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Ⅱ 追憶、思いがけない来訪者
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あれは十年ちかくむかしの、秋の日の夕暮れのこと。
当時のアリーチェは木登りが好きで、よく村一番の樫の木に登っては大人たちに怒られていた。
その日も夕陽を拝もうと、いつものように大人たちの目を欺いて木登りをしていた。シィバに見せつけたくて。
当時のシィバはアリーチェと同い年だけど病弱で、小さかったから自分がなんでも我先にと指揮を執って動き回っていたのだ。
このときもアリーチェが深く考えずに登っていた。シィバに登れる筈がない、と思いこんで。
けれど彼は負けるものかと彼女を追いかけてきた。自分たちの身長をはるかに越えた高さに至っているにも関わらず、ふたりは更なる高みを目指した。
そして、どちらが早く高く登れるかという木登り競争と化したそのとき。強い風が吹いて、ちいさな子どもふたりを揺さぶったのだ。
バランスを崩したアリーチェは、無意識に両手を木の枝からはなしていた。シィバが落ちていくのを見たからだ。
――シィバ!
空中で加速し、手を伸ばして彼の身体を抱え込もうとする。ワンピースの生地がビリッと破ける音がしたが、気にならなかった。背中がスースーするのも、落下速度が思っているよりも遅いことにも、アリーチェは気づかなかった。ただ、必死にシィバを助けようとしていただけ。
けれど、シィバが落ちていくなかでアリーチェの手をぎゅっと握ってくれた瞬間、彼女の動きは固まってしまった。
時間が止まったかのようにふわり、と浮かび上がったのは一瞬だけ。
そして、重力に導かれるように、血のように赤い夕陽に見下ろされながら、ふたりは墜落した。
この世のものとは思えない、銀色の羽根を散らせながら。
ちいさな翼はアリーチェとシィバの体重を支えきれなかった。家に戻ったアリーチェは制服を脱ぎ、下着ごしに疼く背中を掻きながら、シィバのことを考える。
落下したとき、シィバは意識を失っていたから気づいていないはずだ。アリーチェが有翼の持ち主であったことに。
すでに絶滅したとされる有翼人種だが、フィルベスタンでは希なことだが先祖返りのような形で有翼の持ち主が生まれることがあるのだ。ただし、かつての渡り鳥のような、ひとびとに天の使いと崇められるような立派な翼ではない。背骨に付随するようなちいさな突起に銀色の羽根がくっついているだけの、中途半端な翼だ。
なぜ自分に翼のようなものがあるのかと問いつめた際に、三年前にこの世を去った祖母はアリーチェに教えてくれた。
厳しい冬が訪れる前に旅立つ天使だが、かつて人間が狩猟のために仕掛けた罠に誤って引っかかった少女がいたのだという。仲間たちからは見捨てられ、取り残された彼女はこのまま寒さで力つきてしまう寸前のところで、村の青年に救われたのだ。
ふたりは必然的に恋に落ち、結ばれた。
けれどフィルベスタンの厳しい冬に耐えきれず、身体を壊した天使は青年の子を産んだ翌年に死んでしまった。残された青年は天使との間に生まれた子どもの背中にちいさな銀の翼を見つけ、自分と天使の子どもを大切に育てたという。
その子どももまた、成長して村の人間と結婚したのだろう……か細いながらも脈々と天使の血は現代まで受け継がれることになったのだ。
――背中にある突起は人間と天使が結ばれ子を残した証じゃ。人間の血が濃くなっていくに従い、天使の面影は薄れていったが、たまーにお前のような“翼持ち”が生まれるっちゅうわけ。だけど外で背中を見せたらあかんよ、渡り鳥のように毎年村に訪れていた天使たちがいなくなったのは、当時の王様が彼らの背中から生える銀の羽根を欲しがってフィルベスタンに軍隊を送り込んだからだと言われているんだ。王様が天使を滅ぼしたのか、それとも危機を察した天使たちがフィルベスタンから姿を消したのか、わしにはわからんがね……アリーチェ、お前のちいさな翼は隠しておくんだ。いつか大切な伴侶に出逢うそのときまで。
祖母の背中にもアリーチェのようなちいさな突起があった。彼女は結婚する際に背中の翼を自ら折って、銀の羽根を花嫁衣装に使ったのだという。かつては大空を羽ばたけたほどの立派な翼だったというが、真相はわからない。
アリーチェの父親も母親も翼持ちではなかった。だからちいさな翼の使い方を教わることもなかった。
けれど。
木から落ちたとき、アリーチェは無意識に翼を使っていた。結局、シィバと一緒に落ちてしまったが……
意識を失った彼を地面に置いたまま、アリーチェは家にいた祖母と母に救いを求め、母に促されるがままに慌てて背中の裂けたワンピースを脱ぎ、別のものへ着替えた。その間に祖母がシィバの家へ連絡を入れ、意識のない彼はベッドに寝かされたという。
着替えを終えたアリーチェがシィバの家へかけつけた時に、彼はちょうど意識を取り戻したようだった。
――俺、天使と空飛ぶ夢を見たんだ!
そう嬉しそうに叫んで目を覚ました彼を、彼の父が「バカもん!」と怒鳴り返していた。
村の老医師の診断では問題なしとのことだった。シィバはアリーチェがホッとしているのを見て「大袈裟だなぁ」と笑っていたけど。
当事者であるアリーチェも両親にこっぴどく叱られ、木登りを禁じられた。祖母だけがシィバを救おうと翼を使ったアリーチェをこっそり褒めてくれたが、結局シィバを落下から救えなかったアリーチェにとってそれはいっときの慰めにしかならなかった。
逆にあれ以来、高いところが怖くなってしまった。シィバはアリーチェが一緒に高い木から落ちたショックによるものだと思っているようだが、それは本質的に違う。
自分が“翼持ち”だからか、今まではできるだけ空に近づきたいと思っていた。けれど実際に高い場所で勝手に翼が生えて、自分が自分ではない何かになろうとしていたあの感覚に引きずり込まれたら、いままでの自分に戻れないという恐怖が幼いアリーチェを支配したのだ。
ガチャという音にアリーチェは慌てて我に却る。
「アリーチェ、シィバくんに会った?」
「お母さん、ノックくらいしてよ。着替え中!」
「あら失礼」
ドアがぱたんと閉まり、アリーチェは慌てて上着を羽織る。まったく、なるべく背中を人に見せちゃだめよと言っている本人が娘の着替えに気づかないなんて……
母は以前からアリーチェの背中の翼を他人に見られることを気にしていたから、当時無意識に翼を使った彼女が慌てて家に戻ったことに安心していたが、去年から隣村の女学校へ通うようになってからは更に口うるさくなったように感じる。その理由――ミイラが発見されたことで、王都で天使ブームが起こっているとか、未だに生き残りを軍が探しているとか、かつて捕獲された天使の羽根がいまも高額で取り引きされているとか、けっこう物騒な――も、最近になってイヤになるほどわかったが。
「もう大丈夫かしら」
母の声と同時にドアが開く。アリーチェは頷きながら問いかける。
「シィバがどうかしたの」
「王都に行くんですって! さっきわざわざお役人さんが訪ねにきていたわよ」
「……え?」
当時のアリーチェは木登りが好きで、よく村一番の樫の木に登っては大人たちに怒られていた。
その日も夕陽を拝もうと、いつものように大人たちの目を欺いて木登りをしていた。シィバに見せつけたくて。
当時のシィバはアリーチェと同い年だけど病弱で、小さかったから自分がなんでも我先にと指揮を執って動き回っていたのだ。
このときもアリーチェが深く考えずに登っていた。シィバに登れる筈がない、と思いこんで。
けれど彼は負けるものかと彼女を追いかけてきた。自分たちの身長をはるかに越えた高さに至っているにも関わらず、ふたりは更なる高みを目指した。
そして、どちらが早く高く登れるかという木登り競争と化したそのとき。強い風が吹いて、ちいさな子どもふたりを揺さぶったのだ。
バランスを崩したアリーチェは、無意識に両手を木の枝からはなしていた。シィバが落ちていくのを見たからだ。
――シィバ!
空中で加速し、手を伸ばして彼の身体を抱え込もうとする。ワンピースの生地がビリッと破ける音がしたが、気にならなかった。背中がスースーするのも、落下速度が思っているよりも遅いことにも、アリーチェは気づかなかった。ただ、必死にシィバを助けようとしていただけ。
けれど、シィバが落ちていくなかでアリーチェの手をぎゅっと握ってくれた瞬間、彼女の動きは固まってしまった。
時間が止まったかのようにふわり、と浮かび上がったのは一瞬だけ。
そして、重力に導かれるように、血のように赤い夕陽に見下ろされながら、ふたりは墜落した。
この世のものとは思えない、銀色の羽根を散らせながら。
ちいさな翼はアリーチェとシィバの体重を支えきれなかった。家に戻ったアリーチェは制服を脱ぎ、下着ごしに疼く背中を掻きながら、シィバのことを考える。
落下したとき、シィバは意識を失っていたから気づいていないはずだ。アリーチェが有翼の持ち主であったことに。
すでに絶滅したとされる有翼人種だが、フィルベスタンでは希なことだが先祖返りのような形で有翼の持ち主が生まれることがあるのだ。ただし、かつての渡り鳥のような、ひとびとに天の使いと崇められるような立派な翼ではない。背骨に付随するようなちいさな突起に銀色の羽根がくっついているだけの、中途半端な翼だ。
なぜ自分に翼のようなものがあるのかと問いつめた際に、三年前にこの世を去った祖母はアリーチェに教えてくれた。
厳しい冬が訪れる前に旅立つ天使だが、かつて人間が狩猟のために仕掛けた罠に誤って引っかかった少女がいたのだという。仲間たちからは見捨てられ、取り残された彼女はこのまま寒さで力つきてしまう寸前のところで、村の青年に救われたのだ。
ふたりは必然的に恋に落ち、結ばれた。
けれどフィルベスタンの厳しい冬に耐えきれず、身体を壊した天使は青年の子を産んだ翌年に死んでしまった。残された青年は天使との間に生まれた子どもの背中にちいさな銀の翼を見つけ、自分と天使の子どもを大切に育てたという。
その子どももまた、成長して村の人間と結婚したのだろう……か細いながらも脈々と天使の血は現代まで受け継がれることになったのだ。
――背中にある突起は人間と天使が結ばれ子を残した証じゃ。人間の血が濃くなっていくに従い、天使の面影は薄れていったが、たまーにお前のような“翼持ち”が生まれるっちゅうわけ。だけど外で背中を見せたらあかんよ、渡り鳥のように毎年村に訪れていた天使たちがいなくなったのは、当時の王様が彼らの背中から生える銀の羽根を欲しがってフィルベスタンに軍隊を送り込んだからだと言われているんだ。王様が天使を滅ぼしたのか、それとも危機を察した天使たちがフィルベスタンから姿を消したのか、わしにはわからんがね……アリーチェ、お前のちいさな翼は隠しておくんだ。いつか大切な伴侶に出逢うそのときまで。
祖母の背中にもアリーチェのようなちいさな突起があった。彼女は結婚する際に背中の翼を自ら折って、銀の羽根を花嫁衣装に使ったのだという。かつては大空を羽ばたけたほどの立派な翼だったというが、真相はわからない。
アリーチェの父親も母親も翼持ちではなかった。だからちいさな翼の使い方を教わることもなかった。
けれど。
木から落ちたとき、アリーチェは無意識に翼を使っていた。結局、シィバと一緒に落ちてしまったが……
意識を失った彼を地面に置いたまま、アリーチェは家にいた祖母と母に救いを求め、母に促されるがままに慌てて背中の裂けたワンピースを脱ぎ、別のものへ着替えた。その間に祖母がシィバの家へ連絡を入れ、意識のない彼はベッドに寝かされたという。
着替えを終えたアリーチェがシィバの家へかけつけた時に、彼はちょうど意識を取り戻したようだった。
――俺、天使と空飛ぶ夢を見たんだ!
そう嬉しそうに叫んで目を覚ました彼を、彼の父が「バカもん!」と怒鳴り返していた。
村の老医師の診断では問題なしとのことだった。シィバはアリーチェがホッとしているのを見て「大袈裟だなぁ」と笑っていたけど。
当事者であるアリーチェも両親にこっぴどく叱られ、木登りを禁じられた。祖母だけがシィバを救おうと翼を使ったアリーチェをこっそり褒めてくれたが、結局シィバを落下から救えなかったアリーチェにとってそれはいっときの慰めにしかならなかった。
逆にあれ以来、高いところが怖くなってしまった。シィバはアリーチェが一緒に高い木から落ちたショックによるものだと思っているようだが、それは本質的に違う。
自分が“翼持ち”だからか、今まではできるだけ空に近づきたいと思っていた。けれど実際に高い場所で勝手に翼が生えて、自分が自分ではない何かになろうとしていたあの感覚に引きずり込まれたら、いままでの自分に戻れないという恐怖が幼いアリーチェを支配したのだ。
ガチャという音にアリーチェは慌てて我に却る。
「アリーチェ、シィバくんに会った?」
「お母さん、ノックくらいしてよ。着替え中!」
「あら失礼」
ドアがぱたんと閉まり、アリーチェは慌てて上着を羽織る。まったく、なるべく背中を人に見せちゃだめよと言っている本人が娘の着替えに気づかないなんて……
母は以前からアリーチェの背中の翼を他人に見られることを気にしていたから、当時無意識に翼を使った彼女が慌てて家に戻ったことに安心していたが、去年から隣村の女学校へ通うようになってからは更に口うるさくなったように感じる。その理由――ミイラが発見されたことで、王都で天使ブームが起こっているとか、未だに生き残りを軍が探しているとか、かつて捕獲された天使の羽根がいまも高額で取り引きされているとか、けっこう物騒な――も、最近になってイヤになるほどわかったが。
「もう大丈夫かしら」
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