身代わり聖女は「君を孕ますつもりはない」と言われたのに死に戻り王子に溺愛されています

ささゆき細雪

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番外編(side 花鳥公国) 亡国の女君主に恋した騎士の、最初で最後の恋の魔法

《6》

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   * * *


 珈琲コーヒーの香りが鼻孔をくすぐる。香ばしい匂いに誘われて階段を降りてリビングルームに現れたナイトウェア姿の夫に、ゆったりとしたエプロンドレスを着たレイチェルが「おはよう」と笑顔で囁く。
 時計の針は午前五時。ふだんの彼女にとってみたらまだ朝と呼ぶには早い時間だ。早起きな妻を訝しげに見つめて、海の碧に似た空色の瞳のアルヴィンはぽつりと呟く。

「――ずいぶん早いな」
「なんか、変な夢を見ちゃって」
「夢?」
「そう。彼方とあたしが、身分違いの恋の果てに国を滅ぼしちゃう夢」
「それはまた物騒な」
「だけどね、最後の最後でふたりはようやく結ばれたのよ」

 ふふっ、と妖艶に微笑む妻を見て、アルヴィンは不覚にもときめいてしまう。こちらの世界に来て十年、結婚してからもう七年にもなるのに、彼は未だに彼女に恋している。

「破壊の魔女は、自分を壊して世界を消し去る前に、子どもの頃から傍にいた護衛騎士に救われたのよ」
「それは違うかな」
「?」

 きょとんとする薄紫がかった榛色の瞳を覗き込んで、アルヴィンはきっぱり告げる。

「護衛騎士は、ともに生きることを誓ってくれた女君主のことを何があっても起こっても愛しつづけているから。救われたのは俺の……いや、彼の方だと思うんだ」
「ふぅん」

 不思議そうな表情で夫の話を耳に入れていたレイチェルは、何事もなかったかのように朝食の準備をはじめる。卵とほうれん草と厚切りのベーコン。早起きした朝は、彼女のお手製キッシュが食べられるのだ。料理なんかしたこともなかった姫君が、この十年でずいぶん成長したものだ。

 レイチェルは自分が異世界でとある公国の女君主レティーシャであったことを覚えていない。けれどアルヴィンは自分が彼女をずっと傍で支えていた護衛騎士アーウィン・キグナスであったことを覚えている。
 次元の異なる世界へ翔ばされたふたりは、右も左もわからないまま、だだっぴろい土地で生活をはじめることになった。後に判明したことだが、そこはアメリカと呼ばれる国で、都市部ではすでに馬車の代わりに車が、精霊魔法の代わりに電気やガスなどの科学技術が当たり前のように使われていた。

 大魔法の反動で記憶を失ったレティーシャを護るため、自給自足のために彼は何もない荒野を耕した。畑をつくっていくうちに土地の人間たちにも受け入れられ、順調に暮らしに溶け込めるまでになった。
 名前もアルヴィンとレイチェルと変え、転移してから三年後の夏、村人たちに祝福されながらちいさな教会でふたりは夫婦となったのだ。

「そうか、今日はニコたちが遊びに来るんだったな」
「騒がしくなるわね」

 記憶のないレイチェルと流れ者のアルヴィンをこの村に迎え入れてくれた村長の娘、ニコは数年前に進学のために都会へ出て妊娠し、学生結婚をした今どきの娘である。すでに二歳になる息子がおり、ニコが帰省してくる度にアルヴィンは遊び相手に指名されている。

「なぁレイチェル。俺たちもそろそろ子作りしないか?」
「……え」
「君が不安なのはわかるけど、もうここに流れ着いて十年だ。ふたりで慎ましく暮らすのも悪くはないが、俺は、ニコの子どもと遊ぶ度に思うんだ。レイチェルと子どもを作りたい、って」

 かつて女君主として国に縛られた姫君は、アルヴィンに抱かれることを喜ぶものの、子作りには消極的だ。年齢的にも肉体のタイムリミットが迫っていると心配する彼に、彼女はいつもごめんなさいと言って話題を躱した。
 きっと今日もそれで話は終わってしまうのだろうと思ったアルヴィンだったが……

「いいわよ」
「よろしいのですか!?」

 思わずかつての騎士時代の言葉遣いに戻った夫は、鳩が豆鉄砲を食ったような表情で固まってしまう。そんな夫を前に、レイチェルがクスクス笑う。

「どこか懐かしいあの夢を見たからかしら……子どものいる未来も、そう悪いものじゃないように思えたのよ」

 幼い頃に遊び相手として巡り合ったレティーシャとアーウィン。恋心を育みながらも障壁によってなかなか想いを告げられなかったふたりが“愛”をぶつけ合ってひとつになった幸せな夢の余韻に浸っていたレイチェルは、固まったままの夫の唇へちょこんとキスをする。
 きっとあの夢は、幸せの予兆。

「あぁ、レイチェル……嬉しいよ。そうと決まればさっそく」
「待って! キッシュが焼き上がるわ。温かいうちに食べて!」
「わかっているさ、君は大切なデザートだ」
「もうっ!」

 焼き上がったキッシュをテーブルに出して、レイチェルは子どものように喜ぶ夫の前で頬を膨らませる。
 彼女の左手の薬指には、古風な金剛石の指輪が煌めいている。それがかつて魔法をつかったことで砕けた“偉大なる星”の破片だということを知っているのは、彼女を愛する夫のアルヴィン、ただひとり。


 ――fin.
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