不完全防水

ささゆき細雪

文字の大きさ
1 / 8

第一話

しおりを挟む
 雨粒を転がす窓の向こう。藍色の海岸線。晴れた日に臨める真っ青な世界とは異なる海の風景を、橋上はしがみは無感動に見つめる。ぎゅうぎゅう詰めのバスに揺られながら。
 人件費を削減したとしか思えない一時間に三本というバスの本数は、利用客にとってみれば迷惑なものでしかない。通勤通学時間になると戦場のようだ。晴れているときはまだいい、問題は今日みたいな雨の日だ。
 普段は自転車を使う学生も、雨の日はバスを利用する。だからいつも以上に窮屈で、身動きが取れなくなる。しかも誰も彼も大きな傘を持参している。傘の先端が足に当たると痛いというのは経験上知っているのに、橋上は毎回違う人の傘に足を突かれてしまう。断じて自分が鈍感だからではないと思いたい彼だが、こうも毎回違う人に突かれると、その自信も揺らいでしまう。
 今日こそ気をつけようと心に誓う橋上だったが、早速足を突かれたらしい。

「痛ぇ」


   * * *


 雨の日の柚木ゆのきは機嫌が悪い。制服が濡れるのが嫌だからとだぼだぼのレインコートを纏って、鞄と革靴には何度も何度も防水スプレーをかけて、自分が三人くらい入れそうな大きな傘を持ち歩く。すし詰め状態の湿度七十五パーセントはあるであろうこの閉塞的な箱の中で彼はいつか窒息死してしまうのではないかと本気で心配している。だけど雨の日は自転車に乗れないから、仕方なくバスを利用する。
 半透明のレインコートにつく雨粒は乗車前にぱたぱたとはたいて落とす。傘についた雫も一緒にはたく。それが雨の日の儀式。
 ぎゅうぎゅう詰めの車内では他人の水滴が自分に被害を及ぼさないよう大きな傘でカバー。傘を左右に振ったり上下に突いたり……あ。突いていたら、痛ぇ、って声が背後から聞こえた。何だろ?
 柚木はふてくされた表情で振り返る。

「あし、足……っ」

 視線を床に向ける。尖った傘の先が乗客の靴を容赦なく突き刺している。さすがに貫通はしていないが、これはかなり痛そうだ。顔を真っ赤にして謝る柚木。

「……あ、すいません」
「謝る前に傘をどかしてくれ。痛い」

 慌てて傘を動かし、これで大丈夫ですか? と不安そうな表情を向けた少年に、苦笑を浮かべたまま頷く橋上。

「平気だよ。それより、すげー格好だな、お前。そんなに濡れるのが嫌か?」

 完全防水スタイルの柚木は、これが雨の日の格好だと信じきっている。だから目の前の少年に「すげー格好」と言われてもどこがどう「すげー格好」なのか理解できないでいる。

 首を斜め四十五度に傾けたまま戸惑っている少年を見て、橋上は自分が何か困らせるようなことを言っただろうかと自分の言動を反芻する。それだけ目の前の少年は真剣に悩んでいるように見えた。だから、ただ濡れたくないだけなんだろうと一人で納得して、話を打ち切ろうとすると。

 ピンポーン。濃い紫色のランプが鳴らされた音と共に灯る。目の前の華奢な少年が背伸びして、ブザーを押しながら、橋上を見つめながら。

「溶けちゃうからだよ」

 瞬きすることなく、淋しそうに呟く。

「はい?」

 ……溶ける、って何が?
 バスの回数券を取り出し、無邪気に「ひぃふぅみぃ」と数えている少年の後姿を呆然と見つめる橋上。だが、彼はもう、橋上の方を見ようとしない。

 バスが停車する。同じ制服を来た私立高校の学生たちがぞろぞろと降りていく。後を追うように柚木も降車する。レインコートのフードをすっぽり被って。
 学生たちが降りたことで、バスの中に空間が生まれる。橋上は窓際に移り、レインコート姿の少年を目で追う。
 バスが停留していた時間はほんのわずか。その間に橋上が見たもの。それはやけに骨の数が多い黒い傘。
 少年が咲かせた傘の花。小柄な彼には似合わない、大きすぎる紳士用の蝙蝠傘。父親のものだろうか?
 バスが走り出し、やがて黒い傘は見えなくなる。だが、橋上は興味を覚える。

『溶けちゃうからだよ』

 少年が残した思いがけない言葉。冗談かもしれない。だけど、その時に見せた淋しそうな表情、口調がそれを冗談として捉えてはいけないと感じさせる。まるで、助けてという悲鳴を押し殺しているみたいで。

 偶然、バスで乗り合わせただけの少年だ。もう二度と会うことはないかもしれないのに。どうしてだろう。もっと話をしたい、彼のことを知りたいと、胸が騒ぐのは。 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

【完】君に届かない声

未希かずは(Miki)
BL
 内気で友達の少ない高校生・花森眞琴は、優しくて完璧な幼なじみの長谷川匠海に密かな恋心を抱いていた。  ある日、匠海が誰かを「そばで守りたい」と話すのを耳にした眞琴。匠海の幸せのために身を引こうと、クラスの人気者・和馬に偽の恋人役を頼むが…。 すれ違う高校生二人の不器用な恋のお話です。 執着囲い込み☓健気。ハピエンです。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

BL 男達の性事情

蔵屋
BL
 漁師の仕事は、海や川で魚介類を獲ることである。 漁獲だけでなく、養殖業に携わる漁師もいる。  漁師の仕事は多岐にわたる。 例えば漁船の操縦や漁具の準備や漁獲物の処理等。  陸上での魚の選別や船や漁具の手入れなど、 多彩だ。  漁師の日常は毎日漁に出て魚介類を獲るのが主な業務だ。  漁獲とは海や川で魚介類を獲ること。  養殖の場合は魚介類を育ててから出荷する養殖業もある。  陸上作業の場合は獲った魚の選別、船や漁具の手入れを行うことだ。  漁業の種類と言われる仕事がある。 漁師の仕事だ。  仕事の内容は漁を行う場所や方法によって多様である。  沿岸漁業と言われる比較的に浜から近い漁場で行われ、日帰りが基本。  日本の漁師の多くがこの形態なのだ。  沖合(近海)漁業という仕事もある。 沿岸漁業よりも遠い漁場で行われる。  遠洋漁業は数ヶ月以上漁船で生活することになる。  内水面漁業というのは川や湖で行われる漁業のことだ。  漁師の働き方は、さまざま。 漁業の種類や狙う魚によって異なるのだ。  出漁時間は早朝や深夜に出漁し、市場が開くまでに港に戻り魚の選別を終えるという仕事が日常である。  休日でも釣りをしたり、漁具の手入れをしたりと、海を愛する男達が多い。  個人事業主になれば漁船や漁具を自分で用意し、漁業権などの資格も必要になってくる。  漁師には、豊富な知識と経験が必要だ。  専門知識は魚類の生態や漁場に関する知識、漁法の技術と言えるだろう。  資格は小型船舶操縦士免許、海上特殊無線技士免許、潜水士免許などの資格があれば役に立つ。  漁師の仕事は、自然を相手にする厳しさもあるが大きなやりがいがある。  食の提供は人々の毎日の食卓に新鮮な海の幸を届ける重要な役割を担っているのだ。  地域との連携も必要である。 沿岸漁業では地域社会との結びつきが強く、地元のイベントにも関わってくる。  この物語の主人公は極楽翔太。18歳。 翔太は来年4月から地元で漁師となり働くことが決まっている。  もう一人の主人公は木下英二。28歳。 地元で料理旅館を経営するオーナー。  翔太がアルバイトしている地元のガソリンスタンドで英二と偶然あったのだ。 この物語の始まりである。  この物語はフィクションです。 この物語に出てくる団体名や個人名など同じであってもまったく関係ありません。

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

雪色のラブレター

hamapito
BL
俺が遠くに行っても、圭は圭のまま、何も変わらないから。――それでよかった、のに。 そばにいられればいい。 想いは口にすることなく消えるはずだった。 高校卒業まであと三か月。 幼馴染である圭への気持ちを隠したまま、今日も変わらず隣を歩く翔。 そばにいられればいい。幼馴染のままでいい。 そう思っていたはずなのに、圭のひとことに抑えていた気持ちがこぼれてしまう。 翔は、圭の戸惑う声に、「忘れて」と逃げてしまい……。

はじまりの朝

さくら乃
BL
子どもの頃は仲が良かった幼なじみ。 ある出来事をきっかけに離れてしまう。 中学は別の学校へ、そして、高校で再会するが、あの頃の彼とはいろいろ違いすぎて……。 これから始まる恋物語の、それは、“はじまりの朝”。 ✳『番外編〜はじまりの裏側で』  『はじまりの朝』はナナ目線。しかし、その裏側では他キャラもいろいろ思っているはず。そんな彼ら目線のエピソード。

同居人の距離感がなんかおかしい

さくら優
BL
ひょんなことから会社の同期の家に居候することになった昂輝。でも待って!こいつなんか、距離感がおかしい!

処理中です...