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白鳥とアプリコット・ムーン 本編
憲兵団長ウィルバーと怪盗アプリコット・ムーンの最終決戦
しおりを挟む憲兵団長ウィルバー・スワンレイクは怪盗アプリコット・ムーンの来襲に備え、いち憲兵に扮した国王アイカラスとともに花の離宮の神殿跡地を散策している。
アイカラスがジェイニーを影武者に仕立て、現場に張り込むのは今日が初めてのことではない。はじめのうちは危険ですからおやめくださいと咎めていたウィルバーだったが、アプリコット・ムーンの古代魔術に対抗できるアイカラスの隠れた才能……魔術の出所を察知する能力を目の当たりにしてしまったことから、強く拒むことができなくなってしまった。
ここ最近は気が乗らないと予告状が届いてもそっぽを向いていたくせに、魔力が凝っている花の離宮の神殿跡地という場所が気になったのか、今日のアイカラスは憲兵らしく犯行予告現場を興味深そうに観察している。
すでに日は落ち、空には夜の帳が降りていた。偶然か必然か、アプリコット・ムーンという品種の薔薇が咲く神殿への入り口は、アイカラスが宰相ジェイニーから預かってきたという光の精霊によって淡く照らし出されている。
「ウィルは精霊を見たことは」
「ありません。妻が言うには魔法を体感しにくい体質なんだとか。ただ、ローザベルと結婚してからはなんとなくそこにいるのかな、って意識できるようになった気がします」
「ほう」
初代国王マーマデュークは宮廷魔術師アイーダとの間に契約を交わしたからか、この目で精霊たちの姿を見ることができたのだという。アイカラスもジェイニーに魔法を見る“眼”を投影してもらったことで、精霊や古代魔術をしっかり見ることができるそうだ。
体質上、魔法を受け付けにくいウィルバーは、怪盗アプリコット・ムーンが扱う幻術からいち早く立ち直れるため、憲兵団では強力な戦力とされているが、アイカラスのように魔術の出所を察知するちからはないため、ついつい行き当たりばったりになってしまう。
「陛下はずいぶん妻を気にされていますね」
「そりゃあ、あれだけ美人なら」
「あげませんよ」
「失礼な奴め」
王と憲兵団長というより、伯父と甥という立場で軽口を叩きあいながら、ふたりは地下神殿内部の石室に入る。既に警備を行っていた団員たちを下がらせ、ウィルバーはアイカラスに視線を向ける。
アイカラスもまた、ウィルバーに目配せをして、薄紅色のおおきな“稀なる石”がついている聖棺へと歩み寄る。
ローザベルとの情交の痕は残っていないが、ウィルバーはふとした瞬間に思い出しては頬を緩ませ、慌てて我に却る。
「棺の中身は」
「いまは空っぽだ。かつては妖精王の亡骸が納められていたという……真実は定かではないが」
魔法が廃れゆくこの世界の背景には百年ほど前より囁かれている妖精王の死が関連しているのだとアイカラスは重々しく告げる。古代魔術を精霊たちに伝播させ、一部の人間へ分け与えたという妖精王。ノーザンクロスやジェミナイなどの一族を辿ると、妖精王の系図に繋がるのだと旧大陸から渡ってきた王は自嘲する。
「歴史のない国家の王家よりも、この地に旧くから棲まう一族の方が、精霊たちから信頼を得ているのだろう。魔法の絶滅したアルヴスでは考えられなかったことだ」
アルヴスでは創造神たる男神を讃える一神教が主流だが、ラーウスでの宗教は妖精王とその精霊たちが担っている。神は唯一のものではなく、身近な場所に常々存在しているという独特な信仰が根付いているからだ。
そのため建国をしたスワンレイク王家は真っ先に宗教の自由化に着手。その結果、アルヴス式の教会とラーウス由来の神殿が混在し、独自の文化を発展させていく。
ただ、この花の離宮自体はスワンレイク王国が興る以前に神殿としての役割を終えていたと考えられる。空っぽの妖精王の聖棺が置き去りにされたままなのがその証拠だ。
ウィルバーが昨晩ローザベルに視せられた過去の映像……少女アイーダの淫らな婚儀……あれがこの神殿が神殿として機能した最後の瞬間だったのだろう。
ウィルバーが頷くのを見て、アイカラスはイタズラを思い付いた子どものように命令する。
「そこで、だ。ウィル、棺のなかに隠れて怪盗アプリコット・ムーンを迎え撃て」
「……はい?」
幻術には幻術で対抗する。そのためアイカラスとジェイニーに協力してもらい、作戦を練ったはずなのに、ここにきて棺のなかに自分が入って待ち伏せする?
目を丸くするウィルバーに、アイカラスは不適に笑うばかり。
* * *
王城のダドリーの部屋から転移の魔法をつかって花の離宮神殿跡地の石室へ降り立ったローザベルだったが、待ち伏せしているであろう憲兵たちの姿が見えず、困惑する。
――予告状は確かに送ったし、多くの憲兵団員が花の離宮周辺を警備しているって情報も耳にした。けれど、肝心の石室にひとの気配がないってどういうこと?
うっすらと光る苔が石室を幻想的に映し出しているが、アプリコット・ムーンの格好をしたローザベル以外、誰もいない。
「怪盗アプリコット・ムーン様が今宵も“稀なる石”を頂戴いたしますよ?」
聖棺の前に立ち、儀礼的に声をあげても周囲はしん、と静まり返ったままだ。
ローザベルはおそるおそる、聖棺に付属する薄紅色の“稀なる石”へ手を伸ばしてその魔力を――……
「良い月夜ですね。怪盗アプリコット・ムーン」
「――だれ」
背後から届いた低い、艶のある声に、ローザベルは立ちすくむ。憲兵団長ウィルバーではない、強い魔力に抗える強いひとが、そこにいる。
「今宵は趣向を変えてみようと思いまして。慌てることもないでしょう?」
「……あ」
彼が一言発する都度、ローザベルの周囲にさざ波が生まれた。
精霊が彼に味方している? どういうこと?
無風だった石室内部に舞い上がる砂塵に、ローザベルは瞳を閉じる。バチバチと身体をなぶるように細かい砂がローザベルを襲う。いち憲兵とは思えない彼の攻撃に、ローザベルも戦きながら対抗するが、それよりも早く、次の攻撃が背後から来る。
「怪盗アプリコット・ムーン。これで終わりだぁっ!」
「なっ」
ガバッ、と空っぽの聖棺のなかからウィルバーが飛び出して、身動きの取れなくなっていたローザベルを背後から押し倒す――!
「……ウィルバー・スワンレイク」
「もう、はなさねぇぞ。覚悟してお縄につけ」
――ガン、という衝撃とともに、ローザベルの身体が地面へぶつかる。ウィルバーに抱き締められた状態のまま、一瞬だけ意識を飛ばしたローザベルは、次の瞬間。
顔を隠していた黒いヴェールを剥ぎ取られ、頤を掴まれてばっちり夫に顔を見られてしまった。
「……――ローザ?」
翡翠色の瞳が悲しみに揺れる。
怪盗アプリコット・ムーンの正体を見破ったウィルバーもまた、驚いて何も言えなくなっている。
空色の瞳に真摯に見つめられ、ローザベルは観念する。
終わりだ。
思わず彼の唇に噛みついていた。
「んぁ!? な、なにを……」
「ウィルバー・スワンレイク。わたしの敗けだ。この身柄を王に捧げよ」
最後のちからを振り絞り、ローザベルは“稀なる石”へまごうことなき彼への“愛”を証明し、“やりなおしの魔法”を発動させる。
「ローザベル・スワンレイクというお前の妻は夢幻だということを悟れ」
刹那。眩いひかりが“稀なる石”から放たれ、ローザベルを抱き締めていたウィルバーと入り口部分で佇んでいたアイカラスへ襲いかかる。
やがてそのひかりは神殿跡地の外を飛び出し、スワンレイク王国を包み込むかのように国中へと拡がっていく。
それでもウィルバーの腕は、怪盗アプリコット・ムーンの身体をはなさなかった。
呆然としているウィルバーよりも先に、アイカラスが声をかける。
「なにをした――アプリコット・ムーン」
目を瞑っていたローザベルは、ゆっくりと翠の瞳を持ち上げて、声がした方向へ笑いかける。
「“やりなおしの魔法”をかけただけよ。現スワンレイク王国国王、アイカラス」
ローザベルは膨大な魔力の爆発にも耐えた男を見て、ようやく彼がこの国の王であることを痛感し、嗤う。
「……これがお前の選択なのか」
「――夫に貴方を殺させはしない」
「ほう」
睨みあうふたりをよそに、まるで昼寝から目覚めたかのようにのんびり顔をあげたウィルバーは、自分が怪盗アプリコット・ムーンを捕獲していることに気づき、慌ててアイカラスに叫ぶ。
「怪盗アプリコット・ムーンを確保! 王城へ連行」
「……せんでいい。処遇は追って報せる。いまはこの奥にある監獄へ彼女を招待し、逃げ出せぬよう魔法の枷をつけて見張れ」
「はっ!」
「それにしても……ウィル。妻のことだが災難なことになったな」
「……なにがでしょうか?」
きょとんとするウィルバーを見て、アイカラスは確信する。ローザベルがつかった大魔法はたしかに“やりなおしの魔法”であると。
けれどもそれは、アイカラスの予想だにしなかったやりなおし方で……
「陛下、俺は未だ独身ですよ? 妻? 誰のことをおっしゃっているのです?」
* * *
怪盗アプリコット・ムーンは俯いたまま、諦めに似た表情を浮かべていた。逃げ出すつもりはないらしい。ウィルバーは失意の女怪盗を無造作に引きずり、神殿跡地の奥に設営されていた小汚ない檻のなかへと押し込み、手首と足首を片方ずつ黄金色の枷で繋がせる。どこか嗜虐的な光景にウィルバーの空色の瞳が獣のように光る。
「ようやく捕まえたぞ、怪盗アプリコット・ムーン……黒いヴェールの奥に、こんな美しい顔が隠れていたとはな」
満足そうに呟き、ウィルバーはローザベルを檻のなかへ置いて、鑑賞する。
処遇は追って報せる、見張っていろという王の命令通り、今夜は檻の外で女怪盗を見張りつづけるつもりらしい。
檻のなかで枷をつけられ放置された状態を夫に見つめられているという特殊な状況下だが、ローザベルはだんまりを決めている。
――ウィルバーさまがローザベルの存在を忘れている今、下手なことは言えないもの。
時間を過去に戻すことではなく、自分が存在した記憶をなかったことに、やりなおすことにしたローザベルは、赤の他人になったウィルバーから舐めるように見つめられ、興奮して頬が粟立つのをやりすごしている。
「それにしても……この吸い込まれるような翠の瞳……どこかで見たような? まさか、ね」
瞳をのぞきこまれたローザベルは、慌てて自分から目を逸らす。
……これ以上見つめられてしまったら、「愛している」と、声に出してしまいそうだったから。
赤みがかった黄色い半月が、そんなふたりを嘲笑うかのように、見下ろしている。
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