宇宙船地球号2021 R2

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第7話 006 東北ユーラシア支部地下通路B

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 眩暈がするほど薄暗い。アルミ板の隙間から漏れる光がなければ、おそらく何も見えなかっただろう。

 天井裏の狭い空間が俺の身も心も圧迫する。下からは廊下を鍵盤とした大人数の足音が奏でる擦れたような不協和音。それが耳元まで聞こえてくる。アルミ板を突き破って今にも同種の手が俺へと伸びてきそうだ。

 時折現れるダクトの隙間にはビル内の通路をふらふらと蠢く同種の姿。彼らは彷徨いながらも俺たちが発生させたずりばいの音を聞きつけると上へと顔をやった。

 目が合うと、こちらを襲おうかと両手を頭上にかざす。だが、届かないとみるとやがて諦めたかのように徘徊を再開した。背伸びくらいはするが、飛び跳ねようとする意志は感じられない。力はともかく知性レベルはあまり高くないようだ。

 俺の目の前には絵麻の細い足と形の良いお尻があった。先ほどから前方はほとんどこの光景で、前に顔をやると彼女の下半身の動きを眺める結果となった。
 
 誰も言葉を発さず、ただ服の擦れる音と同種が発生させた音が狭い通路の中に響き渡るだけ。
 
 時間が経つ毎に何も起きないような錯覚に陥りそうだ。
 俺はこの状況に慣れることを最も恐れた。
 それがまた、同種の突発的な奇襲に対処できない油断につながると思ったからだ。

 小一時間ほどすると、次第に同種のうめき声などは聞こえなくなって、俺の身体はふわりと狭い空間の中で浮き始めた。重力維持装置の影響範囲外にようやく到達したのだろう。
 前にいる絵麻はすでに壁を手で押して、進むスピードを速めている。俺も同じ動作をして、身体を前へとやった。

 大きなリビングルームほどの開けた場所へと到着した。四方は先ほど通ってきた通路を除くと深緑の壁だった。

 天井はかなり高く優に手狭いマンション一棟分のそれを超えていた。また、正面前方の壁三メートルくらい上に鉄板らしきものを打ちつけた形跡があり、その部分の色がやや濃くなっていた。

「おい、全員後ろに下がっていろ」
 最後の洋平がこの閉鎖空間に身体を入れた瞬間、八神がぼそりと言った。

 自身は壁を伝い上へと身体を持っていく。
 鉄板の前までたどり着くと、バッグから粘ついたガムのような個体をいくつか取り出した。次の動作で鉄板の四隅へとそれらを塗り付ける。

「まさか……」
 何かに感づいたのか、絵麻が青ざめた表情を見せた。

 作業を終えた八神は、指示通り通路の壁際に身を寄せ合っていた俺たちの元へと戻ってきた。
 彼の手の中にはいつの間にか小さなスイッチのようなものがあった。
 それを力強く握りしめたかと思うと、迷う様子もなく親指でそれを押す。

「や、やめなさい」
 と叫びながら、彼の行動を止めるためか、絵麻は八神が手に持つスイッチの方へと腕を伸ばした。

 鉄板の四方から突然火が噴いたかと思うと、すぐさま大爆発が起こった。
 火の粉や煤が俺たちの頭上へと大量に降ってきた。
 手でそれらを振り払っている間に火は鎮火し、先ほどまで鉄板だった場所に四角の穴が空いているのが見えた。

「こんなことをして、どうなると思っているの? あれはたぶんセントラルヒーティングシステムの仕切りよね。あんな取っ払い方をしたら、後で支部間の問題になるわ」
 絵麻が声を荒げて八神を諫めた。
「まあ、それはそれでいいんじゃないか。東北ユーラシア支部警備隊が俺たちを拘束してくれたら、少なくとも同種の被害からは逃れられる」
 と、返す八神。淡白な語調だった。
 まあ、その同種が逆に現れるかもしれないがな、とその台詞の後に付け加える。

 絵麻は何か言いたそうな素振りを見せたがすぐに口を堅く閉じた。
 この状況下で言い争いを続けることが不毛であることは誰しもがわかっている。やってしまったことを後悔する時間はまったくない。
 
 絵麻と八神はその後特段気にした様子もなく、爆破で形どられた通路への入り口へと向かって行った。残された俺を含めた他のメンバーもお互いに顔を少し見合わせた後、無言のまま彼らの背中へと続いた。

 大きな通路が現れた。

 両側の壁にはくまなく血がべっとりとついていた。その背景には、UnderGroundPassage・Bと書かれた文字が薄っすらと見えた。

「地下通路Bということは、AとCがあるということですね。Cは出口かもしれませんが」
 手で口を押さえ気持ち悪そうな表情をしながら美雪が言った。
「Cがあったとしたら、先はどこまであるかもわからないから、まずAを探すべきね。それが上の階なのか、区画を表しているのかは全くわからないけれど」
 絵麻が顔色ひとつ変えず顎に手を当てる。
「……Aから先は、おそらく地下通路の出口ということだね」
 どんよりとした空気を肩に背負いながら早野がそう補足を入れた。

 太い人差し指を長い通路の右側へと向ける。
 その先には標識があり、UnderGroundPassage・Aという文字と共に人が階段を上っているようなマークが見えた。

 俺たちは壁を蹴ったり手すりを掴んだりしながらその方角へと進んで行った。
 血が多少壁にひりつかず空間に浮いたままになっていることもあり、俺を含めた全員が持ち合わせのハンカチで口元を巻き、目にその血が入らないよう手を前にかざしていた。感染症であると断定できたわけではないが、できることはある程度した方が良い、という絵麻の意見だった。また、この通路はどこの壁を見ても血がついているが、不思議と死体はひとつも見当たらなかった。

 空調の風の流れで死体がどこかに流されたんだろうか。でなければ血しか残っていないこの状況に説明がつかない。

「おい、何か聞こえないか?」
 地下通路Aへと繋がる階段の前へ俺たちが到達した途端、洋平がそう俺に向けて訊いてきた。

 耳をすますと上の階からうなり声が小さく聞こえてくる。
 隣にいた芽衣がビクッと身体を小さく震わせた。
 その姿を見た俺は、ここまで来て後戻りをするのか? と自問した。

 俺たちが通った通気口の道は同種のいる場所にしか繋がっていない。
 存在は不確かだが、地下通路C側にはおそらく下へと向かう階段。そこに同種がいない保証はどこにもない。また、その先に出口がなければ永遠に地下にいるはめとなってしまう可能性もある。

 そこまで考えた俺は、ランボー・ナイフを腰から抜き出し力の限りその束を握りしめた。
 周囲を確認してみると、それぞれがそれぞれの武器を持ち、すでに臨戦態勢を整えていた。
 早野と芽衣もおそらく自作であろう釘打ち銃のネイルガンを手に携えており、それが同種に対しどれほどの効力があるのか疑わしいが、彼らなりに戦いの準備を終えているようだった。
 俺は息を大きく吐き、地下通路Aの階段へと身体を振り向けた。

「行こう」
 八神が俺たちに呼びかける。

 返事は誰もしない。だが、俺たちは先を行く八神の後を追いかけた。
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