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Ⅱ 神なき街に悪魔が嗤う * 1 *
しおりを挟む「この街には神様がいないんだよ」
かなしそうに呟いた月架の言葉は半分ほんとうで、半分嘘だった。
月架こそ神からの言祝ぎを受けた女性だと思っていた逆井理破にとって、彼女の言葉は意外だった。
「いないって、どういうこと?」
月架は無神論者ではない。だって彼女はこの椎斎に古くからある亀梨神社の孫娘で、自身も巫女として仕えているのだから。
たとえそれが形式上のものであったとしても、神の存在を無いと決めつけるのはどうなのだろうと理破は考える。
それが顔に出たのだろう、月架は淋しそうに微笑を浮かべ、言葉を紡ぐ。
「この街、椎斎にはボクの母方の実家にしか神社が存在していないのはリハも知っているよね?」
「うん」
椎斎市にはひとつしか神社がない。生まれたころからそれが当然のことだと思っていた理破からすれば、別に気になることでもない。
「その神社の名前は、亀梨神社。いちおう、平安時代から続いているといわれている由緒ある神社なのだよ。リハも先月行ったからわかるよね?」
中学で地域の歴史を学んだときに、担任に率いられて亀梨神社に行ったのを思い出す。北国ではあまり見ることのできないおおきな椎の木があって、それが御神木、この街の名前の由来になったとか……
理破が神社の様子を思い起こしている横で、月架は声を細める。
「御神木の椎の木は樹齢千年なんていわれているけど、実際のところは数百年さ」
ある意味企業秘密だけどと笑う月架。
「……そうなんだ」
「それより。この地が古くに何て呼ばれていたか知っているかい?」
「椎斎じゃなくて?」
「それより前、うちの神社が建立された頃」
「学校じゃ教えてくれなかったよ」
「そうだろうね。たぶん学校の先生も知らない。ボクだってつい最近知ったんだから」
「もったいぶってないで教えてよー」
理破は頬を膨らませ、嬉々として話す月架に続きを促す。
「カムナシ」
「……ってなんだ、神社の名前じゃん」
「違うよリハ、うちはカメナシであってカムナシではないのだ。カムナシという言葉が訛ってカメナシになったという説はあるんだけど……」
「要するに同じなんでしょ」
「全然違うよ。だってカムナシってどういう文字をあてるかわかるかい? 神無だよ? 神が無いって書いて神無。おかしいよね? 神がいないのに神社ができたなんて?」
興奮してきたのか月架は早口になりながら理破に持論を展開させていく。いつものことながらよく舌が回るなぁと理破は苦笑しながらも彼女の興味深い話に引き込まれていく。
「ボクは蔵にあった古文書を片っ端から調べていったさ。だけど悔しいかな、コレといった重要機密は見つけられず……この地が椎斎と呼ばれる前は神のいない土地だと認識されていたことくらいしか現時点では判明してないから、まあ推測憶測の類でしか論じられないんだけど」
「その推測とか憶測とかで導き出した回答がつまり『この街には神様がいない』なの」
「まあ端的に表せばそうなるね」
あっさり言いきられて不服そうに月架は応えるが、理破がちゃんと話を聞いていてくれたことについては満足したようで、すぐさまにこりと笑う。
「この街には土地神がいないんだ。だから亀梨神社が造られ、椎斎なんて地名が生まれたんだよ」
そのときは、たいした話ではないと思っていた。きっと月架もそう思ったから、中学に入ったばかりの理破に教えてくれたのだろう。
だけど。
月架は知ってはいけないことを知ってしまったのだと、十七歳になった理破は悟る。
――この街に、神様はいない。
月架の遺した言葉は、半分ほんとうで、半分、嘘が混じっていた。
* * * * *
由為は口を半開きのまま、目の前の死体を指差し、問いかけるように優夜を見上げる。
「どういうことですか」
口の中が渇く。カラカラの、絞り出したような声がでてきた。信じられないことが目の前で起きている。自分の正気を疑いたくなる。
だけどこれは現実。
優夜は口をぱくぱくさせている由為の強張った手をそっととり、現実の温度を伝える。
「お前があのとき見たのは、彼女で間違いないか?」
入学式の日。隣斎駅のホーム。朝のラッシュ。トマトシチュー。雑踏の中。先頭には疲れた顔のサラリーマン。その後ろには黒い喪服のようなワンピース姿の……
「あれ?」
由為は眼を瞬かせる。いま、目の前にいる彼女は、少女、と呼ぶにはすこし、歳老いているように感じられる。
「同じ、だと思うんですけど……あたしが事故現場で目撃した彼女は、もっと幼かった気がします」
目の前にあるのは少女と呼ぶには大人びている女性、の死体だ。事故現場で見た記憶を思い出しながら比べてみると、身体つきや顔つきに差異は見られない。
「あのときの少女がそのまま大人へ成長しているような……死体のひとは、もしかしてその少女のお姉さんなんでしょうか?」
「いや、彼女は兄しかいない」
断言する優夜を不思議がりながら、由為は目の前の女性を凝視する。優夜の男のくせに端正な容貌が、彼女の輪郭と重なる。兄というのはもしかして……
「――彼女は何者なんですか? 先生とも関係のあるひとなんですよね?」
肝心なことが何一つ理解できず、由為は優夜につかまれた左手を強く握りしめる。信じている、逃げないから教えてと、念をこめて。
やがて、優夜は彼女の名を口にする。
「……彼女の名は宇賀神月架。二十歳の誕生日を迎える前日に死んだ、俺の妹だ」
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