Grand Duo * グラン・デュオ ―シューベルトは初恋花嫁を諦めない―

ささゆき細雪

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monologue,4

想いを託されたシューベルト + 3 +

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 山道でぬかるみにはまって泥だらけになったネメを脱がせ、俺も裸になってさっそくコテージの浴室を利用した。窓から見える煙がかったウッディグリーンの山々の光景を背に、白っぽい大理石の浴槽にたっぷりの湯を沸かし、俺から逃げようとする彼女を可愛がりながら綺麗にしてやった。薔薇の香りがする石鹸を泡立てて、彼女の豊かな胸や細い脚を包み込んで、磨き上げれば観念したのか素直に艶っぽい表情で俺に甘えてくる。そこで満足すればよかったものの、ついつい調子に乗って彼女の前で白濁を出してしまった。せっかく洗った彼女の身体を汚してしまった俺は慌ててもう一度彼女を洗おうとするが、青臭い匂いに幻滅したのか逃げ出してしまう。
 俺の方が彼女に夢中になって危うくのぼせてしまうところだったほど、浴室では有意義なひと時を過ごしたのだった。

「ばかっ、へんたいっ、もう知らないっ!」
「……ネメがいちいち可愛すぎる反応するのが悪い。俺の知らない色っぽい顔まだまだ隠しやがって」
「だ、だってあれはアキフミが……ッ」
「俺が、何?」
「ン――……」

 風呂上りにも一悶着あったのだが、俺のキスで彼女はあっさり白旗をあげてしまう。
 永遠に彼女をこのコテージに閉じ込めて可愛がりたい、素肌を晒したまま監禁したいほどの危険な妄想さえあたまによぎってしまい、俺は慌てて彼女を自分の腕から解放するのだった。


   * * *


 着ていたものを洗濯用の籠に入れた俺と彼女は、コテージに備え付けられていた就寝用の淡いピンク色のガウンに着替えてリビングの壁に掛けられた一枚の絵画を眺めていた。

「この絵は?」
「たしか、夫のお兄さんが趣味で絵を描かれていたって……」
「うまいな」
「だけどすこし、さびしそう」

 木の壁に飾られた一枚の絵画には無人のピアノが描かれていた。鉛筆画かと思ったが、近づくと油彩であることが理解できる。無機質だが、誰かを待っているようにも見えるその絵は、ネメの言うとおり、どこか哀愁が漂っている。
 ほとんど白といっていい背景に、黒いグランドピアノ。屋敷の玄関ホールにあるグランドピアノを模写したものだろうか。
 須磨寺の兄が生前に残した絵だとすると、だいたい二十年ほど前の作品になる。別荘地を引き継いだ弟が兄の証を遺すために飾ったのだろう。他のコテージにも須磨寺の兄が描いたという山野草のスケッチや風景画などが建物の雰囲気を壊さないようにひっそりと飾られているという。

「彼がこの場所をわたしの本籍地にしたのは、このピアノの絵があったから……?」

 三号棟のコテージにピアノの絵。
 本籍というものは住所地に関係なくても国内に所在があれば東京タワーだろうが皇居だろうが構わないものなのだという。俺はそこまで詳しく知らなかったが、紡が親切にもあれこれ教えてくれたためネメの戸籍の現状や遺言書次第で起こりうる相続の可能性については理解することができた。
 ……いま思うと紡がネメと結婚したいと騒いでいたのはパフォーマンスでしかなかったのだろう。俺に遺言書探しを託して静観を決めたのは、結婚できなくても雲野ホールディングスに遺産の一部が転がり込むと信じているからだ。現に彼の父親は須磨寺と生前に屋敷にある壺を譲渡するとかしないとかで相談していたという。土地やピアノははじめからあてにしていないとのことだった。ただ、ネメと俺の恋路をからかって面白がっていたのは事実だと、清々しいまでに言われたときには呆れて何も言えなかった。ネメを怖がらせた俺の嫉妬心を返せ。
 どっちにしろ、実際に見てみないとわからないのだ……絵画の入れられた額縁のなかに隠されているであろう遺言書を。

「この額縁、鍵がついているんだな」
「珍しい?」
「俺は、見たことないな……」

 それ以前に壁に掛けられていた額縁を外してまじまじと裏面を見つめることなどなかった。
 俺の両手に収まるサイズのダークオークの額縁の裏側には、絵画を封じた際に留める四つのピンだけでなく、ちいさな小指の爪ほどのサイズの鍵穴が空いていた。

「隠し扉、みたいな感じなのかも」
「ネメ、鍵はこれでいいのか?」
「うん……って、わたしが開けるの?」
「当たり前だろ。遺言書はお前宛だって添田が言っていただろ。俺が手にしたところで意味はない。お前が見つけて、最初に読むことで、遺言書は効力を発揮する」

 遺言書に書かれている内容次第で、俺とネメの結婚への道筋も変わるだろう。
 ただ、ネメの婚姻届を出さないまま、彼女の意志を尊重しつづけた須磨寺のことだ、きっと悪いようにはならないはずだ。
 だから俺はそっと、額縁の鍵穴を彼女に差し出す。
 ネメはこくりと頷いて、屋敷から持ち出した額縁の鍵をそうっと差し込む。
 カチッ、という音とともに、額縁の裏面の木の一部が外れ、なかから真新しい、桜色の封書が現れた。


 ――『遺言書』


 ネメはほんとうにあった、と驚きながら、須磨寺が隠した遺言書の封筒を抱きしめる。
 そんな彼女を、俺もまたきつく、抱きしめる。
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