Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―

ささゆき細雪

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chapter,4

シューベルトと初恋花嫁の秘密 + 2 +

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 添田に連れられてきた紡がわたしの方へ茶色い封筒を持ってくる。彼もまだ、中身を見ていないらしい。訝しそうにこちらを見るアキフミに、わたしは「戸籍謄本をもらってきてもらった」とだけ口にする。

「戸籍謄本?」
「夫とわたしが法的に婚姻関係を結んでいたかどうか、誰もきちんと調べていなかったの。婚姻届にサインしたからてっきり結婚して苗字が変わったものだと思っていたんだけど、紡さんが」
「ネメちゃんと喜一さんは事実婚の可能性が高いと思ったんだ。彼が後妻を迎えたって話は突然すぎて、うちの両親も信じられなかったんだ。ましてや祖父と孫のような年齢差だし、きっと遺産目当てだって最初は言っていた」
「紡」
「それに、いくら婚姻届を書いたからといって、証人が誰もいないのはおかしい。添田あたりが証人として書いていることも考えたけど、彼はその件については知らないって言ってた」

 紡の淡々とした説明を前に、アキフミが唖然としている。
 わたしがそもそも法的に結婚をしていなかったなど、考えてもいなかったのだろう。わたしだって、紡にそのことを指摘されるまで、気づかなかったのだから。

「それで、この封筒のなかにわたしの戸籍謄本が入っているってわけですね」
「ああ。ネメちゃんは鏑木家と絶縁したこともあって、軽井沢に転入届を出す際に本籍地の変更もしていたんだね。軽井沢町の役場でスムーズに手続きができたよ」
「よかったです。本籍が違う場所だったら、戸籍謄本を取り寄せるだけでずいぶん時間がかかってしまいますから」

 たしか、わたしが署名して手渡した婚姻届を提出してくると、夫がひとりで役所に行ったことがある。そのときにわたしの転入手続きも代理で行っていたはずだ。
 もしかしたらあのとき彼が提出したのは、婚姻届ではなくて、わたしの転入届と転籍届のふたつだけだったのではなかろうか。実家から除籍された両親のことを考えて、わたしの本籍地を夫がこの軽井沢に新たに置いてくれたと考えるのが自然な気がする。

「つまり、須磨寺はネメと法的に結婚していない、ということか?」

 わたしがバツイチじゃない可能性を知ったアキフミが、信じられないと目を丸くしている。

「きっと――彼ははじめからそのつもりで、彼女をここに呼んだんだろうね」

 見てごらん、と紡が封筒から取り出した戸籍謄本を前に、わたしはああ、と感嘆の息を吐く。

 小難しい文字が淡々と記されている書類の上部には「鏑木音鳴」と記されており、この屋敷ではなく、なぜか“星月夜のまほろば”三号棟のある場所が本籍地になっていたからだ。

「須磨寺音鳴、じゃなかった……」
「見事なまでに騙しきったんだな、喜一さん。下手すれば結婚詐欺で訴えてもいいレベルだよ」
「……だけど、どうして?」

 軽井沢に来てから自分の名前を名乗ることも特になかったし、夫の後妻で不都合がなかったため気にしたこともなかったが、彼ははじめからわたしと結婚していなかったのだ。ただ、わたしの新しい本籍地にした場所が、別荘地の一部にされているというのが不可解だけど。
 そんなわたしの顔を見て、紡が「まだわからないの?」と呆れた顔をしている。ふと隣を見れば、アキフミまで「そうか、そういうことか」とひとり納得した顔をしている。

「失礼なこと言うけど、喜一さんにとってみたらネメちゃんは法的な相続人であろうが特別縁故者であろうがどっちでも良かったんだと思うんだ。極論だけど、遺産を託せる相手がいれば、誰でも良かった」
「法的な相続人が皆無で、特別縁故者もいないとなると、須磨寺が死んだ際にこの土地をはじめピアノや全財産が国庫に没収されていた可能性もある……それは最悪の場合だが」
「で、でもそれなら別にわたしじゃなくても良かったってことでしょう? 添田さんや、病院の担当医さんや、雲野さんに遺言書を渡せばそれで」
「彼らは喜一さんの特別縁故者の対象に入らないよ。およそ三年間事実婚関係にあったネメちゃんだけが、遺産を引き継ぐ資格を持っているんだ……たとえ遺言書が見つからなくても、って思ったけど、それは俺の思い違いだったかな」

 紡の自嘲するような言葉は、わたしにはよく理解できなかった。
 けれど、夫は死の三年前から、この土地とすべてのピアノを守るために予防線を張っていたのかもしれない。わたしが父親の形見のピアノを預ろうかと提案してきたあのときから。
 自分を看取らせるついでに、土地とピアノを継承させればいいと。
 法的な婚姻をしていると見せかけたのは、周囲を欺くため。夫の死後、この土地とピアノを相続する人間は決定していると、添田や家政婦たちをはじめ、身近な人間に知らしめるため。
 そして、白い結婚状態のわたしにバツをつけさせないため、彼は最期までこの茶番をひとりやり遂げたのだ……

「この住所に、心当たりは?」

 彼はどこまで考えていたのだろう。自分が死んだら、すきにしろと言っていた彼は……
 思考の海へ沈みそうだったわたしを拾い上げるアキフミの問いかけに、慌てて首を振る。
 なぜ、わたしの新しい本籍地が、“星月夜のまほろば”の三号棟などという中途半端な場所に設定されたのかという、新たな謎。

 山林を切り拓いて建てられた五棟のログハウス風のコテージのなかでも、中央に位置する三号棟は大理石の浴室にあるおおきな窓から絶景が見られることで人気のある二階建ての建物だ。二階にあるせり出したウッドデッキのバルコニーでは森林浴をしながらバーベキューを楽しめるおおきなスペースを有しており、週末や夏休みは連日家族連れの利用で賑わっている。吹き抜けの天井が印象的な一階部分のリビングと備え付けのキッチンも今風の造りになっている。仕事で何度も清掃に入ったことはあるが、実際に宿泊したことはない。そんな場所が、なぜ本籍地に?

「そこに行ったら、見つかるんじゃないか」
「え」
「彼が隠した、遺言書」

 ぽつりと零したアキフミの言葉に凍りつくわたしに、紡も頷く。

「俺もそう思う。喜一さんがネメちゃんの新たな本籍地にした場所に、遺言書を隠したんじゃないかな、って」
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