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舞踏会の後、ふたりの間で何かが変わったかもしれないという使用人たちの夢は、翌朝なかなか呼ばれないマリリンとステファンが使用人食堂にいることで現実になったのだと確信に変わりつつあった。
が、やはり勘違いだったかも……と結論付けられそうになっていた。
昨夜のふたりの様子から、朝も邪魔しない方がいいだろうとステファンは考え、ジュリエットを起こしに行こうとするマリリンを止め呼ばれるのを待っていた。
やっと呼ばれたのはいつもよりも二時間は遅い時間だったが、起きて自室に戻っていたオデルからはなにも感じられない。
ジュリエットにショコラを持って行ったマリリンでは変化に気が付くわけがない。
モーニングルームでの朝食もそうだ。
ふたりで向かい合って食事をしているが、会話は一切なく、甘い視線のやり取りもない。
まさかふたりでゲームをするためにマリリンに来なくていいと言ったわけではあるまいが、俗っぽく言えばラブラブな夜を過ごした熱々の夫婦にはどうしても見えないのだ。
オデルが出かける時もいつもと全く変わらない見送りで、キスもハグもない。
帰宅した時も変わらぬ出迎えで、もちろんキスもハグもない。
「ねぇ、どうすんの? 変わってないんだけど」
使用人食堂でモリーが言うと、ケイトも同意して頷いた。
「あの美しい奥様を見て欲情した旦那様とめくるめくいちゃいちゃの一夜を過ごしたんじゃないの?」
「誰だそんなこと言ったやつはっ」
「誰だって思うよー。でも違ったのかなー?」
下僕のジョージがあからさまにガッカリとし、マイケルも机に頬杖を突いて口を尖らせている。
一方リビングでは。編み物をするジュリエットと無言で向かい合うオデルの姿があった。
もちろんいつもと変わらないふたりの姿だ。
ふたりの間になるなにかが変わったことなど噯にも出ていない。
意識してそうしているわけではない。傍からはそう見えても仕方がないほど変わらない無表情なのだ。
しかし、変わったかもしれないことが起こった。
「まだ先だが、商談でグルシスタへ行く。一緒に行かないか?」
これまでもオデルが仕事で家を数日開けることはあったが、一緒にとジュリエットを誘ったのは初めてのことだった。
「グルシスタでございますか?」
「向こうに屋敷を買った。そこに数日だが滞在しようと思っている」
「ご一緒しても、よろしいのですか?」
「いいから誘っている」
「では。参ります」
「そうか」
「楽しみです」
「そうか」
もちろんジュリエットの表情からは本当に楽しみなのかを窺い知ることは出来ない。無表情だから。
それはもちろん、オデルも同じだ。
しかしこんな時は当のふたりよりもはしゃぐマリリンがいる。
「素敵でっす! おふたりの初めてのご旅行ですねー!」
ジュリエットの侍女なのでマリリンも同行するが、それが楽しみではしゃいでいるわけではない。ふたりが旅行することが愛し合う夫婦のすることのようで嬉しくてはしゃいでいるのだ。
マリリンは心底ジュリエットに幸せになって欲しいと思っているし、それを夫であるオデルがするなら最高なのだ。
「マリリン、旅行ではないわ。仕事に同行するのよ」
ジュリエットがそっけなく言うと、マリリンは首を振った。
「商談のついでの旅行ですよ! ね、旦那様!」
マリリンがクネクネしながらオデルに言うと、オデルは無表情で答えた。
「旅行のついでに商談だ」
マリリンはオデルの言葉を頭の中で繰り返した。
商談のついでの旅行と、旅行のついでの商談。つまりふたりの旅行がメインということ? と理解した。
「旅行! 楽しみですねっ!」
はしゃぎすぎているマリリンはついにクルリと回ってしまったのだが、ふたりは無表情のままそんなマリリンを見ているだけだった。
この旅行の件はマリリンによって早速使用人たちにも報告される。
「ってなことがあったんですよー!」
今朝のふたりの雰囲気から、昨夜マリリンを遠ざけたからと言ってふたりが愛の一夜を過ごしたなんていうのは思い込みで実はトランプでもしていたのだろうと結論付けられそうだった使用人たちは、再びの希望に活気を取り戻した。
「マジか! でかした旦那様!」
「旅行はいいね! 仲良し夫婦でなければ出来ない事よ! ラブラブなのよ!」
「そうよ! トランプなんかしてたわけないじゃない! 子供じゃないのよ!」
「あんなお綺麗な奥様見て燃えなかったら旦那様は不能だね! キンタマは飾りじゃねーんだよっ」
興奮しすぎたジョージが下品なことを言い出したので、その場に加わっていたリーブルがジロリと睨んだ。
「なんにせよ。ご夫婦仲が良くなるのはいいことだ。準備は万全にしなくてはならないな」
オデルとジュリエットが盛り上がっているかは見て取れないが、使用人たちはふたりの旅行に確実に盛り上がっていた。
が、その旅行が中止になる事態が起こった。
グルシスタ行きを一週間後に控えた夕食の時だった。
夕方に近くにマリリンを連れて出かけて行ったジュリエットは帰宅が夕食の直前だった。
それをオデルが心配していたかは定かではないが、ジュリエットが帰宅するまでリビングで本を読んで過ごしていた。
遅くなったのでそのまま食事にするというので席に着いたが、ジュリエットの側にいるマリリンの顔が浮かない。
マリリンはなんでも顔に出るので、ステファンはジュリエットに何かあったのかとマリリンに確認した。
「奥様とどこに行っていたの? なにかあった?」
「それが、奥様と街の病院に行っていたんです。奥様具合が悪いのって聞いたら、帰ってから話すっていうだけで。あたし心配で。奥様がご病気だったらどうしよう……」
マリリンはジュリエットが心配過ぎて顔はしょんぼりとなり、ステファンの腕を掴む手が怯えている。
病院とはただ事ではない。見た感じではなにも変わらないように見えるが、ジュリエットは表情を出すことがないので具合が悪くても分り辛い。
体調不良でもマリリンでは気付くことも難しいと思うと、ステファンまで不安になってくる。
席に着き食事が始まると、ふたりはいつも通り無言で食べ始めた。
ここまではまったく変わらないふたりだ。
しかしジュリエットが口を開いたことで場の空気が一変する。
「旦那様。来週のグルシスタ行きですがわたしは行けなくなってしまいましたので、おひとりでお行きください」
ステファンはジュリエットの言葉にギクリとした。
付いて行けるのはマリリンとステファンだけだが、ふたりのラブラブ旅行を使用人全員が楽しみにしていた。仲良くふたりで出かけ、夫婦仲を深めて帰って来て欲しいと心から願っていたからだ。
それをジュリエットは行けなくなったというのだから、ただことではない。
オデルもギクリとしたかどうかは誰にもわからない事だが、いつもと変わらぬ無表情でオデルがジュリエットを見た。
「行きたくなくなったのか?」
理由を聞きたくなるのは当たり前だ。ここにいるマリリンもリーブスもステファンも、ジュリエットの理由を聞きたい。
「行きたくないのではありません。行けなくなったのです」
「どうして行けない?」
「お子が出来たようなのです」
ジュリエットの言葉にオデルの手が固まった。
マリリンも、リーブスもステファンもだ。カキンという音がしたのではないかというくらい、身体が固まり動けなくなった。
その固まりを先に解いたのはオデルだった。
「それは、本当か?」
「もちろんあなたのお子です」
「当たり前だ」
「ちょうど不安定な時期らしいので、あと三か月は旅行のような遠出はしない方が良いと医師から聞いてまいりました。残念ですがそれが理由で行けなくなったのです」
「そうか……」
「跡取りが出来ます」
「そうだな……」
ふたりは会話を終了したようだったが、リーブスとステファンはまだ動けなかった。
信じられなかった。
もちろん夫婦なのだから出来て不思議ではない。むしろ使用人たちも望んでいたことだ。
しかし突然すぎることと、この喜びの知らせをするにしてはあまりにも素っ気ないジュリエットと、受け取りがあっさりしすぎているオデルに唖然としてしまっているのだ。
しかしマリリンは違う。その場に崩れ落ちたのだ。
「うえーん! 奥様ぁー!」
手放しで泣き出したので、食事中のジュリエットも振り返ってマリリンを見た。
「心配したよー! ご病気じゃなかったよー! 嬉しいよー! 赤ちゃんだよー! 幸せだよー! うえーん!」
やっと思考が回復したリーブスとステファンは心のなかで『お前が赤ちゃんだ!』と突っ込んだが、マリリンが心配しすぎなところにこの嬉しい話で泣き出してしまった気持ちはわからなくもない。侍女としては失格の行動だとしても。
ステファンが座り込んで泣くマリリンの側に行こうとすると、先にジュリエットが席を立ちマリリンの前にしゃがんだ。
「先に旦那様に知らせなくてはならないと思ったから言えなかったのです。心配かけたわね。これからもお前を頼りにしていますからね」
「奥様―! おめでとうございますぅ! うえーーーん!」
不覚にもステファンは泣きそうになった。隣を見ればリーブスはすでに目頭を押さえている。
マリリンに心配をかけていることがわかっても最初に伝えるのはオデルと決めていたのも驚いたが、こんな赤ちゃんのような、ここにいる使用人のなかで一番頼りにならなそうなマリリンにこんなにも優しく『頼りにしている』というジュリエットの優しさに感動してしまったのだ。
子供を宿していると知ったせいかもしれないが、ジュリエットに母性を垣間見た気分だ。
ステファンはすぐにでも使用人食堂へ行きこの喜びを伝えたかったが、夫婦の食事はまだ終わっていないので堪えた。
こんな喜びの知らせがあったというのに、その後の食事はマリリンだけがご機嫌でふたりはいつもと変わらぬ無言だった。
そしてそのまま変わらないのかと思ったが、食後オデルが下がるリーブスたちと一緒に使用人食堂に来た。
のんびりといつもと変わらぬ姿で過ごしていた使用人たちはオデルの登場に立ち上がり何事かと不安になったが、オデルの後ろにいるリーブスとステファンがいやらしい笑みを浮かべていることには気が付いた。
夫妻になにか面白いことが起こったのかもしれないと想像出来るニヤケ顔だ。
立ち上がる使用人たちを見渡し、オデルがニヤケの答えを言った。
「ジュリエットが妊娠した。大事にしてやってくれ。面倒も増えるだろうが、宜しく頼む」
使用人たちは唖然とし、すぐさま祝いの言葉が出てこなかった。
先にダイニングで聞いていたリーブスがまずは口を開いた。
「旦那様、おめでとうございます。使用人一同も待ち望んでおりました。奥様も、もちろんお生まれになるお子様も、誠心誠意お世話させていただきます」
リーブスが頭を下げるとオデルは頷いた。
そこでやっと現実が理解出来た使用人たちから歓声が上がる。
「旦那様! おめでとうございます!」
「奥様のことはご心配なさらないでください!」
「奥様にもお子様にも全員で尽くします!」
「本当におめでとうございます!」
「本当に喜ばしいことです! おめでとうございます!」
拍手が起こり、ジョージとモリーは万歳までし出した。
使用人全員が満面の笑顔でジュリエットの懐妊を喜び祝福している。
オデルの方はと言えば、相も変わらず無表情ではあるが、使用人にはちゃんとわかっている。
喜んでなければわざわざ使用人食堂まで降りてきて報告などしないと。
オデルも喜び、居ても立ってもいられずここに来たことは想像できる。
それに、無表情ではあっても何かが違うとも感じていた。
決して微笑んではいないのだが……。
オデルが上に戻ると、まだ興奮冷めやらない使用人食堂はご機嫌な雰囲気そのままにマイケルが歌い出しモリーはケイトと踊り出した。
リーブスもステファンもその中で拍手を止められない。
「なんか、旦那様嬉しそうじゃなかった?」
ステファンが言うと、一同が頷く。
「そうそう! なんかそんな感じだったよね?」
「オレもそう見えた!」
「いつの間にか旦那様の表情がわかるまでになってしまったのかしら?」
「旦那様の表情がわかるなんて、僕たちもうガロポロのプロだね!」
「なんだそれーっ!」
翌日の仕事もあるというのに使用人食堂が深夜まで賑やかだったのは、寝自宅を手伝ったステファンにオデルがワインを開けて言いと許可したからだった。
使用人の喜びようと、祝いの言葉が嬉しかったのではないかとステファンは推測した。
そうだ。やっぱりオデルは喜んでいるのだ。
リーブスがオデルに感謝して二本のワインを出してくると、コックがつまみを作り、この時ばかりはガロポロ家の地下食堂は世界で一番ご機嫌な場所となったのだ。
が、やはり勘違いだったかも……と結論付けられそうになっていた。
昨夜のふたりの様子から、朝も邪魔しない方がいいだろうとステファンは考え、ジュリエットを起こしに行こうとするマリリンを止め呼ばれるのを待っていた。
やっと呼ばれたのはいつもよりも二時間は遅い時間だったが、起きて自室に戻っていたオデルからはなにも感じられない。
ジュリエットにショコラを持って行ったマリリンでは変化に気が付くわけがない。
モーニングルームでの朝食もそうだ。
ふたりで向かい合って食事をしているが、会話は一切なく、甘い視線のやり取りもない。
まさかふたりでゲームをするためにマリリンに来なくていいと言ったわけではあるまいが、俗っぽく言えばラブラブな夜を過ごした熱々の夫婦にはどうしても見えないのだ。
オデルが出かける時もいつもと全く変わらない見送りで、キスもハグもない。
帰宅した時も変わらぬ出迎えで、もちろんキスもハグもない。
「ねぇ、どうすんの? 変わってないんだけど」
使用人食堂でモリーが言うと、ケイトも同意して頷いた。
「あの美しい奥様を見て欲情した旦那様とめくるめくいちゃいちゃの一夜を過ごしたんじゃないの?」
「誰だそんなこと言ったやつはっ」
「誰だって思うよー。でも違ったのかなー?」
下僕のジョージがあからさまにガッカリとし、マイケルも机に頬杖を突いて口を尖らせている。
一方リビングでは。編み物をするジュリエットと無言で向かい合うオデルの姿があった。
もちろんいつもと変わらないふたりの姿だ。
ふたりの間になるなにかが変わったことなど噯にも出ていない。
意識してそうしているわけではない。傍からはそう見えても仕方がないほど変わらない無表情なのだ。
しかし、変わったかもしれないことが起こった。
「まだ先だが、商談でグルシスタへ行く。一緒に行かないか?」
これまでもオデルが仕事で家を数日開けることはあったが、一緒にとジュリエットを誘ったのは初めてのことだった。
「グルシスタでございますか?」
「向こうに屋敷を買った。そこに数日だが滞在しようと思っている」
「ご一緒しても、よろしいのですか?」
「いいから誘っている」
「では。参ります」
「そうか」
「楽しみです」
「そうか」
もちろんジュリエットの表情からは本当に楽しみなのかを窺い知ることは出来ない。無表情だから。
それはもちろん、オデルも同じだ。
しかしこんな時は当のふたりよりもはしゃぐマリリンがいる。
「素敵でっす! おふたりの初めてのご旅行ですねー!」
ジュリエットの侍女なのでマリリンも同行するが、それが楽しみではしゃいでいるわけではない。ふたりが旅行することが愛し合う夫婦のすることのようで嬉しくてはしゃいでいるのだ。
マリリンは心底ジュリエットに幸せになって欲しいと思っているし、それを夫であるオデルがするなら最高なのだ。
「マリリン、旅行ではないわ。仕事に同行するのよ」
ジュリエットがそっけなく言うと、マリリンは首を振った。
「商談のついでの旅行ですよ! ね、旦那様!」
マリリンがクネクネしながらオデルに言うと、オデルは無表情で答えた。
「旅行のついでに商談だ」
マリリンはオデルの言葉を頭の中で繰り返した。
商談のついでの旅行と、旅行のついでの商談。つまりふたりの旅行がメインということ? と理解した。
「旅行! 楽しみですねっ!」
はしゃぎすぎているマリリンはついにクルリと回ってしまったのだが、ふたりは無表情のままそんなマリリンを見ているだけだった。
この旅行の件はマリリンによって早速使用人たちにも報告される。
「ってなことがあったんですよー!」
今朝のふたりの雰囲気から、昨夜マリリンを遠ざけたからと言ってふたりが愛の一夜を過ごしたなんていうのは思い込みで実はトランプでもしていたのだろうと結論付けられそうだった使用人たちは、再びの希望に活気を取り戻した。
「マジか! でかした旦那様!」
「旅行はいいね! 仲良し夫婦でなければ出来ない事よ! ラブラブなのよ!」
「そうよ! トランプなんかしてたわけないじゃない! 子供じゃないのよ!」
「あんなお綺麗な奥様見て燃えなかったら旦那様は不能だね! キンタマは飾りじゃねーんだよっ」
興奮しすぎたジョージが下品なことを言い出したので、その場に加わっていたリーブルがジロリと睨んだ。
「なんにせよ。ご夫婦仲が良くなるのはいいことだ。準備は万全にしなくてはならないな」
オデルとジュリエットが盛り上がっているかは見て取れないが、使用人たちはふたりの旅行に確実に盛り上がっていた。
が、その旅行が中止になる事態が起こった。
グルシスタ行きを一週間後に控えた夕食の時だった。
夕方に近くにマリリンを連れて出かけて行ったジュリエットは帰宅が夕食の直前だった。
それをオデルが心配していたかは定かではないが、ジュリエットが帰宅するまでリビングで本を読んで過ごしていた。
遅くなったのでそのまま食事にするというので席に着いたが、ジュリエットの側にいるマリリンの顔が浮かない。
マリリンはなんでも顔に出るので、ステファンはジュリエットに何かあったのかとマリリンに確認した。
「奥様とどこに行っていたの? なにかあった?」
「それが、奥様と街の病院に行っていたんです。奥様具合が悪いのって聞いたら、帰ってから話すっていうだけで。あたし心配で。奥様がご病気だったらどうしよう……」
マリリンはジュリエットが心配過ぎて顔はしょんぼりとなり、ステファンの腕を掴む手が怯えている。
病院とはただ事ではない。見た感じではなにも変わらないように見えるが、ジュリエットは表情を出すことがないので具合が悪くても分り辛い。
体調不良でもマリリンでは気付くことも難しいと思うと、ステファンまで不安になってくる。
席に着き食事が始まると、ふたりはいつも通り無言で食べ始めた。
ここまではまったく変わらないふたりだ。
しかしジュリエットが口を開いたことで場の空気が一変する。
「旦那様。来週のグルシスタ行きですがわたしは行けなくなってしまいましたので、おひとりでお行きください」
ステファンはジュリエットの言葉にギクリとした。
付いて行けるのはマリリンとステファンだけだが、ふたりのラブラブ旅行を使用人全員が楽しみにしていた。仲良くふたりで出かけ、夫婦仲を深めて帰って来て欲しいと心から願っていたからだ。
それをジュリエットは行けなくなったというのだから、ただことではない。
オデルもギクリとしたかどうかは誰にもわからない事だが、いつもと変わらぬ無表情でオデルがジュリエットを見た。
「行きたくなくなったのか?」
理由を聞きたくなるのは当たり前だ。ここにいるマリリンもリーブスもステファンも、ジュリエットの理由を聞きたい。
「行きたくないのではありません。行けなくなったのです」
「どうして行けない?」
「お子が出来たようなのです」
ジュリエットの言葉にオデルの手が固まった。
マリリンも、リーブスもステファンもだ。カキンという音がしたのではないかというくらい、身体が固まり動けなくなった。
その固まりを先に解いたのはオデルだった。
「それは、本当か?」
「もちろんあなたのお子です」
「当たり前だ」
「ちょうど不安定な時期らしいので、あと三か月は旅行のような遠出はしない方が良いと医師から聞いてまいりました。残念ですがそれが理由で行けなくなったのです」
「そうか……」
「跡取りが出来ます」
「そうだな……」
ふたりは会話を終了したようだったが、リーブスとステファンはまだ動けなかった。
信じられなかった。
もちろん夫婦なのだから出来て不思議ではない。むしろ使用人たちも望んでいたことだ。
しかし突然すぎることと、この喜びの知らせをするにしてはあまりにも素っ気ないジュリエットと、受け取りがあっさりしすぎているオデルに唖然としてしまっているのだ。
しかしマリリンは違う。その場に崩れ落ちたのだ。
「うえーん! 奥様ぁー!」
手放しで泣き出したので、食事中のジュリエットも振り返ってマリリンを見た。
「心配したよー! ご病気じゃなかったよー! 嬉しいよー! 赤ちゃんだよー! 幸せだよー! うえーん!」
やっと思考が回復したリーブスとステファンは心のなかで『お前が赤ちゃんだ!』と突っ込んだが、マリリンが心配しすぎなところにこの嬉しい話で泣き出してしまった気持ちはわからなくもない。侍女としては失格の行動だとしても。
ステファンが座り込んで泣くマリリンの側に行こうとすると、先にジュリエットが席を立ちマリリンの前にしゃがんだ。
「先に旦那様に知らせなくてはならないと思ったから言えなかったのです。心配かけたわね。これからもお前を頼りにしていますからね」
「奥様―! おめでとうございますぅ! うえーーーん!」
不覚にもステファンは泣きそうになった。隣を見ればリーブスはすでに目頭を押さえている。
マリリンに心配をかけていることがわかっても最初に伝えるのはオデルと決めていたのも驚いたが、こんな赤ちゃんのような、ここにいる使用人のなかで一番頼りにならなそうなマリリンにこんなにも優しく『頼りにしている』というジュリエットの優しさに感動してしまったのだ。
子供を宿していると知ったせいかもしれないが、ジュリエットに母性を垣間見た気分だ。
ステファンはすぐにでも使用人食堂へ行きこの喜びを伝えたかったが、夫婦の食事はまだ終わっていないので堪えた。
こんな喜びの知らせがあったというのに、その後の食事はマリリンだけがご機嫌でふたりはいつもと変わらぬ無言だった。
そしてそのまま変わらないのかと思ったが、食後オデルが下がるリーブスたちと一緒に使用人食堂に来た。
のんびりといつもと変わらぬ姿で過ごしていた使用人たちはオデルの登場に立ち上がり何事かと不安になったが、オデルの後ろにいるリーブスとステファンがいやらしい笑みを浮かべていることには気が付いた。
夫妻になにか面白いことが起こったのかもしれないと想像出来るニヤケ顔だ。
立ち上がる使用人たちを見渡し、オデルがニヤケの答えを言った。
「ジュリエットが妊娠した。大事にしてやってくれ。面倒も増えるだろうが、宜しく頼む」
使用人たちは唖然とし、すぐさま祝いの言葉が出てこなかった。
先にダイニングで聞いていたリーブスがまずは口を開いた。
「旦那様、おめでとうございます。使用人一同も待ち望んでおりました。奥様も、もちろんお生まれになるお子様も、誠心誠意お世話させていただきます」
リーブスが頭を下げるとオデルは頷いた。
そこでやっと現実が理解出来た使用人たちから歓声が上がる。
「旦那様! おめでとうございます!」
「奥様のことはご心配なさらないでください!」
「奥様にもお子様にも全員で尽くします!」
「本当におめでとうございます!」
「本当に喜ばしいことです! おめでとうございます!」
拍手が起こり、ジョージとモリーは万歳までし出した。
使用人全員が満面の笑顔でジュリエットの懐妊を喜び祝福している。
オデルの方はと言えば、相も変わらず無表情ではあるが、使用人にはちゃんとわかっている。
喜んでなければわざわざ使用人食堂まで降りてきて報告などしないと。
オデルも喜び、居ても立ってもいられずここに来たことは想像できる。
それに、無表情ではあっても何かが違うとも感じていた。
決して微笑んではいないのだが……。
オデルが上に戻ると、まだ興奮冷めやらない使用人食堂はご機嫌な雰囲気そのままにマイケルが歌い出しモリーはケイトと踊り出した。
リーブスもステファンもその中で拍手を止められない。
「なんか、旦那様嬉しそうじゃなかった?」
ステファンが言うと、一同が頷く。
「そうそう! なんかそんな感じだったよね?」
「オレもそう見えた!」
「いつの間にか旦那様の表情がわかるまでになってしまったのかしら?」
「旦那様の表情がわかるなんて、僕たちもうガロポロのプロだね!」
「なんだそれーっ!」
翌日の仕事もあるというのに使用人食堂が深夜まで賑やかだったのは、寝自宅を手伝ったステファンにオデルがワインを開けて言いと許可したからだった。
使用人の喜びようと、祝いの言葉が嬉しかったのではないかとステファンは推測した。
そうだ。やっぱりオデルは喜んでいるのだ。
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