幸せの温度

本郷アキ

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幸せの温度2


 いつもよりも一時間早く起きて、今日は弁当の準備をする。葉月の運動会に使うランチボックスを引っ張り出し、おにぎりは別でおかずを作っていった。定番の唐揚げに玉子焼き。
「あとは、カリフラワーとブロッコリー茹でて、野菜が足りないか。きんぴらも作ろっかな……」
 昨日のうちにある程度の下準備は終わらせていたけれど、まるで遠足前の小学生のように浮き足立つ気持ちが抑えられない。
 最近色々あっただけに、陽と葉月と出かけられるのは楽しみだった。それに、あの制服の一件以来、何もなかった。
 ハッと我に返り時計を見上げる。次から次へとあれもこれもと考えてしまって、時間ばかりが過ぎていく。
「あ……ヤバ、葉月起こさないと」
 窓の外を見れば、薄っすらと明らむ空がある。混雑を避けるために早めに家を出ると言っていた。もう起こさねばならないだろう。
 コンロの火を止めて、ある程度をランチボックスの中に詰めていく。出来上がった料理だけでも、弁当箱の中はいっぱいになった。あれもこれも入れる余裕はない。
 葉月の部屋を開ける。部屋は遮光カーテンがかかっており、中は真っ暗だ。まずはカーテンを開けて、太陽の光を部屋に入れた。
「ん……に、いちゃ……?」
 眩しかったのか、葉月がゴロンと寝返りを打ち薄っすらと目を開けた。
「おはよ……動物園行くんでしょ? そろそろ起きて」
「どうぶつえん!」
 保育園の時はなんだかんだと寝汚く、冬は特に布団から出すのも大変だ。しかし現金なもので、動物園と聞いただけで葉月はテキパキと支度を始めた。
「いつもこうだったらなぁ……兄ちゃん朝ご飯作っておくから、着替えて手を洗うこと」
「はあい!」
 ビシッと手をあげて、葉月は早朝らしからぬ声を張り上げる。このマンションがそこまで壁が薄いとは思えないから心配ないと思うが、睦月は人差し指を口元に当てる。
「朝早いから、シーだよ」
「はぁい……」
 葉月の部屋から一つ空けて続く部屋のドアが開いて、のっそりと陽が顔を出した。
 陽が起きるにはまだ早いが、葉月の声に起きたに違いない。昨夜も遅くまでキーボードを叩く音が聞こえていたから、疲れてはいないだろうかと心配になる。
「陽さん、まだ早いですけど……」
「いや、目覚ましておきたいから起きる。葉月の支度やっておくから、お前弁当作るんだろ?」
「はい、じゃあお願いします」
 葉月の部屋へ入るのを見届けて、睦月はキッチンへと戻る。弁当に入らなかったきんぴらといくつかの野菜を皿に盛った。
 あとはおにぎりを作ろうと、炊きたてのご飯を朝食用によそい、残ったご飯で手際よく海苔に包んで握っていく。
 陽は体格の割にインドアだからか、大食漢ではない。それでも大人の成人男性だ。睦月よりかはよく食べる。というか、睦月が食べなさ過ぎだと言われるが、自分の周りには陽を始め、荒地といった体格のいい男が多いからだ、きっと。
「兄ちゃん、手もあらったよ~」
 着替えが終わり、行く気満々にリュックまで背負い込んだ葉月が、手のひらを睦月に向けて、見てと言う。リュックを背負ったまま食べる気かと、苦笑が漏れた。
「綺麗になったね。でも、リュックは玄関に置いておいたら? ご飯食べられないよ」
「持ったままたべるから、いいの」
 ギュッと肩紐を掴み、離すまいとブンブンと首を振った。我儘ではないが、誰に似たのか頑固な葉月はこうなったらテコでも動かない。
 小さくため息をついて、仕方ないなと溢す。
「誰に似たんだろ……」
「お前だろ?」
「へっ?」
 テーブルに運ぶのを手伝うつもりなのか、陽がカウンター越しにほらと手を差し出した。
「お願いします……って、俺?」
 椀に入れた味噌汁を手渡しながら聞くと、そっくりだと喉奥で笑われる。
 自分のことをそんなに頑固だと思ったことはないが。
「あ、そういえば今日って車で行くんですか?」
 県内にある動物園は、車で一時間ほどかかるが、電車でもそう遠くはない。朝早いこともあって、混雑も避けられるだろう。
「そうだな……お前は、もう車平気か?」
 正直、帰りに葉月が疲れて愚図ることを考えれば車が楽だと思っていたが、先日に続いて陽の質問の意図がよくわからない。車酔いをしないことは、陽も知っているはずだが。
「平気……ですけど、こないだも言ってたけど、大丈夫ってどういう意味ですか?」
 テーブルについて、朝食を食べながら聞くと、陽は考える素振りを見せる。そんなに言いにくいことなのだろうか。
「一緒に暮らし始めたばかりの頃、お前車ダメだったろ?」
「え……そ、んなはずは……」
 陽の車に乗る機会が殆どないため、そもそも一緒に暮らしたばかりの頃車に乗ったという記憶も曖昧だ。睦月がわからないと首を傾げていると、陽が口を開いた。
「数年前まで、青のミニバンだったんだよ。大学のメンツでバーベキューやら何やらで荷物運ぶことが結構あったからな。健吾や那月ともよく出かけてて、うちと同じ車だとか言ってたな。その頃にも何度かお前とも会ったことあんだが、まあ覚えてねえよな」
 初めて聞く話だった。かなり仲は良かったと聞くから、小さい頃睦月に会っていてもおかしくはないが、その記憶はない。
 確かに、黒岩家の車は青っぽかった。小学生ぐらいの時、父さんの友達と出かけるんだとどこかにいった覚えはある。その時に陽と会っていたのだろうか。
 しかしその話が、どう車が平気がどうかに繋がるのかわからない。
「話し出すと遅くなるから、道すがらゆっくりな。取り敢えず食べて出るか」
「あ、はい」
 葉月は早々に食べ終わり、食器をキッチンへと片付けていた。睦月は食洗機へと洗い物を入れてから、エプロンを外し鞄を持った。
「葉月、トイレ行って、ハンカチとティッシュは忘れずに持ちましたか?」
「はぁい! 兄ちゃんは、おべんとうとすいとう、わすれずにもちましたか?」
「持ちましたよ、じゃあ行こっか」
 水筒をリュックの中に入れ、ランチボックスを手に持つとヒョイと横から伸びた手に荷物を取られた。
「俺が荷物持ちするから。葉月と手繋げないだろ?」
「ありがとうございます」
 マンションの地下駐車場に停めてある陽の車は、白のセダンだ。青い車に乗っている記憶はないから、睦月と暮らし始める前に買い替えたのだろう。
 特に疑問も持たず、葉月をチャイルドシートに乗せ助手席のドアを開ける。葉月が飽きないように子ども向けのCDをセットすると、昔よく聞いた童謡がスピーカーから流れ始めた。
 後部座席でご機嫌に歌う葉月は、朝が早かったため帰りにはグッスリだろう。
 車はゆっくりと動き始める。陽も見た目にそぐわず運転は非常に穏やかだ。
「お前らを引き取る手続きをする間……児童養護施設にいたの、覚えてるか?」
 視線は前に向けたまま、陽がポツポツと話し始める。少し声を潜めているのは、あまり葉月に聞かせたくない話なのかもしれない。
「はい……数ヶ月でしたけど、覚えてます」
「俺も、あんまり気が利く方じゃねえし、まさかと思ったんだけどな。お前らを迎えに行ったあの日──」


 八畳あるかないかという部屋が一つに、キッチンにお風呂とトイレ、それが黒岩家の城だった。
 洋服やおもちゃはあまり買ってもらえない。二人とも口には出さないけれど、うちはお金があまりないらしい。〝らしい〟というのは、睦月が小学校で流行っているゲームやおもちゃの類をまったく持ってないことを、同級生に冷やかされたからだった。
 おもちゃはないし、父は仕事、母も仕事で忙しい。けれど、たまにする家族でのお出かけがあるから良かった。
 睦月がお気に入りの青いピカピカの車に乗って、色々な荷物を積んで出かける。行き先はいつも違って、少し遠くの公園だったり、もっと遠くの公園だったり。母が大きなランチボックスにたくさんのおかずを詰めてくれるのを、見ているのが好きだ。
「お母さん、今日はどこ行くの?」
 お出かけの準備は万端とでもいうように、リュックを背負って玄関先で待っていると、早いわよと声がかかる。
「今日はね、お母さんとお父さんの昔からの友達と、お肉食べに行くのよ~しかも、奢りだし!」
「こら、那月! 陽にあんま甘えんなよ。あいつだって駆け出しなんだから」
 車の鍵を手に持った父が、母を諌める。睦月の頭には滅多に食べられない肉という言葉しかなかった。そう量が食べられるわけではないけれど、やはり嬉しい。
「わかってるわよ~でも、陽と充くんが言ってくれたんだもん。肉は全部買っておくから、子どもの飲み物だけ持って来いって。じゃ行こっか」
 母の差し出す手を握る。小学校二年生になって母と手を繋ぐのは正直恥ずかしいが、振り払うことも出来ず、友達が見てないところでならとその手を未だに取ってしまう。
「睦月はいつまで経っても、甘えん坊だなぁ」
「甘やかすのは健ちゃんでしょ?」
「仕方ない……だって、可愛いから!」
「まったくもう……」
 友達のお母さんよりも、若くて凄く綺麗らしい。これもまた友達情報で、睦月のお母さんは若くて美人でいいね、お父さんも格好いいよねなんて言われることがしょっちゅうだからだ。自分の母親が美人かどうかなんて、よくわからないが母が言うには睦月は父そっくりらしい。
 アパートの前の駐車場に停めてある車の後部座席に座る。母は父の隣に座って、時折睦月を振り返りながら三人で喋るのだ。
 今日はどこの公園へ行くのかなと、心が躍る。

 キラキラ輝く太陽みたい──。
 着いた場所は木がいつもの公園よりもたくさんあって、目の前には川が流れていた。大人たちが四人いて、子どもは睦月一人だ。母は絶対に川には入らないことと言い置いて、準備があるからと野菜や肉を持ってどこかに行ってしまった。睦月は父の近くで、落ちている石を拾って遊ぶことにしようとしゃがみ込んだ。
「お前が、睦月?」
 突然上から聞こえた声に顔を上げると、太陽に光るキラキラが見えた。
 父よりも母よりもだいぶ背の高いその人は、陽ちゃんと呼ばれていた。睦月がうんと顔を上げなければその表情を見ることが出来ず、つい爪先立ちになる。
「お兄ちゃんが、陽ちゃん?」
 睦月がふらふらと爪先立ちをしているのを見兼ねて、抱き上げられる。ギュンと高い場所に持ち上げられて、いつも見てる景色と全く違う光景に息を呑んだ。
「そう、お母さんたちから聞いたのか?」
「うん! お肉タダで食べられるって言ってた! お兄ちゃん、髪の毛キラキラしてて綺麗……ねえねえ、触ってもいい?」
「おい、健吾……お前子どもになんてこと言ってんだ」
「那月がポロッとな。いや、でも助かる。二人とも働いてると、なかなか普段ゆっくり過ごせないからなぁ。しかも、俺も那月も頼る親戚とかもいないし」
 父の話す内容は理解できなかったが、何だか大変そうだなとは思った。
「十六でこいつ産んで育ててんだ。立派だろうよ……那月もお前も」
「そう言ってもらえると救われるよ」
 遠くから健ちゃんと父を呼ぶ母の声がする。
「悪い、睦月見ててもらえるか? 準備は俺らがやるから」
「ああ、料理からっきしダメだし、頼む」
 残された睦月は、再び落ちている石でも集めて遊ぼうかと思っていると、陽が車から簡易椅子を出して広げてくれた。
「ありがとう」
 チョコンと座り、手に持っていた本が読めると陽に笑いかける。
「その本、家から持ってきたのか?」
 つまらなくなった時のために、家から何か持って行きなさいと母に言われ、選んだ本がこれだった。もう何度も読み過ぎてボロボロになった本は、ところどころをテープで補強しながら何とか本の形を保っていた。
「うん、これ、気に入ってるんだ。知ってる?」
「そりゃあな……それ書いたの俺だし」
 照れ臭そうに、鼻の頭をかいた陽がポツリと溢した。
「ええっ!? ほんとに?」
 睦月が持っている〝しあわせをさがしに〟という小説は、絵が一ページもなくて、端がホチキスで留められている。
 母から貰ってもすぐには開くことをしなかった。だって、絵がない本なんてつまらないと言えば、母はこの本を読み聞かせてくれた。
 小さな男の子が幸せを探す旅に出て、たくさんの動物に出会い、たくさんの幸せをもらいながら、自分にとっての幸せは何かと考える話だ。
 一番初めに出会うのは、ネズミさん。ネズミさんは何が幸せと男の子が聞くと「チーズを食べてるときかな?」と答える。「へえ、いいね」そう言うと、ネズミさんは男の子の小指のかけら程しかない小さなチーズを、さらに指で千切ってわけてくれるのだ。「キミにも幸せのおすそ分けだよ」と言って。
 男の子は、小さ過ぎて味のしないチーズを飲み込むと、確かに幸せを感じる。それはどうしてだかわからないまま「ありがとう」と言って旅を続けた。
 最後にお母さんのところに戻ってきた男の子は「お母さんは何が幸せ?」と聞いた。お母さんは笑って「あなたが笑ってくれてる時かな」と言った。
 男の子は「ボクもお母さんが笑ってくれてると幸せ」そう言って、動物たちから貰ったたくさんの幸せをお母さんへとあげた。

「これ確か、大学の頃に初めて書いた小説なんだよな。あいつ、まだ持ってたのかよ」
 懐かしそうに目を細める陽の視線が、睦月の持つ本に注がれる。
「ねえねえ、もっと書いてよ。陽ちゃんの書く本もっと読みたい。陽ちゃん大人になったら本を書く人になればいいのに!」
「あのな……小説家になんてなったって、食っていけるのは一握りなんだよ。俺の出してる本まったく売れてねえし」
「ひとにぎり? おにぎりのこと?」
 お腹が空いているのだろうかと、お母さんお握り持ってるよと言えば、ガクリと肩を落として項垂れる。何か変なことを言ってしまっただろうか。
「いや、何でもない。そうだな……いつか、またお前に読んでもらえるような小説を書くよ」
「うん! ぜぇーったいね! 約束!」
「ほら、お父さんとお母さんが呼んでるぞ。肉、食べるんだろ?」
 両手を広げた陽に抱きつくと、軽々と抱き上げられる。高い場所からは普段とは見える景色が全く違っていて、まるで風を切って空を飛ぶヒーローになったような気分だった。
「わぁ、高いねぇ! 陽ちゃんの髪綺麗~」
「睦月は随分陽に懐いたなぁ……人見知りが珍しいこともあるもんだ」
 父がそう言いながらパパのところにおいでと手を広げるが、睦月はううんと首を振って陽の膝へと座った。
「子離れ……寂しいなぁ」
「そういうもんか? 俺はまず彼女作るとこからだなぁ。結婚なんて夢のまた夢だよ」
「可愛いわよ~そりゃあ子育ても仕事も大変だけど、この子が笑ってるだけでいいのよねぇ。充くんもいつか分かるわよ」
「そういうもんか……確かに睦月は可愛いもんな。あ……俺追加の肉取ってくるわ」
「俺たちの車と陽の車同じだから、ナンバーが〝う〟なのが陽のだよ。そっちに肉入ってるから」
「ほんと、何で同じ車なんだよ」
「たまたまだろ」
 大人たちの笑い声を聞きながら、すっかり疲れた睦月は陽に抱っこされたまま眠ってしまった。気付いたら、いつもの見慣れた天井があって、布団に寝かされていた。

「睦月くん、葉月くんと一緒に二人を引き取ってくれるって人から連絡があったのよ」
 児童養護施設でそう告げられたのは、両親の葬儀から数ヶ月経った頃だった。
〝俺と家族になるか〟そう言ってくれたのを忘れていた訳ではないけれど、まさかという気持ちが大きい。
 2×××年に児童福祉法が改正され、収入がある一定以上で過去に前科のない者であれば誰でも子どもを引き取り育てることができるようになった。暴力やネグレクトによって、施設へ預けられる子どもが増える一方で、一生独身を貫くというケースも増え、子どもの引き取り手がなかなか現れない現状を改善しようと、法が改正されたのだ。
 しかし、その審査は厳しく、引き取り手の家庭環境や収入はもちろん、何時から何時まで家にいるか、子どもが病気の時仕事を休むことが出来るかなど細かなことまで調べられるという。だから、現実的には独身者に子どもを引き取るのは難しいと考えられていた。
 父と母の友達だという男の人。どうしてだか会ったばかりなのに懐かしく、思わず気が緩んで号泣してしまった。
 後から思えば、中学生にもなって恥ずかしい。が、たくさん泣いて吐き出して、スッキリしたのも確かだ。
(ほんとに、引き取ってくれるんだ……)
 ならばと、里親制度を提案したのはその直後だ。
 紆余曲折あって、何度か面談を重ねる内に、この人と暮らしたいと睦月の意思も固まった。
 しかし、施設に迎えに来た陽の車を見て、震えが止まらなくなったのだ。
「睦月? どうした?」
 ずっと、青い車だった。両親が葉月の病院から帰る時も、もう十年以上乗り続けた青い大きな車に乗っていた。ニュースで、警察で……無残にもトラックに潰された自分の家の車を何度も見た。
 あの中で、父と母が死んだのだとそう思ったら、急に怖くなった。
 児童養護施設で乗る白いバスは平気だったのに。ただ、同じ車だというだけで、両親がいなくなった日のことを思い出した。
「や、だっ……車、怖いっ!」
 睦月の言葉にハッと何かに気付いたかのように、陽が立ち竦む。足がガクガクと震える。重い身体を引き摺るように施設の中へと逆戻りし、入り口のドアをくぐったところで、意識はブラックアウトした。


「なんで……忘れてたんだろう……」
 ハンドルを握りながら陽の昔話を聞いていると、小学生の頃のことですら、鮮明に思い出せる。むしろ、あの陽ちゃんを自分の記憶で結び付けられなかったのが信じられない。
「で、レンタカー借りてもう一度迎えに行ったんだ。施設のバスとかは平気だったって話だったから。でも、また何かの拍子に思い出すかもしれないって思うと、あまりお前を車に乗せたくはなかった。那月と健吾のことを思い出すのはいいけど、事故のことはお前にとっては辛いことでしかないだろう?」
「っていうか、陽さんってあの時の陽ちゃん? なら、会った時に言ってくれれば……っ」
「いや、普通に覚えてると思ってたんだよ。でも、大人にとっての四年と子どもにとっての四年は違うよな。お前と会ったのは、小学校二年の時が最後だったし、俺も賞に応募したりで忙しくて、なかなか健吾たちにも会えなかったから。実は、忘れられてることにショックを受けたんだがな」
「う……ごめんなさい」
 素直に謝れば、色々あったからなと過去の出来事に思いを馳せるかのように陽が呟いた。
「前に乗ってた車が青いミニバンだったってことすら、忘れてた。事故のこと忘れたわけじゃないけど、当時テレビでやってた映像とかはもうあんまり覚えてないんです」
「それでいい。俺も聞けなかったからな、もし忘れてたら敢えて思い出させることはないだろう、って」
「聞けてよかったです。ずっと、どうして陽さん車あるのに、出かける時は電車なのかなって思ってて。それに、田ノ上さんの車で帰って来た時も、不機嫌だったから」
「それは……単純にあいつの車の助手席に座ったのかと思って、ムカついただけだろ」
「えっ……」
「密室じゃねえか」
 拗ねたように言われて、顔が赤く染まっていく。後部座席に座っている葉月も、難しい話は終わったと気付いたのか、身を乗り出して話に加わった。
「陽ちゃん、やきもつ~?」
「葉月、それを言うならやきもち、じゃない?」
「そうそう、嫉妬とも言う。こっちが怖くて乗せるの我慢してんのに、好きな相手はホイホイ他の男の車で家に帰ってくるんだからな……って、そろそろ着くぞ。葉月上着着ろよ?」
 暖房のついた車の中は暖かいが、外はかなり寒い。これでも一月にしては気温は高い方だと言うのだから、毎年のことながら慣れるものでもない。
 動物園には小さな水族館もあり、この寒さにあまり動物が見られないようだったら、そちらへ移動しようと陽と相談していた。
 正直、寒い中弁当を持って歩き続けるのは辛いものがあるし、あまり奥まで行ってしまうと戻るのにも時間がかかる。園内を走るバスは一時間に一本、計画的に行動しないと寒空の中歩いて戻ることになってしまうのだ。
「葉月、レッサーパンダとあとは何が見たいの?」
 上着を着て、楽しみなのか足をバタバタさせている葉月に振り返りながら聞いた。
「えっとね~キリンさんと、ゾウさん!」
「じゃあ、アジアの植物、動物たちエリアから、アフリカのサバンナエリア辺りかな……端から端だから、園内バスに乗らないとですね」
 園内マップを見ながら陽に告げると、ちょうど車も動物園の駐車場へと入って行くところだった。
 朝早く出たおかげで、まだ停まっている車も疎らだ。
「少し早めに飯食う場所確保しとかないと混むかもな、葉月も歩き疲れるだろうし」
「持ち込み可能な室内のスペースがキリンの近くなので、アジアのエリア見たら園バスに乗ってすぐに向かいましょうか」
 郊外だけあって、動物園は相当広い。門は二箇所あり、正門から北門までの距離は直線で約五キロだ。ゾウからキリンまでも同じだけの距離がある。ところどころに休憩するスペースはあるが、五歳児に歩ける距離ではない。
 歩く気満々といった葉月の手を握り、正門へと向かう。チケットを三人分購入し門を潜ると、寒いせいかあまり歩いている人はいなかった。
「真っ直ぐ行くとゾウさんいるよ」
 アジアエリアというゾウの看板に書かれた場所を指差すと、葉月がグイグイと陽と睦月の間に入り両方の手をはいと差し出した。どうやら、手を繋げということらしい。
 いつもなら三人並んで歩くと危ないからと、睦月が葉月と手を繋ぐようにしていたが、園内は広いし人も少ない。今日ぐらいはいいか。
「はやく、いこ」
「走ったら危ないからね」
 グイグイと引っ張る手を離さないように、時々そっちじゃないよと言いながら、目的地へ向かった。その間にも猿やライオンといった動物がいる。
「あれ、ライオンさんだよ、葉月」
「おっきいねぇ~どうして、かみの毛があるのとないのがあるの?」
 檻のそばに寄り、怖々としながらもタテガミのあるライオンを指差した葉月が、陽を見上げて聞いた。
「あれは髪の毛じゃなくてタテガミな。タテガミがあるのが雄のライオンだ」
「おす?」
「性別だ。男のライオンってことだよ」
 首を傾げる葉月に睦月が補足する。
「あのライオンさん体重百五十キロもあるんだって、大きいね」
「ヒャクゴジューきろ?」
「陽さんが二人分ぐらいかなぁ? 葉月だと八人分ぐらいだね」
「はちにんぶんっ!」
 大袈裟にあんぐりと口を開けた葉月に苦笑が漏れる、何とも五歳児らしい可愛さだ。
 途中でレッサーパンダの檻を見たが、寒さのせいか岩の陰に丸まって眠っていてよく見えなかった。
 時計を見ると、そろそろ園内を走るバスが近くに停車する時間だ。
「葉月、シマウマさんのバス乗りたくない?」
「しまうま!?」
 目をキラキラと輝かせて、うんうんと頷く葉月の手を引いて、バス停へと向かう。並んでいる客の姿もあったが、全員が座れる程度の人数だ。程なくして到着したゼブラ柄のバスに葉月は大興奮し、微笑ましい光景に一様に笑いが溢れる。
 この調子で歩いていれば、そう寒さも感じない。葉月も興奮状態なのかよく歩いてくれる。水族館はまた今度かな、と園内バスに乗り込んだ。
「しまうまさんが走ってるよ~」
 たまたま二つ並びの席が空いていたため、葉月を陽が膝に乗せて窓際に座り、睦月は通路側に座った。
 バスに揺られているとふわっとあくびが溢れる。朝が早かったため、バスの揺れが心地よく眠気を誘う。つい、ウトウトと目を瞑り始めると、腰を引かれ陽の肩に倒れこんだ。
「よ、陽さんっ?」
「朝早かったからな……爆睡されたら困るけど、目瞑っとけ。疲れただろ?」
(そ……そんなことされたら、余計にドキドキして、眠気も吹っ飛ぶんですけど……っ)
 睦月と同じ洗剤に、同じ柔軟剤を使っているはずなのに、陽の首筋からふわりと香るのは自分とは少し違う石鹸のように爽やかな香り。目を瞑り、眠っているフリをして少しだけ鼻を近付けた。
 ツンと鼻が当たる。唇が触れそうで、触れない。多分、吐息はかかっているだろうが、陽はそんなの気にもしないだろう。
 ドクドクと高い音を立てて鳴り続ける心臓を収めようと、コートの上から胸元をキュッと掴んだ。
「あんまり、可愛いことするなよ。襲いたくなる……」
「……っ」
 耳元に寄せられた唇が、先ほどの仕返しなのか耳を微かに掠める。ピクリと反応したことに、陽の口から小さく笑いが溢れた。
 きっと、睦月の顔は真っ赤だろう。クツクツと面白そうに、口角を上げる陽は何だか余裕で面白くない。
(眠れる……はずなんかないじゃん……っ)

 サバンナエリアにある屋内スペースで昼食を食べ終わり、一番近いキリンを見に行く。三キロは歩いただろうか、少し疲れた様子を見せていた葉月も、再び明るく弾んだ声でこっちこっちと睦月と陽の手を引いていた。
 キリンはかなり遠かったが、高い木の葉を食べているところが見られて葉月は満足そうだ。
「あ、葉月! こっちにもライオンいるみたいだよ。アフリカに住んでるライオンさんかな?」
「ライオンさん、さっき見たよ?」
「さっきのライオンさんとは違う種類みたいだね。タテガミがさっきのより長いみたい」
「こっちのライオンさんも大きいねぇ」
 オカピ、チーター、チンパンジーとエリア内の動物を見て歩くと、徐々に葉月の歩調が遅くなっていく。さすがに歩きっぱなしで限界なのだろう。
 バスに乗りながら園内を移動しているとはいえ、動物の檻から檻へと歩いていれば、数キロにも及ぶ。もう歩けないと愚図ったりはしないが、限界まで頑張ってしまうために、突然スイッチが入ったのかのように泣き出すことはあった。そろそろ抱っこしてあげた方がいいかもしれない。
「お前はこっちな」
 突然空になったランチボックスのバッグを手渡される。作った弁当は全て胃の中に収まったため重くはない。
「陽さん?」
 眠たそうに目を擦る葉月の身体をヒョイと抱き上げ、バス停を指差した。
「土産買って、と思ってたけど葉月が限界だろ? そろそろ帰るか」
 正門駐車場行きのバスはちょうど十分後に到着の予定だ。停留所のベンチに座って、陽に抱っこされた途端にスヤスヤと眠ってしまった葉月の寝顔を見つめる。
 スピースピーと全く起きる気配なく寝息を立てる葉月は、このまま車に乗せても家まで起きはしないだろう。
「お前が、車大丈夫なら……もっと出掛けるか。これからは」
「いいんですか? ふふ、っていうか……陽さんの中に電車で出掛けるっていう選択肢はないんですか?」
 睦月を気遣いあまり車で出掛けなかったという理由はわかったが、それならば電車で出掛ければいいのに、と思うと笑いが止まらない。別に睦月は、電車だろうと車だろうと、陽と葉月と出かけられるのであればどちらでも構わない。どちらだって、楽しいに違いないのだから。
「電車は、面倒くせえんだよ」
「陽さん背高いし、ドアんとこ頭ぶつけますからね」
 百八十を超える身長では、自動ドアや電車のドアよりも頭が出てしまい、いちいち腰を屈める必要があり大変そうだ。慣れずに頭を何度もぶつけそうになっている陽も、実は可愛いなと思ってしまうのだが。
「別に、んなことじゃねえよ。ただ……車のがお前に触れるだろ?」
 こうやってと、空いている手で頬を撫でられる。ほんとにこの人は、わざとこういうことをしているのだろうか。いちいち、反応してしまう睦月を揶揄っているみたいだ。
 触れられるたびに、胸が轟く。全身の神経が熱を持ち、触れられた場所からジワリジワリと広がっていく。
「怒ったのか?」
 黙ったまま話せないでいる睦月に、機嫌が悪くなったと思ったのか、幼子をあやすように甘い言葉の波が押し寄せる。
「睦月、こっち向けよ」
「お……怒ってないです。あ、バス来ましたよ」
 乗って来たバスと同じ、ゼブラ柄のバスが停留所に停まった。これ以上あんな声で囁かれたら、どうにかなってしまいそうだった。こっちの身にもなって欲しい。本当はもっと触って欲しいだなんて。
「陽さん、帰りも運転するんですから……葉月の抱っこ変わりますよ?」
 五歳児とはいえ、十八キロある葉月をずっと抱っこしているのは相当疲れるだろう。
「たまには俺にも子育てさせろよ。お前もな、もうちょっと甘えてもいいんだから」
 くしゃりと撫でられた頭を引き寄せられて、座席に座った陽の肩へと頭が乗る。目の前には目を瞑って眠る葉月の顔があって、去年まで一緒に寝ていたのを思い出した。
 まだ、陽と共に過ごすことに慣れずに、迷惑をかけてはいけないとばかり考えてた。俺も一緒にと言って夜中の葉月のミルクを手伝ってくれようとする陽を断って、夜中三時間置きのミルクを作りにキッチンに立った。
 ふぇっと小さく泣く声にすら起きてしまい、眠れない夜を過ごしたこともある。翌日は学校なのに、睡眠不足のまま学校に行き荒地に酷い顔をしてると言われた。
 多分あの頃は、陽もどこまで踏み込んでいいか手探りだったのだろう。そんな生活が一週間も経った頃、今日は俺がやるからお前はちゃんと寝ろと言って、葉月を自室へ連れて行ってくれた。
 三人で寝ようなんて、お互いに言えなかった。
(でも、今なら平気かも……)
 たまには一緒に寝ませんかと言ったら、どんな顔をするだろう。ああ、でも一緒に寝たら、耐えられなくなってしまう。はしたなく、お願い触ってなんて言葉にしてしまいそうだ。
「こら、今は寝るなよ? さすがにお前ら二人は俺にも運べねえからな」
 気付けば目を閉じていた。確かに疲れてはいたが寝ていたわけではない。しかし、懸想していました、なんて言えまい。
「起きてますよ。あ、陽さん……今日の夜ご飯何にします? 帰り買い物して帰りましょうか? お弁当に結構使っちゃったから、あんまり材料ないかもなんで」
「今日ぐらい作らなくていい。たまにはサボったっていいんだよ。どっかで食って帰ったっていいし、適当にデパートで惣菜とか買ったっていいだろ?」
 案に無理はするなと言われている。睦月にとって家事をすることは無理でもなんでもなく、美味しいと言ってくれる人のためにしてあげたいことなのだが、確かに身体は疲れていた。
「お前は、何が食いたい?」
「俺……ですか?」
「葉月はこれが好きだから、陽さんはこれが好きだからじゃなくて、たまには自分のこと考えたっていいだろ?」
 これじゃあ〝兄ちゃんのご飯はなんでもおいしい〟と言っていた葉月と同じだ。長年染み付いてしまった癖なのだろうか。
「結構、自分のことばっかりですよ……俺」
「お前の頭の中は、殆ど葉月のことだろうよ」
 そう、今までは葉月のことばかりだった。葉月が両親がいないことで虐められたりしないだろうかと心配だったし、寂しい思いをしていないかと気掛かりだった。陽に対しての感謝の気持ちももちろんあったが、日々考えることはどうやって葉月を一人前の大人にするべきかということで。
 なのに、最近では頭のほとんどを占めているのは、陽のことばかりだ。
 ちょっとしたことで、胸がザワザワと落ち着かなくなったり、気分が高揚したりする。これが恋なのだと理由はわかりきっているものの、解決策は見つからない。ずっと、こんなに気持ちが浮かされてムズムズしたままなのか。
「今は違います……」
「へえ……何? 俺とのこと、とか?」
 周りの乗客には聞こえないように、低く声が潜められる。
 羞恥が激しく込み上げて、身体中の血液が沸騰しているかのように熱い。言い当てられたことによる恥ずかしさなのか、陽の表情が妙に艶気を含んでいるからなのかも不明だ。
「も……陽さん揶揄ってばっかりだから、嫌です。俺なんて、全然余裕ないのに」
「それぐらい、許せよ。余裕ぶれるのが大人の特権だろ」
 クッと声を立てて笑う陽の機嫌はすこぶるいいようだ。それが、睦月の言葉によるものだったらどんなに嬉しいだろう。
 バスが正門に到着し、葉月を抱き上げても起きる気配は全くなかった。バスを降りて駐車場へと向かう。ちょうど帰る人々で、正門は混雑を見せていた。駐車場を出る車も出口まで並んでいる。
 睦月たちも車に乗り込んで、動物園を出る。出口こそ混んではいたが、道は空いていて行きと同じようにスムーズに走ることが出来た。
「明日……」
 あ、と思い出したように陽が口を開く。
「明日?」
「ああ、ちょっと充んとこの出版社で打ち合わせがあってな。帰り迎えに行けない」
 明日からも迎えに来るつもりだったのかと驚いた。陽がそう暇じゃないことはよくわかっているし、心配してくれているのも知っている。
「迎えなんて……ほんとにいいですよ。大丈夫です」
「何かあったら、どうすんだよ……明日は、なるべくお前の友達、荒地つったっけか、そいつと帰れよ」
 毎日何かを盗られたり、視線を感じたりしているわけじゃない。荒地も部活で忙しいからとそう言えば、他の友達はと聞かれた。犯人が内部の人間にしろ外部の人間にしろ、睦月が信頼できる友人は荒地と杉崎だけだ。他のクラスメイトとも話すことはあるが、上辺だけの会話しかした覚えがない。
「誰か、別の人と駅までは帰るようにしますから、大丈夫です」
 別の人なんてあてもないのに、陽を安心させるためだけに嘘をついた。
「何かあったらすぐ連絡しろよ」
 納得した風ではなかったが、渋々といった様子で陽が引き下がる。高校生にもなって、家まで友人に送ってもらえという話にも無理があるかと悟ったのかもしれない。
「陽さん……」
「ん?」
「心配してくれて、ありがとうございます」
 葉月も寝ているしいいかと、陽のハンドルを握る腕に頭をコツンと乗せる。たまには、俺の頭も撫でてなんて──恥ずかしくて言えないけど。
 頭上からフッと息を漏らす声が聞こえる。子どもっぽ過ぎて呆れられたかと、陽を仰ぎ見れば信号待ちで止まった隙に、唇が重なった。
「ん……っ」
「これでもなけなしの理性かき集めて我慢してんだ……あんまり煽るなよ?」
「我慢なんて、しなくていいのに」
「へえ」
 琥珀色の陽の瞳がチリっと燃えるように妖艶に光る。このまま頭から食べられてしまうんじゃないかと、背筋がズクリと重くなった。

 帰り道の途中にあるレストランに寄り、グッスリと眠ったままの葉月を起こす。入ったことはなかったが、洋風の小さな建物で、古民家風の造りだ。
「ほら、ご飯食べるとこ着いたよ。そろそろ起きよ?」
「んん~に……いちゃ?」
「おいで」
 チャイルドシートから下ろし、まだ寝ぼけている葉月を抱き上げる。眠そうに目を擦りながら、睦月の身体にしがみ付くまだまだ小さな弟が愛おしくてならない。
 まだ五時前という早い時間だからか、店内の客はまばらだった。何人かの従業員と、老齢の夫婦で営んでいる店らしい。
 店員に案内され、窓際の席に腰を下ろす。外食するのは随分久しぶりだった。
「陽さん……明日、田ノ上さんのところって言ってましたけど、ご飯はどうします? 田ノ上さんも来るなら、準備しますけど」
「多分来るだろうな。五時くらいには帰るから頼めるか?」
「はい」
 メニューを広げて何にしようかと、また船を漕ぎだしそうな葉月を見る。
「葉月はこのお子様ランチにする?」
 昔ながらの旗が立ったお子様ランチを指差して聞くと、寝起きでやはりあまりお腹が空いていなかったのか、興味なさげにうんと頷く。
 これはあまり食べずに残すパターンだなと考えて、じゃあ葉月と分けられるものをとメニューを見直す。
「いいから、お前はお前で頼めよ。葉月が残したら俺が食うから」
「ボクのこさないもん」
「はいはい、残さないもんな。じゃあ頑張って食べようね」
 プゥッと頬を膨らませ、食べれるもんと拗ねる葉月を宥める。ふと、いつもピザやらハンバーガーやらに齧り付く荒地の顔を思い出して、たまにはジャンクフードもいいかもしれないなんて考える。
「俺、ピザにしてもいいですか?」
「兄ちゃん、ピザ? ボクも食べたい~」
「はいはい、たまにはね。葉月にもあげるから」
「たまーに、ジャンクフードって食いたくなるよな。適当に二、三枚頼めばいいか」
「陽さんもピザでいいんですか?」
 睦月が作るのは健康を考えて和食が多かったが、陽も葉月もたまには洋食が食べたいと思ったりするのかもしれない。今度は洋食のレシピもなるべく勉強しよう。
「いいよ、たまにはな」
 陽が店員を呼んで注文を済ませた。十分経たずに運ばれて来たお子様ランチに葉月は満足げに頬を緩め、ご飯に刺さっていた旗を持ち帰ろうとポケットに入れた。
「葉月……兄ちゃんそれちゃんと洗ってあげるから、帰ったらポケットから出してね」
 葉月は大事なものをすぐポケットにしまう癖があり、睦月からしてみればゴミに見えるものでも、大事そうにポケットにしまっている。しかし、そのまま取り出すのを忘れて洗濯してしまい、あとで泣く羽目になるのだ。
「はぁい」
 口をもぐもぐと動かしながら、五歳児にしては行儀よく口に運んでいく。
 程なくして運ばれて来たピザは、想像していたよりも大きくて睦月は二ピース食べて満腹になってしまった。
「こういうの食ってると、普段どれだけ美味いもん食ってんのかわかるよな」
 陽がポツリと溢すと、葉月もうんうんと頷いた。面映ゆい気持ちで心が幸福感に満たされる。生地から練って作ってあるピザは、凄く美味しかった。けれど、睦月を想ってそう言ってくれる二人の気持ちが何よりも嬉しい。
「兄ちゃんのごはんの方がおいしいもんね」
「ほんと?」
「嘘ついてどうすんだよ。なあ、葉月?」
「うん! ボク兄ちゃんのごはんがいちばんすき」
 レストランの店内での会話にしては失礼かとは思うが、緩む口元が抑えられない。これだから、多少疲れていても家事が苦ではなくなるのだ。美味しいと言ってくれる人がいて、無理をするなと心配してくれる人がいる。なんて幸せなことなのだろう。
 油断すれば潤みそうになる目に力を入れて、三枚目のピザを無理やり咀嚼する。

 ベッドに入り目を瞑る。身体は疲れているはずで、眠気もある。なのに、いつまで経っても眠ることができない。
 睦月はベッドから身体を起こすと、枕元に置いてあるスマートフォンで時刻を確認した。すでに深夜零時を過ぎていて、朝食の準備を考えるといつもならとうに深い眠りに落ちている時刻だ。
 陽はもう寝ているだろうか。いつも睦月の方が早く寝てしまうから、陽が一体何時頃に寝ているのか、実はよくわかっていない。眠る直前までキーボードの音が聞こえてくるのが常で、その音を聞きながら眠りにつく毎日だ。深夜まで仕事をしていて、朝起きてこれないこともあるし、かなり遅くまで起きているのではないかと思っているが。
 隣の部屋で一人で寝ている葉月を起こさないように、自室のドアをそうっと開ける。
 シンとした部屋の中は、スリッパの足音すらよく響く。軽蔑されはしないだろうかと、ドクドクと心臓が嫌な音を立てた。
 もし寝ていたら気付かれないようにと、小さく陽の部屋のドアをノックした。微かにコツッという小さな音を立てる。
 暫くしても部屋の中から音は聞こえなかった。やはりもう寝てしまったのだろうかと、ホッとしたような残念なような複雑な気持ちだ。
 眠れないけれど、目を瞑っていたらそのうち眠りは訪れるだろう。自室に戻るべく踵を返すと、目の前のドアが急に開けられた。
「睦月?」
「うわっ」
 シッと人差し指を立てられて、両手で口を塞ぐ。
「なんでお前が驚くんだよ……どうした? まさか、夜這いでもしてくれたのか?」
 それはないかと声を潜めて笑う陽に、聞こえるか聞こえないか程度の声色で、そうですけどと答えた。
「俺が……夜這いしたらおかしいですか?」
「意味、わかって言ってるか?」
「わからないほど、子どもじゃありません」
 そう告げた瞬間グイッと手を引かれ、部屋のドアが閉められた。初めて入るわけでもないのに、真っ暗な部屋の中のベッドの影が視界に入ると身体が強張ってしまう。
 ベッドの上にあるランプの明かりが灯り、パジャマ姿の陽がベッドに腰掛けたのがわかった。無言で手を引かれ、睦月も隣に腰掛ける。
 煩いぐらいに鳴り響く心臓の音が、より気持ちを落ち着かなくさせる。触れられる怖さや未知の経験による恐怖より、陽に受け入れてもらえなかったらという怖さがある。
「何か、喋ってください……」
「ん? お喋りなんか必要ないだろ。ほら、こっち向いて」
 グッと顎を持ち上げられて、すぐさま唇が重なった。待ち侘びていたかのように、己の身体が嬉々として震えるのを実感する。
「はぁ、ん……」
 陽の体重がかけられて、気付くとベッドに仰向けになっていた。下唇をなぞりながら啄むように優しく、ネットリとした舌が睦月の唇を這った。
 同じボディソープを使っているのに、自分とは違う石鹸の匂いに酩酊しそうだ。陽の肩に付きそうに長くなった後ろ髪に指を差し入れ、サラサラと流れる髪の感触に夢中になった。
「ふっ……む……んっ」
 キスの刺激だけで緩く持ち上がった性器は、パジャマの中で蜜を垂らし直接的な快感を待っている。睦月に覆いかぶさっている陽にはバレバレだろう。なんだか悔しくて、太ももを持ち上げ陽の足の間を膝で刺激する。
「睦月……こら、悪戯すんな。つうか、どこで覚えてくんだよそんなの……他の男からとかだったら監禁するぞ」
「そんなわけないじゃないですか。でも……いつも余裕綽々って感じの陽さんが、俺のこと欲しがってくれてたらいいなって、思っただけです」
「余裕なわけないだろ。恋人が十代だぞ、んなもんやっぱ女の方がいいとか思うこともあるかもなって、色んな覚悟が必要なんだよ。三十代のマジな恋愛と十代の移ろいやすい色恋とは違うだろうが……特にお前の目にはフィルターがかかってるしな」
「フィルター? 何のですか?」
「孤児になるところを助けてくれた優しい陽さんフィルターだよ。特にこっちはお前のこと小学生のチビの時から知ってんだぞ。どれだけ健吾たちに申し訳ないと思ってるかわかるか?」
「じゃあ、ずっと罪悪感を持っててください。そしたら、陽さん俺から離れられないでしょう? 離れてやる方が幸せだとか考えないでくださいね……もうダメですよ、一度引き取るって言ったんだから、捨てないで」
 正直陽の言うことはよくわからなかった。十代と三十代の恋愛がどれほど違うのかなど、想像もできない。ただ、睦月はこの恋が一生ものだと思っているし、陽が両親への罪悪感に縛られているならそれでもいい。むしろ処女でも何でも奪って、離れられなくして欲しい。
「お願いだから……捨てないで」
 陽の首にギュッと抱きつけば、愛おしげに抱き返される。逞しい腕の中で満たされていく心は、不安でいっぱいだったあの頃とは違う。
「ああ、お前が要らないって言っても、返品交換できないからな」
「するわけないじゃないですか。ね……陽さん……触ってもいいですか?」
 話しながらも膝を微かに揺らし刺激していた陽の下肢は、すっかり昂りを見せていた。返事を聞く前に手を伸ばし、パジャマの上からそろりと撫でる。ピクッと動いた固くしなった性器の陰茎をなぞり上下に動かすと、もどかしげに陽の腰が動く。
「……っ、残念だけど……今日は触りっこだけな」
 覆いかぶさった陽から苦しげに息が吐き出される。陽の大きな手のひらが睦月の性器を同じように包んで、快感を与えるべく動かされる。
「ど、して?」
 最後まで触って欲しいのに。本当の意味で陽のものになりたいのに。不満を露わに口を開く。
「明日、学校だろ……お前のこと抱いたら、一回じゃ終わらせられない。丸一日立てなくなりたいか?」
「それでも、いいのに……」
 本当にそれでも良かった。陽に愛してもらえるなら、多少の痛みなど何でもない。
「学校は大事。大人になったお前に後悔させたくないんだよ、俺は」
 だから触らせろ──なんて言われたら、もう何も言えない。触れることはしてくれるんだと安堵する。
「あっ……ん、はぁっ……陽、さん、気持ちい?」
 互いに布ごしじゃ足りなくなって、パジャマをずり下ろし性器を露わにした。手の中にある睦月よりも遥かに大きい性器からは、トロリと先走りが流れ落ち陽の快感を伝えていた。
「ああ、睦月……もっと擦って」
 室内には荒い息遣いとクチュンクチュンという水音が立っている。唇が重なり、陽の舌が口腔内を這い回る。ジュッと荒く吐く息すらも飲み込まれて、もう快感を解放させたくて堪らなかった。
「ん、ん……っ、で、ちゃう……あぁっ、や」
「イヤ、じゃないだろ?」
 手のひらが睦月の陰嚢を包む。柔く緩々と揉みながら、陰茎を擦られるとグッと腰の下から何かが這い上がるかのように、本能のままに腰がガクガクと揺れる。
「や、なのっ……で、たら……終わっちゃ、う」
 睦月が達したら、陽が達したらこの時間が終わってしまう。快感に弱い自分の身体を何とかすることは出来ないけれど、まだ自分の部屋に戻りたくはなかった。
「睦月……これで、終わりじゃねえだろ。これから、ずっと一生俺といるんだから」
 まるでプロポーズだ。それだけで高みに昇りつめそうになるのを、何とか堪える。
 ギュッと強く性器を握られて、濡れた亀頭をグリっと指で押された。強い刺激に堪らずに、身体が仰け反り腰が震えた。
「あっ、あっ……ダメ、イク、もっ……出る、からっ」
「……っ、く」
 吐精する瞬間、陽の性器をも強く掴んでしまい、重なった太い陰茎がビクンと大きく震えた。二人分の精液が混ざり合い、仰向けに寝る睦月のパジャマを汚す。
「汚れついでに、もうこれ脱げ」
 プチプチとパジャマのボタンを外されて、オレンジ色のライトに白皙の肌が照らされた。同じように陽も着ていた黒のパジャマを脱ぎベッドの下に落とした。
「もうちょっと、触っていいってことだろ?」
「っ、触って……くれるんですか?」
 愉悦の波が過ぎ去るのを待って、とろんとした目を向けながら答える。陽の男らしい喉仏が上下に動くのをぼんやりと見つめ、嬉しいと手を伸ばす。
「お前はほんと、どこもかしこも可愛くて、綺麗だな」
 可愛いなんて、葉月じゃあるまいし男が言われて嬉しい言葉ではないが、陽にそう言ってもらえるならそれでもいいかと思った。可愛いところで陽の気を引けるなら、身体の相性で愛してもらえるなら、なんだっていい。
「陽さん、好き……大好き。だから……いっぱい、触って?」
「俺のなけなしの理性を崩そうとすんなよ……ったく」
 べっとりと体液に濡れた手で、ピンとそそり立つ乳首を捏ねられる。
「あっ、ひゃ……」
「お前は、こっちも感じれんのかよ。つうか、いい大人でいんのやめたくなってきた」
 クチュと色付いた実が熱い口内に含まれる。唾液と精液を絡めながら、ザラリとした舌が立ち上がる乳首を刺激した。堪らずに腰を捩れば、再び屹立した陽の性器が、腰に押し付けられた。
「おっ、ぱいも……気持ち、い……っ。ま、た、おち、ちん濡れちゃう、からぁ」
「……っ、だからエロ過ぎだっつーの。余裕なくなるから……ちょっと黙れ」
 胸元で喋られるだけで熱い息が乳首を掠める。それすら快感となって、ビリビリと電気のような刺激が背筋を走った。
 乳首を這っていた手はそのままに、クルリと身体を反転させられて睦月は陽の匂いのする枕に顔を埋めた。
 腰を高く抱えられ、開いた足の間が陽の前に晒されていると思うと、居た堪れなさで身体が竦む。
「この、格好……っ、や」
「今日は本番はしないけど……練習だけな。触っていいって、言ったよな? 睦月」
 確かに言ったのは自分。男同士がどこを使うか知らないわけじゃない。けれど、初心者なんだから布団を掛けるとかと考えていると、ヌルリと濡れた何かが後孔に触れ、身体が震えた。
 しかし、孔には入らずそのまま滑るように睦月の陰嚢から陰茎までを擦る。
「あっ、ん……ひぁ」
 二つの昂りが擦られ合う。陽の屹立した性器がスライドする度にクチュンクチュンと卑猥な音が響く。
 固く閉じられた後孔に自分とはサイズも太さもまったく違う性器の先端が擦り付けられ、そのまま尻の割れ目をなぞるように何度も行き来した。谷間にピタッと嵌った性器が先ほどの体液の助けを借りて、まるで擬似セックスのように腰が動かされる。
「おし、り……気持ち、い……っ、おちん、ち……も触って」
 快感に従順な身体は、陽の性器を挿れられたらどうなってしまうのだろう。今でも、もうぐずぐずになって、頭がぼうっとして何を口走っているかすらわからないでいるのに。
 覆い被さった陽の手が、睦月の乳首を撫でる。触れて欲しいところには触れてもらえず、ポタポタと先走りだけがシーツに染みを作った。
「やぁ……擦って、よ……手で、グチュグチュって、して」
 尻の間で揺れる性器の動きが一層早まる。同時に、陽の両手が強く乳首を抓み、捏ねたり引っ張ったりと快感を与えようとしていた。ジンジンと痛いほどに抓まれた乳頭はぷっくりと腫れ上がり、いつしか快楽を感じるようになっていく。
「あぁっ、な、んか……お、っぱい、で……出ちゃう……イ、ッちゃう、あぁっ」
 触れられもしないのに、腹部につきそうなほどそそり立った性器がビクンビクンと震え、背中に温かい体液がかかった瞬間、睦月も今まで感じたことのない激しい絶頂の波を味わっていた。
「あっ、あ……出ちゃっ……触ってないのに……っ」
「乳首でイケたな」
 グッタリと身体を枕に預けながら呼吸を整えていると、背後からギュッと強く性器を掴まれた。
「やぁっ……ま、だイッた、ばっかだからぁ……ダメ、おねが……」
「気持ちよく、してやるから」
 無理やり亀頭をグリグリと弄られ、待っていた直接的な刺激だけれど達した直後の敏感な身体には痛いほどだ。ブチュグチュ、と耳を塞ぎたいほどの淫猥な音が下肢から響く。膝で身体を支えていることすらできずに、崩れ落ちそうになる腰を陽に支えられた。
「あぁっ、ダメっ! なん、か……また、でちゃう。やっ、やぁ……よ、さん、イクっ」
「本当……可愛過ぎだな。お前は」
 陽の手の中で、再び性器がビクンビクンと大きく震え、吐精とは異なるもっと大きく深い快感に堕ちていく。
「はぁっ……はっ、ん……や、まだ……出てる。や、とまんなっ」
 ピュッピュッと透明な体液が、性器の先端から噴き出していた。怖いほどの快感に、生理的な涙が溢れ落ちる。嫌だ、こんなにいやらしい身体の自分を、陽はどう思ってるのかと顔を見るのが怖い。
 小刻みに震え続ける身体を支えていた陽の手が離れていく。腰が重く起き上がることが出来ずに、喘ぎ過ぎて枯れた声しか出せない。
「いっちゃ、やだ……」
「同じ家に住んでんのに、どっか行くわけねえだろ」
 ベッドから足を下ろすと、腰の下に手を入れられ急に身体が軽くなる。お姫様抱っこ状態で持ち上げられていると知ったのは、部屋のドアが開けられて人感知センサーにより廊下の電気が付いてからだ。
「よ、陽さんっ?」
「こら、暴れんな。シャワー入らねえと、寝れねえだろ? あ、今日お前の部屋で寝かせろよ?」
「へっ?」
 どうしてとキョトンと陽を見つめ返せば、緩く口角を上げた陽に密やかな声で告げられる。
「ん? 俺の可愛い恋人が感じまくってくれたお陰で、シーツ替えないと寝れないだろ?」
 己の痴態を思い出せば、もう穴があったら入りたい状態で。ボボボッと顔中に全身の血液が集まっているのではないかと思うほどに熱い。やはり、淫乱だと思われただろうかと不安もあり、抱き上げられたまま首に顔を埋める。
「ごめんなさい」
「どうして謝る?」
「だって、俺……」
 その先が継げない。エッチすぎてごめんなさい? 淫乱でごめんなさい? でも、許して欲しい。だって、陽の前でだけだから。
「恋人がエロくて可愛いなんて、嬉しい以外に何があるんだよ」
 脱衣所に身体を支えられたまま下ろされて一人残される。先に洗い場に入った陽は、シャワーのコックを捻り温度を調節しているようだ。浴室内に湯気が立ち上り、ドアの隙間から温かい空気が流れてくるのを感じると、中から睦月と呼ぶ声がした。
 ああ、もう好きだなぁなんて、何度思っただろうか。こういう陽の優しさが好きで、好きで大好きで、どうしたらこの溢れ出るほどの想いをわかってもらえるんだろう。
 きっと睦月の恋心の大きさを知れば、十代の移ろいやすい色恋だなんて言えないんだから。
「綺麗に洗ってやるよ」
 体液と汗で濡れた身体をボディソープで綺麗に洗われる。時々胸元を掠める指に、わざとじゃないにしてもあられもない声を上げそうになってしまって、陽に笑われた。
 甘く密やかな時間が過ぎていく──。

「にぃちゃ……どこ?」
 脱衣所で濡れた身体を拭っていると、葉月の声が廊下から聞こえる。
 珍しい、いつもは一度寝たら朝まで起きないのに、と急いでここだよと脱衣所のドアを開ける。
 急いで下着とパジャマを身につけ、睦月が廊下に出ると陽の部屋と睦月の部屋の前を行ったり来たりする葉月の姿があった。
「にいちゃ、おふろ?」
「ん、どうした? ああ、今日昼寝いっぱいしちゃったから、起きたのかな」
「ねこさんのなき声がして、起きたら……ねむれなくなっちゃった」
 後ろからタオルを肩にかけながら出てきた陽が、葉月の言葉に吹き出しそうな仕草を見せる。
「ね、ね……猫さんは、夢かなぁ……うん、多分夢だよね」
 しどろもどろになりながら、葉月の部屋へと向かうと途中で足を止めた葉月にジッと見上げられた。
「どうしたの?」
「あのね……兄ちゃんと、ねてもいい? おへやまっくらで怖いの」
 いつも葉月が寝付くまではと、部屋の照明をギリギリまで落として真っ暗にはしないようにしていた。寝息が聞こえるのを見計らって完全に明かりを落とし部屋を出ている。夜中に起きたことなど一人で寝るようになってからはなかったから、驚いてしまったのだろう。
「ん、いいよ」
 葉月の問いに頷いたものの、陽の部屋は大きめのダブルだが、シーツを替えないと眠れないし、かといってシングルベッドの睦月の部屋では三人はさすがに眠れない。
 睦月の部屋で葉月と二人が寝て、陽はシーツを変えて眠るのが一番いいかもしれないが、今日はちょっと先ほどまでの熱がまだ身体に残る分離れ難かった。
「葉月、じゃあ三人で寝るか?」
「いいの?」
 陽も同じ想いでいてくれたのか、シーツ変えてくるとだけ言うと、部屋に戻って行った。シーツと下に敷いている敷きパッドを抱え部屋を出る陽を、不思議な眼差しで葉月が見つめる。
「今からおせんたく?」
「ん~と、そうだね。明日の洗濯の準備、かなぁ」
 葉月を部屋へと入れると、新しいシーツを出しベッドに敷いた。恥ずかしいから布団を掛けて、なんて思っていたけれど、今考えれば掛け布団まで汚すことになったら大変だった。
「ほら、葉月……お布団入ろう?」
「さんにんでねるのはじめてだねぇ。うれしいね」
 ベッドの上のランプだけ先ほどよりも照明を抑えて付けておく。布団を被った葉月の胸元をポンポンと叩いてやれば、目を瞑りすぐに穏やかな寝息が聞こえてきた。
「寝たか?」
「はい」
 ドアをそっと開けて入ってきた陽は、葉月を挟んで壁際に横になった。陽に触れられないのは少しだけ寂しいが、たまにはこうして眠るのもいいかもしれない。
「ちょっと……嬉しいです。こういうの」
「俺は最初から……お前ら引き取った当初からこういうつもりだったけど、誰かさん一人で頑張ってたからな」
 一緒に暮らし始めた頃のことを持ち出され、気が咎める。あの頃は陽の邪魔をしてはいけないとそればかり考えていたから。
「う……すみませ……。もしかして……気にしてたんですか?」
「そりゃ、そうだろ。お前は何でもかんでも大丈夫、大丈夫ばっかりだったからな」
 愚痴っぽく呟かれているのに、どうしてだか申し訳なさよりも嬉しさの方が大きかった。
「また、一緒に寝てもいい?」
「お前とならいつでもいいさ。ほら、寝るぞ」
「おやすみなさい」
 葉月の上で、こっそりと手を繋いで顔を近付けてキスをした。情欲を伴わない柔らかな唇が、チュッと触れてすぐに離れていった。

「つき……睦月」
「ん……?」
 シャッとカーテンが開かれる音が聞こえ、部屋の中が朝日に照らされる。ん、朝日? と覚醒しない頭を緩く振り、少しずつ目を開けた。
「あ、れ……?」
 目の前には陽の顔、珍しい陽がこんなに早く起きるなんてと、身体を起こしてハッと窓を見る。おかしい、いつも睦月が起きている時間はまだ陽が昇る前だ。こんなに明るいはずがないのに。
「陽さん、今何時ですか?」
「七時だよ、おはよう」
「おは、むっ……ん」
 起き抜けにチュッと唇を重ねられて、言葉が紡げない。というか、それどころじゃないだろう。今、七時と言ったか。
「うそ、七時!? 葉月の用意しなきゃ、洗濯も掃除も!」
「はいはい、全部終わってるから」
 ポンと布団の上から叩かれて、慌てて飛び起きようとした身体を抑えられる。大丈夫だからと乱れた髪をクシャリと混ぜられた。
「陽さんが? ありがと、ございます」
「週末はもっと疲れさせるから、覚悟しとけよ?」
 耳元で囁かれた言葉は、昨夜の熱を思い起こさせる。朝から変な気分になってしまいそうだ。それに、週末は……なんて想像してしまえば、まだ月曜なのに毎日陽とのことが頭を過ってしまうではないか。
「も……あんまり揶揄わないでください」
「俺の楽しみなんだから、いいだろ?」
 まったく悪びれなく言ってのける男は、本当に楽しそうだ。クツクツと声を立てて笑いながら、睦月の手を引いて身体を起こす。
 ベッドから下りるとパタパタと騒がしい足音が聞こえ、部屋のドアが開けられた。
「兄ちゃん、おねぼう?」
 真ん中に寝ていたはずなのに、葉月が起きたことにも気付かなかった。葉月は妙に嬉しそうに、おねぼうさんだぁと目をキラキラさせていた。
「葉月、おはよ。そう、おねぼうごめんね」
「ボク、ひとりでもちゃんとできるよ! 朝ごはんはねぇ、陽ちゃんがフレンチトーストつくってくれたの」
 大好きなフレンチトーストにご満悦といった風に、葉月は顔を輝かせている。
「へぇ~いいなぁ」
「兄ちゃんのぶんもあるよ」
「うん、ありがとう」
 ニコッと歯を出して笑うと、また足音を響かせて廊下を走っていく。転ばなければいいけれど。
「学校遅れるぞ」
「やっば……」
 今日は平日、月曜日。葉月は可愛いな、なんてボウっと考えている時間はなかった。
 バタバタと自室に戻り、制服に腕を通す。時計を見ると、七時十分。弁当を作っている時間はもうない。
 廊下を走り、リビングに用意されている朝食をきっちり手を合わせて食べる。いつもの倍のスピードで。
「そういうお前も……なんか新しいな」
 睦月の慌てる様を、壁に寄りかかり微笑ましげに見つめる男を構っている余裕はなかった。皿を綺麗に片付けると、歯を磨く。葉月をこれから送っても遅刻は確実だ。
「葉月は俺が連れて行くから、ほら遅刻するぞ……行って来い」
「兄ちゃん、行ってらっしゃい~」
 いつも連れ立って行く葉月に見送られる形になり、行ってきますと鞄を持つ。何だか胸がくすぐったい。
「陽さん、ありがとう。行ってきます」
 葉月を保育園に送らない分早く駅に着いて、いつもより一本早い電車に乗ることができた。五分程度の差だが、遅刻にはならなくて済みそうだと安堵する。
 今日は夕方、田ノ上の出版社に打ち合わせで出かけると言っていたから、なるべく早く葉月の迎えを済ませて買い物をして帰ろう。
 動物園の疲れもすっかり取れたし、色々な献立を頭に思い浮かべて陽と葉月が美味しそうに食べる姿が同時に思い起こされる。
 やっぱり、二人のために美味しいご飯を作るのが好きらしい。家事が辛いとか、たまには外食がしたいなんて思ったことはない。それは、いつも美味しいと言って食べてくれる人がいるからなのだろう。


「おはよ。今日、いつもより疲れてないな」
 スニーカーから上履きに履き替えていると、背後から声がかかった。聞き慣れたその声に安堵しながら振り返る。
「あ、おはよ。え、いつもそんなに疲れてる? 今日の朝は葉月の送り頼んだからかなぁ」
 昇降口で顔を合わせた瞬間杉崎に言われて、一本早い電車に乗れたとはいえ、遅刻ギリギリに起きたため忙しない気がしていた睦月は驚きを露わにする。
 確かに駅から高校まで緩い坂道を全力疾走である日々は、教室に着く頃にはぐったりと疲れているが、そんなに違うものだろうか。今日もそう早く着いたわけでもないから、駅からは早歩きだった。
「いや、むしろ肌ツヤがいいっていうか、いつもより美人度が上がってる」
「はっ?」
 意味がわからないと、首を傾げながら教室へと入った。今日は荒地が遅刻ギリギリらしく、睦月の前の机に鞄は置かれていない。
「陽さんと何かあった?」
 隣の席から椅子を引き寄せ、睦月の耳に顔を近付けた杉崎に揶揄うようにニヤニヤとやらしい笑みを向けられる。
「はっ!? な、何かって……っ?」
 なんてことを言うんだと睨みながらも、紅潮する頬はどうにも抑えることができなかった。そんなことを言われたら、昨夜のことを思い出さないはずがない。身体に触れてくる陽の手が脳裏によぎり、瞳が潤む。
「頼むから、そういう顔すんな……」
 ポンポンと肩を叩かれ、杉崎が顔を赤くし項垂れる。どんな顔だと杉崎を睨めば、まったくもうと疲れたように声を漏らした。
 しかしすぐにいつもの調子を取り戻し、自分の勘が当たったことにニヤリと口元を緩ませ軽口を叩く。
「へぇ~幸せそうで何よりだ」
「もういいからっ!」
「はよ……何が幸せなんだよ?」
 いつもの如く走ってきた荒地が、はぁと短く息を吐いて机に鞄を荒々しく乗せる。
「おはよ。今日もお疲れ」
「お前、なんで今日は余裕なんだよ?」
「陽さんと昨日イチャイチャしたから、腰が辛い睦月くんは、陽さんに甲斐甲斐しくお世話されて幸せオーラ全開なんだよな? 羨まし過ぎる~」
 一応は周りを慮って声を抑えてはいるが、どうせなら睦月にも聞こえないように言って欲しかった。
「もう、頼むから杉崎黙って!」
 見た目に反して純情な荒地は、杉崎の言葉にカァッと頬を染めながら、睦月へとチラチラ視線を向ける。
「え……マジ?」
「睦月が大人の階段登っちゃったよ……お父さん悲しいっ」
「杉崎、いつから俺の父さんになったのっ!」
 どうすればこの会話を終わらせられるだろう、と頬を真っ赤に染めながら考えるも、揶揄いの眼差しを向ける杉崎も心の底では喜んでくれてのことだと知っている。
 早く大人にならなければと、陽から離れると決意していた諸々の事情をも含めて解決したことに安心したのだろう。
「そういや、バイトどうすんの?」
「え?」
「だから、元々は陽さんちを出ることを考えてバイト始めたんじゃないの? だったらもう必要ないだろ? 睦月は元々家のことで忙しいんだしさ」
 杉崎の言うことも最もだが、家を出るというより、陽のことをこれ以上好きになりたくないという理由で逃げ出しただけだった。
 確かに両想いになった今となっては働く理由もないのかもしれないが、陽が自分のコネクションを使い紹介してくれた職場を、何も完遂せず途中で投げ出すことはできない。
「週に一度だからバイトにそんな時間とられてるわけじゃないし、荒地や杉崎みたいに好きなこととかあるわけじゃないからさ。それに、いい経験させてもらってるんだよね。陽さんの仕事のこととか知れるし、色々考えさせられる」
 高卒じゃあんな大手の出版社に勤めることは出来ないかもしれないが、何かしらの形で陽を手伝える側に回れたらと思うようになれたのだ。
 それに葉月から聞いた話では、睦月がバイトに出ている間、思う存分陽と二人で遊んでいるらしい。普段は睦月と遊ぶのが当たり前であった葉月にとっては、それが嬉しいと言っていた。
「そっか。確かにな。あ~そろそろ進路相談とか始まるよなぁ。ウチのガッコだったら、結構レベル高い大学行けるだろ? でもさ、将来何がやりたいかとか、そんなの今決めろっつーの無理じゃないか?」
 杉崎がうんざりしたように天を仰ぎながら、あーあと机の下で足を前に投げ出して言った。
「睦月はどうすんだ? やっぱり、卒業したら働くっていうの変わらないのか?」
 荒地は前々からバスケの強い大学に行くのだと言っていて、正直ブレずに強い想いをずっと抱けることが羨ましいと思っていた。睦月も高校を卒業したら働くのだという漠然とした将来は見えていても、自分が何をやりたいか何ができるのかを考えたことはなかった。というより、考えても答えが出なかったと言った方が正しいかもしれない。
「うん……出版社で田ノ上さん……あ、編集さんなんだけどさ。田ノ上さんが働くのとか見てて、いいなって思った。けど、あんな大きい会社高卒じゃ雇ってはもらえないだろうし、何らかの形で陽さんの仕事を手伝うことができたらって思ってたんだけど」
「いや、睦月の場合はお嫁さんっていう将来もあるぞ?」
 いいこと言ったとでも言うように、杉崎がドヤ顔で人差し指を立てる。杉崎の頭を荒地がポカリと殴った。
「目標決まってんなら、大学行けばいいじゃねえか」
 一応大学も調べてみたことはあった。しかし、入学金に授業料、卒業するまでに何百万という金がかかる。睦月の学力ならば国立に入ることも出来るかもしれないが、落ちた場合浪人することは考えられない。
 じゃあ働いた場合はどうかと考えても、これから小学校に上がる葉月のことが頭を過る。入学式や参観日、働いて間もない睦月が休みを取れるのだろうかと不安ばかりだった。
「でも、お金のこともあるし……もし落ちたらって思うと、迷惑かけられないよ」
「それお前の悪いところだぞ。迷惑かけられないってさ。出来ない理由を人のせいにするなよ。やってみたら何とかなることだってあるし、出来なかったら陽さんに相談すればいい」
「睦月は悪い方悪い方にばっかり考えるからなぁ。俺らまだ子どもなんだからさ……どうしても出来ないところは大人に助けてもらおうよ。睦月にだってその権利はあるよ?」
 二人に諭されて、陽にも同じことを言われたなと思い返す。本当の親子じゃないから、いつかは出て行かなければならないのだと遠慮していたが、本当の家族になろうと言ってくれた陽に素直に甘えてみようか。
「二人とも、ありがと。陽さんに話してみるよ」
 睦月が笑みを返すと、荒地も杉崎も照れたように頬を染める。教師が教室へと入ってきて、朝のホームルームが始まった。
 ふと、視線を感じて窓の外を見る。キラッと植え込みの中から何かが光ったような気がしたが、気のせいだろうか。
 土日尾けられたり、制服の一件のようなおかしなことは最近はない。それでも、たまに視線を感じるのは平日学校にいる時だ。視線を感じるなんて、殆どの場合は気のせいで、今までの起こった出来事からの恐怖感から来ているのだと思っている。たまたま、窓が反射して光っただけかもしれないし、女子生徒が使っている鏡かもしれない。
 制服を盗られてから、大事な物は常に持ち歩くようにしていたため、盗難の被害もなかった。
(もう、諦めたのかな……だったらいいけど)
 今日は迎えに行けないから誰かと帰れ、そう言われていたことなどすっかりと頭から消え失せていた。

「今日もダーリンのお迎え? 気をつけて帰れよ」
 帰りの準備を済ませ、教室を出ようとしていると、同じように部活に行こうと大きなスポーツバッグを肩にかけた杉崎から声が掛かる。
「ダーリンって……陽さんは今日仕事」
 呆れ顔で杉崎を見ながら、部活行ってらっしゃいと告げると、神妙な顔つきで立ち止まり大丈夫かと聞かれる。
「ん、だって帰るだけだし。別に今日は何もなかったしさ」
「いやいや、そんな甘く考えちゃダメでしょ。写真ロッカーに貼るぐらいだったら、イタズラで済んだかもしれないけど……制服のは、ちょっと俺でも怖い」
 睦月を怯えさせようとしているわけではないだろうが、杉崎の表情は不安げだ。
 恐怖が消えたわけではないが、いつまでも陽に頼っているわけにもいかないし、犯人がわかればまだしも、ただのイタズラで終わる可能性だってあるのだ。
 結局持ち帰った制服は、ビニール袋のまま陽に渡してある。自分で洗うのも嫌でどうしようかと思っていたから、多分燃えるゴミの日にでも捨ててくれたのだろう。新しいシャツを注文し待っているところだった。
「やっぱり……警察とか、少なくとも先生には言った方がよくないか?」
「そんな大袈裟にしたくないよ。制服だって、ほんとにアレ……かどうか、確認してないし。ほら、糊とか付けただけかもしれない」
「だとしても、悪質だぞ……陽さん迎えに来れないなら、俺が一緒に帰ってやる」
 帰る準備万端に鞄を持った荒地が、廊下を出た先で立っていた。会話を聞いていて、部活用のスポーツバッグを置いて来たのだろう。
「いや……だって、三年生引退して新しいチーム作りが大変だって、言ってたじゃない」
「どうせ、部活出たってお前のこと心配で気もそぞろになるだけだ。杉崎お前まで休んだら大変だから、俺の代わりに出とけよ?」
 やっぱり大変なんじゃないかと、口を開こうとすると大きな手がベシッと顔を叩いた。結構痛い。
「ふ……がっ」
「いいから黙って送られとけ、ほら行くぞ」
 荒地のこの強引さは、どことなく陽を思わせる。嬉しいような申し訳ないような気持ちで礼を言うと、杉崎に別れを告げ駅へと向かった。

「陽さんには、ちゃんと言ったんだよな?」
 つり革だと低過ぎるのか、荷物置きに手を置き睦月を守るようにドア側に荒地が立つ。
「うん」
「どうするとかって言ってたか?」
「わかんないけど……機嫌は悪かった」
「じゃあ、大丈夫か」
 カーブを切り電車が傾く、何度乗っても同じタイミングでバランスを崩してしまうのは睦月だけではない。
「あ、ごめ……っ」
 座席に背中をつける形でバランスを取っていた睦月は前のめりに倒れ、荒地の学ランへと顔を埋めてしまう。
「浮気者って言われるぞ。ま、いいけど」
 荒地の顔が幾分か赤いのは、照れているのか。ぶっきらぼうだが優しい男で、睦月は中学から何度もこの手に助けられている。
「犯人の気持ちも、わからないではないよな……」
「え……?」
 犯人がどうたらと言ったか、と先ほどよりも近くなった目の前の学ランから顔を上げて聞き返す。荒地は窓の外を見ながら、何でもないと首を振った。
 電車が駅に着き止まる。スッと荒地の学ランが離れていって、降りるぞと低い声が頭上から降ってきた。
 何でもない会話をしながら、葉月の保育園に向かう。
 前に荒地がマンションに来たのは一年も前だ。さすがに、葉月は覚えていないだろうと思っていたのだが、どうやら違ったらしい。
「アラチだっ!」
 教室内から葉月の声が響く。背の高い荒地は見つけやすかったのだろう。睦月に視線を向けるより先に、葉月は荒地を見つけていた。
「久しぶりだな、よく覚えてんな~お前」
 荒地が葉月を抱き上げると、いつも陽が抱き上げるときと同じ高さになるのか、葉月が目を輝かせる。
「だって、アラチ陽ちゃんににてるもん」
「背が高いからね」
「そうだけど、ちがうよ~なんかいっしょなの。兄ちゃんのこと見てるときとか」
「ふうん?」
 話し方とかも似ているかもしれないなとは思う。子どもながらによく見ているものだ。
 担任に挨拶を済ませると、抱っことせがむ葉月を荒地がずっと抱きかかえて歩くことになってしまった。
「荒地ごめんね?」
「いや、子どもって体温高えからあったかい。ほら、葉月落ちんなよ」
 さすが荒地はバスケ部に籍を置いているだけのことはあって、二十キロ近くある葉月を軽々と持ち上げる。睦月もよく抱っことせがまれるが、重くてすぐにギブアップしてしまい、そうすると陽が代わってくれるのだ。
 荒地の家は、陽のマンションから数十分行ったところにある。中学は二人の家の中間地点にあり、部活がなければ落ち着くまで送ってやれるんだけどなと、残念そうに荒地が言った。
 大学進学をバスケで決めるぐらいだから、荒地は根っからのバスケバカだ。だから、今の言葉は睦月のことを心底心配してのものだろう。
(ほんと、もう大丈夫だといいんだけど……)
「ほら、葉月荒地のお兄ちゃんにありがとうでしょ?」
 マンションの前について、葉月を下ろすように頼むと、背後から男性の声がかかり、肩を叩かれる。
「あの……すいません」
 思わずビクッと身体が震えたが、振り返ってみるとスーツを着たヒョロリと背の高いサラリーマン風の男性だった。しかし、具合でも悪いのか顔色は悪く、目がギョロリとし血走っていた。
「はい?」
 荒地が葉月に何やら耳打ちすると、分かったと言った葉月が頷いてマンションのエントランスへと向かう。
「俺からのプレゼントはどうだった? 喜んでもらえたかな?」
 一瞬何を言われているのかわからずに、考えること数秒。男がシャツと声には出さずに口の形でそう言ったのがわかった。瞬間、身の毛がよだつほどの恐怖が全身に走る。
「てめぇっ」
 動いたのは荒地が早かった。睦月はただ呆然と恐怖に立ち尽くすだけで、何も出来ない。ただ、マンションの中に入ったかに思えた葉月が、こちらに向かってくるのが見えて、絶句する。
「荒地っ! 葉月!!」
 男に殴りかかろうとしていた荒地は、睦月の言葉を一瞬で理解すると、マンションに向けて走り出した。睦月が行くよりも確実だし、万が一にでも何かあってからじゃ遅い。
 マンションに入って行ったのを見届けて、男がニタリと笑う。後ずさる睦月にジリジリと距離を詰めてくる男にグッと強い力で両肩を掴まれた。
 ゾワリと全身に悪寒が走る。後ろへと押されて、一歩一歩と下がると何かに背中がトンと当たった。
 マンションの脇は、大きな木が幾つか植えてあり、その影になっている場所を選んだのか、大通りからは見えない。
「……っ」
「キミの学校の子から、写真売ってもらったんだ、ほらこれ見てよ。見るだけじゃ我慢できなくなってさ、キミの制服すっごいいい匂いがしたよ。興奮して堪らなかった」
 はぁっと荒く生臭い息が顔にかかる。グッと胃液がせり上がり、吐き気を堪えるために顔を背けた。
 男がポケットから取り出したのは、大量の写真だった。それらは全て学校内で撮られたもので、数枚は覚えがある。写真部の八田が、しょっちゅう学校内でカメラを持ち歩き撮っているものだ。生徒たちはいつものことと、勝手に撮られていても気にしなくなっていた。被写体となった生徒には写真を配るなりのことをしていたこともあり、皆いい奴だと言っていた覚えがあるが。実は学校内の生徒にも、人気のある生徒の写真を希望があれば売って金にしていたという噂を思い出した。
 まさか、外部にまで売って金を稼いでいた、ということか。
「あなた……誰、ですか」
 口から出るのは、今この時においては何の意味もない質問だ。ただ、葉月を守るために時間稼ぎになればいいと思っていた。
「え~俺のこと知ってくれるの? じゃあ、いっそのこと付き合っちゃおうよ。相思相愛でしょ、俺たち」
 男の顔が徐々に近付き、首筋に唇が寄せられる。再び吐き気が込み上げるが男の手が顔を掴み背けることは出来ない。身体が強張り、震える。誰か助けてと、声を出すことすら出来ずに、されるがままに立ち尽くした。
「あ~やっぱ、すっげいい匂い。やべぇ、ほら勃ったよ。キミの中にズボズボして、気持ちよくするやつ。触ってみなよ」
 睦月の手を取り、下肢へと導かれる。男が言った通り、スラックスの前は
わかるように盛り上がっていて、その感触に手が震えた。
「やっ……だ」
 カチャカチャと外にも関わらずベルトを外し、男は勃ち上がった浅黒い性器を晒した。グイと手を引かれ、濡れた先端が手に触れる。
「泣いちゃって~可愛いの。キミ男好きでしょう? いっつも、あの背の高い男とさ……今日はいないみたいだけど、もう一人の男と学校でイチャついてんじゃん」
 喋りながらもグリグリと手のひらに、性器が押し付けられる。背後は壁でどこにも逃げ場がないことにゾッとした。
 ヌルッと体液が纏わりつく。声も出せずに止め処なく流れる涙は、男の興奮を煽るだけのようだった。
「睦月っ!」
 両方の耳から、二人分の男の声が聞こえる。睦月は男を思いっきり突き飛ばすと、来た道を戻って声がする方へと走り出した。
 背後で男が何かを叫んでいる。ドンと厚い胸板に当たり、勢いのまま抱きつく。
「おいっ……大丈夫かっ?」
「ぅ、う~よ、うさっ……」
 怖かったのと、安心したので喋ることもままならず、しゃくりあげながら陽の身体にしがみついた。
 警察はと叫ぶ田ノ上の声がする。荒地と田ノ上の声を遠くに聞きながら、睦月は張り詰めていた緊張の糸が解けたように身体を支えていられず気を失った。
「睦月っ!」

 目を開くと、いつもの天井がそこにあった。
 薄暗い室内は、朝か夜の区別がつかない。リビングから何人かの話し声が聞こえる。その中には陽と田ノ上、それに荒地の声も混じっている。
 徐々に覚醒し、そういえば男に襲われかけたことを思い出し身を震わせる。あの男はどうなっただろうと、自室から出てリビングのドアを開けた。
「睦月、起きたか。大丈夫か?」
 陽が憂わしげな視線で、ソファーから立ち上がった。
「兄ちゃん~」
 葉月が目に涙を浮かべて、睦月の足に縋り付く。葉月に何もなくて良かったと、肩から力が抜けた。
「犯人は捕まったよ。落ち着いたら、警察が話聞かせて欲しいって言ってた」
 田ノ上の言葉にホッとする。顔も名前も知らない男に、狙われていたという事実は、睦月を思ったよりも疲弊させていた。
「葉月、一回マンションの中に入って行ったのに。どうして戻って来ちゃったの?」
 荒地は多分あの時、マンションに逃げろだとか、管理人を呼んでこいぐらいのことは言ったはずだ。それなのに、危険な場所にどうして戻って来たのかと、つい咎めるような言い方になってしまった。
「だって……」
「あ~葉月は悪くない。俺が言った通りに、マンションの入り口のところから管理人呼んだらしいんだが、相手にされなかったらしい。イタズラだと思ったみたいだ」
 オートロックで中には入れずにドアを叩いたらしいが、イタズラをするなと管理人に怒られてしまったようだ。荒地が警察をと叫んだことで、事の重大さにやっと気付いたらしい。ごめんねと謝られたと葉月が言う。
「そ、うだったんだ……頑張ったね」
「兄ちゃん……だいじょうぶ?」
 葉月を抱き上げ、頬を寄せる。もしもあの時荒地がいなかったらと考えると恐ろしい。ただのイタズラだろう、きっとすぐ終わるだろうという考えは希望でしかなかった。
「明日、学校で写真部の八田と校長とで話があるみたいだ。あいつ、校内で撮ってた写真、やっぱあの男だけじゃなく色んなところで売りに出してたって」
 やはり男が持っていた写真は八田が撮ったものだったのか。どれだけの人が自分の写真を買ったのかと想像すると、悍ましさしかない。
 しかし、更衣室に貼られていた写真は、一体誰が撮ったものなのだろう。
「制服の件で学校に連絡した時、更衣室に写真が貼られてたってことも聞いた。荒地くんが言ってくれたんだろ? で、誰が撮ったのかわからないってことも。お前はまったく気にしてないようだったけど、エスカレートしていってるようにしか思えなかったからな。学校側としては、外部の人間が入り込んだって考えるより、睦月の席や更衣室の場所を知ってるってことで内部犯だと結論付けたみたいで、校内を巡回する警備の数を増やす程度の対応だったが」
 荒地の言葉を継いで、陽が話す内容は初めて聞くことだった。確かに、狙ったように睦月の使う更衣室のロッカーに貼られた写真、睦月の椅子に置かれた制服、どちらも学校内部を知らなければ難しいだろう。
 しかし大事にしたくないからと動かなかった睦月の影で、荒地や杉崎が尽力してくれていたのだと思うと、身の縮む思いだ。
「睦月に黙ったままなのは心苦しかったけど、言えば怖がらせると思ったしな。担任には話したけど、他に被害にあった生徒もいなかったし、その時はただのイタズラで片付けられちまって。その後制服の件があって、陽さんが学校に連絡したことで、学校側も何かしらの対応をと思ったんじゃねえか」
「そうなんだ……」
「万が一、外部犯だったらってことも考えて、警察にも連絡はしたんだが、こっちもパトロールを増やしてもらう程度で、何らかの被害が出なければ動けないってことだった。でもお前絶対、大丈夫だからとか言って一人で帰ろうとするだろ? 荒地くんがいてくれて良かったよ」
 まさしくその通りで、陽の言葉には弁解のしようがない。もし、陽が早く帰って来てなかったら、もし荒地が一緒にいなかったら、もしも──葉月に何かあったらと考えると、息が詰まるほどの恐怖を感じる。
「ま、取り敢えずお茶でも飲みますか。ほら、睦月くんも座って。荒地くん、結構遅くなったけど、平気?」
 姿が見えないと思っていた田ノ上は、キッチンで人数分の紅茶を淹れていたようで、トレーに乗せたティーカップとポットをソファーの前のローテーブルへと運びながら荒地に聞いた。
 窓の外に目を向ければ、すっかりと夜の帳が下りている。時計を見ればすでに九時を過ぎていた。睦月は開けっ放しだった遮光カーテンを閉めて、荒地と陽の間に座った。葉月を膝の上に抱っこしながら、キュッと小さな身体を抱きしめる。
「いつも、部活でもっと遅いんで……俺は全然」
「荒地、ほんとにありがとう」
 下げた頭の上に、ゴツっと荒地の拳が落とされる。ちょっと……結構痛いんですけど。荒地も睦月の無事な姿にやっと安心出来たのか、まったくもうと疲れたように肩を落とした。
「お前は、っんとによ。葉月をマンションの中に連れて行くまで、俺がどんだけ心配したかっ。それで急いで戻って来てみれば、あの男を突き飛ばして陽さんのとこ行くし」
 荒地の口調は明らかに拗ねたもので、睦月はもう一度ごめんと告げた。あの時、陽の声と一緒に荒地の声も聞こえたのだ。けれど、身体が自然に陽へと向いていた。
「でも、結果的に良かったんじゃない? あのヒョロ男を荒地くんと俺で取り押さえて、睦月くんにも葉月くんにも何もなかったんだから。結果オーライ」
 睦月が陽の元へ走り、隣にいた田ノ上も男を取り押さえようと荒地の方へと走った。二人掛かりで押さえつけられ、身動きできなくなったところで、管理人やら警察やらが到着したという事の顛末を話して聞かされる。
「じゃあ、俺はそろそろ帰るよ。荒地くん、車で送ってくから」
 田ノ上が立ち上がって、コートを着る。仕事で深夜になることが多い田ノ上はまだしも、あまり遅くなれば荒地の両親が心配するだろう。
「あの、田ノ上さんも……ありがとうございました。荒地、また明日ね」
「ああ、明日お前も校長に呼ばれるかもしれないから、色々落ち着かないなら俺も付き添うから言えよ? ま、どうせ陽さん来るんだろうけど」
 クシャクシャと髪を撫で回される。殴ってごめんななんて、珍しくしおらしげな態度の荒地に、心配ばかりかけてしまったことを申し訳なく思った。
「ほんと、ごめんね」
 バイバイと手を振り、二人を玄関まで見送った。
 リビングに戻ると、シンと音のない空間が広がる。あれ、葉月はと部屋を見回せば、ソファーの上でスースーと寝息を立てて眠ってしまっていた。いつもなら、とっくに寝ている時間だ。無理もない。
「葉月も緊張の糸が切れたな。ずっとお前のこと心配してたから」
 そっと葉月を抱き上げて、部屋へと運ぶ。睦月が葉月の部屋のドアを開けて、陽がベッドに下ろした。今日着ていた服のままであったが、仕方がない。
 ドアを閉めて、夕食も食べていないことを思い出す。葉月は食べないまま寝てしまったのだろうか。
「陽さん、ご飯食べました? ご飯遅くなったけど、用意しますね」
「いいから、お前は座っておけ。田ノ上に弁当買って来てもらってるから、温めるだけだ」
「あ、いえ……俺はそんなにお腹空いてないんで大丈夫です。陽さん食べててください。ちょっと俺、お風呂入って来ます」
 返事も聞かずに、洗面所へと入りドアを閉める。
 自分の中にあるのは、深い後悔の念ばかりだ。
「睦月、ちょ」
 触れられたくなんてなかったのに。
 部屋に陽と二人きりになって思い出した。あの男の性器に手を触れたことを。身体に触れられたことを。気持ち悪かった。近付いてくる唇の形さえ、未だ鮮明に思い出せる。
 ドアに背をつけたまま座り込んだ。あれだけ心配してくれていた陽に合わせる顔がない。
「気持ち悪い……」
 忘れようと思っても、忘れられるわけがない。
 男の下品な笑い声と、濡れた下肢。掴まれた肩に寄せられた唇。饐えた匂いのする男の身体は、陽とは似ても似つかない。
「う……っ、ぇ」
 抑えようのない吐き気が込み上げて来て、蛇口を捻り水を出しながら咳込むが、胃の中は空っぽだったのか水しか吐けなかった。
 直接蛇口に口を寄せ、口の中を洗う。髪に水がかかり顔が濡れる。水なのか、涙なのかもわからないが、水滴は頬を伝いポタポタと床を濡らした。
 ハンドソープをつけて、何度も何度も手を洗う。あんな男に触れられただけなのに、どうして汚されてしまったのかのような気分になるのか。
 誰か助けて。
「睦月……もういいから」
 後ろから手が伸びて、蛇口が閉められる。ギュッと背中に触れる陽の身体は温かかった。ブルブルと寒さで震えながら、温もりを求めて陽の身体に縋り付いた。
「陽さっ……」
「俺が綺麗にしてやる。さっさと入るぞ」
 学ランのホックを外される。どうして陽の手はいつもいつも、温かいのだろう。

 お湯を湯船に溜めながら、熱めのシャワーが冷えた身体に掛けられる。互いに裸で陽の足の間に座った睦月は、されるがままジッとしていた。
「ちょっと上向け」
 陽の身体にもたれ掛かり、顔を上に向ける。シャンプーを手に取った陽が、睦月の髪を泡だてながらマッサージしていく。
「至れり尽くせり……」
「たまには、いいだろ?」
 シャンプーを綺麗に洗い流され、トリートメントまで終えると、ボディソープを手に取った陽に、首筋を撫でられた。
「か、身体は自分で洗うからっ」
「何を今更。この間も洗ってやっただろ?」
「でも……」
 あの男に触れられた部分を陽に洗わせるのは、嫌だった。綺麗になった身体を触って欲しかった。
「お前は、どこも汚れてなんかないから。まあ、俺のもんに触ったあいつのことは許せねえけど……だから、俺が綺麗にしてやる」
「陽さん……」
 泡に塗れた陽の両手が、睦月の首に回る。上から下へと滑る手に、喉がコクリと鳴った。情欲を伴わないはずの行為にも関わらず、背中を撫でられるだけで、目の前の鏡に映る自分の姿は淫らに濡れていく。
 瞳には薄っすらと膜が張り、頬は赤らんでいる。陽を必死に誘っているかのように、開いた唇の隙間から赤い舌が覗き揺れていた。
 背中から胸元へと手が這う。女性のように敏感に立ち上がる乳首に手が掠り、ピクリと身体が震えた。
「ん……っ」
 もっと触って欲しいのに、大きな手のひらは肩から腹部までを往復し、太ももへと移る。足の間、際どい箇所を撫でるように通り過ぎ、ピンと立った足のつま先が幾度となく快感に揺れる。
「やっ……ちゃん、と……」
「ちゃんと、なんだよ?」
 鏡越しに映る陽の瞳が、野生的な艶気を湛えて光る。
「……触って。あぁっ……ふ、ぅ」
 足を撫でていた陽の手が、胸元に戻り乳首に快感を与える意思を持って触れられる。クリと抓まれ、待ち侘びた悦びに甘い声が漏れた。
「お前、ココ好きだな」
 グッと力を込めて引っ張られても痛みは感じない。ただ、赤みの増した乳首が快楽を享受し固さを増すだけだ。
「ん、好き。もっと……して? ね、陽さん……ちゃんと言えたから、ご褒美くれる?」
「ご褒美?」
 話しながらも手は止まらずに、クリクリと弄られ続ける。小さく声を漏らしながら、睦月は後ろに手を回し腰に当たる昂りに触れた。
「これ、欲しい……も、待てな……して」
 陽の昂ぶった性器が、睦月の手の中でビクンと大きく震え固さを増した。先端を親指で弄ると、トロリとボディソープとは異なる滑りを感じる。
「俺の中で、出して?」
「……っ」
 睦月の胸元を焦らすように遊んでいた陽の手に、強く腰を引き寄せられる。バランスを崩し陽の胸元に倒れ込むと、顎を持ち上げられ唇が重なった。
「んんっ……はっ、ん」
「エロいことばっか、言うなよ」
 腰に回った手は、睦月の尻を撫でる。ボディソープの泡を塗りたくるように尻の間を陽の太い指が何度も行き来した。
「だって……俺がエッチな方が、好きって言った」
「俺の余裕がなくなるんだよ」
 陽の昂りと、荒く落ち着かせるように吐き出された息が、その余裕のなさを証明していた。
 クチュンクチュンと淫らな音を立て、荒々しい手付きで後孔の周りを擦られる。その間も、口腔内を蠢く舌は、激しく睦月の情欲をかき立てた。ゾクゾクと腰から脳天に突き抜けるような快感が走る。
 濡れるわけもないのに、じっとりと後孔の中が濡れてくるような、そんな快感。
「あぁっ……も、指……っ、ちゃんと……し、て」
 睦月の言葉と同時に、陽の指がクプッと挿れられた。キュッと締まった襞を一枚一枚捲るように慎重に指が中へと入ってくる。そんなに優しくしなくていいのに、もっと酷くしてもいいのにと、焦燥感ばかりが募った。
 時折指を回されて、中を広げられる。チュプチュプと抜き差しされ、今どこまで指が入っているのかもわからなかったが、陽の性器がココに入るのだと想像するだけで、睦月の身体は悦びに震えていた。
「はぁっ……ん、これ……欲し」
 尻を鏡に向け高く上げながら、上半身は陽の下半身へと縋り付くような体勢を取っていた。目の前にそそり立つ昂りに我慢が利かず、自分よりも太く長さのある性器に頬をすり寄せる。
 知識として知ってはいるが、もちろんしたことはない。けれど、唇で性器に触れようと思ったのは自然だった。
 陽が睦月を欲しいと思ってくれるなら。もっと、余裕をなくして求めて欲しい。
「む、つき……っ」
「ん……陽さん、の好き……」
 チュッと亀頭の穴に口付ける。滑りのある先端を舌で舐めとると、口内に苦味を感じた。ビクッと震えた性器を、口の中に入れたら気持ちいいかなと、陰茎に舌を這わせながら、口に含む。
「だから、エロ過ぎ……だっつの……っ」
 チュプチュプと舌をなぞらせながら、深くまで飲み込んだ。唇で快感を与えられるように、陰茎に吸い付きながら口を上下に動かす。
 口の中にジワリと苦味が溢れた。感じてくれているのだと知れば、ただただ嬉しい。コクリと喉を鳴らして、溢れる唾液ごと飲み込むと頭上で息を詰める気配がした。
 睦月の中にある指が増やされた。ふと顔を上げて陽を見れば、情欲に濡れながら睦月を見つめる男の顔がある。
「気持ちい?」
「ああ……抑えられないぐらいにな」
 グルリと内壁に沿うように指が回される。浅い場所を指が擦ると、睦月は言いようのない感覚に身を包まれる。
「やぁぁっ……」
「気持ちいいとこ、あったな」
 フッと嬉しげに言われて、同じ箇所を何度も指で擦られる。思わず昂りから口を離し、ハクハクと息を吐き出すことしかできなかった。
「はぁっ、ん……そ、こ……っ、変になるからっ」
「変になっていい……もっと、気持ちよくしてやるから」
「ダ、メっ、ダメ……で、ちゃう、も……ぁ」
 規則的に指を抜き差しされ、敏感な箇所を掠めるように奥を突く。身体に電流が走ったように、ビリビリと腰が震え、開いた足を支えていられずに陽の下肢に縋り付く。
 陽の瞳は鏡の中へと向けられている。指が出入りする様を見られていると思うと、恥じらいよりも早く陽を受け入れたい焦燥感で、胸が溢れそうになってしまう。
 グチュグチュっと淫靡な音が浴室に響く。睦月はブルリと身体を震わせ、そぐそこまで来ている愉悦の波を受け入れた。
「ひっ、あぁぁっ!」
 触れられてもいないのに、性器からはピシャリと激しく精液が噴き出した。腰を高く突き上げたまま、ビクンビクンと陽の指を締め付ける。
「あ、はぁっ……はっ」
 出しっぱなしになっていたシャワーを止めた陽に、力の入らない身体を抱きしめられ、バスタオルに包まれたまま寝室へと連れて行かれた。
 十センチほど開いたカーテンの隙間から、空に輝く星がいくつか見えた。パチっと枕元にあるランプが点けられて、眩しさに目を細めた。
 明かりに照らされた、陽の逞しく均整の取れた身体に目が惹きつけられる。浴室でも何度も見たはずなのに、何度だって自分は簡単に恋に落ちる。
「逆上せてないか?」
 陽の言葉に頷くと、腰の下にクッションを入れられて、太ももが持ち上げられた。攣りそうになるほどに足を開かされて、羞恥に頬を染める間も無く後孔に昂りが押し当てられたのがわかる。ヒクヒクと収縮するそこは、陽を受け入れるべく早く早くと蠢いていた。
「悪い……ちょっと、抑えらんねえかも」
「痛くても、いいですよ……」
 グッと性器が押し込まれ、濡れた先端が飲み込まれていく。ボディソープで潤った後孔は抵抗なく陽の性器の先端を飲み込んでいく。
「あ、くっ……ん」
「ゆっくり、息吐けよ」
 一番太い亀頭が中を押し広げる感覚にピリッと痛みが走り、睦月は眉根を寄せた。チュッとキスを落とされて、しばらく放って置かれていた両胸に色付いた赤い実を長く繊細な指に弄られる。
「あぁっ……」
 陽の舌が唾液を絡めるように這い、赤い実がテラテラと光る。濡れて立ち上がった乳首をコリコリと指先で刺激される。
「ふ、あっ……」
「ココ、自分で弄れるか?」
 強い快感に、下肢に感じる痛みのことを一瞬忘れていた。睦月は小さく頷いて、両手で胸の頂に触れた。濡れた手の感触が気持ちよくて、自分の口元に持っていった指を一本ずつ舐めていく。それを見ていた陽の男らしい太い首、喉が上下に動いたのがわかった。
 自分のあられもない姿に興奮してくれているのかと、陽の瞳を覗き見る。熱のこもった琥珀色の瞳には、劣情に濡れた扇情的な自分の姿が写っていた。
 唾液で濡れた指先で、小さいながらも立ち上がった乳首を両方同時に捏ねる。どうすれば気持ちがいいかなど、自分の身体のことだ、わからないはずがなかった。
「はぁ……あっ、ん」
 焦らし円を描くように乳輪を擦り、ツンと尖った先端を捏ねくり回す。ヌルリと唾液で滑るのが気持ちよく、動かす手が止まらなかった。
 胸への行為に夢中になっている間に、足を持ち上げられズルリと太い性器が一気に奥深くまで突き入れられた。
「あぁぁっ!」
 痛みはなかった。ただ、本来受け入れる場所ではない後孔への異物感が酷い。しかし、それ以上に己の体内で脈打つ陽を感じて、充足感に満たされていた。
「へ、いきか……っ?」
 陽も苦しいのか、額には汗が滲み出ている。ポタリとシーツに落ちた汗と、邪魔くさそうに髪をかき上げる仕草が、大人の色気と獣のような野性味を感じて睦月はうっとりと目を細めた。
「陽、さん……き、れい」
「十六も歳下のガキだと思ってたのになぁ……お前にこんなに翻弄される日が来るとは思わなかったよ」
 綺麗って言うなら、お前だろ──と艶めいた低い声で囁かれて、ズルッと性器が浅い場所を擦りながら引き抜かれる。
「あぁっ、や……っ」
「いや?」
「抜いちゃ、ダメ……」
「抜かねえよ……っ」
 ギリギリまで抜かれた性器が、グチュッと水音を立てながら再び奥深くへ挿入する。抽送を繰り返しながら奥を突かれる快感に、睦月の身体は戦慄いた。
「あっ、ひぁっ……」
「もう、無理だ……悪い」
 何がと聞く前に、ギシギシとベッドが軋む。肌と肌がぶつかり合う音がするほどの激しさで、陽が腰を打ち付け始めた。ズルリと太い陰茎が内壁を擦る感覚に、前立腺を掠めていく感覚。交互に押し寄せる愉悦の波に、睦月は陽の背中に縋り付くことしか出来なかった。
「あ、あっ、はっ、ん……ダ、メ、はげしっ……」
「睦月……っ」
 睦月の名を呼ぶ声色が余裕を失くす。荒い息が、顔にかかり抑えられずに高く上がった声が、陽の唇の中に飲み込まれた。
「んんんっ……!」
 グチッグチッと結合部から立つ水音は激しさを増して、後孔から尻を伝いシーツを濡らす。葉月が起きはしないかと頭を過ぎったが、それで止められるはずもなかった。
 ゴリゴリと浅い場所を擦られる。その度に、ビクビクと睦月の性器からは、先走りが流れ出た。
 唇が離され、深く息を吐き出しながら胸元を弄っていた手を、下肢へと伸ばした。
「こっちも、自分で弄るのか?」
 口角を緩く上げ揶揄い交じりに言われて、睦月は涙に濡れた視線で陽を睨んだ。だって、触ってくれないから。
「やぁっ……だって、が、まっ……できなっ」
「見たいんだよ……お前が自分でするとこ」
 腰を動かすのは止めずに、チョンと濡れた先端を指で弾かれる。それだけで、腹に付くほど反り返った性器の先端から新しい蜜が噴き出す。
「ほら、弄れよ」
「ふっ、ん……っ、あぁっ」
 潤滑油は要らなかった。先走りだけで、手のひらはグッショリと濡れている。亀頭をグリグリと刺激しながら固い陰茎を擦ると、中に入った陽をも締め付ける。
「っ、あんま締め付けんな……保たないだろ」
「む、り……っ、あぁっ、気持ちいっ」
 グチュングチュンと腰の動きに合わせて、手のひらを強く握る。トロトロと溢れた体液を塗りこませるように手を動かした。
 ハッと荒く息を吐き出した陽の瞳が熱に浮かされ褐色へと変わり、睦月の手を凝視する。その瞳の動きに、睦月の情欲が高まっていった。
「あっ、陽、さっ……見て、白いの出ちゃうと、こ……いっぱい」
「おま……っ」
 内壁がヌルリと温かな何かで溢れていく。グッと息を詰まらせるように、陽が身体を強張らせ、中に入ったままの性器がビクンと大きく震えた。
「よ、う、さん……イッちゃった? 俺の、中いっぱい……出てる。も、俺も……やぁ、ん、もイク……イッちゃ……っ」
 背筋が仰け反り、真っ白い世界が落ちてくる。手のひらに覚えのあるヌットリと絡みつく精液。最後の一滴まで絞り出すように腰をスライドされると、後孔からは陽の吐き出した精液がトロトロと流れ出た。
「あ、ふっ……陽さんの、出てる……お尻、から。あぁぁっ……ま、た? 入っちゃうっ」
 精液ごと後孔に再び性器が押し込まれる。達した後も、陽の昂りは収まることはなかった。まだ欲しいって思ってくれてる。
「一回で、終わんねえって言ったよな?」
 陽が動く度に、結合部からは陽の精液が溢れ出す。真っ赤に熟れた後孔に、白濁とした体液が塗れる様は凄くいやらしいのだと陽が興奮を目に湛えて告げられた。二度目は内壁を味わうように、ゆっくりと動かされる。
「あっ、あぁっ、あっ……」
「ほら、入ってるとこ……お前も見えるか? 今度は、自分で触んの禁止な」
 ズルリと引き抜かれた陽の浅黒い性器の周りが、白い体液で濡れている。またグチュンと音を立てて、睦月の中に埋まっていく動作は、心臓が激しく波打つほどの興奮がもたらされる。
「あっ、ん……見える、からぁ……もっと、奥っ、突いて」
 しかし、奥を突かれるほどの快楽を得ることは出来なくて、睦月は足を捩った。手が自身の昂りに伸びそうになっては、陽の腕に縋り付き触ってと繰り返す。
 ジュッと再び睦月の性器から、先走りが溢れ出た。トロリとした白濁をすくい取られるだけで達しそうなほど焦らされた性器は、ジンジンと痛いぐらいに反り返り張り詰めている。
「奥、な」
 ズンと腰を打ち付けられて、ビクンと身体が跳ね上がる。自らの快楽を得るような激しさで奥を突かれ、睦月は待ち焦がれた快楽に身を任せた。
「あぁっ、そ、こっ……イイっ、ふ、あぁっ……こわ、れちゃっ」
 ガクガクと揺さぶられて壊れてしまいそうだ。けれど、飛び散る陽の汗と、中を蠢く昂りに息苦しいほどに胸がいっぱいになる。
「陽、さっ……好き……大好き」
 荒く息を吐き出しながらギュッと身体を抱き締められて、陽からの言葉はなくとも俺もだよと言っているような気持ちが伝わった。
 中を擦る性器が、ズンと大きくなった。パンパンと肌と肌のぶつかる音が響く。酷く卑猥な水音が後孔から聞こえ、頭の芯が痺れるほどの恍惚感に浸される。腰が一気に重くなり、陰嚢に溜まった精液が吐き出された。
「んぁぁっ!」
 達した瞬間、身体が痙攣するかのように震える。ギュッと後孔に力が入り、搾り取る感覚で中に生温かい精液が注がれた。
 クッと小さく呻く声を聞きながら、お腹が陽の吐き出した精液でいっぱいになっていくのを感じる。
「お腹、いっぱい……」
 食いもんかよ、と艶気を含んだ低く弾んだ声で告げられる。だってと甘えたな声を返せば、ズルリと引き抜かれた感覚に、嬌声が上がった。
「ひぁっ……」
「こら……んな声出すなよ。止まらなくなる」
 コツンと額を小突かれて、意図した訳ではないのにと口を尖らせた。身体が重く、動かせる気がしない。気怠げにシーツに身体を沈ませていれば、陽が隣に寝転んだ。
 首の下に手を入れられて、引き寄せられる。再び唇が重なり、深くなるかに思えたそれは、触れるだけに留まった。チュッチュと、軽く啄ばむように角度を変える。徐々に首筋へと下りていった唇が、睦月の首に吸い付いた。
「……っ」
 チリっと痛みを感じる程度ではあったが、何と目を瞬かせれば再び軽いキスが降りてくる。
「消毒し忘れたとこあったなと思って」
 すっかりと頭から消え失せていたが、そういえば男に唇を寄せられたんだと思い出す。
「悪い……思い出させたか?」
 睦月はフルフルと首を横に振った。
「もう、平気です。でも……また、思い出したら抱いてくれますか?」
 広い胸に擦り寄ると、嬉しげに髪を撫でられた。
「思い出してなくても、抱かせろよ」
 陽の言葉にふふっと笑いが溢れる。今更クゥッと小さくお腹が鳴った。
「今日飯食ってねえもんな」
 確かに空腹は感じていたが、強烈な怠さと鉛のように重くなった瞼が、睦月を眠りの淵に誘っていた。
 髪を撫でる陽の手が優しくて、泣きそうなほどに幸せだ。
「愛してる」
 夢の中で聞こえた呟きに、睦月は微笑みを返す。

 まるで金槌で打たれたように、腰が痛む。え、どうしてなんて理由を探したのも一瞬で、隣で眠る陽の姿を見た瞬間昨夜の濃密な時間が蘇った。
「結構……痛い……」
 思わず声に出てしまったものの、いつもの時間に目が覚めたのは運が良かったとしか言えない。まだ窓の外は薄暗く、カーテンの隙間から入ってくる僅かな朝日の明かりで、室内が照らされている。
 隣に眠る目を閉じていても美しい顔の男に見惚れ、再び熱くなりそうな身体を、フルフルと小さく首を振ることで誤魔化した。
 腰に鈍痛を感じながら、そっとベッドの下に足を下ろす。きちんとパジャマを着込み、身体に不快さはない。眠ってしまった後に陽が後始末をしてくれたのだろう。
 足を引き摺りながら、陽を起こさないようにドアを開けて廊下へと出る。
 寝不足ではない。むしろスッキリと頭は覚醒していた。
「よし。ご飯、作りますか」
 エプロンを巻いて、炊飯器のスイッチを入れる。雑穀米とブレンドして炊くと、香りがよくて陽が好きだと言っていた。
 別に相手にばかり合わせている訳ではない。ただ、好きな人が好きだと言ってくれるものを作りたいと思ってしまうだけだ。
 いつものようにテキパキとは動けなかったけれど、なんとか洗濯と朝食を作り終える。
 葉月を起こしに行こうとリビングを出ると、陽が部屋から出てくるところだった。
「おはよ、ございます」
「おはよう。よく起きれたな……今日、朝学校まで送ってくから無理すんなよ?」
 痛めた腰を気遣われるのは、何だか居た堪れない。同時に本能のままに乱れてしまった自分にも、今更羞恥心が襲う。
「今更だろ? なに赤くなってんだよ」
「だ、だってっ」
「言ったよな? 好きな奴がエロくて、嬉しくない男はいねえよ。もう不安になんてなるなよ」
 廊下の壁に身体を押し付けられて、唇が塞がれる。睦月の手が陽の背中に回されると、キスは深まっていく。
「んっ……はぁ」
 一度知ってしまった快感は、抑えることができない。もっともっとと貪欲に、次を欲しがってしまう。
「兄ちゃんと陽ちゃん、なかよし? チューしてるの?」
 いつからそこにいたのか、葉月の声が廊下に響く。二人同時にパッと身体を離し、珍しくも陽が焦った顔を見せた。
「……そう、仲良しな相手だけな。ほら、葉月もおはよう」
 元々、頬や額にキスをすることは珍しくなかったから助かった。陽が葉月の頬にキスするのを見つめながら、睦月も葉月の髪をかき上げ額にキスを送る。
「おはよ、葉月。自分で起きれて偉いね」
「兄ちゃん、げんきになった?」
 心配気な顔付きで、葉月が口を開いた。昨夜あからさまに陰鬱げな表情をしていた睦月を心配してくれていたのだろう。
「優しいね、葉月は。兄ちゃんもう元気になったよ」
 葉月を抱き上げようとして、腰に鈍い痛みが走る。
「……っ、た」
「にいちゃ? だいじょうぶ」
 腰を摩りながら廊下の壁に手を付く様子に、葉月が心配そうに眉を下げる。どうしていいかわからないとおろおろする葉月を抱き上げた陽が、大丈夫だと声をかけた。
「ちょっと運動し過ぎただけだ。明日には元気になってるから、心配すんな。ま、でもこれから頻繁に兄ちゃん身体痛くなるかもしれないから、そうしたら葉月お手伝いいっぱいできるか?」
 よしよしと葉月の頭を撫でながら、陽が告げる。
「はっ? ちょ……陽さん! 葉月になんてこと」
「ん? 家族が仲良いのはいいことだろ?」
 結んだままの唇に微かに笑いを滲ませながら、寝起きにも関わらず魅力的な表情で告げられる。
「なかよしだもんね」
 ね~と顔を見合わせて言う二人は、どこからどう見ても親子そのものだったけれど、どうしたもんかと睦月は痛む腰をもう一度摩った。

 葉月を保育園へ送り、陽の車で学校の門を潜る。あれ、と思ったのは裏門から車で入って行った時だ。門の近くで車を停めてそのまま、陽は帰るのかと思いきや、駐車場に車を停めて陽も降りる。
 昨夜、荒地が校長と新聞部の八田との話し合いがあると言っていたから、その件だろうか。
「陽さん、何しに行くの?」
「んな不安そうな顔すんな。学校側も事実確認をしなけりゃなんねえんだろ。犯人は捕まったけど、問題起こした写真部だってそのまま存続ってわけにはいかねえし」
 校内を陽と隣り合って歩くのは不思議な気分だ。通り過ぎる生徒たちがハッと驚きの目を向けた後振り返る。陽は向けられる視線を気にも留めない。
 陽はどんな高校生だったのだろう。きっと相当モテたんだろうな、と陽の過去の恋愛を聞きたいような聞きたくないような、複雑な気分だ。
 それを聞きたくても、聞ける両親がいないのは寂しいことだが、そもそも両親が生きていたら、陽と一緒に暮らすこともなかったのだ。
「聞いてるか?」
「えっ?」
 コツンと頭を小突かれて、現実に戻る。目の前には怒ったわけではないだろうが、真面目な話を聞いていなかった睦月を咎めるような視線を向けられて、ごめんなさいと素直に謝った。
「あの……不安とかじゃないんです。むしろ犯人捕まったしスッキリしてるっていうか。そしたら、こうして学校を一緒に歩いたことなかったから、陽さんはどんな高校生だったのかなとか考えちゃって」
 しどろもどろになりながら説明すると、ああとそりゃそうだなと言葉が返される。遠くを見るような瞳は昔を思い出しているんだろうか。
「あの男のことで悩んでるんじゃなければ、別にいい。まあ、俺の高校時代なんか、それこそ健吾のアルバムとか見りゃ一発だろ」
「あ、そっか」
 二人の遺品はもちろん取ってあったが、両親の中学、高校のアルバムを開くことはなかった。睦月の中学時代は葉月の子育てに追われていたし、高校に入ってからは自分が頑張らないとという思いで、過去を思い出したら立ち上がれなくなるような気がしていたのだ。葉月と一緒にDVDを見たのだって随分久しぶりのことだ。
「でも、正直……こうしてお前と歩いてると、健吾が隣にいるような気がする。健吾の高校時代にそっくりだよ。顔も性格も……健吾をより美人にした感じだな」
 遠い日の記憶を辿るように、陽が空を見上げる。ああ、もしかしたら──と気付いてしまった。
 五年前に陽が書いた〝幸せの温度〟あれは、あの主人公は。
 でも、言葉にするのは躊躇われた。過去がどうだろうが、二人は帰ってくることはないし、愛し合い睦月と葉月が産まれたことは間違いのだから。
 別にいい。陽が睦月の名を間違えて呼んだりすることはないし、過去の恋愛から睦月を愛してくれているわけじゃないと信じられる。
「陽さんにとって、父さんと母さんは……大事な人だったんだね」
「そうだな」
 ほら、行くぞと背中を押され、職員室に行くという陽とは昇降口で別れた。

 教室に入ると、睦月に気付いた荒地と杉崎が軽く手を挙げる。ふと、八田の姿を探すものの、やはり校長との話し合いが行われているのか姿はなかった。
「おはよ」
「よっ、睦月。昨日の話聞いた。犯人捕まって良かったなぁ」
 肩を撫で下ろし安堵したかのように言う杉崎にホッとする。杉崎の朗らかな明るさに、救われる思いだ。
「うん、だね。荒地昨日はありがと」
「おお。陽さん来てんだろ? そういや、八田今事情聞かれてるみたいだけどな。お前だけじゃなくて、結構いるみたいだぞ。写真売られた奴」
 荒地があいつとあいつとと指差した数は、クラスの三分の一に及んだ。素人の撮った写真で、そんなに売れるものなのだろうか。確かに睦月が撮るよりかは遥かに綺麗に撮れているとは思うが。
 耳を澄ましてみれば、教室内は写真部の話で持ちきりだった。女子生徒の最悪という声もチラホラと聞こえてくる。
「怖えよな。人気がある奴のなんか、写真集みたいにして高い金取ってたってさ」
「写真集?」
「そうそう、アイドルみたいにさ」
「黒岩~先生が呼んでる!」
 教室の入り口から、クラスメイトが睦月を呼んでいた。どうやら伝言役を頼まれたらしく、担任の姿は廊下にはない。
 一時限目はどうやら自習になりそうだ。日直の男子生徒が黒板にその旨を書いている。
「行ってくるね」
 睦月は声をかけてくれた生徒に礼を言い、教室を後にした。校長室にと言われ、それってどこだっけと頭を巡らせた。
 職員室辺りを彷徨っていると、すぐ隣が校長室だった。足を向けると、部屋からは顔色を失った八田の姿がある。睦月に気が付くと、立ち止まり頭を下げる。迷惑をかけてごめんなと言い残し足早に去って行った。
 校長室のドアをノックし、失礼しますと声をかけてから中へと入る。
 部屋の中央に置かれた革張りの重厚なソファーに陽が腰掛けていて、目の前には校長と担任、それに昨日顔を合わせた警察官がいる。四十代ぐらいだと思われる男性警察官が私服なのは、学校という場所を鑑みてのことだろう。
「とりあえず座ってくれるかな?」
「あ、はい」
 担任に手招きされ、陽の隣に腰を下ろす。どんな話し合いがされるのかわからないが、警察はまだしも、昨日のことを校長や担任にまで詳細を話すのは嫌だった。
「昨日は、大変だったみたいだね。私たちは君が襲われそうになったってことしか知らないんだが、ここに来てもらったのは写真のことでなんだ」
 意外にも口を開いたのは警察ではなく校長で、木目模様のテーブルの上に何枚かの写真と、五ミリ程度の厚みのある本を置いた。
「これに見覚えはある?」
 写真に写るのは、もちろん睦月だ。昨日男が持っていたものだろうか。その他にも、先程杉崎の話に出た写真集が置かれている。自分の顔がそういった本の表紙になっているというのは不思議なもので、何らかの加工がされているのか別人を見ているようだった。
「何枚かは……八田にもらったことがあります」
「これは?」
 スッと警察官の手によって、睦月の前に差し出された数枚の写真は、明らかに授業中の睦月の様子を外から撮ったものだった。
 それに先ほど見せられた写真とは違い、端に木が写り込んでしまっていたり、ブレているものもある。画像も荒く、撮り方が拙い。これならばまだ、睦月が撮った方がマシな気がする。
「これは……知らない、です」
 隠し撮りのような何枚かの写真を指差した。
 水泳の授業が終わり着替えている時などに八田からレンズを向けられることはあったが、同じクラスとは言えさすがに授業中に外から写真を撮ったりはしないだろう。
 八田のしたことは許されることではないが、どれもこれも写真部という名に相応しく素人でありながらも綺麗に撮れていたのだ。
「そうか。これは、昨日君を襲った男が、校内に忍び込んで撮った物だと思われる。男の部屋からは弟を連れた君の写真や、学校の友達といる君の写真が大量に出て来たよ。それで写真部の子が売った写真と、そうでないものを確認してるんだ。思い出させるような話をして申し訳ないと思うが、調書を作るための事実確認がどうしても必要なんで、協力してもらえると助かるよ」
「はい」
 警察官は睦月が見ていた写真を校長から受け取り、代わりに胸ポケットから数枚の別の写真を取り出した。そこには見覚えのあるタオルや、いつのまにか失くなっていた物が写っている。
「これは、奴の部屋から出てきた物なんだけど、君の物はある?」
 睦月は写真を手に取り、一つ一つを見ていった。覚えているのは、水泳の後に失くなっていたスポーツタオル、それにどこかに紛れてしまっていたかと失くしたことすら忘れていたシャーペンや、ハンカチまであった。
「これと、これと……」
「そうか、ありがとう」
 警察官は、テーブルの上に開いていたタブレットに何かを打ち込んでいく。
「あとはちょっと先生たちには外してもらうから、少し詳しく聞いてもいいかな? 保護者の方と一緒に」
 校長と担任は労わるような表情を睦月に向け頷くと、校長室の中にある職員室へと繋がるドアから出ていった。
 きっちりとドアが閉まったのを確認してから、警察官が再び口を開いた。
「ビニール袋に入れられた君の制服は、今鑑定待ちだが男が口を割っている。体液で間違いなさそうだ」
 やはり、という気持ちが大きいが、あの制服は陽が捨てたのだと思っていた。
「え、あれ……取ってあったんですか?」
「捨てるわけねえだろ? 大事な証拠なんだし。でもお前の目に触れさせたくなかったんだよ。洗ってまた着せるなんて、出来るはずねえし」
 陽の話を警察官も頷きながら聞いていた。現行犯逮捕出来たことと、制服が学校へ不法侵入したことの証拠になると告げられる。
「男は仕事を度々休んでは、早朝の学校に忍び込み君の席を物色していた。ちなみに君の名前と席の場所は、写真部の子に聞いたらしい。八田くんも、男の様子に恐怖を覚えたようだが、教えなければ写真を売っていることを親と学校にバラすと脅されていたようだ」
 八田が睦月の名前や席を教えていたことに憤りは感じるが、それだけだ。先程すれ違った八田の表情は深い後悔の念に苛まれていて、責めることは出来なかった。
「そう、なんですか……」
 思い出すのは辛かったが、それから順を追って睦月の知る男の行動を話していった。と言っても、マンションの前で男と鉢合わせたところからだけだ。
男の顔を校内に見たことはなかったし、視線を感じたなどと証拠もない不確かな話は出来ない。
「しかし……黒岩くんは、落ち着いていますね。こう言っては何ですが、性犯罪の被害者の皆さんから調書を取るのは、非常に大変なんですよ」
 それはそうだろう。睦月だって、もしも陽や荒地、それに葉月に田ノ上がそばにいなかったら、どうなっていたかはわからない。
「陽さんが……家族が、そばにいてくれましたから」
「そうですか。ご協力ありがとうございました」
 警察官はタブレットや写真を鞄にしまうと、校長室にある固定電話で内線をかけた。終わりましたと言って内線を切ると、隣の職員室から担任と校長が姿を現す。
「黒岩くん、教室に戻っていいよ。浅黄さんもお忙しいところありがとうございました」
「ええ……じゃあ、また帰り迎えに来るから」
 立ち上がり担任と挨拶を交わしす陽が、振り返り様に言った。もう犯人は捕まっていて、帰りに迎えに来てもらう理由がない。
「帰りは大丈夫ですよ?」
「俺が心配なだけだ」
 ポンポンと腰を叩かれ、ツキリと鈍い痛みが走る。そうか、そういうことかと頬が知らずのうちに赤くなった。
「じゃあ、待ってます」
 呟いた言葉は、自分で思っていたよりも甘く室内に響き、担任に気付かれてしまうんじゃないかと一瞬思考が止まった。
「あ、の……じゃあ、失礼します」
 校長室を出て、教室へと走る。痛いはずの腰のことも忘れて、赤くなった頬を誤魔化すように。
「睦月~! 次の時間から通常授業に戻るって」
 教室に戻ると、杉崎と荒地が何かを話しているところだった。睦月の姿に気付いた杉崎が、どうだったと聞いてくる。
「警察も来てたって?」
「ん。でも、そんな大したこと聞かれたわけじゃないから。ねえ、八田は?」
 睦月よりも早く事情を聞かれて戻っているはずの、八田の姿が見えなかった。まだ、教室内は八田の話で持ちきりだったが、居た堪れずに帰ったのだろうか。
「いや、戻って来てねえよ? 朝も教室には来てねえし。校長室で話した後そのまま帰ったんだろ。どちらにしても、退学は免れないだろうし。部ぐるみで売ってたとしたら、写真部は廃部だろ」
「退学……?」
 同情は出来ない。確かに進学校である桜坂高校において、八田がこのまま何のお咎めもなく学校に居続ける方が難しいだろう。
 むしろ睦月が無事だったから、この程度で済んでいるのだ。
「まあ、仕方ないよ……睦月が気にすることじゃないぞ? 他にも写真売られた奴らいっぱいいるんだから」
「うん……」
 その日は授業にも身が入らず、みんなも落ち着かない様子だった。
 六限目が終わり、部活へと向かう荒地と杉崎を見送って、睦月は校門へと向かう。校門前に白の車が停まっていて、車から降りた陽がガードレールに腰掛け下校中の生徒からの注目を集めて立っている。
「陽さんっ、目立ってます」
「お帰り、睦月」
 スマートな仕草で助手席のドアを開ける陽に、複雑な気持ちが芽生える。普段は家からあまり出ない仕事をしているため、そう人目に触れることはないが、そもそも陽は目立つ容貌をしている。金色の髪にしても、日本人とは思えないほどの目鼻立ちの整った顔にしてもだ。
 まだ恋人になって日が浅い睦月にとっては、優越感を覚えるより前に気持ちが落ち着かなくなる方が大きい。
 たくさんの女子生徒に熱のこもった視線を送られる陽に、ジリジリと焼けるような胸の痛みを感じる。
 車に乗り込んだ睦月は、まともに陽の顔が見れずに窓の外に視線を向ける。
「どうした?」
「何でもないです……」
 どうしてこんな格好いい人が、睦月を好きでいてくれるのかと。好きになって、両想いでそれだけで満足していたはずなのに、どんどん欲張りになってしまう。
 陽がフッと笑いを溢す。きっと、この男は自分が周りからどう見られているかもわかっているのだ。だから、あまり人混みを好まないし、外にも出たがらないのだろう。
 小説家として名を馳せているが、テレビや雑誌の取材は写真NGとしているのは、見た目だけで有名になってしまうことをわかっているからだ。
「何で笑うんですか?」
「いや、だいぶ我儘になったなって嬉しいだけだ。あんまり手がかからないのも可愛くねえんだぞ?」
 尖らせた唇をキュッと抓まれる。可愛くないと言われて、気持ちが揺れた。
「我儘なんて、言ってないです」
「お前は、すぐ顔に出るからわかりやすいんだよ。外見しか見てない女子高生に嫉妬してくれるなら、毎日でも迎えに来るのも悪くないかもな」
 プニプニと膨れた頬を指で押されて、口の中に入っていた空気が抜けた。
 考えていたことを言い当てられて、ますます居た堪れない。
 もっと素直に甘えたい気持ちはもちろんある。けれど、俺だけを見ててなんて赤ちゃん返りした子どもみたいだ。
「迷惑かけないようにって、お前は遠慮ばっかりだったからな。もっと我儘になれ、自分のしたいことをちゃんと口に出して言えばいい」
「したいこと……」
 そういえば、進路のことも相談しなければならなかった。陽の手伝いが出来るような職につきたい。出来れば……大学に行きたいと。

十一
「しっかし、写真集まで作ってたとは、高校の写真部も侮れないね……って、どうした? 具合でも悪い?」
 いつも通りの土曜日。声を掛けられて、淡々と作業をしていた手を止める。気付くと、倉庫には田ノ上の姿があった。
「あ、いえ……すみません。ちょっとぼうっとしてて」
「学校でまた何かあった?」
 壁にもたれていた田ノ上が、物憂げに聞いた。
 一息ついているところだったのだろう。缶コーヒーを両手に持ち、一本を睦月へと手渡される。捕まった男の件で、かなり心配を掛けてしまったようだ。実はバイトに来る前に、無理だったら辞めてもいいとまで言われた。
「いえ、学校は……あの、田ノ上さん、一つ聞いてもいいですか?」
「うん、なに?」
「俺が……陽さんの為に出来ることって、何だと思いますか?」
 礼を言い缶コーヒーを受け取ると、机も椅子もないため田ノ上に倣って床に座る。驚きを露わにした田ノ上は、言葉を詰まらせ顎に手を当てたまま何かを考えている様子だ。
「うーん、そうだねぇ」
「俺……高卒で働こうって、陽さんに迷惑を掛けないようにしなきゃって、そればっかりで、自分が何をしたいかを考えたことなかったんですけど。ここで、バイトさせてもらってるうちに、いつか陽さんの仕事が手伝えるようになりたいって思って……」
 自分の胸の内を人に話すのは、酷く恥ずかしかった。叶うかどうかもわからないのに、お前じゃ無理だと思われていたらと不安になってしまう。
 けれど田ノ上は睦月の話を茶化すでもなく、真っ直ぐな視線で受け入れてくれた。
「そっか……進路ね。っていうか、睦月くんの話を聞く限りじゃ、答えは決まってるんじゃないの? でも、厳しいことを言うようだけど、例えば出版社に就職できたとしても、編集がやりたくて入って来たって全然違う部署に配属されるなんてザラだから。まあ、あの人あれでいて超大物作家だからね。陽のコネを使えば簡単だろうけど……そういうんじゃ嫌なんでしょ?」
「陽さんに言ったら、またバイトの時みたいに簡単に就職先が決まるんだろうなって……だから、余計に言えなくなっちゃって」
 何がしたいか、どうしたいかを陽に言わずにはいれないだろうが、案外心配症できっと睦月に甘い陽ならばと考えてしまう。
 陽の手伝いがしたいとはいえ、楽に就職が出来たらと考えているわけではないし、あくまでも〝いつか〟だ。そう簡単に叶っては、やり甲斐もない。
「うちの会社の場合は、いくつかの大学にインターン募集の案内を毎年出してる。それで内定も決まる場合が多いよ。高卒でも採用の枠がないわけじゃないけど、給料が歴然の差なのは言うまでもないね。悲しいことに、仕事量で給料の額が決まるわけじゃないんだ」
「大学……」
 田ノ上のいる出版社に入りたいとそこまで高望みをしていたわけではないが、もしかしたらという希望が芽生える。
「それに、睦月くんの行ってる高校、この辺じゃトップクラスの進学校だよね。っていうか、確か陽も桜坂出身じゃなかった? あそこからなら、日本全国どこの大学でも大抵は狙えるでしょ」
 陽も桜坂高校だった──と言うことは、父さんと母さんも? 母は十六で睦月を身籠り、入った高校はすぐに辞めてしまったと言っていた。それに、同い年である父、健吾ともすぐに結婚できたわけではないという話は聞いていた。二人とも多くは語らなかったが、両親の葬儀にどちらの親も来ていないということはもうすでに亡くなっているか、縁を切っているかなのだろうと想像していた。
 いつも睦月が着ている制服、父も同じものを着ていたのだと思うだけで、すぐそばにいるような気がするのだから不思議だ。
「でもさ……陽のためにって言うなら、本当の家族になってあげてよ」
 嵌めた腕時計に視線を移した田ノ上が、ヤバっと一言漏らす。
「え……」
「あ、来週の土曜日は葉月くんの作品展でお休みだったよね。じゃあ、また再来週ね、お疲れ様」
 飲み終わった缶コーヒーを手に立ち上がり、慌ただしく部屋を後にする田ノ上の背中を見送る。お疲れ様ですと返すのも忘れて、睦月は呆然と立ち尽くした。
「本当の……家族?」

 一週間後の土曜日──。
 葉月を連れて保育園へと向かった。今日は園内が、園児たちの作った絵や作品で色取り取りに飾られている。
 今年のテーマは〝家族で動物園〟だ。お父さんとお母さん、それにおじいちゃん、おばあちゃんといった段ボールで作られた人形が幾つもあり、教室や廊下、ホールに色々な動物たちがいる。
 葉月の身体よりも大きなパンダや熊は、クラスごとに先生たちも協力して作ったそうだ。
「葉月のクラスは何が飾られてるのかな?」
「レッサーパンダじゃなかったか?」
「そういえば、レッサーパンダも作ってたね。あ、ほらレッサーパンダはあそこにありますよ。って、あれ、なんだろう……」
 開けっ放しの教室のドアの外から見えるのは、茶色の毛むくじゃら……一体何の動物だろうと頭を悩ませてジッと見つめると、丁寧に下にカンガルーと書いてあった。
「あ、カンガルー作ったんだ。この袋の中に入ってるのは、赤ちゃんカンガルーだ」
「うん! みんな、おやこでどーぶつ作ったんだよ」
 言われてみれば、他のクラスも大きいのと小さいのが並んで置いてあった。あれは、親子だったのか。
「ようちゃん、兄ちゃんみて! これ、葉月がかいたんだよ」
 葉月が指差す壁には、園児たちの描いた絵が飾ってあった。先生の字で、家族の絵とある。葉月の描いた絵には、たくさんの人が描かれていてみんな笑顔を浮かべていた。
「葉月、これ誰と誰を描いたの?」
 陽と睦月と葉月の三人にしては人数が多い。画用紙には五人の人の姿と背景が描かれていた。
「これは、おとうさんとおかあさん。で兄ちゃん、ようちゃん、たーちゃん」
「このちっちゃい丸は?」
 端の方に黒く丸まった物体が描かれていた。ボールだろうかと葉月に聞けば、すぐさま答えが返ってくる。
「あらちー」
「荒地まで……葉月はたくさん家族がいるね。みんな葉月のこと大好きだもんね」
「みーんな、兄ちゃんのこともだーいすきだよ。だってようちゃん、仲良しのひとにしかチューはしないって言ってたもん」
 前にキスしてるのを見られた時の苦しい言い訳だ。陽がそもそもスキンシップの激しい人だからか、葉月も人に触れることに抵抗はないようだが、クラスの女の子に仲良しだからと言ってキスしたりし始めたら困ってしまう。
「そ、そっか」
「兄ちゃん、兄ちゃん」
 葉月が小さな手をちょいちょいと動かして、睦月を呼ぶ。何だろうと、睦月はしゃがみ込んで顔を近付けると、内緒話でもするかのように耳元で口を開いた。
「でもね、ようちゃんのとくべつは、兄ちゃんなんだよ。だって、口にチューするあいては兄ちゃんだけだって言ってたもん」
 内緒話は内緒話にならず、教室内に響く。まだ早い時間だったために、担任の先生しかいなかったため、助かった。あははと、誤魔化すように先生に視線を向けると、ポッと顔を赤らめ視線を泳がせ知らないフリをしてくれている。
「陽さん、何てこと葉月に話してるんですか……」
 作品を見るフリをしながら、誰にも聞こえないように声を潜める。
「仕方ないだろ。最近葉月にキスすると、どうして兄ちゃんだけ唇なのかって聞かれんだよ。誤魔化し続けるにも限界があるし、どうせそのうちバレるだろ」
「バ、バレるだろって……」
 葉月の家族とも言える陽と睦月が、男同士で……などと知ったら、傷付くのではないだろうか。もっと大きくなってその意味を知った時、軽蔑の目で見られるのではないかと心に影が落ちる。
 大事な家族で、たった一人の血の繋がった弟。
 睦月の中に、陽と別れるという選択肢はなかったが、葉月に受け入れてもらえなかったらあまりに辛い。陽だって、自分の性的指向を両親へ打ち明けたことで、溝ができてしまったと言っていたじゃないか。葉月も──。
「んな、不安そうな顔すんなよ」
 ピンと額を指で小突かれて、陽を見上げれば何かを決意するように目に光が宿り、真っ直ぐと葉月を見つめていた。
「お前と葉月はそっくりだよ」
「え……?」
 突然何の話かと、驚きに満ちた視線を投げかける。たくさんの動物たちの絵を真剣に見ている葉月に慈愛に満ちた眼差しを向けた陽が、ポツポツと話を続ける。
「葉月が優しくて思いやりがあるのは、全部睦月の真似だろ? お前が愛情深く葉月に接してるから、葉月が素直でいい子に育ってんだ。もし、将来葉月が俺たちと同じように、彼氏を家に連れて来たら、お前反対するか?」
 葉月が彼氏を──?
 想像して言葉に詰まる。いや、こう思ってはダメなんだろうが、彼女であっても複雑だ。兄ちゃん兄ちゃんと言ってくれる葉月が、これから大きくなって、もっと大切な人が出来るなんて。
「人によります……」
 思わずそう答えてしまって、陽がククッと笑いを溢す。
「……ブラコンかよ。まあ、そりゃそうだな……俺も同じだ。でも、きっとお前は最終的には葉月の幸せを優先するだろうよ。葉月だって同じだ。きっとお前が幸せであるなら許してくれる。何たって、見本がお前なんだから」
「そう、ですかね……わかってくれるかな」
 睦月も葉月に視線を向けて、遠い日の未来を想う。

 家に帰り、夕食の支度をしようとエプロンを着けていると、陽に手招きされ座れと椅子が引かれた。
 そう表情が変わる人ではないが、いつもよりも真剣な顔付きで、睦月の心の奥底まで覗き込もうとするかのような瞳に、ドキンと心臓が跳ねた。
 信じてはいるけれど、悪い話だったらどうしようかと、テーブルの下でギュッと拳を握り締める。
「葉月も……ちょっと座ってくれるか?」
 睦月と葉月が隣り合い、陽と向かい合わせにいつも通りに座る。
 テーブルの上に、一枚の紙が差し出され左上に書いてある文字に、驚愕した。
「陽さん、これって……」
「なあに、これ?」
「そろそろ……ちゃんとさせて欲しい。正直、睦月が襲われそうになってるところ見て、心臓が止まりそうになった」
 切なげに目を細められて、気が咎める。
「ごめんなさい」
「お前が悪いわけじゃねえだろ? でも、人間いつ死ぬかなんて誰にも分かんねえよな、なんてこと今更思い出した。健吾や那月のことでわかってたのに……。そんなこと考えてたら、やっぱり俺はお前らとちゃんとした繋がりが欲しいって思ったんだが、それは俺だけの我儘か? お前らは嫌か?」
 差し出された養子縁組届を手に取る。この用紙を出すだけで、陽は戸籍上睦月と葉月の父親になる。
 ふと、先日の田ノ上の話が思い起こされた。
 〝本当の家族になってあげてよ〟
 それは、こういうことだったのだろうか。
「本当の……家族になるってこと?」
「陽ちゃんがお父さんだったらうれしい……けど、じゃあお父さんはお父さんじゃなくなるの?」
「死んじゃったお父さんは、ずっとお父さんのままだよ。それは変わらないから」
 不安そうに目を揺らす葉月に、大丈夫だと声をかける。陽のことはもちろん大好きなのだろうが、二度も父親を失くしたくはないのだろう。
「なら、いいよ! お父さんがふたりいるんだねぇ」
 睦月の言葉に安心したのか、葉月は手放しで喜ぶ。
「俺たちは、もう本当の家族だろ? だから、書類上のことだけだけど、そのたかが書類上のことが、結構大事だったりするんだよ。俺に胸張ってお前らを家族だって、紹介出来るようにして欲しい。睦月……お前は喜んでくれないか?」
「ほんとにいいのかな……? 迷惑じゃないですか?」
「当たり前だろ。いつか、お前たちのための家を、俺に建てさせてくれよ」 
 ポタリと涙がテーブルに落ちる。頬を撫でる大きな手のひらが、睦月の涙を拭う。
 一緒に過ごした時間は、たった五年。
 しかし、これからの未来はずっと、ずっと続いていく。
 その道を陽と葉月と共に歩んでいくことを、父さんと母さんは許してくれるだろうか。
「兄ちゃん、かなしいの? ボク、きょういっしょにねてあげようか?」
 隣に座る葉月が心配げにティッシュを手に取り、睦月の顔をゴシゴシと拭く
様子に陽が噴き出さんばかりに笑い始めた。
「段々、葉月の方がしっかりして来たな。その調子で、兄ちゃん守ってやれよ?」
「うん!」
 ポンポンと頭を陽に撫でられた葉月はご満悦だ。睦月が子ども扱いにふてくされ気味に唇を尖らせると、葉月には聞こえないように陽が耳元で囁いた。
「お前は、俺のことお父さんって呼ぶなよ? お前は俺の恋人でパートナーだろ? 奥さん?」
 ほら、書けとペンを渡されて、緊張で震える手で養子縁組届に記入を終える。この紙一枚を役所に提出するだけで、手続きは終わりだ。
 ただそれだけのことで、睦月と葉月はこれから名字が変わり、陽の戸籍に名前が記されるようになる。学校のことを考えて、前の名字のまま名乗っていてもいいと言われたけれど、睦月は首を横に振った。
 嬉しくて、飛び跳ねてしまいたいぐらい嬉しくて、一度は止まった涙が溢れ出てしまいそうだ。
「ご飯、作って来ます」
 席を立って、キッチンへと逃げる。嬉し涙だから、放っておいて欲しかったけれど、予想通りキッチンの横に立った陽に笑いながら告げられる。
「いい加減、そこに逃げ込むの止めろ」
「やだ……だって、俺今めちゃくちゃ嬉しくて、顔変になってる」
「へえ、見せてみろよ」
 顎を持ち上げられて、涙に濡れた頬にそっと手が触れた。全てを見透かしているような陽の琥珀色の瞳があまりに綺麗で、睦月はうっとりと目を細める。
 陽の瞳も徐々に細まり、唇が重なったのは自然だった。
「ん……っ」
 ぬっとりと舌が絡められ、膝が崩れ落ちそうになる。陽の手に腰を支えられて、睦月は逞しい腕に縋り付いた。
 チュッと唾液が絡まり、互いの口内を行き来するたびに、いやらしく水音が聞こえる。
 舌を強く吸われ、呼吸もままならない状態で唇を離した。
「は、っん……も……ダメ。我慢、出来なくなっちゃう」
「俺はもう我慢出来ねえよ。飯食って……葉月寝かしつけたらな?」
 グッとデニムの中で昂ぶった性器を押し付けられ、腰にジワリと快感が走る。暗に、夜の情事の予定を告げられて、顔が朱に染まった。
 視線を感じてカウンターキッチンの中からリビングを見れば、ジッと見つめる葉月の瞳があった。

「あっ……や、焦らさ、なっ……で」
 リビングのシーリングライトを落として、オレンジ色の間接照明だけに照らされた身体が規則正しく揺れる。
 リビングから続く廊下はシンと静まり返っていて、葉月はもう夢の中だ。
 先程からずっと浅い場所ばかりを突かれ、もっと深く欲しいと睦月は自ら腰を振っていた。
 睦月の身体はダイニングテーブルに上半身を預ける形で、うつ伏せにさせられている。背後から覆い被さった陽に腰を掴まれ、敏感な場所を何度も擦られ続けた。
「ひぁっ……やっ、だぁ、そ、こばっか」
「なんで? 好きだろ……ココ」
 いつ買ったのか、粘り気のあるローションを上から垂らされ、その冷たさに背中がブルリと震えた。性器が出し入れするたびに、グチュンと立つ水音がリビングに響く。
 ザラリとした襞が、陽の性器を締め付けながら必死に奥へ奥へと誘うが、少し入って来たと期待に震える瞬間、ニュルっとイイ場所を掠めただけで出ていってしまうのだ。
「も、イジメないで……っ、やぁ、おねがっ」
 涙声でそう訴えれば、仕方ないなと嘆息した陽がズルッと濡れた性器を引き抜く。
 後から後から迫る快感をどうやり過ごせばいいかわからずに、ハクハクと声にならない声を漏らしながら、涙に濡れた瞳を陽へと向ける。
「ほら、睦月……やり方わかるだろ?」
 グイッと手を引かれ起き上がると、目の前に屹立し血管の浮き上がった性器が眼前にあった。チュッと先端を唇に当てられる。
 睦月はダイニングテーブルの前にしゃがみ込み、陽の太ももに掴まりながら性器を口に含んでいく。
 早く、奥にして欲しいのだと、陽の快感を高めていく。ねっとりと舌を這わせながら、チュッと先走りの溢れた亀頭に吸い付く。
 顔を上下に動かしながらも、ジンジンと痛いほどに腫れる自らの陰茎に手を伸ばす。我慢出来ずに陽の足へと擦り付けながら扱くと、口に含んだ陽の分身がはち切れんばかりに膨れ上がった。
「はぁ……ん、む」
 クチュクチュと音を立てながら、溢れる唾液と先走りが口の中で撹拌《かくはん》され、混ざり合う。ジュッと苦味のある体液が舌に絡まり、睦月はもっとと強く吸い付いた。
「む、つきっ……」
 頭上からハッと短く快感に濡れた息が吐き出された。同時にグッと頭を掴まれ、腰を打ち付けられる。喉の一番を奥に触れ吐き気を催しながらも、それを堪えて飲み込んだ。苦しげに寄せられた睦月の眉に、申し訳なさが立ったのか、陽の手が離れていく。
「陽、さん……いい、から……したいようにして?」
 濡れた睫毛を瞬かせて、陽を見上げる。コクリと男らしい喉仏が一つ動いた。
 再び太い陰茎を口の中に含み、奥まで飲み込んでいく。喉を開いてすべて受け入れてしまえば、そう苦しくもなかった。
 ゆっくりと睦月の身体を気遣いながら、陽が動きを早めていく。
「ふ、っん……んむ……っ」
 グチュングチュンとどちらのものかわからない体液が口の中で音を立てる。喉奥を突くほどに深く抉られて、口の端から飲み込みきれない唾液が流れ出た。
 涙に濡れた瞳で陽を見上げると、情欲に駆られた男の顔が睦月の頭を撫でている。眉を寄せ、迫る快感に必死に抗っているかのような艶めいた表情は、あまりに甘くそれでいて野性味を感じる美しさだった。
 陽の性器を奥深くまで必死で飲み込みながら、己の性器を扱く手も止まらない。
 ポタリと上から汗が滴り落ち、身体に触れるだけで快感となり陽の足が濡れていく。
「……っ、はぁ」
 口の中でドクンと脈打つ。直後、ジュッと熱い体液が口腔内に注がれ、睦月の手の中にある性器もビクリと跳ねた。ピュッと何度目かわからない精液を陽の足へと吐き出しながら、注がれる精液をコクコクと飲み干していく。
「ん、んっ……」
 決して美味しいとは言えない精液が、ぬっとりと口の中に絡みついた。
「陽さん……いい子、して?」
「こら、そういう言い方されると、悪いことしてる気分になるだろ」
 文句を言いながらもよしよしと頭を撫でられて、微笑みを返す。腕を引かれて、再びダイニングテーブルへとうつ伏せに身体を押し倒された。
「もっと、早く大人になれればいいのに」
 睦月の言葉を飲み込むように、陽の唇が重なった。睦月を翻弄するかの如く、口腔内を動き回る舌が睦月の唾液を吸い取っていく。
「はぁっ……ん」
 燻っていた熱が再燃する。中に受け入れる快感を想像しては、後孔がヒクヒクと収縮し、耐えられないのだと身体を擦り付ける。
「俺の楽しみを奪うなよ。まだ、大人になんてならなくていい……お前が悩みながら成長していくの、もう少し見せろ」
 余裕ぶった表情の陽が言葉ほど余裕がないことは、触れ合う下肢から感じられた。放置され乾いてしまった双丘へと、再びローションが垂らされた。
「……っ、陽さんって、趣味悪い」
「いや、相当いいだろ? お前のこと選ぶぐらいなんだから」
 フッと鼻で笑われて、もう言葉は要らないとでも言うように、ヌルリと滑る双丘へ昂りを押し付けられた。クチュと淫らに濡れて、中へと欲しがっているのがわかっているはずなのに、焦らされる。
「んっ……は、やく」
 自ら腰を押し付けると、ヌポッと丸みを帯びた先端がゆっくりと内壁を味わい襞をかき分けながら入ってくる。
 ゾクゾクと肌が粟立ち、尻から腰を抜けて背中へと快感が走る。
「アッ、はっ、ん……ダ、メ……そんなゆっくり、したら……なんか、すぐ……」
 一つ一つのザラザラとした襞に先端が触れる。睦月は恍惚とした表情で、ダイニングテーブルへと手をついた。何も掴むものなどない、ツルツルとしたテーブルの上を助けを求めるかのように手が前へと這っていく。
 そして最奥を突かれると、ビクンと身体が痙攣したように震え、背筋が仰け反った。
「ひぁぁ──っ!」
 ビクンビクンと小刻みに陽を受け入れる腰が震える。その間も規則的に抽送が行われ、キュウキュウと陽を締め付けながら、押しては引く波のように断続的に訪れる快感に耐えていた。
「ダメっ、ダメだってばぁ……っ、やっ、出てる、から」
「覚えたろ? ほら、もう一回……な?」
 ギュッと強く達した直後の芯のない性器を握り込まれ、無理やりに扱かれる。痛いほどの悦びに、睦月はただただ絶え間無く嬌声を漏らし続ける。
「アッ、アッ、アッ──ン、ふっ、え……っ」
 ボロボロと強過ぎる快感に涙が溢れる。なのに、手は止まることなく高みへと昇っていく。急き立てるように感情が高ぶり、睦月の口からは嗚咽が漏れた。
「や、ぁっ……なん、か出ちゃうっ、変なの……っ、出るから」
「いいよ、イッて。ほら」
 ギュッとテーブルに爪を立てながら、睦月は陽の手に合わせて腰を振った。止めて欲しいのか、続けて欲しいのかもよくわからない。ただ抗いようのない愉悦の海に溺れているだけだ。
「あぁぁぁ──っ!」
 ピシャッと性器の先端から粘り気のない透明な液体が噴き出てくる。以前にも一度だけ陽の手で経験したが、あまりの強過ぎる快楽に身体が付いていかない。
「はぁっ、はっ……なに、これぇ……」
 身体をビクビクと震わせたまま、喘ぎ過ぎて掠れた声で聞く。立つこともままならない睦月の身体を抱き寄せた陽に、耳朶を甘噛みされた。
「男でも……潮吹けるんだよ」
「し、お? ってなに……」
 顔だけを陽に向けて、キョトンと目を瞬かせる。陽の複雑そうな表情に気持ちが揺蕩う。何かまずいことを聞いてしまっただろうか──。
「やり過ぎたな、悪い。ゆっくり……色々していこうな? 時間はたくさんあるし」
 え、何をという質問に答えは返されない。陽の中では結論が出たのだろうか。一つ頷くと、睦月の身体を軽々と持ち上げ絨毯の上へとソッと寝かせられる。
 涙に濡れた目元をティッシュで優しく拭われ、結局何だったのかと陽を待つと、前から覆い被さった陽に再び昂りを押し付けられた。
「ちゃんと、奥……してやるから」
「ん……っ、あ」
 グッと固い先端が入ってくる瞬間。どうしてもこの時だけは、身体に緊張が走る。楽な体勢を取り息を深く吐き出していると、チュッチュと額から目尻に、頬へと唇が降りてきた。
 一番太い亀頭を飲み込んでしまうと、ズルリと陰茎が奥へと向かっていく。グッと先端が最奥に辿り着くと、ビクリと大きく身体が震えた。
「あぁっ……いっ、それ──」
 グチュングチュンと最奥を何度も突かれ、睦月の身体は悦びに戦慄いた。無意識に一番受け入れやすいようにと、太ももを腹へとくっ付けるぐらいに持ち上げ大きく開いた。
「……っ、いいか?」
「ん、あぁっ、気持ちい──っ」
 深い場所に何度も当たる。前立腺を先端が掠め、性器に内部を解されていく感覚、頭の芯が痺れるような陶酔感に浸っていた。
 うっとりと陽の瞳を覗き見れば、飢えた肉食獣に貪りつくされるんじゃないかと怖いほどの強い瞳があった。
 どれぐらい身体を揺さぶられていただろう。時間の感覚も麻痺し、ただ甲高い悲鳴のような声が上がる。
「い、イイっ──も、イク、アッ、出ちゃ……っ!」
 ヒクリと喉を鳴らし、声にもならない声が響く。膝がビクンビクンと震え、腹部へと温かい精液が飛び散った。
 ギュッと中を締め付けると、陽の昂りも大きく跳ねてズチュゥっと体液が混ざり合う音と共に、結合部から収まりきれなかった白濁とした液体が流れ出た。
 はぁっと大きく息を吐き切る。陽の身体の重みが、とてつもなく愛おしかった。

「陽さん……あのね」
「ん? やっと言う気になったか?」
 身体を半分起こして、肘を着く姿も様になっていて見惚れてしまう。が、やっと言う気になったとはどういうことだろう。
「え、あの……」
「進路のことだろ? 大学、行くんだよな?」
「あ、うん。そうしたいと思ってます。どうして知ってるの?」
「充から電話あった。んで、心配だろうけど、もう子どもじゃないんだから余計なお節介焼くなって」
 そういえば、田ノ上には話したんだった。色々な人に心配かけてるんだなと、少し反省したい気分だ。陽が反対するわけはない。もっと早くに打ち明けてしまえば良かったのに。
「はい、大学……行ってもいいですか?」
「俺が気に食わないのは、それを充から聞かせられたことぐらいだな。俺が心配するぐらい許せよ。仕方ないだろ? 可愛くて堪んねえんだよ。好きだ、愛してるなんて何回言ったって足りないぐらいだ」
 ギュッと身体を抱き寄せられて、陽の言葉が続けられる。ここまで、素直に気持ちを伝えてくれることなどあまりない。元々そう言葉の多くない人だから。
「お前って体温高いだろ?」
「そう、ですか? 三十六度七分ぐらいですけど」
「俺にとっては、お前の体温が幸せの温度なんだよ」
 スキンシップが好きな人だと思っていた。けれど、陽もまた睦月と葉月と一緒にいることで幸せを感じてくれるなら、これ以上に嬉しいことはない。
 陽の書いた〝幸せの温度〟はハッピーエンドとは言えなかったけれど、睦月の思い描くこれからは明るく幸せに満ちている。
 睦月は、ギュッと両手を陽の背中へと回し抱きついた。
 陽が少しでも、自分の体温を感じられますようにと。

エピローグ
 順風満帆な人生なんてない。
 それでも、かなり幸せな人生を送っていると思う。
 気がつけば陽が父親となってから、十二年が経つ。
 覚えているはずもなかったが、あの頃色々なことで悩み、憂いていた睦月と同じ歳になった葉月は、睦月よりもずっと強かな性格に育っていた。
 腰に手を当てて眉根を寄せた葉月は、目の前でイチャつくバカップル……法律上は父と兄を睨みつけながら網の上で煙を立てる肉をひっくり返した。網がガンっと苛立たしげに音を立てる。
「ちょっと、そこの二人! イチャついてないで、焼いてよ! バーベキューしたいって言ったの兄さんでしょ!?」
 葉月の言葉に、陽からパッと離れて頬を染めた二十九になる兄、睦月は、二十歳を超えているとは思えない童顔な顔付きは変わらずに、相変わらず陽を魅了しているようだ。
(つか、この二人絶対バケモンだ……なんで歳取らねえんだよ)
 そして陽もまた、物心ついた頃から年齢というものを感じさせない若さを保っていて、葉月が何歳の頃からは記憶にないが、金色の髪は元々の地毛である瞳と同じ琥珀色になっていた。
 産まれた時からそばにいる相手を、今更綺麗だとか可愛いだとか思うことはないが、葉月の友人たちが事あるごとに美人の兄に会わせろと言ってくるぐらいには、睦月は容姿端麗だ。
「ごめん……だって、葉月が小さい頃にお庭でバーベキューやりたいって言ってたからさ。つい嬉しくて」
 いつの話だよっ──と叫びたくなってしまうことなど日常茶飯事で、綺麗なお兄さんだと称される睦月は天然だ。そして、そんなところが陽にとって可愛くて仕方がないのだと知っている。
「はいはい、言った覚えは全然ないけど、俺が五歳の頃に友達のあーちゃんが住んでる二階建ての一軒家が羨ましくて……って話は何十回と聞いたから!」
 夢のマイホームを現金一括で購入したのは、今年に入ってのことだ。周りから見れば、男三人の家族など普通じゃないのだろう。しかも、父と兄は恋人……パートナーシップ条例で認められた事実上の夫婦である。数年前に法が改正され、嬉々として申請に出掛けて行った二人の姿を思い出し、葉月は心中密かな喜びを感じた。ずっと想い合っているのを知っていただけに、ようやくかと安堵したものだ。
 だからと言って、兄のことを母さんと呼ぶ気には絶対になれないが。
「父さんも、いい加減兄さんのこと離してよ。俺の教育に良くないとか思わないわけ? 昔はもうちょっと気を使ってくれてたと思うけど!」
「家族は仲が良い方がいいだろ?」
 飄々と言ってのける男は、これでも超が付く有名作家だ。聞いたことはないが、5LDK庭付き一軒家をポンと買えるくらいには、稼いでいることは間違いない。
 そして高校生である自分と同じ歳だと言っても通じる見た目をしている睦月は、出版社で働く敏腕編集者だ。本人談ではあるが、いつか陽の担当になるのが夢らしい。
 しかし、長年浅黄家で家事をしていた経験を買われて、生活情報誌担当においてなくてはならない存在になっているらしいから、その夢が実現するのは悲しいかな遠そうだ。洗剤の種類などを調べては、こっちがいいだとあっちがいいだのと電話で話しているのを聞いたことがあるが、今の部署の仕事も楽しんでいると窺える。
「あ、そうだ葉月。荷物届いてなかった?」
「荷物? ああ、なんか来てた。見本誌だと思って、リビングのテーブルの上に置いてある。いいよ、俺が取ってくるから、兄さんたち肉焼いて、んで食べて。二十九にもなって、ヒョロヒョロだから、俺と歩いてると弟に間違えられるんだよ」
 葉月よりも十センチ低いところにある睦月の頭に笑いが溢れる。別に馬鹿にしているわけじゃないが、確かに百七十ない身長では可愛いと言われるのもわかるのだ。
 睦月には、どうして俺だけと恨みがましい視線を向けられるものの、こればかりはあげることも出来ないし、まあまあと慰めるだけだ。
「ほら、火傷しないようにね」
「ありがと」
 陽と睦月の二人にトングを手渡し、リビングの窓を開けて部屋へと入る。
 三十畳ほどのリビングには、買い換えた大きめのテーブルと椅子があり、前のマンションから持ってきたソファーはそのままだ。どうしてだか、古くなった本棚や小汚いタンスなんかもそのままで、葉月としては金はあるのに、どうしてこういう物は買い換えないのかと不思議だった。
 しかし、引っ越しの際に捨てないのかと聞くと、陽から〝お前が絵を描いたりシール貼ったりしてた思い出の詰まったものだから、捨てたくないんだと〟そう言われたときは赤面ものだった。誰が言ったかなんて聞くまでもない。
 小さい頃から、そりゃもう大事に大事に育てられた覚えはある。両親がいない、そう言うと初めこそ可哀想な顔をされてしまうのが普通だが、葉月においては当てはまらない。むしろ、あの作家の浅黄陽を父に持ち、あの美人なお兄さんの弟として羨望の眼差しを向けられている。
 それに……。
(いつも見てる人たちが、綺麗過ぎて俺の理想高くなる一方だからなぁ)
 何というか……羨ましいのだ、陽と睦月のことが。もちろん二人から溺愛されて育った葉月が与えられる愛情を疑うことはない。しかし、家族以上に大事な存在など自分にも出来るのだろうかと、モテないことはないが恋愛において奥手な自分にため息が漏れる。
「兄さんなんて……高校生の時に手出されてんだからなぁ」
 睦月に聞いたわけではない。それとなく陽と二人きりになった時、一体いつから恋人だったのかと聞いたことがあったのだ。その時も悪びれなく、まだあどけない高校生の頃だな、なんて犯罪紛いのことを口にする陽に唖然としたものだ。
「俺に恋人出来なかったら、絶対あの二人のせいだ」
 はぁと小さくため息をついて、テーブルに乗せた小包の包装を丁寧に剥がしていく。中からは予想通り、何ヶ月か前まで陽が締め切りに追われていた作品が綺麗な表紙と共に完成していた。
 こうして、陽の努力が一つの形になる経過を見ていると、やはり陽と睦月の仕事を凄いと思う。
 すぐに庭へと持って行こうかと思ったが、どうせ二人のことだ。また外から見えないのをいいことにイチャついているに違いない。何故レンガ造りの塀をこんなにも高くする必要があるのかと思っていたが、こういうことだったのかと窓の外を見て思う。
 そりゃあ、いくらパートナーシップを結んでいるとは言え、ずっと長く暮らしていく家だ。周囲への影響を考えてのことだろう。法律が定まったとはいえ、まだまだ人々の理解という上での壁は厚い。
 そうなったら、自分しかあの人達の味方になってあげられる家族はいない。だって、大切な家族だ──たとえ、血が繋がっていなくたってかけがえのない存在なんだ。
 葉月は、パラパラと本のページを捲る。
 今回の話は、お前たちにも読んで欲しい、なんて珍しくも言っていたなと思い出す。睦月は陽の小説のファンで、何度も読み返しているのを知っているが、葉月は今までに読んだことはなかった。
「ったく、さ~」
 最後のページを開いて、やっぱり自分に大切な人が出来るのはまだまだ先だと口元が緩んだ。
「口で言えっつーの……父さんは」
〝世界で一番大切な家族へ、この本を送ります。私に愛を幸せをくれた君たちに会えて良かった〟

fin
感想 3

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みんなの感想(3件)

海月
2021.08.08 海月

睦月が可愛すぎて、うわぁーって毎回なります笑
好きすぎてヤバいです(/∀\*)

2021.08.08 本郷アキ

ももな様

感想ありがとうございます!
可愛いと言っていただけて嬉しいです。何年も前に書いた作品なのに、こうして読んでくださる方がいることをとてもありがたく思います(o^^o)

解除
うどんはやっぱり温で。
2020.12.30 うどんはやっぱり温で。

何度も何度も読みかえしています!
決して長くはないお話なのにすっごく凝縮されていて、ほんとにほんとにだいすきです!
これからも頑張ってください!!
応援してます🎌

2020.12.30 本郷アキ

ふみ様
何度も読み返していただいてるなんて、作家冥利に尽きます。ありがとうございます!
しかもコピペが面倒で長編なのに2話でしおりも入れられないのに……(汗)

今は商業ベースでこの年齢のBLは難しくなってしまいましたが、高校生の恋愛を書くのは楽しくて楽しくて。

昔の作品なので拙い部分が多々あるかと思いますが、よろしければまた読んでやってください。

解除
おむすび
2018.08.23 おむすび

とても感動しました。こんな素晴らしい作品を書いてくれてありがとうございます。
この作品に出会えて良かったです。

2018.08.23 本郷アキ

おむすび様

感想ありがとうございました。
今までBLもTLもたくさん書いてきた中で、私が一番気に入っている作品です。最後までお読みいただきありがとうございます。

解除

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