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+ Jessica +
【 弔 い の 鐘 を き け + Jessica (1) + 】
しおりを挟む「ひとは死んだら、どこへ向かうんだろう」
リーン、ゴーン、と響く教会の鐘の音。
黒服の集団がぞろぞろ、軍隊アリのように列を作って歩いていく。
その先頭には、白木でできた四角い棺。
棺のなかに眠らされた彼女の姿を、きっと忘れることはないだろう。
ニコールが好きだった、真っ白な薔薇の花をたくさん詰め込んだ棺。
赤い色が嫌いだった彼女は、白い色を好んでいた。
ジェシカにとって白は、祖母の象徴で、憧れで……
「天国、かな」
自信なさそうに応える男を前に、女は苦笑する。
遺骸は土の下へ、魂は天国の階へ。
「……天国は、遠いよね」
「そうでもない」
え、と泣き腫らした顔をあげるジェシカの顎に手を差し伸ばし、己の顔を近づけながら男は囁く。
「君がお望みなら。俺が天国に一番近い場所まで連れて行ってやる」
「ミト……?」
近すぎる距離に戸惑うジェシカに、ミトは悪魔のような微笑みを見せた。
そして意地悪な選択を迫る。
祖母を亡くしたばかりで消沈している彼女が、拒めないのを確信して――
「さあ、どうする?」
* * *
ニコール・タチアナ・バーソロミューの葬儀は雲ひとつない晴天の日に行われた。まるで戦後の識字率上昇に一役買ったであろう彼女の偉業を神が評価してくれたかのような、真っ青な空の下で、彼女の棺は埋められた。
天使の喇叭に祝福されながら、彼女の魂は天国で待つ愛する夫や家族、友人たちと再会できたのだろうか。そうだったらいい。けれど。
「あたしは、悔しい……」
真っ黒な喪服のまま教会から逃げ出すように街へ飛び出したジェシカは、タチアナ書房の若き編集者、ミトにあっさり捕獲された。このまま墓地に連れ戻されるのかと思えば、彼は無言のままジェシカを教会近くのシティホテルへ連れて行く。
リーン、ゴーン、と弔いの鐘の音は未だ響いているのに。
ミトは放心状態のジェシカを客室へ押し込み、涙を堪えていた彼女の身体をきつく抱きしめる。
「泣いてもいいんだぞ?」
ニコールの葬儀で一度も涙を見せなかった彼女を危惧していたミトは、彼女が棺を墓地へ移動させる際に教会から逃げ出したのを見て、思わず追いかけていた。
生前、彼女のことをニコールに頼まれていたから、という言い訳をあたまのなかで考えておきながら、連れ込んだのはホテルの殺風景な一室だ。男女が逢引で利用する陳腐な宿だから、部屋の真ん中に白いベッドが一つ置かれている。
こんな場所に連れ込むなんて、ふだんの彼女なら絶対に許してくれなかっただろう。ミトのことなど異性以前に、ニコールが気まぐれに育てた編集者の卵、くらいにしか考えていなかったのだから。
「はなして」
黒い喪服姿のジェシカは同じく黒いスーツを着たミトにきつく抱きしめられていることに気づいて、慌てて声をあげる。けれども、ミトにそのつもりはない。
「いやだよ。ちゃんと、泣くまではなさない」
「……う」
意地っ張りで強がりでひとを頼らないところが放っておけなかった。
彼女はニコールの前では甘えん坊で世間知らずなところを見せる可愛い孫娘だったけれど。
ミトにとってジェシカは、磨けば光る原石で、誰にも渡したくない女の子だから。
「うぅっ……っ」
彼女の嗚咽が弔いの鐘に重なる。
誰にも見せるつもりなんかなかった、心の奥底で渦巻く悔恨とともに。
ジェシカは押し殺した声で泣きはじめた。
泣くときまで我慢しなくてもいいのに、ミトの前でも感情を爆発させたくなかったのだろう、彼女は弔いの鐘を邪魔しないよう、ニコールを困らせないようにひそやかに涙を流しつづける。
そのまま、長いようで短い時間が経過した。
「……ジェシカ」
「ひとは死んだら、どこへ向かうんだろう」
ミトがジェシカを抱きしめたままだからか、彼女は不貞腐れたように問いかけてくる。ひととおり泣き終えたジェシカは、ニコールの息子と呼ぶには若すぎる、けれども自分の兄と呼ぶにはじゃっかん年の離れた青年に胸を借りたことを恥じているようにも見える。
「天国、かな」
ミトはジェシカの背中を撫でながら、ぽつりと呟く。
「……天国は、遠いよね」
「そうでもない」
背中を撫でていた手を彼女の顎にもっていき、ミトは意地悪く提案する。
「君がお望みなら。俺が天国に一番近い場所まで連れて行ってやる」
「ミト……?」
――そうだ、このままあの寝台に押し倒して、無垢な彼女に天国を教えてやろう。ニコールが死んだ今なら、ジェシカは俺を拒めない。この先憎まれ嫌われようが……このまま彼女が持つ才能を潰すのは、惜しい。それならばいっそ。
「天国に、一番近い場所?」
「そうだよ。賢い君ならもう、理解しているんじゃないか」
部屋の真ん中に鎮座する寝台に視線を向ければ、ジェシカがカッと頬を赤らめる。生娘らしい反応を前に、ミトはくすりと笑う。
悲しいのならば慰めてやる、という意味にもとれるミトの発言は、ジェシカの心を傷つけるには充分すぎた。苦しそうに「最低」と言い返して、逃げようとする。けれど、がっしりと腰に腕をまわされた状態で、愉快そうな表情を浮かべる彼に「君の原稿を見出したのは俺だよな?」と追い打ちをかけられてしまう。
「……最低」
「最低で結構。俺は、ニコールの死で君の輝きを失いたくないんだ。そのためなら」
「すきでもない女でも抱けるってこと!?」
「すきだよ? ジェシカが気づいていなかっただけで」
「違う、ミトがすきなのはニコールでしょ、ニコが死んだから……」
「それのどこがいけない?」
憤るジェシカを遮り、ミトは滔々と告げる。
「俺はニコールに君の将来を託された。ジェシカ、君は宝石の原石だ。いまのままでも美しいが、磨けば更に光る才能を持っている。君が幼い頃からずっと見てきた。ニコールに愛された天使。この先、己が綴る物語で生きていこうと考えているのなら」
海よりも深い碧い双眸で、ジェシカを射る。
「――俺が、君を磨きたい」
抵抗は許さないと、真摯な瞳に訴えられて、彼女は悔しそうに瞳を伏せる。
本気で拒めば優しい彼はジェシカを解き放ってくれるだろう。けれどそうしたら、二度と彼は自分を見てくれないだろう。ひとりの女として。
当然、編集者である彼に作家の卵として今までのように大切に扱われることもなくなるのだ。
「ずるい、ひと」
「狡くて結構。さあ、どうする?」
ミトの悪魔のような美しい微笑みに、ジェシカは首肯、した。
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