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思いやりステータス
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「おはようございます。今日は皆さんにお知らせがあります」
普段はそそくさと教室を出ていく私が、何やら話をしようとしているので、生徒たちは妙に静まり返っている。
「すでに若い子の間で流行っているので知っている人もいるかもしれないが、『思いやりステータス』というポイントサイトを紹介しようと思います」
昨夜、調べた情報をまとめたプリントを配った。
生徒たちの反応は想像していたよりも鈍く、あまり浸透していないように感じられた。プリントに目もくれず、内職に夢中になっている子もいれば、けらけらと隣同士で笑っている子もいる。思いやりにあふれたクラスになったらいいと思ったのだが、中学生にはさすがにぴんと来ないのかもしれない。
なんだか空回りした気分になって、早々に話を切り上げて授業に取り掛かった。
放課後、私は授業の準備のため資料室に荷物を運んでいた。自分でも積み上げすぎてしまったなと考えながらも一度で済ませたい横着さが優先し、バランスを取りながら廊下を歩いていた。
「先生、大変そうだね。運ぼうか?」
そう声をかけてきたのはクラスの委員長だった。私を含め周囲の人間を気遣ってくれるのでいつも助かっている。
私は荷物の三分の一ほどを委員長に持ってもらった。並んで資料室へ向かう間、彼はこんなことを言った。
「『思いやりステータス』に俺も登録しているよ。他人とはやってないけど家族で助け合えるように父親が家族内だけで始めたんだ。最初は交換アイテムに目が眩んで、ポイントのために親切をしていたけどさ、喧嘩してばかりしていた妹とはいつの間にか仲良しになったよ。ポイントを稼ぐためだとはいえ、人に親切にするのはいいことだね。情けは人のためならずって昔の人はうまいこと言うよ」
私は委員長の話を聞いて、クラスの皆が互いに助け合う姿を想像した。
「この親切もポイントにしないか?」
私は彼に尋ねた。
「先生がいいなら。思いやりって自己満足だし、他人がどう評価するかは俺には決められない」
委員長が悟ったような口ぶりでそういうので驚いた。彼は他の生徒たちと比べても落ち着いているし、大人びているが、ここまで精神年齢が高いとは思わなかった。
「今晩にでもマイページを確認してみたらいいさ」
資料室に着くと、委員長は満足そうな表情で去っていった。
私はポイントサイトへこのことを報告し、翌日の準備に取り掛かった。
ポイントサイトのことをクラスで広めてから一週間後のことだった。
クラスで財布の盗難事件が発生した。財布を無くしたという生徒とその子の友人が一緒に私のところへ相談に来たのだ。
「ねえ、やっぱり先生に相談をするのはやめようよ」
財布を無くしたほうの生徒は私の目の前でそういった。私は口を出さずに二人のやりとりを観察しようと考えた。
「なんでよ、財布をカバンにちゃんとしまっていたんでしょ? それなのに無くなったなら誰かが盗んだに決まっているじゃない」
「でも私がどこかで落としちゃったのかもしれないし」
「だったら尚更探さないと」
どうやら本人としては盗まれたと断定できる状況ではなかったようだ。しかし、財布が無くなったこと自体は問題だ。
私は二人の会話を遮って尋ねた。
「財布には保険証や定期券は入っていないか?」
「いえ、お小遣いと友達と取ったプリクラくらいです。お金も数千円くらいで、財布もかわいいけど高い物じゃないです。だから……」
別に無くなっても緊急事態ではない、とでも言いたいのだろうか。
「そうは言っても盗難事件なら大問題だよ」
私が警察に連絡するべきか悩んでいると付き添いの生徒が言った。
「私、探してきます」
そういって職員室を出て行った。
「親切な友達に恵まれたね」
残された生徒は嬉しそうに笑った。
しばらくして、二人から財布が見つかったという報告があった。結論から言うと盗まれたのではなく、いつもと違うカバンのポケットに入れていてそれを忘れていたということだった。財布が見つかってほっとする生徒を見て私も安堵した。
「君たちは『思いやりステータス』に登録しているのかい?」
二人とも肯定した。
他にもクラスでいじめを受けている子がいるとある生徒が教えてくれたり、捻挫をして転んだ子をクラスメイトが保健室に運んであげたり、事件や問題が起こっても生徒たちが自ら解決していった。
彼らは皆、『思いやりステータス』に登録していた。問題が起こっても瞬く間に生徒が教員の力も借りながら自ら解決していく。私が想像していたよりも生徒の間で親切な行動が根付いていた。
ある月の職員会議で校内事件について次のような議題に上がった。
「えー。ここ数か月、盗難、暴力、SNSを介したいじめが昨年に比べて増加しています。異質なのは、以前は私たち教員の発見や保護者からの報告が多かったのが、ここ最近は生徒からの報告が増えています。皆さんも生徒からの報告を受けたら迅速に対応していただくようお願いします」
教員たちはため息をついた。勉強を教える以外の仕事が増えたのだ。
ある女性教員は言う。
「どうやら子どもたちの間で親切をするとお菓子や図書券が貰えるポイントサイトが流行っているらしいじゃないの。わざと事件を起こして周りの人に感謝されてポイントを稼ごうとしているではないかしら」
この発言で会議室はざわついた。自作自演を疑っているのだろう。
しかし、私はそうは思わなかった。
「逆ではないですか。今まで親切な行動をできる生徒がいなかったから、様々な問題が表面化していなかっただけで、彼らはずっと問題を抱えていた。それが偽りの思いやりや善意であっても、生徒が自ら解決して感謝されようとするから泣き寝入りしていた問題が顕在化して増えているように感じているだけ。生徒達がお互いのメリットのために自治していると捉えれば、非常に前向きな行動だと思えます。そもそもポイントサイトの仕組みを考えてみれば自作自演することに意味がないことはわかります。他者申告制でわざわざ事件を起こさなくても『嘘の報告』であってもポイントは付与されます。……子どもたちは私たちが思うよりもずっと優しくて純粋ですよ」
思いやりをマナーや自己の利益に利用するのはいつも大人だ。
普段はそそくさと教室を出ていく私が、何やら話をしようとしているので、生徒たちは妙に静まり返っている。
「すでに若い子の間で流行っているので知っている人もいるかもしれないが、『思いやりステータス』というポイントサイトを紹介しようと思います」
昨夜、調べた情報をまとめたプリントを配った。
生徒たちの反応は想像していたよりも鈍く、あまり浸透していないように感じられた。プリントに目もくれず、内職に夢中になっている子もいれば、けらけらと隣同士で笑っている子もいる。思いやりにあふれたクラスになったらいいと思ったのだが、中学生にはさすがにぴんと来ないのかもしれない。
なんだか空回りした気分になって、早々に話を切り上げて授業に取り掛かった。
放課後、私は授業の準備のため資料室に荷物を運んでいた。自分でも積み上げすぎてしまったなと考えながらも一度で済ませたい横着さが優先し、バランスを取りながら廊下を歩いていた。
「先生、大変そうだね。運ぼうか?」
そう声をかけてきたのはクラスの委員長だった。私を含め周囲の人間を気遣ってくれるのでいつも助かっている。
私は荷物の三分の一ほどを委員長に持ってもらった。並んで資料室へ向かう間、彼はこんなことを言った。
「『思いやりステータス』に俺も登録しているよ。他人とはやってないけど家族で助け合えるように父親が家族内だけで始めたんだ。最初は交換アイテムに目が眩んで、ポイントのために親切をしていたけどさ、喧嘩してばかりしていた妹とはいつの間にか仲良しになったよ。ポイントを稼ぐためだとはいえ、人に親切にするのはいいことだね。情けは人のためならずって昔の人はうまいこと言うよ」
私は委員長の話を聞いて、クラスの皆が互いに助け合う姿を想像した。
「この親切もポイントにしないか?」
私は彼に尋ねた。
「先生がいいなら。思いやりって自己満足だし、他人がどう評価するかは俺には決められない」
委員長が悟ったような口ぶりでそういうので驚いた。彼は他の生徒たちと比べても落ち着いているし、大人びているが、ここまで精神年齢が高いとは思わなかった。
「今晩にでもマイページを確認してみたらいいさ」
資料室に着くと、委員長は満足そうな表情で去っていった。
私はポイントサイトへこのことを報告し、翌日の準備に取り掛かった。
ポイントサイトのことをクラスで広めてから一週間後のことだった。
クラスで財布の盗難事件が発生した。財布を無くしたという生徒とその子の友人が一緒に私のところへ相談に来たのだ。
「ねえ、やっぱり先生に相談をするのはやめようよ」
財布を無くしたほうの生徒は私の目の前でそういった。私は口を出さずに二人のやりとりを観察しようと考えた。
「なんでよ、財布をカバンにちゃんとしまっていたんでしょ? それなのに無くなったなら誰かが盗んだに決まっているじゃない」
「でも私がどこかで落としちゃったのかもしれないし」
「だったら尚更探さないと」
どうやら本人としては盗まれたと断定できる状況ではなかったようだ。しかし、財布が無くなったこと自体は問題だ。
私は二人の会話を遮って尋ねた。
「財布には保険証や定期券は入っていないか?」
「いえ、お小遣いと友達と取ったプリクラくらいです。お金も数千円くらいで、財布もかわいいけど高い物じゃないです。だから……」
別に無くなっても緊急事態ではない、とでも言いたいのだろうか。
「そうは言っても盗難事件なら大問題だよ」
私が警察に連絡するべきか悩んでいると付き添いの生徒が言った。
「私、探してきます」
そういって職員室を出て行った。
「親切な友達に恵まれたね」
残された生徒は嬉しそうに笑った。
しばらくして、二人から財布が見つかったという報告があった。結論から言うと盗まれたのではなく、いつもと違うカバンのポケットに入れていてそれを忘れていたということだった。財布が見つかってほっとする生徒を見て私も安堵した。
「君たちは『思いやりステータス』に登録しているのかい?」
二人とも肯定した。
他にもクラスでいじめを受けている子がいるとある生徒が教えてくれたり、捻挫をして転んだ子をクラスメイトが保健室に運んであげたり、事件や問題が起こっても生徒たちが自ら解決していった。
彼らは皆、『思いやりステータス』に登録していた。問題が起こっても瞬く間に生徒が教員の力も借りながら自ら解決していく。私が想像していたよりも生徒の間で親切な行動が根付いていた。
ある月の職員会議で校内事件について次のような議題に上がった。
「えー。ここ数か月、盗難、暴力、SNSを介したいじめが昨年に比べて増加しています。異質なのは、以前は私たち教員の発見や保護者からの報告が多かったのが、ここ最近は生徒からの報告が増えています。皆さんも生徒からの報告を受けたら迅速に対応していただくようお願いします」
教員たちはため息をついた。勉強を教える以外の仕事が増えたのだ。
ある女性教員は言う。
「どうやら子どもたちの間で親切をするとお菓子や図書券が貰えるポイントサイトが流行っているらしいじゃないの。わざと事件を起こして周りの人に感謝されてポイントを稼ごうとしているではないかしら」
この発言で会議室はざわついた。自作自演を疑っているのだろう。
しかし、私はそうは思わなかった。
「逆ではないですか。今まで親切な行動をできる生徒がいなかったから、様々な問題が表面化していなかっただけで、彼らはずっと問題を抱えていた。それが偽りの思いやりや善意であっても、生徒が自ら解決して感謝されようとするから泣き寝入りしていた問題が顕在化して増えているように感じているだけ。生徒達がお互いのメリットのために自治していると捉えれば、非常に前向きな行動だと思えます。そもそもポイントサイトの仕組みを考えてみれば自作自演することに意味がないことはわかります。他者申告制でわざわざ事件を起こさなくても『嘘の報告』であってもポイントは付与されます。……子どもたちは私たちが思うよりもずっと優しくて純粋ですよ」
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