CRoSs☤MiND ~ 継がれし意志 ~ 第 四 部 結城家 編

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第 二 章 とある研究所の業務日報と …

第五話 そして、今に至るまで・・・

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 将嗣等が日本に戻り、龍貴達と藤原私設研究所で新動力研究開発の手伝いをしていた。その研究は本来、日本国内ではなくて、別の国で行うことになっていたが、関係者からの見解で時期尚早となり、その時が来るまでの下準備を日本で進めることに決定したのだ。
 将嗣がその計画に参加し、その内容に目を通したときに、精悍な眉を顰め、顔を渋くさせていた。だが、彼は何かを制御する技術を開発する、それに関して興じを超え、狂になるくらい好んでいた。故にその研究に一枚噛む事を躊躇わなかった。
 彼が帰国後の一、二年は本格的に研究をするための施設の制御系設計だった。ウィスタリア研よりも、さらに大規模になる事を踏まえ、本格的にすべての制御機を光通信網で繋ぐ事を考えた。実際その技術は1985年に本国で開催された科学技術博覧会でもその技術が公開されたくらい将来的なものだった。彼はそれに本腰を入れ、草案を組み上げる。それが以降のイーサーネット、所謂ネットワーク通信の基礎を生み出した先駆者の一人となる事は言うまでもない。
 己が生み出す技術の先と成長する子供達とを見るそんな日常が、彼が相手を愛するとは何なのかを理解し始め、神奈とその将来を共に歩んでいけると普通に考えていた将嗣に不幸は何の前触れもなく詰め掛ける。
 そして、それは1991年7月に起きてしまった。結城将嗣にとって最も忌まわしき日。結城神奈の勤め先、産業技術研究所。その場にはADAM計画の関係者が多く勤めていた。国営機関の研究所のために表立って関係者等が集まり、その計画の研究する訳にはゆかず、各自内々で進め、その研究結果をシンガポールへ送っていた。
 俗称、産技研と呼ばれる三戸支部の爆発事故。完全な原因が究明できずの迷宮入りにされてしまった事件。
 確かに判っている事は数名だけ死者が出たということだ。たったの三人。研究所の職員は事務系を含めて300名弱、大規模な爆発事故であったのにもかかわらず死する者はたったの三名だった。何が命の生と死を分けたのだろうか?それは運?それとも・・・。
 別の場所で働いていた将嗣は事故の連絡を受けると、生まれて初めて血相を掻いて現場へ急行した。現場の瓦礫と化した惨状にがくぜんとするが、怪我人らしき、怪我人がいないことに安堵顔を浮かべ、いる人々に、妻の安否を尋ねるが返ってきた答えは『見当たらない』だった。
 彼は研究所の有りとあらゆる場所を瓦礫の山を越え探し続けた。二時間以上かけて彼が瓦礫の隙間から光る物を目にし、そこへ駆けだした。千切れかけた金の鎖に頼りなさそうにぶら下がる環。それは手作業の多い仕事で傷ついてしまうことを嫌がっていても、常に身に着けていたいと、そう考えた神奈が指輪を首飾りに代えたものだった。
 将嗣を過る焦燥。彼は妻の名を叫んだ。だが、返事などない。人の力では動かせない大きな混凝土(コンクリート)の山。彼は活きた公衆電話がある所まで奔走した。自分の働いている場所で勝手はできない事、重々承知の彼、今この時、その様な規律、道徳など守る意味はない。
 知り合いの建設会社に重機の使用を頼んだのだ。それから三十分未満で、消防救助機動隊よりも早く、双腕重機と呼ばれる特殊な機械がトラックに積まれ数台搬入された。
 それを操作する道の玄人等がその腕前を見せ、到着十分後には将嗣の望んだ場所の瓦礫の山を撤去した。
 最後の大きかった壁を移動させたときに将嗣はその場所を視界に入れていた。血の海が広がる場所。その中に神奈がいた。見るに耐えがたい姿の彼女が。その瞬間、彼は気を失い崩れ落ちる。胆力の強いほうの将嗣がそうなってしまうほどの情景がその場所には存在した。誰もが、目を瞑り、顔を、視線を逸らす。駆け付けた救助隊も眉を顰めながら、目を瞼で覆い言葉に出さず祈ってから居た堪れない気持ちで遺体の回収を始める。
 当日には神奈の通夜が行われ、翌日には葬儀が行われた。
 現場では生まれて初めて卒倒したのにもかかわらず、それ以降は強かった将嗣。あまりにも早く妻を失った痛みは相当大きかったが、二人の子供を育てるために懸命だった。
 周囲の者は彼のその姿が痛々しく感じられた。龍貴も、美鈴も彼を大切に思う仲間は彼とその子供達を可能な限り支えた。だが、実は一番支えとなっていたのは近所の涼崎夫婦なのだ。しかし、お互いにアダムと呼ばれた計画で繋がっていることなど知らない。
 将嗣の子供等、将臣と弥生が十歳を迎えた年の夏、1997年。龍貴の新動力計画が米国で本格稼働することになった。施設の建設はその二年前から着工され、1997年の春に完遂していた。電送、制御系の図案は将嗣が提出した計画書がそのまま採用されるに至る。
 再び、龍貴に誘われ将嗣は渡米の準備の支度を一ヶ月くらい前から始めていた。当初は子供も連れて行こうと思っていた。だが、荷造り中に整理していた神奈の遺留品のなかから、出てきた書類と彼の知らない幼少の頃の彼女の写真を目にした時、心臓を誰かに握られたような痛みが彼の全身を駆け巡った。
 子供の容姿は両親のどちらかに少なからず似る。だが、神奈と弥生は双子、程までとはいかないが、限りなく似ていた。
 今後成長する娘を、妻と重ねてしまいそうで、自身がどうにかなってしまいそうな事を危惧し、娘から遠ざかる事を決意した。娘、一人だけを日本に置いていくことにためらいを感じ、息子だけを連れていき、アダム計画の近い場所に居て、息子に何かよからぬ影響が出ないかと想像し、結局二人とも日本に残すことにしたのだ。
 不躾な願いだとわかりつつも、将嗣は涼崎夫妻に、二人の事を頼んだのだ。
 さて、最も重要となる将嗣が見た神奈のアダムに関する子供たちの秘密とは・・・。アダム計画の一環である多様性非拒否反応有機質人工臓器。現在で云うES細胞やiPS細胞よりも遥かに多様性のある人工細の研究。彼女はその研究技術を二人の子供達に精子、卵子の状態から適用していたのだ。
 将臣と弥生は二卵性双児でDNAは完全一致ではない。しかし、生殖器以外の臓器はすべてお互いに移植可能であり、拒否反応を起こすことなないという論文だった。すでにそれは実証されており、将嗣の知らない処で、子供たちがまだ、一歳になったばかりの頃に一つの臓器が交換されていた。
 二人の子供達はお互いに何か事故で体の一部が欠損した時の予備部品になりえる存在だった。そのような論文が将嗣の留守の間、二人の子供等に見られてはまずいと思って関係ある物すべて焼却する。
 渡米する前日まで将嗣は子供達に海外へ行かなければならないことを隠していた。そして、その日の夕方に、
「弥生、将臣、お父さんは急なようでアメリカという国へお仕事に行かなければならないのです。いつ、戻ってこられるかわからないですけど、二人とも元気にやりくりしてください。頭のいい弥生と、将臣だから心配ないと思うけど、何か、あったら秋人さんと葵さんに相談してください」
「おとうさんも、無理しちゃいやだよ、弥生を心配させないでね」
「こいつの事はまかせろよ、だから、仕事さっさと終わらせて帰ってきてくれよ、父さん」
 弥生も、将臣も笑顔で父、将嗣に答えた。本当にいつ戻ってこられるか分からないのに寂しがらず笑顔で送ってくれる二人を抱きしめ、申し訳ないと心で思いつつも笑顔で返す彼だった。

 1999年までアメリカ合衆国キャリフォルニア・サン・ディエゴの研究施設で龍貴と共に働き、その年の秋に藤原美鈴に深く頭を下げられ、シンガポールのウィスタリア研へ戻ることになった。ウィスタリア研に戻るとゲーニッツに散々文句を口にされた挙げ句、その日までずっとゲーニッツが背負ってきた役職を押し付けられた。誰も、将嗣が情報制御研究所と名を改めたその部署の所長に彼が着く事を拒む者はいないし、施設の最高責任者代理である、セレナーディも、躊躇いなく人事手続き書類に著名した。押し付けた当人、ゲーニッツは愉悦した表情でそれまで停滞していた研究を再開できると将嗣の肩をばしばし叩き、大笑いする。
 彼の言葉や表情には冗談交じりの厭味、皮肉がのっていたし、それに気が付いていた将嗣は普段通りに軽い笑みで受け流す。

 インスティテュート・オブ・ウィスタリア・フィールズ・メディカル・リサーチ・アンド・デヴェロップメント・インフォメーション・システム・コントロール・テクノロジー・ディヴィジョン、藤原医療研究開発機構・情報構成制御技術部、略称、フォマルド・シスコンテック(WFMARD-Syscontech)の所長に着任させられた将嗣は多寡な事務処理に追われつつも、彼がシンガポールを離れてから一度も聖櫃から出されていない藤宮詩乃の容態や各計器、装置類の確認を自ら欠かさず行っていた。
 当初の予定通り、培養槽などの耐久性はしっかりと果たされていた。無期保守年数は十五年から二十年。最低年数から考えて約三分の二の年月が経つ。将来の事を見据え、シスコンテック所長は第三世代聖櫃の開発計画を2000年に入ってから立案した。
 生命科学研究部から生命科学構造解析部(Life science structure analysis=Lissasis、リッサシス研)へと名称を改めたその部署の研究員の話によると、藤宮詩乃は培養槽に使っている限り、永遠に細胞が老化しない、所謂、肉体の不老。人間が老衰で天命を全うできる限界は120歳くらいだと云われている。年齢の差異は大きくあるが人の精神も肉体と共に衰える。若し仮に肉体不老人間がそれ以上の年月、130、140、200年と時を渡った場合、実際、精神まで生きているかどうかなど、誰にも分らなかった。
 しかし、生命研の職員は外因的情報が積み重ならない限り、人の精神は衰えないと推測する。外からの情報が入らない睡眠中は年齢を重ねないと云う事だ。
 そこの研究員たちはかなり長期で、藤宮詩乃を今のままの状態で観察し続けたいと庶幾した。どういった目的で半世紀以上も彼女を聖櫃の中に眠らせたままの状態にしたいのか、その間、どのような研究を続けて行くのかしっかりとした意見と計画を聞いた将嗣は少なくとも次の培養槽の交換で最低六十年はメンテナンス・フリーのそれを作製してみようと約束した。
 将嗣率いる情報構成制御技術部は医療機器・同研究所の医療技術開発部、更に某国家の物質・材料研究機関と共同してそれの開発に当たった。実際に計画が始まったのは2001年になってからである。企画名はファイナル・アーク。

 ユナイテッド・ステーツとは半日以上も時差ある2001年3月22日、水曜日の午後23時頃。将嗣は背もたれの長い椅子にどっしりと座りながら、本日の日報をどうまとめようか思案していた。彼は帳面を見ながら万年筆の尻で軽く頭をたたく。数回したのちそれを止めると背もたれに体重を乗せるように背中を伸ばし天井を見た。今度は目頭を押さえそこを揉むと机に向き直った。
 意識したつもりはないが、彼の視線は机上の写真立てへ向いていた。生前の妻と自身と一週間前に涼崎秋人から送られてきた十四歳の誕生日を迎えたばかりの将臣、弥生と涼崎姉妹の写ったディジタル・フォトスタンドが彼の瞳の中に映り込んだ。無意識に娘と妻の容姿を比較してしまう彼。そして、現在作ってしまった表情を隠すように、左手で顔を覆い、下を向いて頭(かぶり)を振っていた。
 日本を離れる前、気がかりに思っていた事が現実味を帯びてきたのだ。自分が今考えた事を振り払うように左蟀谷辺りを軽くたたいた時に幻聴らしき言葉が彼の耳に響いた。その言葉を発した声質がよく知る人物にあまりにも似ていたために息を詰まらせるように驚く将嗣。
『カレヲタスケテ』
 何の事かと思考しながら、不可思議な感覚にとらわれつつ、ひとまず制御監視室へと走り出す。二十四時間人の目で監視している訳ではないその場所に人がいる訳でもなく、照明の落ちた部屋に計器類の放つ光だけが闇の中で幾つも点灯していた。直ぐに照明の電源を投入し、流れている情報に変わった点がないか、監視映像越しに見える彼女に異変がないか確認した。その場でわかるような手掛かりは何一つ見つからず仕舞い。
 見つからないという事は特に異状がないのを示すのだが、それでも不安をぬぐえなかった彼はリッサシス研究棟にある今は詩乃専用の部屋となってしまった培養室へ駆けだしていた。
 その場所へ10分弱で到着した将嗣は磁気式認証厚紙を読み込み装置へ滑らせた後に暗証番号を入力して室内へと足を進めた。
 弱発光性の照明器具が室内を仄かに明るくしていた。天井照明をつけないまま、将嗣は測定機などに目を配る。
 色々見ているうちに器械的にありえない動きをしている計測器があった。それはペンレコーダーと呼ばれる装置だ。入力信号を連続的に図表化する機械。異常がある、なしに関わらず、それは波を描き続けるはずのものだった。しかし・・・。
 語る事の出来ない状態から送られた彼女のメッセージ。保護水槽内から発せられた微弱な信号。
 観測機器の一つがその信号を捉え、偶然にもその信号は言葉として翻訳されペンレコーダーのチャート紙に印字されていた。
 そのチャート紙には『龍一さんを救ってください。太陽君を止められるのは彼だけです・・・』とローマ字で記されていた。図表しか描けないものにそれが出力された事に神秘的な絶対性を感じた彼は藤原龍一。龍貴の息子に異変が起きたのだと悟る。
 将嗣はそれの文章の前半だけを見て、直ぐに藤原龍一の現状を把握し、その解決に当たろうとした。
 自分の居室へと急いで戻ろうとした時に、今となっては不格好で小さくもない世界的普及前の携帯電話が鳴りだした。
 それに出ると、旧友であり、ウィスタリア研施設長の夫、ゲオルグからの電話だった。
 ゲオルグも相当あわてていたようで、母国語で将嗣に話しかけていた。喋りが拙くとも会話はちゃんと理解できる将嗣は共通言語で話してくれと云わず、自身も母国語で返答していた。
『Ryuichi, kennen Sie Ryukis Sohn, dass er in seinem Herzen geschossen wurde!!(龍一、君も知っていると思うが、龍貴の息子が撃たれた)』
「で?」
『Neun Kugeln in seinem Herzen.(心臓に九発)Ich habe kalte Schlaftechnologie und -verschiffen zu WFMRD bereits verwendet! Speichern Sie ihn bitte!(コールドスリープで既にそっちらに送ったから彼を死なせるな)』
「わかりました。医療部に彼が到着次第すぐに手術を始められるように手配しておくよ。後どのくらいでこちらへ?」
『Lassen Sie uns ich… herum sechs Stunden sehen.(そうだな、後六時間といったところか)』
「了解した。処で君の娘は元気かい?たまにはセレナーディさんにあわせてやったらどうなんだ?」
 将嗣は知らないシフォニーが既に亡くなっている事を。ゲオルグもその事を実は妻に話していないのだ。
 突然の事を聞かれてもゲオルグは冷静に彼に答え、
『Ja komme ich dort nach einer Woche und dann.Bis später!(ああ、一週間後にそちらに行く、その時にでも。じゃあな)』と言って回線を切られた。
 将嗣は関係者各位に電子文書を送り、予定手術を促した。龍一の心臓治療にもしかすると詩乃のそれが必要になるかもしれないと予見し、将嗣は彼女の聖櫃の移動準備もする事にした。
 ゲオルグから連絡を受けて七時間後、藤原龍一がウィスタリア研の手術室へ届けられた。その部屋内に施術の人員ではないが研修のため数人の医学博士課程の学生がいた。鬼神光姫(おにかみ・みつき)、龍一の幼馴染み、彼女が彼のその姿を見たときに自分の目を疑い、困惑し、縋るように第一執刀医に必ず助けてほしいと切に願った。
 大凡、十一時間弱の移植手術。アダム研究過程での有機人工心臓や機械式心臓ではなく矢張り、将嗣の思った事が現実となってしまった。
 詩乃から摘出された彼女の心臓丸ごと龍一に移植されたのだ。心臓を奪われてしまった彼女。心臓のない人間、それは死を意味する。しかしながら、彼女は別。常人は一つしか心臓を持たないが、かなり低い確率でそれを二つ持った人間が世には生まれる事がある。彼女もその一人。通常よりも小さく予備のようなそれが数カ月の時と共に成長し、元の心臓同等になりその機能を果たす。それだけではない、摘出されてしまった処にはまた新たな予備心臓が再生する。その事実は素体研究で明らかとなっており、龍一の前に数度、詩乃から心臓摘出の実験と検証は行われていたのだ。彼女のそれが移植された側の拒否反応や異常がない事も立証済み。
 将嗣はウィスタリア研に戻ってきたときに詩乃に関するあらゆる資料へ目を通していた故にその事は知っていた。だが、実際に彼女から心臓が抜き取られた時はかなり渋い顔を作り、その間の医師らの作業から顔をそむけていた。
 龍一の手術が終わり、落ち着いた頃にチャート紙のその後半の意味『太陽君を止められるのは彼だけです』を考えた。しかしながら、源太陽は既に死んでいる。彼の何を止めようと云うのだろう?
「龍貴の死も美鈴君のそれもずっと前に亡くなっているはずの太陽君が呪ったとでも言うのでしょうか?バカバカしい、そんな非科学的な事、僕は認めたくない。あり得るはずがないですよ・・・」
 答えを見つけ出す事は出来ず・・・。誰にもそのチャート紙の存在を語らなかった。
 前日、書く事の出来なかった業務日報を龍一の術後に始め、最後に、
『藤宮詩乃君、聖櫃に収められし天女。彼女はあの揺籠の中で一体どのような夢を見ているのだろう・・・。彼女は自ら願ってあの中に居る事を望んだ。しかし、本当に彼女はそれで幸せなのだろうか。彼女のその慈悲が、彼女の思う仁で何人もの人々が救われよう。だが、しかし・・・』そのあとの言葉を書き切れず日誌を閉じる彼だった。

 2001年4月1日、日曜日。ゲオルグが将嗣へ告げた事がある。それを耳に入れた将嗣はゲオルグが四月莫迦(エイプリル・フール)を云っているのだと煙草を吸いながら大笑いした。だが、それは紛れもない事実。f彼の娘の死。それは龍一とは違う完全に喪われし者達。
 藤宮詩乃を愛していた男、源太陽。彼が十年前に亡くなっているという偽りの事実で将嗣は『矢張り、太陽の呪いなのでしょうか・・・』と誰も居ない処で呟いた。

 彼は嫌な思いをすべて忘れたくて遮二無二、第三世代聖櫃の開発に取り組んだ。将嗣は日本を離れて以来、妻の忘れ形見の子供たちを大事に思っていたが一度たりとも二人へ手紙も、電話もする事はなかった。父親としての義務を果たせていない自分を蔑みながらも仕事一本筋で更に四年の時が刻まれる2004年10月に新型の培養槽が完成した。第一世代の大きさが体積九千キロリッターで普通車の容積、第二世代が一万二千キロリッターでステーションワゴンなみの容積、そして、第三世代は五万キロリッター、たかさ2・5mの六畳間程の水槽にも膨れ上がった。制御系もパーソナル・コンピュータの上位機種である小型サーバー・コンピュータの普及により、より高度な遠隔操作制御が可能となった。
 企画よりも、上出来な仕上がりに誰もが満足していた。その中に将嗣も含まれていたが彼の思いは複雑なものだった。なぜなら、その聖櫃に藤宮詩乃を移し替える事は少なくとも半世紀、彼女はその中に入り続けなければならない。五十年後、百歳は超えている彼が生存している事はないだろう。
 仮にその時代にアダム計画が終局を迎え、彼女がその聖櫃から外界へ出され、目が覚めた時、彼女が知る人たちは誰も存在しない。その状態で詩乃がどのような事を胸に秘めるか将嗣は友人なりに心配していた。
 女史研究員が三人がかりで壊れ物を扱うかのように慎重且つ丁寧に第二世代の容れ物から運び出す。その匣から外に出されても、詩乃が覚醒することはなかった。それは柏木美奈のDRAMという研究の成果だった。
 藤宮詩乃が大きな水槽(ファイナル・アーク)に移される様を少し離れた端末の有る場所で純朴寡黙な表情で眺めていた。聖櫃内は培養液が緩やかに循環しているために対流が起きている。理論的に考えて物はその流れに乗り動くはずだ。更に支え無しに特定の位置に決まった姿勢を維持させるのは不可能である。しかし、僅かに左右に揺れているが水槽内に移された詩乃、彼女は聖櫃のほぼ中央に飛翔するかのような姿勢で浮かんでいた。
 誰もがファイナル・アークから遠ざかると将嗣は端末の入力装置(キー・ボード)を叩き、櫃の蓋が自動で閉まる命令を送った。軌道溝(レール)に沿って引き戸のように開いていた天板が均等動作で閉まっていった。それの面々が接触すると気密を保つために隙間に充填材(コーキング)が流し込まれ、更に天井から本蓋が降り、密接すると数か所ある錠が掛る音が静かに室内に響いていた。
 少しばかり、将嗣は黙祷するとその場にいる者たちに何も告げずに静かにその場を去った。
 将嗣にとってすべてやり終えたと、彼はもう自分にできる事は何もないとそう感じ、日本へ、子供達の処へ帰ろうとした矢先の2005年1月18日、火曜日の早朝に彼へ凶報が届けられた。それは娘が事故に遭い昏睡状態に陥ったとのことだ。加えて、峠は越えたもの覚醒の兆しなし。
 椅子に座っていた将嗣は目の前の机に両肘をつきたて手で頭を抱えた。彼は暫らく考えもせずに自国へ帰ることを諦めた。将臣、弥生達に会うことから逃げた。また、再び彼は現実から逃避するために、仕事へと没頭した。
 彼はもう若くない、あと数年で定年を迎える。だから、これからシンガポールの施設を担う若者の育成に励んだ。将嗣にとって子供達と同世代の若者達を、自身の子等には何も教えてあげられない事に皮肉を感じつつも、彼は懸命に指導した。
 その中に将臣の事を知る者がいた。息子の実情をよく、将嗣に自分の事のように嬉しそうに、楽しそうに話す若者。息子がボクシングという競技で世界を目指している事を知って以来、大会に出て勝利を掴み獲る事を願い彼は息子に無記名で誰よりも大きい祝用花輪を贈り続けた。だが、将臣がその勝利に、その拳に懸ける願いを父親が知ってあげられる事はない。
 それから、また数年、2011年、将嗣六十三歳。彼の両親の訃報を受け、妹弟の強い願いでその喪主となるために日本へ帰省する事を決意した。この事を皮切りに研究施設運営から退陣する思いを固めた。
 シンガポールを去るこの年の一月五日、水曜日。将嗣は感情を持たない機械だけが監視している培養室を訪れた。詩乃専用となってしまったその室内へ足を踏み入れる彼。彼女が浮かぶ水槽のガラス前まで歩み寄ると彼はその板に額と両手を付き、瞳を閉じる。
「詩乃君、これから先、もう君に会うこともないだろう・・・、永遠の眠りを、安らかに・・・」
 祈るように将嗣は呟くと毅然とした姿勢でその部屋を出て行った。
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