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しおりを挟む「――何言ってるのお父さん?」
「ここでは社長だよ、樹理。今夜は久しぶりに役員全員が揃う。食事の席には君を同席させるつもりだ」
「……え」
「定時であがれると思ったのか? 残念だが、今夜は君を紹介する約束をしてしまったんだ」
「紹介って、誰に?」
樹理が思い浮かべることができる役員の顔はどれもこれも旧知からの知り合いばかりである。改めて紹介するような人間がいるとは考えられない。
けれど株式会社トミツリイの社長で樹理の父親でもある冨居樹はにこやかに笑っている。何か企んでいる顔だ。
彼の秘書として秘書課の隅っこで働いている娘の樹理は、突然の呼び出しと社長命令を前に硬直する。
「我が社の売り上げが芳しくないことは君も知っているね」
「ええ。役員たちがいまのやり方では会社を保たせるので精一杯だと。そこで新たな風を社内に迎える、って」
「僕も若くない。今夜の会食で僕は社長の椅子から退き、会長職に就く。そこまでは?」
「存じております。後任に雲野ホールディングスの社長婦人である雲野菖子さまが」
「その、彼女の息子である貴糸くんが新社長に着任するんだけど、君を自分専属の秘書にと望んでいるんだ」
「ちょ、ちょっと待って! 菖子さんじゃないんですか!? それに、なんであたしが」
「樹理。言葉遣い」
ここは職場だと厳しい顔で叱る父の前で、樹理は慌てて言葉を直す。
「お待ちください社長、このような役目は秘書課の上位の者が担われるのが適任かと……!?」
焦り出す樹理の背後で扉がバタンとひらく。
その音に驚きながら顔を向けた樹理は絶句する。
「う、そ」
「そんなに俺の秘書になるのがイヤか? ジュリちゃんよ」
見慣れないネイビースーツ姿の、見知った男性がいた。若々しい出で立ちでありながら、威厳と品格を併せ持つ彼の姿に、樹理は言葉を噤む。
中小企業の一般秘書ではとうてい太刀打ちのできない大企業の御曹司で、樹理のふたつ年上の幼馴染みで、初恋の相手――雲野貴糸。
「……キート」
「久しぶりだな。俺がお前の親父さんの会社の次期社長になるなんて想像もしてなかったみたいだな」
「だ、だって」
猛禽類のような鋭い瞳が樹理を射抜く。地元の公立小中学校に通っていたときから変わらない、目つきの悪さ。
それに、背が伸びたからか、肩幅がおおきくなったからか、着こなすのが難しそうな濃紺のスーツを遜色なく着ているからか、さらに男臭さ――いや、ワイルドな感じが増したように思える。学生服姿の彼しか知らなかった樹理は、スーツ姿で自分の前に現れた幼馴染みを前に思わず見惚れていた。
そんな樹理を見て、貴糸はにやりと笑う。獲物を仕留めようとする獣のように。
「社長。申し訳ありませんが今夜は彼女をお借りしてもよろしいでしょうか」
「ああ、構わないよ。役員たちには僕の方から伝えておく」
「え、お父さん!?」
紹介したい相手って彼のことだったの? と目配せすれば、満面の笑みで父は手を振って樹理を追い出す。
気まずいだろうに、貴糸は樹理の手を引いてそのまま社長室から彼女を奪っていく。
「ちょ、ちょっとキート」
「お前のその呼び方も懐かしいな。まずはふたりで乾杯と行こうじゃないか」
「乾杯……?」
首を傾げる樹理に、貴糸があははと豪快に笑う。
「その調子じゃ、親父さんからなにもきいてないんだな。ジュリちゃん」
「――う」
「兄貴に婚約破棄されてから、結婚はこりごりだって逃げ回ってるんだって? なぁ、俺ならどう?」
「どう、って」
なにかがおかしい。
貴糸が自分のことを専属の秘書にしたいというはなしだってついさっき聞いたばかりだ。
それなのに彼は結婚のはなしを匂わせる。彼の兄――紡とのあいだにあった婚約破棄騒動のことを口にしてまで。
「混乱してるのはわかるけど、悪いはなしじゃないと思うぜ。俺はようやくジュリちゃんを自分のものにできる、ジュリちゃんは親父さんの会社を建て直せる、ジュリちゃんだって俺のことがすきだーって」
「そ、それ十年以上前のはなしでしょっ! すき、って……」
「まあまあ、恥ずかしがらないの。つまり――だ」
終始にこにこ微笑んでいた父親のことを思い出し、樹理は赤面する。図られた?
「親父さんはようやくお前が結婚したがらない理由に気づいたわけ。それなら初恋の相手の秘書にして、お互いその気にさせればいい、ってね」
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