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chapter,6 (2)
しおりを挟む翌日。朝刊の社会面には小堂が何者かによって殺されたことを伝える文面が、隅にさりげなく記されていた。テレビのニュースやワイドショーで堂々と取り上げられてはいない。相変わらず緘口令は続行しているようだ。マスコミへの対応なら問題ないと鈴代は心配していた上城に教える。
「圧力、ちょっとかけてるから」
驚いた顔を隠すこともなく、上城は声をあげる。
「スズシロが?」
「えへ」
互いの机を向かい合わせてお弁当を食べている二人は、小声で事件について語り合う。
「カミジョだって知ってたくせに」
それは、彼を責めるには優しすぎる口調。彼の父親が鈴代財閥の系列会社の責任者であったこと、経営を向上させたことを隠して、上城は鈴代の傍にいたのだから。
そのことを、上城は否定しない。だが。
「権力が欲しくて、君に近づいたなんて、思わせたくなかった……それに」
一目惚れだったのは、事実だよ。
榛色の濡れた瞳が、鈴代を見据える。
……言わなくてもわかるよと、鈴代は微笑を浮かべる。だが、その笑みは一瞬で消え、すぐに憮然とした表情へ戻る。
「カミジョ。今日はどうするの?」
今日も朝から平井たちが鈴代邸の現場検証をしていることだろう。鈴代はなるべく彼らの邪魔をしたくないようだ。
それならと、上城は提案する。
「放課後、図書館に行かないか? ちょっと調べたいことがあるんだ」
「いいけど、何を調べるの?」
鈴代は上城が何を調べたがっているのか理解できていない。まさか自分の母親が過去に起こした心中未遂について調べようなんて考えてもいないだろう。
だから上城は曖昧に応える。
「鈴代財閥の、過去……かな」
嘘にならない程度の、言い訳を。当たらずも遠からずな言い訳を。
* * *
話を聞けば聞くほど、平井は混乱しているようだ。鈴代財閥の一族間で囁かれていた魔女の呪いをまともに考慮しろ、なんて言われるとは、思っていなかったのだろう。
午後四時。緑子は、賢季の部屋の掃除に入っていたようだ。ソファの前に置かれていたクッションに身体を沈めていた彼女と水槽の片隅に湿ったモップが立てかけられていたのを見て、賢季は何も言わずに理解した。一通り仕事を済ませておいてくれたのだろう。
昨日の事情聴取の際に使用した盗聴器を回収し、イヤホンで録音された証言の数々を聞きはじめた賢季は、蛍光灯のついていない自分の部屋のソファに腰かけながら、黙って瞳を見開いている緑子の頭を撫でる。その姿は、怒っているようにも悲しんでいるようにも見える。
「お前が悪いわけじゃないよ」
平井の着眼点は間違っていない。緑子は鈴代財閥全体に仕えているわけではない。彼女が誠意を持って奉仕しているのは、目の前にいる鈴代賢季、ただ一人だけなのだから。
平井は、近淡海緑子という名前で気づいたのだろう、彼女が、次期財閥当主になるはずの鈴代泉観を厭っている親族の一員であることに。
「そこまでして、僕を表舞台に立たせ続けようとする君たちの方が、僕には理解できないけど」
呪われた人殺しの魔女、という言葉の真意が、近淡海の人間には理解できていないらしい。だから、緑子を賢季の傍に侍らせてまで、彼をその気にさせようとしているのだ。鈴代泉観が次期財閥当主の座に腰を下ろさぬように。
「みんな嘘つきだなぁ」
賢季は苦笑を浮かべる。録音された証言を聞くのに夢中になって、やがて口を閉ざす。緑子も疲れているのだろう、何も言わない。
大きな窓の向こうに見えた夕陽も、地平線すれすれまで墜ちていく。
「……緑子、蛍光灯をつけてくれるかい?」
西陽が姿を消し、部屋の明かりが水槽の淡い青しか残らなくなってはじめて、賢季が緑子に頼む。
青白い光に照らされた緑子は、動かない。
「お昼寝中かな? ……まぁ、昨日あれだけ働いていたし、疲れてるんだな」
普段から寡黙な緑子に対して疑問に思うこともなく、立ち上がり、賢季が灯りをつける。
白い光が、賢季の部屋を照らし出す。
そこで、何かおかしいことに、気づく。
「おい、緑子?」
緑子は瞳を見開いたままだった。真っ白な、透明すぎる肌の色を保ったままで。
眠っているのなら、瞳は閉じているはずだ。
賢季が部屋に戻ってきた時から、黙って瞳を見開いていた緑子。黙って話を聞いていたとしても、まばたきくらいするだろう。
でも、彼女はしていなかった。
彼女の身体を揺する。反応が、ない。メイド服をまくりあげ、触れ慣れた陶器のような素肌に触れる。……冷たい。信じたくないと曝け出した胸元に自分の耳を押し当てる。
でも。もう。
呼吸の音も、心臓の鼓動も、触れられたときに発せられる喘ぎ声も、ない。
レースで隠されていた首筋に、うっ血の痕を発見して、彼女が何者かの手によって、命を絶たれたことを、悟る。
「……うそだろ」
自嘲する。小堂の次は、緑子か。それも、自分の部屋が、死体発見現場になるとは。
賢季は自分がもう、傍観者でいられない立場まで追いやられたことを思い知る。
だから。
「本当はね……りこ」
叫ぶようなことはしないけど。
「み……こ」
誰にも聞かれないよう、囁く。
「みどりこ……!」
それが、彼女の本当の名前でないことを承知で、賢季は声をあげる。
「僕だって、貴女の気持ちくらい、気づいていたんですから」
死後硬直の始まった身体を抱きしめ、くちづける。何度も何度も触れた場所。それなのに、こんなに愛情を込めてくちづけたことの、なかった場所に。
「でも、僕を最後まで信じなかった貴女を。愛することは、もうできないんですよ」
最初で最後の愛の言葉を、永遠の眠りへと無理矢理連れ去られてしまった彼女に。賢季は告げる。
「好きでした」
これ以上抱きしめていたら、泣きそうだったから、賢季は彼女の身体をソファの上に横たわらせる。
「……人殺しの魔女め。泉観だろうが、もう、容赦できないな」
大切にされていた人を傷つけられることには、慣れていたはずなのに。
憤りだけが、今の賢季を動かしている。
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