Springs -ハルタチ-

ささゆき細雪

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chapter,5 (3)

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「泉観ちゃんが殺したわけないわよね?」

 食堂で、やんわりと問われた。鈴代は無言で頷く。
 それでも、自分を忌々しく感じている親族はここぞとばかりに責めたてるのだろう。こう見えても叔父夫婦は、まだ鈴代のことを理解してくれている方だ。
 このことが外へ漏れ出すと、鈴代が悪役に変貌する。だから、親族にも本当のことは伝えていない。今は、まだ。

 ……自分の父親を手にかけようとした恐ろしき娘、しかも長年仕えていた執事をあんなに惨たらしい姿にするとは……虚実をまるで本当にあったことのように、彼らは囁きあい、呪うのだ、人殺しの魔女が、魔女がと。

 鈴代はぶるっと首を左右に振り、玉貴を見上げる。背の高い叔母は、小声でそっと囁く。

「紗枝がここにいなくてよかったわね」

 ここに紗枝がいたら、きっと真っ先に自分の娘を疑うわよ。人形のように美しく、恐ろしいほどに頭のいい自分の娘を、陥れるために。

「紗枝ってスズシロのお母さんのことか?」

 玉貴と鈴代の会話を黙って聞いていた上城は、ここぞとばかり口を挟む。

「そうよ。あなたが春咲くんね」

 応えたのは玉貴だった。上城は首を縦に振る。
 鈴代玉貴。彼女は賢季の母親とは思えないほど若々しく見える。
 ピンと伸びた背筋、洋館には不似合いなライトブラウンのショートボブ……まるでキャリアウーマンのようだと上城は考える。叔父の執務を傍らで手伝っているらしく、そうとうな切れ者とも言えよう。

「夏澄くんに似てきたわね」
「……父を知っているんですか?」
「だって。ジゼプ・コンツェルンの要員だったじゃない。財閥関連の子会社なら一通り顔を覚えているわ、取締役から常務くらいまではね。その中でも夏澄くんは印象的だったから」
「え」

 困惑する上城を気にせず、玉貴は語る。それは、彼すら知らない父親の素顔。

「ロシアでのプロジェクトを命じたのは夫の会社の人間だと思うけど……彼ら、最低三十年はかかると思っていたのよ。その任務を遂行させるのに。だけど、夏澄くんは二十年しないで片付けちゃった」

 父親は、昔からどこで何をしているのかよくわからない仕事をしていると思っていた。大金を動かす仕事だということを母親から知ったのはロシアで暮らしていた頃のこと。大きなグループ企業のうちの一社を若いうちに任されたが、それを一部の人間が認めなかったため、上の人間が海外の未開発事業の責任者に押し付けて地位を保っていたという話をぼんやり思い出す。彼は文句一つ言わずに仕事をこなしていた。だから三十年はかかるだろうと言われたプロジェクトを、二十年で成功させた……それは、上城が生まれる前から行われていた大事業。
 だから上城は今、日本に、鈴代の目の前にいるのだ。父親が偉大なる名声を手に、堂々と帰還できたから。

「春咲くんが生まれる前の話ね。ロシアであなたのお母さんと出会って結婚して、あなたが生まれたそうだから……ハーフだっけ」

 上城の両親がロシアで愛を育んだことを知っているのだろう、玉貴は懐かしそうに問う。

「いえ、クォーターです」
「でも綺麗な顔してるよね。男の子にとってみたら誉め言葉にならないのかもしれないけど」
「いえそんなことないですよ」

 自分の顔を綺麗だと言われることは何度かあった。だが自分ではそれほどいい顔だと思えない上城は苦笑を浮かべる。そして、横で黙って話を聞いている鈴代を見つめる。

 ……彼女の方が綺麗だと思うんだけどなぁ。

 玉貴は二人の様子を見て、初々しい恋人たちだと認識したのだろう、ぽんぽんと鈴代の頭を撫でる。その仕草が賢季と同じだったので、やはり親子なんだなぁと上城はなんとなく納得する。鈴代は嫌がることもなく、玉貴のされるがままになっている。

「叔母様」
「何かしら」
「わたしを疑いますか?」
「そうねぇ」

 単刀直入に尋ねてきた姪を好ましく感じているのか、玉貴は微笑を浮かべる。

「疑う理由がないわ」

 そして、無表情の鈴代に向けてあっさりと言い放つ。あなたが人を殺す理由など存在しないと。
 その潔さに、上城は惹かれる。
 鈴代はそんな上城に、少しだけ嫉妬する。


   * * *


 一人一人、鈴代邸の応接室で事情聴取を行うにつれて、平井はこの殺人事件も前回の殺人未遂事件同様にとても厄介なものであると認めざるおえなくなる。
 それぞれがそれぞれに、何かを隠している。それが腑に落ちない。

「近淡海さん」

 無表情なメイドは、平井の呼びかけで、俯いていた顔を少しだけ上げる。知人の死体を見てしまったショックからか、顔色は悪い。

「あなたは、この屋敷に一年半、勤務していらっしゃいますが、その間に何か変わったことはありましたか?」

 近淡海緑子は、渋々口を開く。

「……何が変わったことなのか、わかりません」
「今日の出来事、先週の主人殺人未遂……みたいなことですよ」

 平井は、緑子の表情を窺う。無言で虚空を見つめる姿は能面のようだ。

「ありません」

 きっぱり言い切る緑子を見て、これ以上の追求はできないだろうと平井は頷く。そして矛先の角度をずらす。

「わかりました。質問を変えましょう」

 緑子の双眸が暗く光る。それは、今までとはまったく違う質問だったから。


「あなたが本当に仕えている人間は、誰ですか」
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