款冬姫恋草子 ~鬼神が愛す、唯一の白き花~

ささゆき細雪

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 寿永二年十一月十九日に起きた法住寺合戦は、京のひとびとを震撼させた。
 俱利伽羅峠くりからとうげでの戦いや篠原の戦で目覚ましい活躍を見せ、朝日将軍などという称号を与えられた木曾義仲が、平家一門が都落ちした七月から半年もたたないうちに軍事衝突を起こしてしまったのだから。
 このことから、義仲と実質政権を握っていた後白河法皇との関係が決裂したことが民草にも知れ渡ることとなる。
 法皇御所を襲い、わずか四歳の今上帝を確保したのち、法皇を五条東洞院へ監禁。あらたに摂政として権大納言師家もろいえを立て、反抗するすべてのものを制圧。容赦はせず、その場にいた僧侶や公家たちにまで刃を向け、殺戮を楽しむ姿はまさに鬼神とおそれられ、ひとびとに噂された。
 ほかにも、十二歳にして摂政という役を任ぜられた藤原師家のことや、摂政宅に隠匿されていた姫君の神隠しなどが根も葉もない噂となって小子の耳元に流れてくる。
 噂の情報源はお喋りな巴だ。

「京のひとびとは冬姫の失踪を神隠しなんて騒いでいるけど、公家連中はそうは思ってないでしょうね。あなたのお父様は平家一門が京を牛耳っているときに残念ながら関白の地位を剥奪されたうえに備前へ流されていたんですもの、復権を狙って息子の師家を傀儡の摂政に仕立て上げることと引き換えに、やり場に困った姫君を押しつけた、なんて言ってるらしいわ」
「わたし、押しつけられた……?」
「何言ってるの。義仲があなたを見初めて連れて来たのは事実なんでしょ、知らない人間に好き勝手言われたって構わないじゃない」

 世間から隠されたように生活していた小子にとって、根拠のさだかではない噂話は刺激的だ。

「巴は強いね」
「姫様が世間知らずなだけよ」
「それは認めるけれど、自分の知らない場所で好き勝手憶測されるのって、気分のいいものではないわ」

 自分が冬姫と呼ばれ、おそれられてしまったのも、最初は一部の囁きだけだったのだ。それが、放っておいたらどんどんおおきくなる炎のように、小子や家族が気づかないうちに拡がって、ついには陰陽師の手に委ねることになった。しかし、救いを求めた陰陽師にまでなすすべはないと言われ、幽閉されることになったのだから、巴に言われて素直に「じゃあ好き勝手言わせておく」とは応えられない。

「それに、義仲だって好き勝手言われているじゃない。巴はどう思うの?」
「別に何も思わないわよ。彼は彼の信念に基づいて動いているだけ。他人にとやかく言われようが己を貫くひとだから、あたしもそれに従っているだけ」

 きっぱりとした巴の言葉は、悶々とした小子の不安を取り去っていく。

「彼が鬼神だっておそれられても構わないし、彼が鬼に憑かれた姫君を正室に迎えるって言いだしたときも反対しなかったわ。だってそれは決定事項だったんですもの」
「決定事項……?」
「そうよ。義仲は最初からあなたを探していたの。上洛した、そのときから」


 ――見つけましたよ、姫様。
 小子の脳裡で、懐かしい笑い声が、ぱちんと弾けて、消える。


「……違うわ」

 あれは誰。わたしを探して見つけたと笑いながら抱きしめてくれたのは……
 淡い思い出はときに優しくときに残酷に小子を翻弄させる。けれど小子はいままで義仲と逢ったことはなかったはずだ。どうして彼が自分を最初から探すなんて言う?

「わたしと、義仲はあの日の夜が初対面。きっと、人違いだわ」

 それでも、自分が義仲につよく求められているいま、人違いだと正面から言い切る自信は、ない。
 義仲はまっすぐ小子を見ていた。だから小子を正室にすると言っていたのは、巴の言うとおりなのだろう。
 義仲の瞳が、小子を動かした。いまさら人違いだったと彼が訂正するとは思えないけれど……

「人違い、ね」

 巴は小子の否定に対して淡く笑うだけ。
 だからそれ以上、何も聞かれなかったし、何も言われることもなかった。
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