斎女神と夜の騎士 ~星の音色が導く神謡~

ささゆき細雪

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Ⅵ 昼夜の空に月星は揺らぐ * 12 *

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 穴があったら入りたい。好奇の視線に晒されながら、由為は理事長室へ向かう。
 放課後のチャイムと同時に流れた校内放送で、由為は呼び出しを食らってしまったのだ。それも、優夜と一緒に。

「理事長直々の呼び出しって……先生、なんでこんなことになっているんですか」
「俺にきくな」

 生物の授業中に気まずい雰囲気に陥ったふたりだが、あのあと、授業の終了の鐘が見計らったかのように鳴ったこともあり、その空気は呆気なく霧散した。
 だが、ふたりの授業中のやりとりを目撃していたクラスメイトたちは、いままでのふたりを見ていることもあり、これはおかしいと秘かに騒ぎたて、校内へ噂を流していたようだ。当然、理事長の耳にも入るだろう。
 由為は釈然としない面持ちで早歩きの優夜を追いかけていく。今日はこれから理破との約束が待っている。できれば理事長との面談はとっとと終わらせたい。
 一方、優夜は不機嫌な表情を隠すことなくずんずんと歩みを進めていく。周囲にいた生徒たちは関わったらいまにも掴みかかりそうな優夜と納得できずに渋々彼に従っている由為を遠巻きに眺め、訝しげに顔を見合わせ、そそくさと去っていく。

 ……そりゃ期待外れでしょうね。教師と生徒の恋なんか芽生えてないんですから。

 由為は心の中であらためて考える。あたしと先生の関係ってなんなんだろう? 教師と生徒。『夜』の騎士と『夜』の斎。だけど彼はあたしを斎だと認めず、忠誠の儀と呼ばれる三種の神器のひとつの宝珠の受け渡しも行われていない。それでいて彼を『夜』の騎士として信頼することができるのだろうか。
 別棟にある理事長室は二年生の教室が並ぶ三階の奥にある渡り廊下の先に繋がっている。校内放送のせいか、興味深そうな二年生の姿もちらほら見られる。その中で由為の目にとまったのは、小柄な少年。その横には、みつあみの少女。ふたりとも、睨みつけるように優夜を……いや、由為を見ている。たぶん彼らも椎斎のコトワリヤブリの一員なのだろう。騎士に連れられた少女が『夜』の斎なのかと理破のように試すような視線を向けている。
 通り過ぎながら由為は優夜の顔色をうかがう。けれど優夜は相変わらず不機嫌なのを隠すこともしないで、由為の手をきつく握りしめている。いつの間に。

「気にするな。あの少年は『星』の使い魔だ。もうひとりは見かけない顔だがたぶん『月』か『星』に属してるんだろう」

 そうでないと由為が『夜』の斎だということを知る筈がない。早口で説明され、由為はさっき目の前を通り過ぎた二年生のことを思い起こす。鎮目学園にはコトワリヤブリに属する生徒も数多く在籍している。由為が知っていたのは三年生の景臣だけだが、それ以外にもいたことを知り、不思議な気分になる。

「……『星』の使い魔?」

 傍流の話は樹菜や景臣からきいていたが、使い魔の話は初耳だ。由為はあの少年が鎮目一族の人間で、土地神とは異なる魔術を用いるのかと考え、優夜を見上げる。

「朝庭にとっての俺みたいなものだ」

 つまり、『夜』の騎士、『月』の影、同様に『星』には使い魔がいる、ということらしい。優夜のそっけない応えに由為は憮然とする。そうは口にしていても彼は自分に忠義を立てていないじゃないか……

 ふたり無言で二年生の教室を通り過ぎるとあたりは急に閑散としてきた。職員の使う準備室を抜けると、木製の床の色合いががらりと変わる。生徒たちがいた廊下は白木のものだったのに対し、こちらは黒檀のような、重々しい風合いだ。

 ふいに視界がひらける。別棟の渡り廊下。左右の窓は雨に濡れてはいるものの、ひかりを反射させて由為たちをほんのり明るく照らしていく。そのまま、現れた観音開きの扉が勝手に左右に割れていく。
 それには既視感《デジャ・ヴュ》があった。鎮目医科学研究所に行く途中の荊の道を難なく突き抜けていくときのような、何者かが作用している感覚。

「待っていたよ、『夜』の騎士」

 由為が顔をあげると、氷のような薄青の瞳を持つ初老の男性が目の前にいた。優夜が握る手にちからが込められている。その痛さに由為は顔をしかめるが、彼は由為の方を見もしない。

「それから、ようこそ。『夜』の斎」

 アイスブルーの瞳が由為の姿を捉える。見つめられて、由為は確信する。彼がこの学園の理事長でありながら、鎮目一族を統べる魔術師の長であることを。

「理事長……」
「ジークと呼ぶが良い。まあ、そなたの騎士もわしを理事長と呼ぶがのう」

 微笑を浮かべながら、ジークは指をぱちりと鳴らす。開いていた扉は勝手に閉まり、立ちつくしていた由為と優夜の前にはふたりで腰かけてもまだ余裕があるおおきなソファがひとつ、どこからともなく現われていた。

「まあ座れ。ちと厄介なことが起きとる」

 これが土地神とはかけ離れた魔術なのだろう。由為は目の前で起きた光景に驚いたものの、ジークの言葉に素直に頷き、先に腰かけていた優夜の隣にちょこんと腰を下ろす。

「厄介なこと?」

 自分と由為を噂に上らせることを許しているこの状況そのものが厄介極まりないとでも言いたそうな優夜だが、ジークはそれもわかりきった上であっさり言いのける。

「きみたちのことは利用させてもらった。この学園に潜む悪魔をおびき寄せるために、な」
「え」

 ジークはつまらなそうに呟く。

「今朝、亀梨の結界に綻びが生じたと、『月』の当主より報告があがった。そして、その綻びから、悪魔の風が入り込んだのだ。『星』を狙う、人間という名の悪魔だ」

 結界に綻び? 状況が理解できない由為の横で、優夜が何事かを考えている。

「――月架を殺めた人間が、この街に?」

 導かれた応えに、由為も戦慄する。

「騎士の言うとおりだろうな。『夜』の斎の登場で、奴らは本格的に動き出した。あくまで狙いは『星』だろうが、『夜』の斎、そなたも気をつけてほしい」
「なぜ……?」
「コトワリヤブリの中で、亡き土地神を降ろせるのは、『夜』の斎たる少女だけ。奴らの真の狙いは土地を滅ぼすちからを持つ神殺しの悪魔とこの椎斎に眠る土地神のちからだ」

 ジークは『夜』の斎は眠る土地神のちからを開閉する鍵のようなものだと説明する。神を殺した『星』の悪しきちからを鍵で閉じるように封じられる強大なちからをその身に降臨させる『夜』の斎という存在を、奴らは利用し、『星』の実態が外へ出られるよう開けようとしているのだと。

「……そのことが可能なのは、『夜』の一族が持つ三種の神器のひとつ、森羅万象を司る宝珠があるからなのだが」

 ジークは困惑したように優夜を見つめる。

「見つかったか?」

 ……どうやら、紛失しているらしい。

 由為はぽかんとした表情で優夜の横顔をうかがい見る。黙秘だ。教師である優夜が理事長相手に黙秘権を使っている。
 優夜の反応を見て、ジークは「そうか」とだけ言ってふいと視線を由為に傾ける。

「というわけだから『夜』の斎。彼が君に忠誠を誓えない理由がわかっただろう?」
「……宝珠が行方不明だから?」
「そういうことにしておけ」

 不貞腐れた優夜の表情を見て、図星なのかと由為は呆れる。てっきり自分に不備があるから誓ってくれないんだと思ったのに!
 そんな由為と優夜を見比べながら、ジークは忠告する。

「それでも奴らはそなたをマークするだろう。『夜』の斎。そして『夜』の騎士よ。今後は常に行動を共にしろ。これは理事長命令だ」

 さりげなく大変なことを命じられている気がするのは気のせいではないらしい。隣で優夜が拳を震わせている。

「可能なら学園の外でもそうしてもらいたいものだな。いいかげん、『月』の影に好き勝手させるのも癪に障るだろうから」

 だからあえて由為と優夜が噂になったのを放っているだと理事長はきっぱり告げる。そんなんじゃないのに、と顔を赤くする由為と、がっくり項垂れる優夜。そんなふたりを面白そうに眺め、ジークは邪気のない笑みを浮かべるのであった。
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