Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―

ささゆき細雪

文字の大きさ
3 / 56
prologue

シューベルトの妻 + 3 +

しおりを挟む



 クアトロダウンステアーズ。
 何が言いたいのかよくわからない建造物の名前。柊が手にしているのはその単語が綴られた紙切れ。たぶんチケット。受付のお姉さんが柊の持っていた二枚の紙切れを切り離す。奥へ進む。分厚い扉の向こうにはミキサー、照明、暗幕……ここは。

「劇でも観るの?」

 小劇場みたいな場所だった。でも違った。客席はないし大きなスピーカーが占拠してるし煙草くさい。なんか、ガラ悪そうなお兄さんがしゃがみ込んでる……なんだろう、これ。
 不安そうなわたしを見て、柊が呆れたように口を開く。

「違ぇよ。お前、ライブハウス行ったことないのか」
「うん……ここライブハウスなの?」
「まぁ見てろ、すぐ始まるから」

 柊が言い終わる前に、盛大な拍手が鳴り響く。始まりの合図。そして生まれる爆音。耳を塞ぎたくなるような大きさのノイズが、わたしを威圧する。ドラムの鼓動。ベースの振動。ギターの奏でるメロディ。高らかに愛の言葉を叫ぶシンガー……目の前の圧倒される光景から目がはなせない。横にいる柊が、いつの間にか姿を消していることにも気づかずに。

 柊がいなくなったことに気づいたのは一つ目のバンドのパフォーマンスが終わって、休憩に入った時。

「一人?」

 掴まれた手の先にいたのは見知らぬ男性。柊はどこに行ったんだろう。わたしに見せたかったものってなんなんだろう。もう見せ終わったから一人で帰ったのだろうか? 知らない場所に取り残されてしまったわたしは、心細くなって思わず彼の名前を呼ぶ。

「柊は?」
「なんだ、アキフミの彼女か。芸高の制服だからそうだろうなぁとは思ったけど」

 目の前が真っ白になる。アキフミ。柊の下の名前……の、彼女。誰が? わたしがか?
 きょとんとした表情のわたしを余所に、彼はジィンと名乗る。たぶん芸名みたいなものなんだろう。わたしもネメと素っ気無く告げる。

「ネメちゃん。次、アキフミ出てくるぜ。最高の演奏するからよぉく聴いておけ」
「柊が?」

 もう何が起こっても驚くまいと思っていたのに、その決意は呆気なく翻りそうだ。


   * * *


 黒の皮ジャンに着替えてステージに立った柊の姿を認めたとき、なぜか心臓が高鳴った。
 彼が手にしているのは片手で持ち歩きのできるタイプのキーボード。タンタンッとドラムの助走がはじまると共に、流れ出すメロディー。ドラムに追従するウッドベース。そしてキーボードの主旋律が重なる。嬰ハ長調。重なった瞬間、鳩尾を抉られるような感覚に陥る。官能的に動く柊の指先。ピアノとは異なる、彼の、生きた音色。

 ロックともジャズとも形容しがたい独特な耳に残る音楽の世界。
 レイヴンクロウ。というのが彼らのバンドの名前らしい。確か、ワタリガラスという意味があったような……だから全員黒い格好なのだろう。
 三十分弱の演奏を終えて、彼らはステージから姿を消す。わたしの拍手は彼に聞こえただろうか。

「拍手してくれたんだ」

 スタッフオンリーと書かれた扉から躊躇いなくでてきた柊を見て、思わず泣きたくなる。くしゃくしゃになりかけの顔を引き締めて、わたしは呟く。

「……礼文(アキフミ)でレイヴンなんだ」
「そのとおり」
「見せたかったもの、ってコレ?」

 無言で頷く柊。わたしはもう一度、ぱちぱちと彼にだけ拍手を贈る。

「元気でたか」


 ぽふ、と彼の手のひらがわたしのあたまにふれる。なぜか、その仕草が色っぽくて、反応に困るわたし。嬉しいような恥ずかしいようなそんな気分。

「うん」
「ジャンルは違えど音楽は音楽だ。お前だってもっといい音出せるだろ。鏑木壮太の娘なんだから」
「……え」

 高揚感が一気に薄れる。
 鏑木壮太の娘。
 確かに、わたしはピアニストの娘だ。だけど、だからってなんでここでそんなこと言うの?
 高層ビルから突き落とされるような一言。柊にしてみれば特に意図して口にしたわけじゃないことくらいわかるけど……だけど。

「そんな風に、わたしのこと見てたの?」

 柊は、鏑木音鳴としてわたしを見ていなかった……鏑木奏太の娘というレッテルだけ、必要としていた?

「鏑木?」

 わたしの押し殺したような低い声に戸惑う柊。なぜ怒っているのか理解できないのだろう。
 ステージの上では三番目のバンドが準備をはじめている。まだ夜は長い。

「わたしは」

 自分の声すら聞こえなくなる。新しい活発な音楽に、かき消される。遠くなる。
 柊が何か言ってる。聞きたくない。聞こえない。聞かない!

 背中を向ける。
 分厚い防音扉を開く。

 わたしは逃げ出していた。
 きらきら輝く柊たちを見て、嫉妬していたのかもしれない。
 自分にはない何かを持っている彼らにしてみれば、わたしなんか単なるピアニストの娘で……考えることを放棄する。
 夜闇に照らされた商店街に飛び出す。
 両耳を塞ぐ。そしたらほら。


 もう、何も聞こえないから。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

辺境伯夫人は領地を紡ぐ

やまだごんた
恋愛
王命によりヴァルデン辺境伯に嫁ぐことになった、前ベルンシュタイン公爵令嬢のマルグリット。 しかし、彼女を待っていたのは60年にも及ぶ戦争で荒廃し、冬を越す薪すら足りない現実だった。 物資も人手も足りない中、マルグリットは領地の立て直しに乗り出す。 戦しか知らなかったと自省する夫と向き合いながら、少しずつ築かれていく夫婦の距離。 これは、1人の女性が領地を紡ぎ、夫と共に未来を作る「内政×溺愛」の物語です。 全50話の予定です ※表紙はイメージです ※アルファポリス先行公開(なろうにも転載予定です)

不遇な令嬢は次期組長の秘めたる溺愛に絡め取られる。

翼 うみ
恋愛
父の会社を立て直す交換条件のため、ほぼ家族に身売りされた形で関東最大級の極道・桜花組の次期組長に嫁入りしたジェシカ。しかし母を亡くして以降、義母と義妹に虐げられていたジェシカは実家を出られるなら、と前向きだった。夫となる和仁には「君を愛することはない」と冷たく突き放される。それでもジェシカは傷つくことはなく、自分にできることを探して楽しんでいた。 和仁には辛い過去がありそれ故に誰のことも愛さないと決めていたが、純真で健気なジェシカに段々と惹かれてゆき――。 政略結婚から始まる溺愛シンデレラストーリー。

【完結】曖昧な距離で愛している

山田森湖
恋愛
結婚4年目のアラサー夫婦、拓海と美咲。仲は悪くないが、ときめきは薄れ、日常は「作業」になっていた。夫には可愛い後輩が現れ、妻は昔の恋人と再会する。揺れる心、すれ違う想い。「恋人に戻りたい」――そう願った二人が辿り着いた答えは、意外なものだった。曖昧で、程よい距離。それが、私たちの愛の形。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

花咲くように 微笑んで 【書籍化】

葉月 まい
恋愛
初恋の先輩、春樹の結婚式に 出席した菜乃花は ひょんなことから颯真と知り合う 胸に抱えた挫折と失恋 仕事への葛藤 互いの悩みを打ち明け 心を通わせていくが 二人の関係は平行線のまま ある日菜乃花は別のドクターと出かけることになり、そこで思わぬ事態となる… ✼•• ┈┈┈ 登場人物 ┈┈┈••✼ 鈴原 菜乃花(24歳)…図書館司書 宮瀬 颯真(28歳)…救急科専攻医

【完結】泡になった約束

山田森湖
恋愛
三十九歳、専業主婦。 夫と娘を送り出し、静まり返ったキッチンで食器を洗う朝。 洗剤の泡が立っては消えるその繰り返しに、自分の人生を重ねながら、彼女は「ごく普通」の日常を受け入れている。 愛がないわけではない。けれど、満たされているとも言い切れない。 そんな午前中、何気なく出かけたスーパーで、背後から名前を呼ばれる。 振り返った先にいたのは、かつて確かに愛した男――元恋人・佐々木拓也。 平穏だったはずの毎日に、静かな波紋が広がり始める。

苦手な冷徹専務が義兄になったかと思ったら極あま顔で迫ってくるんですが、なんででしょう?~偽家族恋愛~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「こちら、再婚相手の息子の仁さん」 母に紹介され、なにかの間違いだと思った。 だってそこにいたのは、私が敵視している専務だったから。 それだけでもかなりな不安案件なのに。 私の住んでいるマンションに下着泥が出た話題から、さらに。 「そうだ、仁のマンションに引っ越せばいい」 なーんて義父になる人が言い出して。 結局、反対できないまま専務と同居する羽目に。 前途多難な同居生活。 相変わらず専務はなに考えているかわからない。 ……かと思えば。 「兄妹ならするだろ、これくらい」 当たり前のように落とされる、額へのキス。 いったい、どうなってんのー!? 三ツ森涼夏  24歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』営業戦略部勤務 背が低く、振り返ったら忘れられるくらい、特徴のない顔がコンプレックス。 小1の時に両親が離婚して以来、母親を支えてきた頑張り屋さん。 たまにその頑張りが空回りすることも? 恋愛、苦手というより、嫌い。 淋しい、をちゃんと言えずにきた人。 × 八雲仁 30歳 大手菓子メーカー『おろち製菓』専務 背が高く、眼鏡のイケメン。 ただし、いつも無表情。 集中すると周りが見えなくなる。 そのことで周囲には誤解を与えがちだが、弁明する気はない。 小さい頃に母親が他界し、それ以来、ひとりで淋しさを抱えてきた人。 ふたりはちゃんと義兄妹になれるのか、それとも……!? ***** 千里専務のその後→『絶対零度の、ハーフ御曹司の愛ブルーの瞳をゲーヲタの私に溶かせとか言っています?……』 ***** 表紙画像 湯弐様 pixiv ID3989101

結婚直後にとある理由で離婚を申し出ましたが、 別れてくれないどころか次期社長の同期に執着されて愛されています

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「結婚したらこっちのもんだ。 絶対に離婚届に判なんて押さないからな」 既婚マウントにキレて勢いで同期の紘希と結婚した純華。 まあ、悪い人ではないし、などと脳天気にかまえていたが。 紘希が我が社の御曹司だと知って、事態は一転! 純華の誰にも言えない事情で、紘希は絶対に結婚してはいけない相手だった。 離婚を申し出るが、紘希は取り合ってくれない。 それどころか紘希に溺愛され、惹かれていく。 このままでは紘希の弱点になる。 わかっているけれど……。 瑞木純華 みずきすみか 28 イベントデザイン部係長 姉御肌で面倒見がいいのが、長所であり弱点 おかげで、いつも多数の仕事を抱えがち 後輩女子からは慕われるが、男性とは縁がない 恋に関しては夢見がち × 矢崎紘希 やざきひろき 28 営業部課長 一般社員に擬態してるが、会長は母方の祖父で次期社長 サバサバした爽やかくん 実体は押しが強くて粘着質 秘密を抱えたまま、あなたを好きになっていいですか……?

処理中です...