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Ⅴ 使命の芽吹きは月夜の晩に * 1 *

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 逆井理破、という名前が自分のクラス名簿に載っているのを見た時から、彼女が自分と似た立場の人間でありながら優位な状態にあると認識していた。
 学園内では特に目立つことのない虚弱体質のお嬢様、として名が通っている理破だが、実際のところ、それは仮面の上の話。教師ですら彼女に頭が上がらないのが実情である。

 椎斎市といえばいまは鎮目一族の天下だが、それ以前は逆井氏が道南道央の多くの集落を統率してきたのだ。逆井の名がいまなお権力の象徴として方々で強く残っているのも仕方がないこと。
 だが、逆井という苗字だけなら大して気にすることもなかっただろう。椎斎では逆井という苗字はポピュラーだから。
 しかし、理破という名前がつくと、そうも言ってはいられない。

「逆斎のコトワリヤブリ。あまりにあからさますぎるから、罠みたいに思えたわ」

 きっと彼女は現世うつしよに繋がる『月』の人間だ。それも、正真正銘のの。
 自信があるから両親は彼女にコトワリヤブリの名を与えたのだろう。彼女こそ次代として椎斎の地に降臨する現人神なのだと。

「確かに、子どもにつける名前にしては過激かも。親の期待を一身に背負ってる感じは確かにするけど……」
「どうせわたしは『はぐれ』でしかないもの。斎神に守られた椎斎とは違って何もなかった潤蕊でひっそり息づいてきた逆井の傍流。このことだってヌシさまが教えてくれるまでまったくわからなかったじゃない」
「うん。昼顔は『月』の子孫だよ」
「あの逆斎の血を引いているのよね……」

 逆斎。逆井のルーツとされる土地に仕える斎のこと。けれどその裏には他の斎を唆した土地神に逆らう斎、という意味も潜んでいる。

「人間の男と結ばれるために土地神との婚姻を断ったなんて愚の骨頂。そのせいでわたしの始祖は神になることも叶わなかったのよ」

 唯月姫が土地神に見初められ、そのまま子を成せば良かったのだ。そうすれば忌まわしい『星』が私欲のために土地神を殺すなどという過ちも起きなかっただろうに。

「だけど昼顔、神の一族として迎えられた女が産み落とした『夜』と『星』と比べればまだマシなんじゃないかなぁ」
「何を言っているの、神の血を引き継ぐ『夜』がいるから『月』はいつまでも二の次にされるのよ。ようやく『夜』の斎神、宇賀神月架を葬れたっていうのに。そうなったら次に神になるのは決まっているじゃない?」

 昼顔の険しい表情をぼんやり眺めながら、左目に眼帯をしている巫女装束の少女は呟く。

「コトワリヤブリの名を持つ逆井理破が?」
「それは違うぞ」
「主さま」

 巫女装束の少女と制服姿の昼顔は自分たちが仕える青年の顔を見て、さっと膝を折る。昼顔にとって生命の恩人である彼は、昼顔を一瞥するとつまらなそうに巫女に向き直る。

「『月』の人間が神になることはあり得ない。たとえコトワリヤブリの名を抱く少女が頂点にいるとしても、彼女は土地神の血を継いでいるわけではない。せいぜい神と取引をする女王さまってところだろ」

 土地神との間に子孫を残していない『月』の人間は神になる資格がそもそも存在していない。だから同じ『月』の血を引いている昼顔も神になることはできないのである。だが、土地神亡きあと、そのちからを引き継いだのは『夜』の一族だけかというと、そうでもない。最凶の『星』の斎を制御することさえできる立場につくことができれば、神になりかわることは可能なのだ。だから『星』の斎という神嫁を手に入れて、彼は自らを椎斎の主として、神になるつもりでいる。
 椎斎を守っていた『夜』の斎神を滅したという巫女はふんふんと頷きながら問い返す。

「では、逆井理破については主さま、どのように」
「鬼姫が生み出す餓鬼の相手をしてるだけで精一杯みたいだからな。いくらちからを持っているとはいえ不完全には違いない。放っておけ。これ以上『月』の人間どもを刺激したくない。崇拝の対象ともなっていた宇賀神月架を失ったことでかなりピリピリしてるようだ。それに、『夜』の勢力が落ちた今、我が早急に望んでいるのは鬼姫の確保だ。鎮目の人間に泡を吹かせてやれ」
「はーい」

 巫女の気の抜けた声を背に、主と呼ばれる男は足早に去っていく。昼顔には何一つ声をかけないまま。
 ……しょせん、わたしは彼にとっての道具でしかない、か。
 そんな昼顔を気の毒そうに巫女が覗き込む。

「がんばれよー」
「……謡子ようこっ」

 彼女はそれだけ言って鳥居の奥へはいっていく。主への恋心は隠しているつもりでも、不思議なちからを持つこの少女、風祭かざまつりアペメル謡子の前では簡単に暴かれてしまうようだ。昼顔は苦笑を浮かべ、鳥居の柱に寄り掛かる。
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