈なしか?」
「親方! んなことどうでもいいだろ。そりゃライセンス取ったら一番にアリーチェを乗せてやりたいとは思っているけど」
「って言ってるじゃない。バカ」
「あ」
「ったく若いモンはいいねぇ初々しくて。オレ恥ずかしくて見ていられないよ」
そのままぶるんっ、とエンジン音を唸らせて、親方は飛行艇を小屋へ片づけに行く。残されたシィバは顔を赤くしてアリーチェに告げる。
「い、今の話だけどな。俺、本気だからな」
「……あたしが高所恐怖症だって知ってるくせに」
「だからだよ。俺が見せたいんだよ、空は怖くないぞ?」
「よけいなお世話よ。別に空なんか……飛びたくないわ」
「だから俺が飛ばすんだって。アリーチェは一緒にいてくれればそれでいい」
「どうして?」
「……とにかく、俺がライセンス取ったら一緒に乗れよ!」
覚悟しろ、と捨て台詞を残して颯爽と去っていくシィバを見送り、アリーチェは苦笑する。
「せいぜい頑張りなさいよ」
――応援しているから。
その声が聞こえたわけでもないのに、シィバは振り返り、嬉しそうに右手をあげる。アリーチェも手を振り返して飛行場を後にする。
高いところは苦手だった筈なのに、シィバはそれを見事に克服した。きっと彼は次はアリーチェの番だと思っているのだろう。
空飛ぶみかんにふたりで乗って村を見下ろす情景を想像したら、思わず笑みがこぼれた。
彼と一緒ならば、大丈夫かも。
黒板に規則的に並ぶ文字の羅列が途切れると、授業とはまったく関係のない話がはじまる。アリーチェははぁと頬杖をつきながら、いつものように歴史教師の戯れ言に耳を傾ける。はるか昔、この世界にいたであろう有翼人種のことを。
「絶滅したとされる彼らについてははっきりしていないことも多い。学者の間でも実在せず想像の産物じゃないかと疑う者もいるからだ。だが、フィルベスタンで発掘された女性のミイラを調べたところ、背骨から翼が生えていたような痕跡が見つかっている。これが何を意味するか……っと、時間だな。今日はこれまで」
女学校全体に響くチャイムの音と時計の針を確認し、教師は満足げに頷き、終わりを告げる。静まり返っていた教室はあっという間に生徒たちの賑やかな声に塗りつぶされ、アリーチェもふぅと大きく息をつく。
「先生も物好きだよねー。翼あるミイラの話、何度目になるんだか」
「わからなくもないけどね、ロマンティックだし」
「で、でもあのミイラだって博物館で展示する予定だって言われているのにずっと国が管理しているじゃない。何か不都合があるんじゃない?」
「不都合って?」
「先生がさっき言っていたじゃない。学者の間でも意見が割れているって……」
少女たちのざわめきはまるでさざ波のようにアリーチェにまとわりつく。彼女は海のなかを泳ぐように息を止め、逃げるように教室を飛び出す。
翼あるミイラ。それはフィルベスタン、アリーチェが暮らす村で一昨年見つかった四百年以上昔の少女の遺体のことだ。げんざい王都の研究機関で精密検査を行っているというが、詳細は発表されていない。
ひとびとは謎めいた有翼人種のことをこう呼んでいる、天界の使い――“天使”と。
* * *
ぶるんぶるんぶるるん、と轟音とともにオレンジ色の丸っこい飛行艇が着陸する。自慢のキャラメル色の髪が強い風に煽られ、アリーチェは鳶色の瞳を眇めながら、飛行艇が止まった方角を見つめる。機体から飛び出してきたのは彼女と同い年くらいの、ひょろりとした黒髪青目の少年だ。
「おかえり、アリーチェ」
「シィバ! また飛行艇にいたの? ライセンス取ってないのによく乗せてもらえるわね」
「親方が同乗しているから平気さ。それに俺だって勉強してるんだぞ、お前が女学校行ってる間」
それは知っている。飛行艇乗りになるのを夢見ている幼なじみは初等学校を卒業後、村で唯一ライセンスを持つ親方に師事し、毎日のように訓練しているのだ。
隣町にある女学校からキコキコ自転車をこぐ帰り道、町と村の境目あたりに親方の飛行場があるため、彼と顔を合わせるのはいつものことである。
アリーチェは自転車をその場に止め、シィバが乗っていた飛行艇へおそるおそる近づく。
ころりとした機体は遠目に見ると丸い果実のようだが、全体の四分の一を占める座席の部分だけ、屋根を持たない。道路を走らせるとボール型のオープンカーになるのだと彼は言っていたが、公道を走らせている姿はめったに見られない。
操縦の際に透き通った緑色した蜻蛉の羽根のようなよっつの翼を拡げるため、この手の小型の機体は“空飛ぶ林檎”と呼ばれている。
とはいえ、親方が所持している機体はどれもオレンジ色に果実のヘタのような黄緑の翼なので林檎というよりはみかんだが。
「ちょっとは上達した?」
「まぁ、な」
まじまじと機体を見つめるアリーチェを前にシィバは得意げに胸を張るが、運転席からふたりを見ていた大柄の男性に声をかけられて身体をビクッと震わせる。
「シィバ、何言ってんでぃ。おめえ直進しかできねーくせに」
「親方さんこんにちわ」
「よぉアリーチェちゃん。先に言っておくがシィバの奴と飛行艇デートは危険だぞ?」
「デートなんかしませんって!」
「シィバはその気でいるみたいだが……こりゃ脈なしか?」
「親方! んなことどうでもいいだろ。そりゃライセンス取ったら一番にアリーチェを乗せてやりたいとは思っているけど」
「って言ってるじゃない。バカ」
「あ」
「ったく若いモンはいいねぇ初々しくて。オレ恥ずかしくて見ていられないよ」
そのままぶるんっ、とエンジン音を唸らせて、親方は飛行艇を小屋へ片づけに行く。残されたシィバは顔を赤くしてアリーチェに告げる。
「い、今の話だけどな。俺、本気だからな」
「……あたしが高所恐怖症だって知ってるくせに」
「だからだよ。俺が見せたいんだよ、空は怖くないぞ?」
「よけいなお世話よ。別に空なんか……飛びたくないわ」
「だから俺が飛ばすんだって。アリーチェは一緒にいてくれればそれでいい」
「どうして?」
「……とにかく、俺がライセンス取ったら一緒に乗れよ!」
覚悟しろ、と捨て台詞を残して颯爽と去っていくシィバを見送り、アリーチェは苦笑する。
「せいぜい頑張りなさいよ」
――応援しているから。
その声が聞こえたわけでもないのに、シィバは振り返り、嬉しそうに右手をあげる。アリーチェも手を振り返して飛行場を後にする。
高いところは苦手だった筈なのに、シィバはそれを見事に克服した。きっと彼は次はアリーチェの番だと思っているのだろう。
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彼と一緒ならば、大丈夫かも。
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